「洗えんのですよ、痛すぎて」虐待を受けた少女の声を伝えようと私が選んだのはテレビではなくラジオ
「鼻血とまらんくなって。殴られすぎて鼻がおかしくなっとったけん」
「たんこぶも絶えんけん。洗えんのですよ、頭が痛すぎて」
虐待を受けたある少女の告白は、あまりに凄惨(せいさん)でした。
この少女がいったいどんな人生を送り、どうやって生き抜いてきたのか。
伝えるためにアナウンサーの私が選んだのは、テレビではなくラジオでした。
テレビでは10数秒に編集されてしまいそうなインタビューも、「声」を主役にできるラジオであれば、もっと少女の体験を伝えることができる。
そして8か月にわたる取材が始まりました。
きっかけは元暴走族の総長
きっかけは、3年前の冬に聞いた「困難を抱えた子どもたち~立ち直りと自立に向けて~」という講演でした。
登壇した福岡県田川市の工藤良さんは、罪を犯した少年少女たちが自立に向けて集団生活を行う「更生保護施設」を運営していました。
目尻を下げた優しい笑顔が印象的な工藤さん、実は元暴走族の総長で、親の離婚をきっかけに孤独を紛らわせようと非行に走り、中学2年生のときに暴走族に加入。結婚して子どもが生まれてもなお更生できず、覚醒剤を使って逮捕されました。
拘置所で1人過ごす中で初めて後悔と反省の思いにかられ、面会に来た妻に「もう一度だけチャンスをください」と頭をさげた工藤さんを、家族が見捨てず支えてくれたことで、更生できたといいます。
自分のように道を踏み外してしまった若者を、今度は自分が支えようと決意して更生保護施設「田川ふれ愛義塾」を開設。ここは全国に103ある更生保護施設の中で唯一、未成年の少女を受け入れる「女子寮」が設置されています。
講演のなかで工藤さんが強調した「女子の更生は男子より難しく、いま最も力を入れなければいけない」ということばが心にひっかかり、私は田川市に工藤さんを訪ねました。
少女たちの更生がなぜ難しいのか
北九州市の小倉から列車で50分、田川市の住宅街を歩くと大きな建物が見えてきました。2階建ての真新しい白い建物が、「女子寮」でした。
出迎えた工藤さんは私に、少女たちの更生がなぜ難しいのかについて詳しく話してくれました。
少女たちは男子と違い、夜の世界での「需要」があること。
一度は昼の社会に出たとしても、再び夜の世界に戻って非行や犯罪の輪に入りやすく、自立が遠ざかるケースが多いこと。
少女に信頼してもらうためには、男子の3倍も4倍も丁寧に接して時間をかけることが不可欠だということ。
そして非行に走る子どもたち、とりわけ少女が抱える問題の根底にあると工藤さんが強く訴えたのが、「愛情不足」でした。
大好きな親や身近な大人に裏切られて何度も絶望を感じ、それでも認められたくて居場所がほしくて、求められるがまま犯罪にも手を染めてしまう。
それが非行や犯罪という表面だけでは分からない、少女たちの心の中だといいます。
少女たちはどんな人生を送ってきたのか。
どんな思いで寮で暮らしているのか。
少女たちの話を聞きたいと、工藤さんに、少女たちへの伝言を預かってもらいました。
「話したくないことは話さなくても大丈夫。もちろんマイクも持っていかない。ただ、話を聞きたいという人がいることを伝えてほしい」と。
虐待を生き抜いた「さくら」
数日して工藤さんから「最年長の子が話をしてもいいと言っている」と連絡をいただき、初めて女子寮にお邪魔しました。
紹介されたのは、福岡県出身の「さくら」(仮名)という20歳の女性。
大きな瞳と肩より長い明るい色の髪が印象的で、少し笑みを浮かべて「こんにちは」と、落ち着いた声であいさつをしてくれました。
20歳という年齢より大人びた雰囲気に感じました。
「さくら」さんは、少し申し訳なさそうな、所在なげな様子で、何を話せばいいのか戸惑っている様子でした。
少しでも緊張をほぐそうと、女子寮ではどんな暮らしをしているのか、まずは現在の状況について話を聞かせてもらいました。
話している内に、
「家に居場所があったら寮には入っていない。地元にも帰る場所がない」
ということばがこぼれたのをきかっけに、寮に入るまでに彼女が受けた虐待の実態が語られました。
いったん話し始めると気持ちがあふれだすように、一気に。
私はメモをとりながらただ聴くしかできませんでした。目の前の20歳の女性が虐待を生き抜いてこの場にいることを受け止めるだけでした。
ラジオだった理由は2つ
アナウンサーとしてテレビもラジオも担当していましたが、彼女のことばを伝える手段として私は、テレビよりラジオを選びました。理由は2つありました。
1つは取材を受ける心理的負担が少ないこと。
ラジオの取材では、通常、取材者は録音できるコンパクトな機材を持って、最初から最後まで1人で行います。
「カメラを見るだけで警戒する少女もいる」と工藤さんが話していたので、ラジオであれば機材に圧迫感がなく、1対1の会話という日常の延長線で収録を進められると思いました。
もうひとつは「肉声をたっぷり伝えられる」ことです。
テレビですとインタビューは10数秒など、短い時間のこま切れになりがちです。それはテレビは「映像」が主役だから。でもラジオは「声」を主役にできます。
今回、私が心を動かされたのは、「さくら」さんの肉声でした。
当事者だからこそ語れる虐待や非行の実態を、ラジオでは1分以上の独白でもノーカットでそのまま伝えることができます。
声以外にも「ブーン」といった掃除機の音や、「ジュー」とお肉を焼く音などの寮の生活音を伝えることで、彼女たちの暮らしを、映像より豊かに想像してもらえるのではと思いました。
アナウンサーの専門性が問われるラジオ取材
私は「さくら」さんに、当事者だからこそ伝えられるメッセージがあるということ、そしてラジオの場合は映像撮影もなく取材を受ける負担が少ないことなどを説明しました。そして取材に了承をいただくことができました。
実はラジオ取材というのは、アナウンサーの専門性をフルに生かした取材方法でもあるんです。
現場に行くのは1人ですから、取材を進めながら状況にあわせて自分で録音のタイミングを判断しなければなりません。
「今、何がニュースなのか」を見極めて、瞬時に対応する力が求められます。
また相手が伝えたいことをしっかり伝えるには、ただ聞いているだけではだめで、話の流れやポイントを意識しながら、丁寧にやりとりをする必要がある。つまりインタビュー能力が必要になります。
空気のような存在になる
ロケにあたって意識したことは、女子寮の日常をありのままに伝えることでした。
少女たちが工藤さんと交わすふだんの会話や、掃除や洗濯といった家事の様子など、一つ一つが自立に向けた大切な一歩だと感じていました。
こうした暮らしを録音するには、私がその場にいることが非日常ではなく、日常だと感じてもらえることが第一で、いわば「空気のような存在になる」ことが必要でした。
そこでまず少女たちとなるべく同じ時間を共有するようにしました。食事の時は、「さくら」さんに寮にいるほかの少女たちを紹介してもらい、機材の電源を切って、アルバイトの出来事や得意料理などの雑談を重ねていきました。
会話の輪にしっかり入るときもあれば、黙って会話を聴いているときもありました。何かを無理強いしたり、つくろったりすることはないように心がけけました。
次第に少女たちから「あ、きょうも来てるんですね」と言ってもらえるようになり、取材に来ていることが特別ではない雰囲気に変わっていきました。
「信頼できる大人」は暴力団員
次第にお互いのことが分かってくるにつれて、当初は尋ねることができなかった過去の非行体験についても聞けるようになっていました。
「さくら」さんは小学校の友達からも、「虐待を受けているらしい」と距離を置かれ、気がつくとひとりぼっちで、どうすることもできない日々を送っていました。同じように家に帰れない人たちと知り合い、そこが居場所になっていました。
中学生になると母親の暴力から逃げるために、1人暮らしをしようとお金を貯めるために、身近で「信頼できる」と感じた大人に相談しました。
その人は暴力団員でした。
「さくら」さんはわずか13歳で、風俗店で働かされることになったのです。
当時を振り返って、こう話しました。
「よう死なんかったな」
虐待を受けて心も体もボロボロの状態になっていたときもなお、親に愛されたいと切に願っていました。
「ママにひと言でもいいけん、『好き』って言ってほしい。『帰っておいで』ってママに言ってほしい気持ちがあった」
さみしさを埋めるために覚醒剤で気持ちを紛らわせ、17歳で逮捕され、少年院に入りました。
偽りの愛情でもそれを求めるしかなかったこと。
愛情不足によって大きく狂わされた人生。
「さくら」さんには覚醒剤の後遺症があって、過去に向き合う場面では耳鳴りや幻聴に襲われることがあり、そうしたときは無理せずにインタビューを中断しました。
取材の中で「さくら」さんがたびたび口にしたのが、工藤さんへの信頼でした。自身も覚醒剤で逮捕された経験を持ちながら、「未来は変えられる」と語る工藤さんの存在は、大きな希望になっていました。
こういう大人もいるんだ
「さくら」さんの女子寮での暮らしが4か月を過ぎたころ、新たに女子寮に入ってきた後輩がルールを守らず、口論から「さくら」さんが後輩に暴力をふるってけがをさせてしまったことがありました。
まだ保護観察中だったのでこの「事件」は裁判になり、再び少年院に戻されそうになりましたが、工藤さんと妻は、もう一度更生のチャンスを与えてほしいと裁判所に訴え、「さくら」さんの職場にも出向いて謝罪しました。
少女たちにただ幸せな道を歩んでほしいという工藤さんたちの思いに応えようと、「さくら」さんは後輩に誠意を込めた謝罪の手紙を書き、結果、少年院には戻ることなく保護観察期間の延長という処分で、職場にも復帰することができました。
虐待を受けた「さくら」さんが信頼できる人と出会い、居場所を見つけるまでの歩みと更生支援の現場を追った取材は、8か月にわたりました。
施設を出た「さくら」と、施設のその後
取材の内容を50分間にまとめたラジオドキュメンタリー「虐待された少女たちの“その後”」が全国に放送されると、リスナーから多くの反響がありました。
「私も母親に暴力を受けて育ったが、少女が新しい一歩を踏み出す姿に勇気をもらった」
「まるで少女が自分に語りかけてくるように感じて、涙がとまらなかった」
「さくら」さんは施設を卒業したあと、結婚しました。今は元気な赤ちゃんを産んで育てています。
「子どもがかわいくてしょうがない。愛情たっぷりに育てています」と話しながら、「自分が苦労してきた分、同じような思いは絶対にさせません」と力強く語りました。
施設を運営する工藤さんたちは、コロナ禍で逃げ場のない状況に追い込まれている子どもたちに、家庭以外で安心できる居場所をつくる支援を続けています。
工藤さん:
「辛くなったら、誰かに相談してほしい。誰かに話をしてほしい。身近な友達や学校の先生でもいいし、信頼できる居場所がなければ、この施設でもいい。孤立しやすい時代だからこそ、1人にならないようにメッセージを発してほしい」
つらく苦しい中にいる子どもたちが日々の暮らしを少しでも前に進められるように、社会のひずみで埋もれてしまう声と、必要な情報を伝えていく。生の声をより多く伝えることができるラジオは、今後もずっと有効な手段になっていくと感じています。
ラジオドキュメンタリー「虐待された少女たちの“その後”」は、こちらのリンクから聞くことができます。※4月22日までの配信です。
藤重博貴 北九州放送局アナウンサー
2014年入局、山口県出身。秋田局を経て北九州局。変わりゆく時代の中で大切にしたい普遍的な価値観や、社会のひずみに埋もれてしまう声を届けたい。2022年4月から東京アナウンス室へ。「ニュースウオッチ9」リポーターを担当。ちなみに趣味は、中国語と、レトロ建築めぐり、レコード・映画鑑賞(特に加山雄三と植木等)です。