不登校新聞

248号(2008.8.15)

選択肢であるより逃げ場であること 山下耕平

2014年08月21日 14:56 by 匿名
2014年08月21日 14:56 by 匿名
 10周年座談会は、異論反論含め、さまざまなご意見をいただいた。企画発案者であり司会を務めた立場として、この座談会について私も意見を述べておきたい。

 座談会における一番の論点は、「選択」をめぐる問題だろう。小沢牧子さんは選択肢の多様性は消費社会の論理でしかないとし、むしろ公立学校における「選べない場の多様性」こそ重要だと説いた。一方、奥地圭子さんは教育が画一的で上からのお仕着せであることと、学校が居場所でなくなったことはつながっていると見ている。だから、子どもが主体で学べる場を公教育のなかに位置づけさせ、子どもが選択できるようにすることが必要だという意見だ。そして、それを実践している。

 ここは重要な論点だ。フリースクールのような学校ができれば、それ自体はすばらしいことかもしれない。しかし、それが選択肢になることで、これまでの学校のあり方は変わるだろうか? また、教育は、将来への期待や幻想を背負いこんだ商品と化してしまいやすい。そういう判断から「選択」されてしまうのでは、芹沢俊介さんの言う「教育家族の解体」からは後退してしまう。

 関係は選択肢にならない

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

『不登校新聞』のおすすめ

626号 2024/5/15

編集後記

626号 2024/5/15

『不登校新聞』のおすすめ

625号 2024/5/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

626号 2024/5/15

旅人「キノ」がさまざまな国を巡る『キノの旅 the Beautiful Wor…

625号 2024/5/1

「つらいときは1日ずつ生きればいい」。実業家としてマネジメントやコンサルタント…