カイが甘納豆に舌鼓を打っている頃。
バベルの塔30階、階層一つを丸々と使った大広間には、もう既に50に近い神々が集い、円卓に座って、それぞれが思い思いに他の神々と語らい合っている。
そのうちの一席、上座に近い位置に、テスカトリポカは座っていた。
脚を組み、腕を組んで、椅子にもたれかかって、目を瞑った彼女。
そんな『近寄るなオーラ』を全開にした彼女の隣に座るのは、正義の神こと、アストレア神だ。
「ねぇ、テスカトリポカ。何度も聞くけれど、さっきのあの話、本当なの?」
「…………」
テスカトリポカは「さっさと
単純にアストレアが嫌いでさっさと終わらせて帰りたいと言うのもあるが、それ以上にアストレアの質問攻めが五月蝿すぎるのだ。
彼女がテスカトリポカの隣に座ってから5分ほど経つが、繰り返されるのはずっと同じ質問。
いくら寛容なテスカトリポカと言えども、流石にこれには内心の辟易を隠せない。
額にくっきりと青筋を浮かび上がらせ、ただひたすらにじっとその時を待っていた。
そして、遂にその時は訪れる。
「それでは第ン千回!
そう言って音頭を取るのは、朱髪と糸目が特徴的な女神、ロキ。
現都市最強ファミリアの一角にして、最初にカイが入団を希望した派閥、【ロキ・ファミリア】の主神である。
「「「「イエーーーーーーーーーーー!!!」」」」
そんな彼女の声に、神々は待ってましたと腕を振り上げて叫ぶ。
普段はここで騒ぎまくる神々を嘲笑う彼女であるが、この時ばかりは彼女も一緒になって歓喜の声を上げざるを得なかった。
アストレアが信じられないものを見るような目を向けて来るが、そんな事は些事である。
「よーし! んじゃあ今回もサクサクッと行かせてもらうでー! まずは情報交換! ってわけで、トップバッターはウチからや! もうみんな把握してるかもしれんけど、最近また
「フン」
誰にものを言ってるんだ、と言わんばかりにテスカトリポカは鼻を鳴らした。
邪神によって率いられ、都市に混沌と恐怖をもたらさんとする
無論、カイへの良い試練として、だが。
「りょーかーい!」「へー、そーだったのかー!」
「ま、俺のところは優秀な子供たちが揃ってるから安心だな!」
「おいコラやめろ! フラグ立てんじゃねぇ!」
このように騒ぎ立てる神々とて、内心では十分以上に
下界において
寧ろ、彼らに比べてみれば人間の方が無知蒙昧で、愚かな存在であると言える。
アホのように見えるのは表層だけだ。きっとその薄皮を一枚剥けば、深淵の如き深い思慮が顔をのぞかせる事だろう。
勿論、アホでいる事を最高に楽しんでいる神に関してはその限りでは無いが。
「次俺行っていいーー!?」
「「「いーーーーーよーーーーーーー!!」」」
「ニョルズ君がぁー! 今季は大漁だからぁー! 魚がお安くなるって言ってましたぁー!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」「大漁チャンスだァァァァァァァァァァァァ!!!」
「魚ッ!! 食わずにはいられないッッ!!」
「ニョルズ君ナイスゥゥゥゥゥゥ!! これで魚が食えるぜぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
これはいい事だな、とテスカトリポカは素直に思った。
戦士にとって
それに、カイもそろそろ成長期である。
食い物が安いと言うのは、それだけで有り難い。
「じゃあ次! 次は私!」
……と、それからも、会議は次々と話題が投下され、一通り騒いだら次の話題へ、という風に進んで行った。
本当にくだらない事、少しは重要な事、ギャグとしては面白いもの……そんな話題が、広がってはまた次の話題に押し流されてゆく。
しかし、話題と言うのも決して無限では無い。
投下されるスピードはどんどんと落ちて行き、遂には新しい話題が出なくなってしまった。
そんな神々に様子を見たロキが、徐にパァンと手を鳴らす。
瞬間、神々は先程までのあのテンションが嘘だったかのように静まり返った。
「よぅし、こんなモンやな。気ぃ付けんのはやっぱり
そう言って、トントンと書類を整えると、ロキは再びパァンと手を鳴らす。
「じゃ、早速次行くで。資料はもうあんな?」
ロキがそう問い掛ければ、神々はサムズアップであったり、手元の資料を掲げたりと、それぞれの方法で問題ないことを示す。
それを見たロキは一つ大きく頷き、ニヤリと口角を上げる。
「それじゃあ恒例、命名式や」
静かに告げられたその声が、大広間に反響する。
それを受けた神々の反応は、おおよそ半々であった。
片や苦虫を噛み潰したような、渋い顔を浮かべる神々。
片や、そんな渋い神々の顔を覗き込んで、ねちゃりと粘着質な笑みを浮かべる神々。
「…………た、頼む、どうか、ウチの子にいい【名前】を……」
渋い顔の神々の一人が、震えた声で懇願する。
その顔は既に真っ青であり、手は腹を押さえている。
相当な心労が伺える様子であるが、しかし神々は非情であった。
「「「「「「「「「断る!」」」」」」」」」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
いっそ気持ちの悪いほどに綺麗にハモった拒絶の声に、神は慟哭する。
神と人間の感性は、そこまで変わりはない。
しかし、こと『命名』において、それは例外となる。
神々が進みすぎているのか、それとも人間が遅れすぎているのか、何にせよ人間達が『カッコいい』と大絶賛する二つ名の中には、神々が身悶えするような『痛恨の名』が存在する。
「はい、冒険者ランディ・ラングランド、称号は【
「はぐあああああああああああああああああああああああああッッッ!!?」
そして、神々はそんな『痛恨の名』を、意図的に大量生産する。
泣き崩れる主神の慟哭を、それを自信満々に名乗る眷属を、そしてそんな眷属に再び慟哭する主神を、全力で笑い種にしてやるために。
そして、自分の味わった苦しみを、他の神にも味わわせてやるために。
「冒険者アグナ・ウェル! 称号は【
「すまねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええアグナぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」
片や大絶叫を上げて崩れ落ちる神々。
片や大音量で哄笑を上げ、酸欠で崩れ落ちる神々。
阿鼻叫喚の地獄絵図である。
テスカトリポカはこの空気感は嫌いではないし、寧ろ好きな部類だが、今回は自分の眷属が後に控えている。余裕な表情こそ保っているが、それどころではないと言うものだ。
前回は何とか無難なところに落ち着いたが、だからと言って安心はできない。
テスカトリポカは天界ならともかく、下界では新参だ。
主神としてのキャリアも、隣の鬱陶しいヤツに比べれば圧倒的に足りていない。
面白そうだから、でトンデモ二つ名が付けられる可能性だって十分に有り得る。
手塩にかけて育てた戦士が激イタネームに目を輝かせる光景を幻視して、テスカトリポカは頭が痛くなるような思いだった。
「冒険者グラン・レインタール! 称号、【
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」
次々と『痛恨の名』が作られ、その度に悲鳴が響き、屍が積み上がってゆく。
しかし、それを逃れた幸運な者も居る。
「……んお、じいちゃんやないか」
「あ!? じいちゃん!?」
「じいちゃんレベルアップしたんか!?」
全員の目がその場に居た赤髪の女神に集中する。
鍛冶の神、へファイストスだ。
「そうね。60年越しのレベルアップよ。私も驚いちゃったわ。みんな、彼にいい名前を送ってあげてね?」
この場において、『痛恨の名』を逃れる方法。
それは、主神としてキャリアを積み、他の神々にオラリオに貢献していると認められるか、もしくはそんな神の保護を受けるか、もしくは、その人間個人が神々に気に入られること。
今回において、それは一つ目と三つ目が該当する。
「よーし! ここは真面目にやろうぜ!」
「おう! 俺たちからのプレゼントだ!」
「おじいちゃん孝行してやるぞ!!」
あれ程までに粘着質だった神々の笑顔が、何とも爽やかなものに変質している。
こうなってしまえば、もう安心だ。
「じいちゃんは【
ふぅ、とヘファイストスは息をついた。
無事に付き合いの長い眷属に良い名前がついたので、安心したのだろう。
「さて、そんじゃあ次で最後……で、本命やな」
ぺらり、と資料を捲って出て来るのは、カイの冒険者関連情報。
神々の視線が一斉にテスカトリポカへと向く。
テスカトリポカは余裕な表情を保ちつつ深く息を吐き、心の準備を終えた。
「あー……名付けの前に聞くけどなぁ、テスカトリポカ」
「何だロキ。オレのガキについて書いてあるのは、これで全部だが」
普段は閉じているか開いているのかすら判断がつきにくい糸目を見開いてテスカトリポカを見るロキに、テスカトリポカは資料をトントンと叩く。
「ンなモンわかっとるわ」
ロキは呆れたように肩を竦める。
「六ヶ月で2レベルアップ、脅威のレコード3つ持ち。まぁこの辺はええわ。アイズたんやフィン達からコイツの話はよう聞いとるし。正直この速さで成長するんも、ハッキリ言ってまぁ分からなくもない」
意外だったな、とテスカトリポカは思った。
てっきり不正を疑われるのではないかと思っていたからだ。
「お前がこんな事に不正せんのもわかっとるし、ガネーシャのトコにも、リヴィラにも調べは付いとる。ただ、ウチが聞きたいのはそう言うことやない」
バン、と机を叩き、ロキはテスカトリポカを睨め付けた。
神威が解き放たれ、大広間に緊張感が満ちる。
「お前、
「…………ほう?」
「聞き方変えてやろか? お前、
その言葉に、テスカトリポカは得心した。
テスカトリポカは様々なものを司る。
それは夜の空であり、夜の風であり、北の方角であり、大地であり、黒耀石であり、敵意であり、不和であり、支配であり、予言であり、誘惑であり、魔術であり、美であり、戦争であり……
その幅広い神性の故にこそ、テスカトリポカはとにかく面倒臭い。
神々ですらその理念や言動の意を読み取るには至難を極め、また度し難い。
何気ない会話をしていたと思えば、いつのまにか彼女に肝臓を刺されていたなど、天界ではさして珍しい事でもなかったのだ。
だからこそ、ロキは恐れているのだろう。
異常なまでの成長を続ける異邦の『トリックスター』が、オラリオに、ひいては自分の子供達に被害を及ぼす事に。
今回、ロキが司会をしているのも、そう言う理由からだろう。
「テスカトリポカ……」
隣で、アストレアがこちらを心配そうに見ている。
お人好しな彼女の事だ。テスカトリポカに助け舟でも出そうとしているのだろう。
しかし、テスカトリポカにそれは必要ない。
「ハンッ」
鼻を鳴らす。
ロキの眉がピクリと動いた。
「……安心しろ。オレはアイツが『斯く在りたい』と思っているうちはこっち側だ」
「……その言葉、違えんな?」
「ああ、
ロキは更に大きく目を見開いた。
ロキだけではない。多くの神々が、彼女の行動に目を見張っている。
『己の真名に誓う』。
それは、神々にとって決して軽くない意味を持つ行為であった。
それを違える事は、即ち神々にとって『己の存在否定』と相違ないからだ。
「………………………………ほな、ええわ」
しばらく見合った後、ロキが纏っていた神威を霧散させる。
周囲の神も、それと同時に緊張が解けたようだ。
和やかな空気が再び大広間へと戻って来る。
「んじゃー気を取り直してさっさと命名するでー! 意見あるヤツはドンドン言いー!」
「おーし! 気合い入れていくぞー!」
その日最後の命名は、じっくりと時間をかけて行われた。
意見が次々と飛び出し、その度に反対意見も次々と飛び出す。
自身の考えた二つ名を速攻で否決されたテスカトリポカが暴れるなど一悶着こそあったものの、最終的には────────
「「「「「「「「決まったァァァァァァァァァァ!!!!!」」」」」」」」
─────冒険者カイ・グレイル。新称号【