アルカディア
「アルカディア、出力上昇!」
「出力、三十パーセントで安定!」
「いつでも動けます!」
慌ただしく兵士たちが動き回るのは、アルカディアのブリッジだった。
移動要塞のブリッジはとても広く、バルトルトはそこからの眺めを見ている。
外にはモンスターたちだけではなく、帝国の戦力がほとんど集結していた。
「いよいよだな」
軍事力だけではなく、外交も駆使して王国を追い詰めようとした。
だが、王国の抵抗もあって、目標としていた成果は得られていない。
バルトルトの横には、アルカディアの主人であるミアが緊張した様子で座っていた。
今も、ミアは戦争に反対の立場だった。
だが、バルトルトは絶対にこの戦争を回避しない。
(ミア、お前はそのまま優しい子でいてくれ。全ての罪はわしにある)
自分たちが生き残るために、旧人類側の代表である王国を滅ぼすのだ。
その罪を娘に背負わせるわけにはいかなかった。
「――発進せよ」
バルトルトの声により、アルカディアをはじめとした大勢の飛行船が動き出した。
ミアは俯いてしまう。
「ごめんなさい」
王国にいる友人たちのために泣いているのだろう。
(お前は優しい子に育ったな。そんなお前のためなら、わしはいくらでも罪を背負おう)
泣いているミアに、バルトルトは声をかけなかった。
◇
アルカディアにある一室。
そこは序列第一位から十位までの騎士たちの休憩所だった。
部屋は豪華な内装で、騎士たちのために使用人たちが世話をしてくれる。
帝国の剣聖――リーンハルトは、グラスの中にあるジュースを見ていた。
「凄いですよね。これだけの物体が動いているのに、揺れていませんよ」
グラスの中の液体が揺れていないのを確認してから、一気に飲み干すとメイド服姿の女性に投げて渡していた。
その様子を見たフィンが目を細める。
「リーンハルト、態度が悪いぞ」
「お~、怖い。先輩ってば優しいですね」
ヘラヘラしているリーンハルトは、新しい飲み物を受け取るとまた眺め始める。
「先輩、少し緊張していませんか? 大丈夫ですよ。情報では、王国に味方した国は少ないですからね。それに、国境を預かる貴族たちは動けないそうですから」
油断しているリーンハルトに、フィンが釘を刺す。
「王国にはリオン――バルトファルト公爵がいる。忘れたわけじゃないよな?」
「先輩が気にかけているのも知っていますよ。それに、最重要人物ですからね。その公爵を倒せば、戦争も終わったようなものですし」
フィンは床に視線を向ける。
(どうして俺たちは戦わないといけないんだろうな)
フィンは王国での思い出が頭をよぎる。
あの楽しかった日々は、二度とは戻ってこないのだ。
自分が帝国側で、リオンが王国側だから。
それは理解しているフィンだが、納得できなかった。
ただ、戦う以上は勝ちに行くつもりだ。
「――公爵が出てくれば俺が相手をする」
誰にも譲りたくないという気持ちと、同時に危険すぎて他に任せられないという思いがあった。
それを聞いたリーンハルトが肩をすくめる。
「なら、僕には王国の剣聖を譲ってくださいよ。それと、剣聖には息子がいましたよね?」
フィンがクリスを思い出す。
「クリスか? 確か、王国では剣豪と呼ばれていたな」
「そう、その人です! 剣聖は年齢的に全盛期を過ぎているかもしれませんから、そいつも僕に譲ってくださいよ。確か、クリスはファンオースの黒騎士を倒したはずです。少しは楽しめます」
ファンオース公国の英雄である黒騎士を倒したのは、公式ではクリスになっている。
そのため、リーンハルトはクリスと戦いたいのだ。
それはまるで遊び感覚だった。
「――状況次第だ。だが、公爵が出て来たら俺を呼べ。あいつは危険だからな」
他の騎士たちは納得できないような顔をしていた。
そして、フィンの側にいたブレイブが話しかける。
『相棒、あいつらが出て来たら複数で叩かないと駄目だぜ』
「分かっている。だが、リオン一人に魔装を持った騎士を何人も付けたくない」
帝国は数では勝っているが、それでも不安がないとは言えない。
魔装と呼ばれる魔法生物をまとった騎士の数は少ない。
対して、リオンの側は旧人類の兵器たちが集まっている。
(アルカディアを沈められるとは思えないが、用心するに越したことはないからな)
◇
ホルファート王国の王宮では、帝国が動き出したという知らせを受けて大騒ぎになっていた。
「艦隊の移動はどうなっている!」
「まだ、二割が目的地に到着していません!」
「急がせろ! 帝国の奴らをこの国に入れてはならん!」
王宮内では騎士、軍人たちが走り回っている。
文官たちも書類を持って慌ただしく駆け回っていた。
メイドたちも忙しそうに働いている。
そんな中――リビアはリコルヌに乗り込むために廊下を歩いていた。
(また戦争が始まる)
公国との戦いや、共和国での戦いを思い出してしまう。
(その度にリオンさんが傷ついて――だから、今度は)
後ろにはノエルと――カイルの母親であるユメリアが付いてくる。
ユメリアは聖樹の若木を操作するのに必要と判断し、リコルヌに乗せることになった。
「ユメリアちゃん、本当に大丈夫?」
ガチガチに緊張したユメリアを心配するノエルも、やはり緊張した様子だった。
ユメリアはぎこちなく頷く。
「だ、大丈夫です! それに、カイルも一緒に乗り込みますから」
マリエの付き添いでカイルも乗り込む予定だ。
王宮の飛行船の乗り場へと向かうと、そこにはアンジェの姿と一緒に――マリエの姿もあった。
「アンジェ」
その姿を見て、リビアは少し驚くのだった。
◇
リコルヌに乗り込むタラップの前に来たマリエは、そこにいたアンジェリカと鉢合わせとなる。
聖女の衣装に身を包んだマリエは、アンジェリカが苦手だった。
マリエの後ろにいるカイルとカーラが、アンジェリカを見て困っている。
何しろ、マリエはアンジェリカから婚約者を奪った過去がある。
これまでも、出会えば鋭い視線を向けてくる相手だ。
今も何を言おうとしているのか分からない。
マリエがリコルヌに乗り込もうとすると、アンジェから呼び止められた。
「待て。少し話がしたい」
マリエはタラップに乗せた足を戻して、アンジェリカに振り返った。
「何よ? 文句なら戻ってから聞くわよ」
何を言われるのだろうか?
そう思ったマリエだが、内心では何を言われてもよかった。
(こいつの人生を私が狂わせたのよね。なら、文句くらい聞いてあげないと)
次がどうなるか分からない。
すると、アンジェリカは右手で自分の左手の肘を掴み、視線を下げてマリエに頼む。
そうすることで大きな胸が強調されるのが、少しだけマリエは羨ましかった。
「リコルヌにはお前の力が必要だ。頼む――リオンを助けてやって欲しい。私では、ここから先は役に立てない」
重要なのはリビア、ノエル――そしてマリエの三人だ。
クレアーレは、リビア一人でも装置が完全に動くように改修を終えていた。
アンジェリカが手伝えることは何もない。
頼まれたマリエは、拍子抜けてして呆れるのだった。
「言われなくても頑張るわよ。それより、なんで私に頼むのよ? あんたからすれば、私は憎い相手じゃない」
言われたアンジェリカは、マリエに初めて笑顔を向けた。
それはなんの裏もない笑顔だった。
「何度も憎んだことはあったよ。だが、私はお前に感謝しているのさ」
「感謝?」
「お前のおかげでリオンやリビアに出会えたからな。私にとって、今はユリウス殿下よりもリオンの方が大事だ。そのリオンのためなら、誰にだって頭を下げるさ」
マリエは下を向く。
(――何よ、悪役令嬢の癖に。――あんた、本当にいい女じゃない。こんなの、私が凄く惨めよ)
以前はアンジェリカに勝ったと――ユリウスを奪ってやったと思っていた。
その自分の醜さがマリエは嫌になる。
それに、自分を選んだユリウスは、それが原因で王太子の地位を失った。
マリエからしてみれば、自分のせいで大勢を巻き込んでしまっただけだ。
大勢が不幸になった。
(あ~あ、やっぱり私って駄目な女よね。ろくでもない男ばかり集まるわけだわ)
マリエは顔を上げると胸を張った。
精一杯の虚勢を張る。
「私が手を貸すんだから、絶対に勝てるわよ。これでも私は聖女よ」
アンジェリカはクスクスと笑う。
「あぁ、そうだな。期待させてもらう」
すると、マリエとアンジェリカを心配したオリヴィアが駆け寄ってきた。
「アンジェ!」
どうやら、アンジェリカがマリエを責めていると思ったのだろう。
だが、笑顔のアンジェリカを見て、オリヴィアは驚いている。
「どうしたんですか?」
「何でもない。それよりも、さっさと乗り込むぞ。ここからは、お前たちが頼りだ」
マリエが乗り込もうとすると、今度は自分が人生を狂わせたもう一人の人物がやって来る。
――クラリスだ。
近付いてくるクラリスを見て、マリエは平手打ちを覚悟する。
クラリスはジルクの元婚約者で――こちらも、マリエがジルクに手を出したことで、婚約破棄となった。
そんなクラリスに警戒していると、マリエの横を通り過ぎてアンジェリカに話しかける。
「アンジェリカ、あんたまで乗り込むことないでしょうに」
「止めるな。――リオンの側にいたい」
「貴女、自分の立場を分かっているの?」
「悪いが決めたことだ」
「はぁ――分かったわよ。それより、戻ってきたら覚悟しておくのね。しばらくは忙しくて寝る暇もないわよ」
クラリスは文官の仕事を手伝っているのか、手がインクで汚れていた。
クラリスが手を振って離れていく。
「私は忙しいから、見送りはここまでにするわ。ちゃんと戻ってきなさいよ」
クラリスが去って行く途中、マリエの横を通り過ぎる。
すると、クラリスが呟いた。
「あんたもちゃんと戻ってきなさい。言いたいことが山のようにあるからね」
マリエは下を向いて杖を握りしめる。
(どいつもこいつも、なんでもっと――最低な奴じゃないのよ)
もっと女のドロドロした部分を見せてくれたら、マリエだって心が救われた。
自分が醜く見えて仕方がない。
マリエは空を見上げる。
(――でも、これでいい。こんな私でも役に立てて、残るのはみんないい子ばかりだって分かったから。兄貴――今回は絶対に生き残った方がいいわよ)
今世、リオンは幸せなのだと確信して、マリエはタラップへと足を向ける。
カイルが緊張していた。
「今回も勝てますよね?」
カーラは、気丈に振る舞っている。
「勝てるわよ。マリエ様も協力して、バルトファルト公爵も本気なんだから。きっと帝国なんて倒してくれるわ」
そう思いたいのだろう。
カーラは自分に言い聞かせているようだった。
マリエが杖を担ぎ、そして二人の方を向く。
「心配しなくても、絶対に勝つから安心しなさい。それよりも、カイルはお母さんのフォローをちゃんとするのよ」
「え? で、でも」
照れてはいるが、カイルはユメリアの方を気にしている。
「あんた、親とはいつまで一緒にいられるか分からないのよ」
「わ、分かっていますよ」
カイルがユメリアの方へと向かうのを見て、マリエはリコルヌに乗り込む。
カーラがマリエを心配する。
「マリエ様? 今日はいつもと違いませんか? その、何だか――」
「いつもと同じよ。それより、カーラのことも色々と考えないとね。いつまでも私と一緒だと、結婚できないし」
「いえ! 私はずっとマリエ様のお側にいます!」
「――あんた、自分の幸せを考えた方が良いわよ」
「私の幸せは、マリエ様と一緒にいることですから!」
笑顔でそう言い切るカーラを見て、マリエは苦笑いをするのだった。
カイルが空を指さす。
「ご主人様! 神殿の飛行船ですよ!」
そんなマリエが空を見上げると、神殿の旗と一緒に聖女の旗を掲げている飛行船があった。
その数は多くないが、神殿側がかき集められる精一杯の数である。
(あいつらも参加するのね)
マリエはそんな飛行船たちに向かって、杖を掲げてみせるのだった。
◇
出発しようと飛行船へ乗り込もうとしていた。
そんな俺の前に現れたのは――。
「お前ら」
――学園の友人たちだった。
ダニエルが腕を組んでいる。
「遅いぞ、リオン」
レイモンドは眼鏡を人差し指で位置を正して、俺に声をかけてくる。
「待ちくたびれたよ」
他のみんなも照れくさそうにしている。
「お前ら――なんでここにいるんだ? 逃げなかったのか?」
少し前にもっとも冷遇されていたのは、俺の友人グループだ。
結婚してもらうために女子に頭を下げ、それでも田舎貴族と馬鹿にされ相手にもされない。
王国の政策でもっとも割を食ったのは、間違いなく彼らだ。
こんな戦いに参加するとは思えなかった。
ダニエルが自分の胸を叩く。
「お前がいるからな。今回も勝って、勲章をもらえれば箔がつくだろ」
そんなことを言っているが、嘘だとすぐに分かる。
俺は勝てる確率は低いとちゃんと伝えたのだ。
「馬鹿かよ。逃げたって誰も責めないぞ」
そんな俺にレイモンドが呆れたようだ。
「別にリオンのためじゃないよ。参加した方が良いから参加するだけさ。それに、リオンの側にいれば生き残れそうだからね」
抜け目のない事を言っているようだが、これも嘘だった。
「――俺の近くにいれば死ぬ確率の方が高いぞ。お前ら、それを分かっていないのか?」
全員が顔を見合わせ、そして諦めたような顔をしていた。
そして、笑っていた。
ダニエルが俺に肩を組んでくる。
「馬鹿! それくらい知っているよ。けどさ――今まで、お前のことを何度も見捨ててきたからさ。今回も見捨てたら、俺たち本当に屑だろ?」
「お前ら――」
レイモンドが眼鏡を外す。
「決闘騒ぎとか、他にも色々とあるからね。それに、リオンにはこれからもお世話になるし、恩を売っておかないと怖いんだよ」
俺は髪をかく。
「――無理はするなよ」
ダニエルとレイモンドが頷き、周りは笑っていた。
「もちろんだ!」
「死にたくないからね」