創造性に関して、トレードオフで失うもの得るもの
『性格において2つの資質の両方持つのは無理なのでは?』
において、
「両立」こそできなくても、少なくとも「中庸」はできるかもしれないと思います。
特に「外向性vs内向性」については、どちらに振り切ってもデメリットが強すぎる!
外向的(でしゃばり)すぎるのも内向的(ひっこみじあん)すぎるのも嫌ですよね。
人なるものなら、外向にも内向にも振り切らずに真ん中を目指すべき、というのが私の考えです。
…もちろん「創造性vs繰り返し作業」ときたら、そりゃ創造性一択ですね!😆 (繰り返しにすぐ飽きちゃう某氏)
というコメントをいただきました。
ここから、ある文章を思い出したので、それを紹介したいと思います。
先に結論だけ書いておきます。
コメントにある通り「どちらに振り切ってもデメリットが強すぎる!」を支持するものとなります(なりました)。
ちなみに、今回紹介する文章では「内向」と「外向」では無く、「躁鬱」の人の話となります。
私としては、振り切っていてもいいのではないか?と思っているのですが、今回、引用する文章では、
「何かに極端に振れるからこそ得られるものがある。ただし、極端であると、失うものもある」
という話になります。
行き過ぎを戒めているかのような話でもあります。
以下に紹介する文章を読みながら私はエニアグラムのタイプ4を連想していました。
ここでタイプ4の説明を入れます。
エニアグラムのタイプ4は、『芸術家(ドン・リチャード・リソ)』『夢想家(ヘレン・パーマー/レニー・バロン&エリザベス・ウエイゲル)』とも言われる性格タイプです。
タイプ4の人の中には、私から見て、気分の上下が激しい人がいます。今回紹介する文章はそんなタイプ4を連想させるものです。
ネットで探したら、タイプ4を決める質問票に以下のようなものがありました。
幾つか、今回の話と関係ありそうなのを書き出します。
私の強みの一つは、感受性の強い人間であるという点である。そして、私は自分の経験を非常に大事にする。たとえそれが辛いものであったとしても。
最高潮の時、私は――一種の「霊感」を得たように――なんでもないように見えるところから、何かを作り出すことができる。
私は「自制心を取り戻す」ことができそうもない。どこから始めればいいのか分からないし、少しうまくいったとしても、あっという間に元の木阿弥になってしまうような気がする。
私の創造力は、自分の最も深い感情を、個人的なものにしろ芸術的なものにしろ、なんらかの形で表現することからきている。
善かれ悪しかれ、私は生き生きとした想像力を持っており、自分にとって現実そのものである夢のような空想の世界をつくり出すことできる。
長々とタイプの説明をしてきました。
以下、引用です。
『傷口に人生を奪われるな | Books&Apps』
とても美しい本を読んだ。
”躁うつ病を生きる―わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?”
である。
筆者であるケイ・ジャミソンは名門ジョンズ・ホプキンズ大学医学部精神科教授なのだが、なんと彼女はバリバリの躁うつ病当事者である。
本書の最大の魅力は綴られる文面の美しさにある。
よくもまあ、こんなにも美しい文章が書けるもんだと感嘆してしまうほどにケイ・ジャミンソンの書く文章は美で満ち溢れている。
これは本人に芸術的な素養があるという事も勿論あるだろうが、それ以上に躁うつ病という病の影響が強そうだ。
ケイ・ジャミンソン本人も躁うつ病と自分の創造性に強い相関関係があるという自覚があるようで、特に躁状態に関する記述が実に凄い。
本書は全ての調子や気分の上げ下げに苦しんでいる人に参考になるだろう。
筆者であるケイ・ジャミンソンの躁うつ病は本当にとてつもなく重症で、未治療で見過ごせるような生易しいものではない。
故に彼女は様々な迷いを順繰りしつつ、最終的には炭酸リチウムという躁うつ病の治療薬の服用を自分の人生の中に受け入れるようになる。
ここまで読んで「病気なんだから、ちゃんと治療するのは当然の事じゃない?」と思う人も多いだろうが、以下で述べるようにこれが実に難しい側面を抱えている。
先にも書いた通りこの本は美しい記述で満ちている。
ケイ・ジャミンソンの視点は非常にユニークで、人を魅了してやまないものがある。
だが…その魅力的な記述は躁うつ病を治療する前を描いた序盤にかなり偏っている。
躁うつ病の治療薬である炭酸リチウムをキチンと服用するようになった本の後半部分からはケイ・ジャミンソンの文章から美しさや芸術性はかなり薄くなる。
病を治療する事で躁うつという厄介な気質と引き換えに彼女の魅力部分でもあった芸術的センスは損なわれる。
つまり、彼女の躁うつ病はある意味では確かに”病”なのが、ある意味ではそれは天から授けられた芸術的センスというギフトともいえるのだ。
故にケイ・ジャミンソンにとって薬で躁うつを抑えるという事は病に対する治療という側面もあるが、天から授けられた芸術的センスを捨てるという事にもなる。
自分という存在をここまで押し上げてくれたギフトを生きるために捨てる。
それを選ぶという事には私達の想像を超える重みがあるに違いない。
彼女が躁をフルスロットルで展開するのはロケットやフェラーリに搭載された高性能エンジンをアクセル全開でかっ飛ばすようなもので、そうする事で彼女は我々凡人では絶対に出せないスピードで世の中をぶっちぎる事ができる。
その一方、この高出力エンジンは彼女を人生という道路からコースアウトに誘ったり、燃費が悪すぎて彼女から生命のエナジーを枯渇させるほどに使い過ぎにさせたりもする。
こんな暴れ馬エンジンが安定した日常生活を送るのには役立たないというのは確かにその通りなのだが、じゃあ彼女はその上で自分の能力に手錠のようなものをかける事に葛藤は間違いなくあっただろう。
人生は選択だ。
何かを得る為に何かを失い、また何かを失う事で何かを得る。
果たして自分だったら生活のために自分を形作ってくれたアイデンティティの元を捨てられるだろうか…そういう観点でこの本を読むと、また実に味わい深い。
ケイ・ジャミンソンさん、エニアグラムのタイプ4を感じるかたです。
ただ、それを抑える選択をしたようです。
何かに極端に振れるからこそ得られるものがあります。
ただし、極端であると、失うものもあります。
ならば、極端で無ければ良いかというと、
極端で無いことで得らえるものもあれば、極端で無いことで失うものもあります。
「平均的な人材か? 尖った人材か?」「偏り」「天は二物を与えず」に関連して思い出したので、今回紹介してみました。
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