ドン・リチャード・リソの『性格タイプの分析』を読んでの感想
最近、ドン・リチャード・リソの『性格タイプの分析』を読んだのでその感想などを数回に分けて書きます。
本書は、1991年9月30日に春秋社から発売されたものです。古いですが、色あせない部分もあります。
まず、
「この本を読む前にあたって」
の部分が印象的だったので、その部分を紹介します。
この本を読む前にあたって(この本をひもとく前に、必ず読んでください) 鈴木秀子
「エニアグラム」が日本に紹介されてから、五年近くになります。
リソの本を、今の時点で出版することに関して、私はずいぶん躊躇しました。(略)
(略)リソの「エニアグラム」は心理療法的な面に偏り過ぎているように私には思われます。(略)
(中略)
(略)この本は、心理療法を専門としている人たちは取り上げられましたが、一般的には、読み方を十分に注意する必要があるとの書評を受けていました。
この本が出版された時、ちょうど私はアメリカに滞在していました。「エニアグラム」そのものが大きな関心を呼んでいるだけに、この本も話題になりましたが、みな、かなり批判的に読んでいるようでした。(略)
しかし、リソには、それなりの鋭い「エニアグラム」による性格分析がなされています。自分の問題とごちゃごちゃにすることなく、冷静に、学問を学ぶ態度で、読んでいただきたいと思います。(略)
1991年の本に、エニアグラムが日本に紹介されてから5年近くになる、と書かれています。
ということは、日本に、エニアグラムが入ってきたのは、1986年頃のようです。
また、リソの本が、今はどうか知りませんが、当時のアメリカでは批判的に読まれていることに驚きました。
ここで、エニアグラムをそこまで知らないかたに説明をすると、リソは、エニアグラムにレベルという概念を持ち込んだ人です。
この、レベルは、同じ性格タイプの中でもレベルの高低で人格に違いが出ることが説明できるもので、当人の成長の指針にもなる便利なものです。
※ 『【エニアグラム用語】レベルとは?』
これが翻訳される時点で、このような躊躇があったということは知らなかったので勉強になりました。
次に、リソの考え方を紹介します。
(略)エニアグラムのどの流派が最も正しいのかという問題も道を誤っている。(略)
無論、歴史的伝統的には留意すべきであるが、どの流派のものであれ、エニアグラムが伝えている絶対的真実を読み取る方がそれよりはるかに重要である。(中略)誤りによってか、創始者たちがわざと部分的にしか明かしてこなかった教えの結果としてか、それ自体不完全であるかもしれない伝統に教条主義的に固執する必要は全くない。
「わざと部分的にしか明かしてこなかった教え」で思い出したことがあります。
リソ&ハドソンのワークショップに行ったときに、
リソが「ひとつ、いいことをお教えしましょう」と言って、
自分のタイプを間違えている人の見分け方をひとつ教えてくれたことがあります。
それで、その後にあったことなのですが、
あるエニアグラムの集まりにおいて、その特徴を出していたかたがいたんですね。
それで「あれ、これってリソが言っていたのと同じ…」なんて思っていたら、そのかたが、アッ!とした感じになって、態度を変えてその特徴を消したんですよ。
それで「本人も気が付いた。たぶん、あのワークに行っていて、リソの言葉を知っていて、自分がそれをやっていると気が付いたんだな」と私は思いました。
何がいいたいかと言えば、全て教えたら、自分を偽るために使う人も出てくる可能性があるわけです(先ほどの話のそのかたが偽ったのか、他人からの批判を嫌って変化をさせたのかは分かりませんが・・・)。
ですから、「わざと部分的にしか明かしてこなかった教え」は、リソもやっているということです。
あのワークショップでのリソの「ひとつ、いいことをお教えしましょう」は、いまだに本には書かれていない可能性があるということです。あの場は、ある程度エニアグラムが分かっている人の集まりだったので、リソもしゃべったのかもしれません。
これは難しい話です。私自身も、自分で持っている判別ノウハウを語るか語らないかで迷います。語ると対応されるので、難しいものがあります。
タイプ誤認の確認方法に関して言えば、そのやり方を公表する場合は、ごまかしが難しい方法にするしかないように思います。
→ 『自分のセンターの確認のしかたを お教えします』
それ以外の方法は、明かさない方がいいようにも思えます。
と言いながらも、やはりこれは難しい。
正確を期するために、本書では『性格のタイプ』に書かれているいくつかを訂正したい。私のエニアグラム解釈は「進行中の作業」であり、続く本の一冊一冊が前の本を修正・補完する形になる。
この部分、重要ですね。つまり、リソの本は、過去の本でもそれなりに、意味があるということです。
それと、これで思い出した話として、ある人がワークショップで、リソに、その説明に関する不満を言って納得がいかず食い下がっていたところ、「こちらも全てが分かっているわけでは無い」という意味の答えが返ってきたという話があって、それを聞いて私は「正直だなあ。タイプ6の日本では指導者には絶対的な答えが求められるのに、アメリカは違うのかな」という感想をもったのですが、リソにとってのエニアグラム解釈は「進行中の作業」ということが本書には書かれていて、私にとっては、「なるほど」と、感心と納得の記述でした。
読者に対しては、それぞれのタイプを要領よく紹介できるように、それぞれのタイプに「ぴったりくる言葉」、つまり、そのタイプのなにがしかの本質を表す名詞をつけた。理想をいえば、各タイプの名詞は健全な特質を表すべきである。
そこで、タイプ8は「統率者」、タイプ9は「調停者」、タイプ2は「人を助ける人」、タイプ5は「考える人」、タイプ6は「忠実な人」、タイプ7は「万能選手」となった。(以下略)
この
「各タイプの名詞は健全な特質を表すべきである」
は、理想ではあるのですが、
こうなると、素敵な言葉に違うタイプの人が集まってくるという現象も起きて、
今は、どうやら、名前の付け方を調整しているようです。
こういったものも、「進行中の作業」なのでしょう。
※
『性格タイプを言葉にするのは難しい』
『性格タイプを表すあだ名が変化する理由』
(略)私は『性格のタイプ』の中で、イエズス会派に関連した用語を書き直した。例をあげれば、「頭・心・腹の中心」という言葉を「感情・行動・関係の三つ組」に書き直したことである。
(中略)(しかも、イエズス会の解釈によって導入されたこの用語はそもそも、それらを「生命・行動・存在のグループ」と呼ぶ初期のアリカの解釈に手を加えたもので、このイエズス会特有の用語は、なんら独自の歴史的正当性を有するとは思わない)。
本書の中では、
関係の三つ組 タイプ8・9・1
感情の三つ組 タイプ2・3・4
行動の三つ組 タイプ5・6・7
と説明されています。
現在の説明との違いがあって、興味深いものがあります。
以下にはエニアグラムの流派の説明がされています。
エニアグラムに関しては、何冊も本が出ているにもかかわらず、いまだに謎のままで論争の渦中にある部分が多い。エニアグラムには形態も力点のおき方も異なる何種類もの教えの「流派」が生じている。一九二〇年代にグルジェフが起こした流派から始まって、七十年代に創設されたアリカ研究所でオスカー・イチャーソが始めた(そして精神科医のクラウディオ・ナランホが補足した)流派、北米全土で多数のイエズス会士が提起した宗教的流派、敬けんな精神性を強調する最近の傾向(多くの見るところ、これはエニアグラムの厳格な心理的・精神的ルーツからは遠ざかっている)、私独自のエニアグラム解釈(イチャーソとナランホの、心理学的で暗に精神的なものを含んだ ― 後にイエズス会士たちが手を加えて精工にした ― エニアグラムの説明と発展)まで、さまざまである。
日本で今、エニアグラムと言われているものの大半は、私も含めて、性格学としてのエニアグラムです。これは、アリカ研究所のオスカー・イチャーソの流れとなるようです。
リソは、十三年間イエズス会に所属したともこの本には書かれています。
いろいろと勉強になりました。
参考
『リソの『性格タイプの分析』に書かれていた タイプ1とタイプ5の違い 』
『リソの『性格タイプの分析』に書かれていた タイプ3とタイプ5の違い 』
『リソの『性格タイプの分析』に書かれていた タイプ4とタイプ6の違い 』
『リソの『性格タイプの分析』に書かれていた タイプ6とタイプ8の違い 』
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