今の氷見を伝える
能登半島地震から、もうすぐ1ヶ月経とうとしています。
富山県 氷見。
石川県との県境に位置し、今回の地震で被害の大きかった場所。
そして、私の大好きな場所。
地震の影響で客足が遠のいているようで、私たちは営業してます。お店開けてます。道の駅温泉施設再開しました!など氷見の情報を心配しながら毎日見ていたら、いても立ってもいられなくなり、現地に足を運び、歩いて、見て、お話しを聞いて、氷見産や能登産の物を、たくさん購入してきました。
私なりの応援と復興支援です。
氷見は懐かしさを感じる田舎のような雰囲気の町。そんな方々が口を揃えておっしゃったのは次のような声でした。
「ここも大変だけど、能登はもっと大変だから。」
「こんなの、今まで生きてきて初めてだよ。」
「去年の11月に輪島に遊びに行ったところだった。朝市でお店を出していたおばあちゃんと色々話をした。あのおばあちゃん、大丈夫であってほしい。」
、「町のあちらこちらで、津波が来るから逃げれー!と大きな声があがり、神社に逃げ込んだけど、鳥居が崩れそうになり、またみんなで逃げて、どうしようかと思った。」
「ここを直すのには、ずいぶんかかるだろうね。液状化がすごい。ひどいことになった。だけど、同じ氷見でもここより(海側)山の方は、もっとひどいらしい。能登はそれ以上…」
そして、やはり心の問題も。
「今でも、揺れてるような気がして、家の中の軽いものが揺れていないか確認したりする。揺れてる感覚が抜けない。」
“誰かに自分の今を話す” それだけでも、心が軽くなればとの思いで、町の人に声をかけさせてもらいました。
こんな状況だけど、みなさん、お話ししている時は、笑顔なんです。氷見に来てくれてありがとう。と言っていただけたりして、泣けてくるほどでした。泣きたいのはきっと氷見の方々なのに。
私が、お身体は大丈夫ですか?と訪ねると、大丈夫。なんともないよ。それよりも᠁と言って、氷見の町や能登の心配をしている人達が多くて、地元愛に加え、氷見と能登はとても親密な関係があるのだと感じました。
また、石川県の小松から来たと言う方にも会いました。こちらは幸い被害が少なかったからね。と。そして毎年、氷見に寒ブリを食べに来るんだそうで、今回は支援も兼ねて来たとおっしゃってました。
地震があったから止めようではなく、きちんと今の状況を把握して、あえて行く。そんな支援の在り方もいいのではないでしょうか?
旅と言う名の富山行きでも構わないです。立山連峰を見たい!寒ブリ食べたい!などの観光目的でも構いません。
名目や理由なんてどうでもいい。
行って現地の方々を応援して欲しいです。
みなさん前を向いていて、お店を開けて、店先では元気よく『いらっしゃい、見てって~』と、声を掛けておられます。お客さんに氷見の物を食べて欲しい、氷見を楽しんで欲しい思いで頑張っています。
氷見の方々は、みなさんが来てくれるのを待っています。
そして氷見では能登の物も売っていて買えます。
氷見の今を伝えると共に、みなさんに行ってもらえたらという思いで、このnoteを投稿します。
日本はいいところ。人も町も温かい。
氷見もそんな場所です。
氷見へ。よろしくお願いします。
駅前には温泉施設があり、たくさんの車が停まっていました。あとで聞いたのですが、水は出るようになったけど、水を送るポンプ機能が不十分らしく(氷見には水源がないのだそうで、高岡から水を引っ張っていると教えていただきました。)今でも節水が必要。そして、能登のほうはまだ水が出ない。各家庭の節水と能登の人達がお風呂に入れるように、氷見の温泉施設は早急に復旧をさせて営業しているのだそうです。
そして、町に入っていくと、被害の大きさを目の当たりにします。
この神社のすぐそばに私の好きな日名田屋餅店があり、こんな状況の中でも営業されていました。
日名田屋餅店さんより─
『お店やってるので、みなさん来て下さい。』とおっしゃってました。ぜひ。
そして店を出て歩いて行くと、至る所で液状化が目立ちます。
ここは、去年お世話になったビジネスホテル信貴館さん。私が氷見行きを決めて宿を探していた時は予約を停止されていました。
こちらで頂いた夕食の寒ブリは最高の美味しさでした。みなさん、お怪我はなかったでしょうか?再開されることを願っています。
さらに歩いていると、一人のおばあちゃんと出会いました。
「この先の道や橋が酷くてね。見てあげて。」
氷見がかわいそう。でも、能登はもっとひどいんだろう。とお話しして下さいました。
このあたりは道という道が、ほとんど地割れしてしまっている状態でした。
そして、商店街の方に出てみると、こちらはメイン通りだけあって、被害は少なそうで、車やバスも走っていました。
この商店街には以前、氷見牛のハンバーグをいただいたことのある、こちらのお店があります。
“営業中” “氷見おやき” この2つの、のぼりを見て行かない選択肢はありません。氷見おやきを頂きに店におじゃましました。
ここの奥様ともお話しさせていただいたところ、やっぱり少なからず風評被害があり、うちだけじゃなく周りもキャンセルがたくさん出ているのだそう。だけど、同じ富山の人が、毎週のように氷見のいろんなお店にご飯を食べに来てくれたりもしていて、そんな方もいてくれるから、頑張れるとおっしゃってました。
最後はマスターが出てきて下さり、一年前に、ただの旅行者で来た私を覚えていて下さり。とても嬉しかったです。
来てくれてありがとうと言って下さり、私のほうこそ感謝感激です。
ここのお食事も氷見産や富山産のものを、ふんだんに取り入れておられて、とてもおいしいです。ぜひ、足を運んでみて下さい。
親しい人に再開したような嬉しさの中、歩いていくと見えてきたものは、氷見を代表するこの看板。ちゃんとあるべき場所にあってさらに嬉しさが込み上げます。
今日はこの北の橋を渡ってすぐのところにある宿にお世話になります。
いきなり夜になっているけど、そこは気にしないで…。日中に撮影していませんでした。
こちらには、災害救助隊の方々が宿泊されていて、毎日ここから石川県に救助活動に出発されているのだそうです。
ひとりの男性の方にお話しを伺ったところ、穴水のほうへ行っていて、電気は通っているけど、水が全く出なくて大変だとおっしゃっていました。
能登地方はまだまだ大変な状況。そこへ毎日、支援をしに行ってくれている隊員の方々に、お願いします。と、お声がけすることしかできない自分…。だけど私も、氷見を応援する!と行動起こした一人として、めちゃくちゃ微力だけれども、ここで出来ることを精一杯しようとしっかり前を向くことにしました。
池田屋旅館さんに荷物を置いて海沿いの漁り火ロードや、道の駅 ひみ番屋街、比美乃江公園があるところなどへ行きます。
※玉垣(たまがき)とは 玉垣とは、神社の境内の周りを囲んでいる木や石でできた境界の柵。玉垣の“玉”の字は神聖なものを指しており、玉垣とは「神聖な神様を囲む垣」という意味だと言われている。
ちなみに、氷見の沿岸部には同じ名前の魚取(なとり)神社がいくつもあります。少し調べたところ、能登の珠洲にある神社と深い繋がりがあり、能登から広まった神様が祀られているのが、この魚取神社なのだそうです。
氷見と能登はやはり昔から深い関係で結ばれていたのですね。
ここは氷見漁港から比美乃江大橋に繋がる整備されている通りで、あちらこちらでブロックが盛り上がっていた。
そして私が見た中で、一番液状化がひどく、地割れもたくさんあった場所が、ひみ番屋街と比美乃江公園周辺でした。
こんな状況の中、ひみ番屋街のお店は、ほぼ全店営業。そして隣接する氷見温泉郷 総湯も営業。さらには、立山連峰を望める、ひみ番屋街 足湯も利用可能。
すごいです。自分達も被災しているのに、能登の方が来て癒しになるようにとの思いや、氷見に遊びに来てもらいたい気持ちのパワーが集結されていました。
能登も氷見も他の地域だって大変で心が折れそうになったり、不安な中でも、頑張って少しづつでも前に進んでいると思います。
少なくとも氷見はそうでした。
夜に町を歩くと比美乃江大橋はライトアップされ、ハットリくんのからくり時計の橋にはイルミネーションが点灯されていました。
氷見の方々が、これを見て癒されていて、涙が出てくる。イルミネーションや、ライトアップをしてくれて励みになっていると、おっしゃってました。
氷見市の行政と住民の心が一体となって、復興に一直線に進んでいます。
たくさんの方とお話しできて、ほんとうにみなさんに、氷見に来てくれてありがとうと言っていただけ、被災地への不要な出向きは控えるべきなのか?と最初は悩んだけど、私の取った行動は間違いではなかったと思わしてくれたのは、氷見の方々の温かい出迎えでした。
こちらこそ、ありがとう。
微力だけど応援できたかな。
まだまだ、復興には時間がかかるかもしれないけど、また、応援しに行けるように私も頑張ります。
2024年1月28日~29日
くろしお
氷見で見れる朝日
追伸。
試される大地の優しさに触れた北海道10日間の旅 シリーズは続きます。
こちらもよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?
コメント