「大東亜戦争」 「太平洋戦争」 隣国を忘れた日本
陸上自衛隊第32普通科連隊の公式X(ツイッター)が「大東亜戦争」という表現を使いました(その後削除)。では「太平洋戦争」ならいいのか。東京大名誉教授の三谷博さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 【写真】硫黄島内を進む日本軍の戦車 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇アジアを忘れた日本 ――「太平洋戦争」からはアジアが抜け落ちています。 三谷氏 忘却です。戦前にアジアに深入りしすぎたために、戦後は反対に行動しました。隣国を忘れ、米国による占領もあって、西洋一辺倒になりました。 中国戦線に行った人は、自分が多くの中国人を手にかけたことを記憶しています。しかし、子どもにはそのことをまったく語りませんでした。 我々の記憶には大きな穴が開いています。これが太平洋戦争という言葉が定着した背景です。米国が使ったから使ったのですが、日本にとっても都合が良かったのかもしれません。 今、学界で使われる「アジア太平洋戦争」という言葉はそのことを反省しなければならないとして作られた言葉です。 ――大東亜戦争の「亜」はアジアの「亜」です。 ◆大東亜戦争は当時の政府が閣議決定した名称ですが、過去を語るのに当時の用語をそのまま使えばよいわけではありません。日本はサンフランシスコ講和条約を結んだときに、戦前の行動を否定することで、世界各国の仲間に再加入しました。戦前への反省を否定するならば、外国との約束の根拠が覆されます。 大東亜戦争という言葉を使うことは講和条約の枠組みを否定することです。どんな立場であっても、今の外国との関係の基礎が破壊されていいとは思っていないはずです。 ◇知っておく必要がある ――どう呼ぶかは歴史認識の問題と関係します。 ◆私は、20世紀前半に日本が隣国の民に対して、どんな戦争をし、どう支配したか、それを今の日本人がどう反省しているかが、歴史認識という言葉の意味だと受けとめています。今の日本人が、戦前の日本の行動をどう思っているかという、隣国からの今の日本人への問いかけです。 その時に、日本人が史実を知らず、「そんなことあったのですか」と口にすると、隣国から怒りを買うだけでなく、他の国々からあきれられます。けれども、太平洋戦争という言葉を使ってきたように、日本人は中国のことを忘れてきた。それ以上に韓国・朝鮮を知ろうとしなかった。私自身がそうでした。 20世紀前半の日本の歴史は向き合うのがつらい歴史です。数をピンポイントで示すのは不可能ですが、日本による侵略で、中国人が何百万人というレベルで殺されたことは確かです。痛いことですが、知らなければもっと大変なことになるのです。 ◇対外戦争をしていない日本 ――向き合うために大切なことはなんでしょう。 ◆一つは、いま生きている日本人のほとんどは世代的に戦争や支配に関与していませんから個人としての責任はないことです。しかし日本という国は続いているので、国家としての責任は引き継ぐ必要があります。 もう一つはこの70年以上、日本は対外戦争をしていない事実です。中国人や韓国人の多くは日本人は常に好戦的で残虐な存在だと思い込んでいます。けれども、日本の歴史は侵略と平和の両極端を動いてきました。豊臣秀吉の時代や20世紀前半の日本人はたしかに隣国を虐げました。しかし、江戸時代の初めから日清戦争までは、300年近く対外戦争をしていません。この70年も平和を旨としてやってきました。 どちらの日本がいいのでしょう。隣国の民にそう問いかけ、平和な存在でいてほしいと思うなら、それに協力してくださいといえば、相手もわかってくれます。 ◇自国を外から見る視点 ――中国や韓国の歴史学者との交流をされてきました。 ◆今世紀に入ってから対話を始め、それで分かったのは、中国や韓国の優れた歴史学者は決して今の日本の糾弾に熱を上げているわけでないということです。 中国の歴史家も共産党のいいなりではありません。政府公定の歴史と別に、自分の良心をもって歴史を書く人も今なお少なくありません。韓国の歴史家とも対話をしてきましたが、若い世代には、自国(韓国)中心の歴史観に批判的な人が数多くいます。優れた歴史学者はどの国であっても、歴史を内部からだけでなく、外から見る視点も併せ持っています。 自分の国を愛するのは自然な感情です。同時に愛するならば間違ったときは反省すべきです。自分のしたことは常に正しいというのは危険なことです。 ――自国中心主義が世界中で広がっています。 ◆江戸時代も明治維新の時も日本人は日本人をなるべく殺さないよう努力しました。それは今も続いています。ところが、日中戦争ではとんでもない数の中国人を殺しました。外国人には何をしてもよいのか。これを反省するには、自国だけでなく、相手側の事情と歴史を知ることが必要です。 自らの来歴の記憶は大切です。ただ、その大部分は家族や友人や同僚、近所の人々との関係からできていて、記憶を失うと生きていけません。 国家の記憶も同じです。国のアイデンティティーも記憶=歴史によって成り立っていて、これを大事にしなければ良い国になりません。しかし、その記憶は自国だけでは成り立ちません。自国の記憶と同時に隣国の記憶、そして、お互いの関係の記憶も大事です。(政治プレミア)