幸福
「兄貴ぃぃぃ!」
男子寮の敷地内にある一軒家を目指すのは、泣いているマリエだった。
急に胸騒ぎやら、色々と事情があってリオンに泣きつきに来たのだ。
「来月ピンチなの! お金を貸し――て?」
だが、リオンの家を守っているのは、完全武装のガーディアンたちだ。
屋根には蜘蛛型のロボットたちもいて、周囲を警戒している。
ドローンも数多く飛ばされ、厳戒態勢で警備をしていた。
『――マリエちゃん、どうしたの?』
「クレアーレ! あ、あのね、兄貴を呼んで欲しいの。実は来月ピンチなのよ!」
明日でもよかったが、妙に胸騒ぎのするマリエは急いでリオンに会いたかった。
しかし、クレアーレが取り次いでくれない。
『マスターはお休みよ。明日にして』
「え? でも、まだ二十時よ。兄貴なら絶対に起きているわ」
『あら、詳しいのね。でも、明日にして』
普段よりも冷たい態度のクレアーレに、マリエも意固地になる。
「何よ! なら、無理矢理にでも押し通るわ!」
クレアーレを通り過ぎるマリエだったが、地面に何かが落ちる音が聞こえてくる。
その音に振り返ると、札束が落ちていた。
「――あ、あんた、どういうつもり?」
『みんなの生活費を稼ぐって大変よね。その苦労、私はよく理解しているわ。だから、ここで戻るなら、このお金を拾っても何も言わないわよ』
つまり、お金を受け取って帰れという意味だ。
マリエはゴクリと唾を飲み込む。
(何だか兄貴に会わないといけない気がするけど、このお金は喉から手が出るほどに欲しい)
お金を稼ごうにも、クーデターでアルバイトも出来ない。
ダンジョンに入ることも規制され、マリエは困っていた。
だが、リオンにも会いたい。
――マリエの出した結論は、
「もう遅いし、迷惑になるから帰るわ」
札束を内ポケットに入れて、引き返すという選択だった。
『マリエちゃんのそういう素直なところ、私は大好きよ』
ただ、マリエは思う。
(う~ん、何だか選択肢を間違った気もするけど、こいつらが兄貴に変なことはしないでしょうから安心よね。明日、また兄貴に相談しようっと!)
◇
リオンの家を目指すのは、マリエだけではなかった。
ふんどし姿に捻り鉢巻きのグレッグとクリスが、リオンを風呂に誘いに来た。
「バルトファルトの奴、最近疲れた顔をしているからな! やっぱり、そういう時は風呂に限るぜ」
「あぁ、バルトファルトのために一番風呂を譲ろう!」
風呂を丁寧に掃除して、そして湯を張った。
リオンを風呂に誘うために、二人はふんどし姿で走ってきた。
すると、ノエルが二人の前に立ちはだかる。
「はい、そこの二人は回れ右をしてお家に帰りなさい」
「む? ノエルさんか」
クリスが眼鏡をクイッと押し上げる。
グレッグの方は、笑顔でノエルに事情を話す。
「バルトファルトがいるだろ? 一緒に風呂に入るから呼んできてくれ」
ノエルの後ろには、ロボットたちが大きな盾を持って道を塞いでいる。
「リオンは寝ているから明日にしなさい」
クリスが譲らない。
「今が最高の状態なんだ! バルトファルトに最高の風呂を味わってもらいたい!」
「オッケー、明日の朝ね。朝風呂ならリオンも喜ぶし、今日は二人でゆっくり浸かりなさい」
グレッグが怪しむ。
「何かあるのか? もしかして、何か問題でも起きたんじゃないか!? クリス、俺たちもバルトファルトに力を貸すぞ!」
「おうさ!」
警告を無視してリオンの部屋へと向かおうとする二人だったが、急に「はうっ!」と言い出して倒れてしまった。
その後ろには青い一つ目を怪しく光らせたクレアーレの姿がある。
『大人しく帰らないからこうなるのよ』
「クレアーレ、あんたやりすぎじゃない?」
『マスターの大事な時間を守るためよ。多少の犠牲は付きものよ』
「それにしても、このタイミングで後から後から――リオンも大変よね」
笑うノエルを見て、クレアーレは問うのだ。
『それより、ノエルはよかったの?』
「あたし? ――あの二人と一緒っていうのは無理かな。別に二人は嫌いじゃないけどさ」
ポケットに手を入れて、ノエルは壁に背中を預けた。
「――三番目は大人しくしておくわ」
『あら、嫌み? マスターに抗議する? それとも、明日にでも襲う?』
「馬鹿ね。そういう意味じゃないわよ。あ~あ、リオンが共和国に生まれてくれたらよかったのにね。そうしたら、一番を狙ったのに」
『それは駄目よ。私たちがマスターと出会えないもの』
◇
違う場所。
そこにはジルクとブラッドの姿があった。
「バルトファルト公爵はお疲れのようです。ここは、私が選び抜いた茶器をプレゼントして喜ばせましょう」
いかにも安っぽい茶器を持っているジルクを見て、ブラッドは首を横に振っている。
「物で釣るなんて邪道だね。僕の手品でバルトファルトを笑顔にしてみせるさ」
手品の道具を持っているブラッドを見て、ジルクが目を細めた。
「君の下手な手品は、皆を笑顔にするのではなく笑われているのです」
「どういう意味だ! というか、お前の方こそ反省しろよ。いつも偽物ばかり掴まされやがって!」
「偽物じゃありませんよ! 私が選び抜いた本物たちです! 私が本物と思えば、偽物だって私の中では価値があるんです!」
言い合っていると、いつの間にか小さなルクシオンのようなドローンたちに囲まれていた。
赤い一つ目が怪しく光っている。
「こ、これはいったい何事ですか?」
「君たち、バルトファルトの子分だよね?」
怖がる二人に対して、小さなルクシオンたちが呟く。
「排除」
「邪魔をする者は排除」
「――殲滅」
あまり聞きたくないワードを呟く小さなルクシオンたちに、ジルクもブラッドも冷や汗を流す。
すると、ガーディアンたちがやってくる。
「な、何をするのですか! ――おふっ!」
「おい、ジルクに何を注射したんだ! お、おい、待て! 僕は注射が嫌――はふっ!」
ぐったりする二人を、ロボットたちが運ぶ。
その様子を見ていたルクシオンが呟くのだ。
「――クリア」
◇
ユリウスがリオンを訪ねるために廊下を歩いていた。
「バルトファルトが疲れているから、今日は俺のおごりで屋台に誘うか。いつも世話になっているから、お礼もしないといけないからな」
ユリウスのお小遣いは、元を辿ればリオンから出ている。
本人はそのことをあまり気にしていなかった。
そうして、一軒家の玄関前に来ると、ノエルが呆れた顔をしていた。
「何で今日に限ってみんな来るのよ」
ノエルを挟み、ルクシオンとクレアーレの姿もある。
『本能で何かを感じ取ったのでしょうか?』
『マスターのお邪魔虫って多いわね。排除しなくっちゃ!』
ちょっと物騒なことを言うクレアーレに驚きつつも、ユリウスはノエルに話を聞くのだ。
周囲を守っているロボットたちの数が多い。
「何かあったのか? これだけ警戒する必要もないと思うんだが?」
物々しい警備に、何か事件でも起きたのかと考える。
だが、ノエルは手をヒラヒラと振って否定した。
「リオンは忙しいから、用があるなら明日にして。急用なら私が話を聞くから」
「そうか? なら、明日にでも誘うか。実は、一緒に屋台に行こうと思っている」
「リオンと?」
「そうだ」
堂々と答えるユリウスに、ノエルは不思議そうな顔を向けていた。
そして尋ねてくる。
「あんたたち、リオンとの関係ってどうなの? 最初は決闘でボコボコにされたのよね? 敵とは言わないまでも、複雑じゃないの?」
その問いにユリウスも頷く。
「最初は嫌いだったさ。俺とマリエの仲を引き裂いたのがバルトファルトだからな。だが――あいつは、不器用だからな」
「不器用?」
「俺に目を覚まさせるために、自分が悪役になったりする。エリヤの時も同じだ。自分が損な役回りを引き受ける。後から気付いたが、あいつは不器用で――たぶん優しい」
ノエルがその意見に賛成する。
「ま、そうよね」
「それに、あいつは何か隠している。俺たちに言えない何かがあると思うんだ」
「そうなの?」
「たぶんな。きっと、色々と抱え込みすぎているんじゃないか? 俺は王子という重荷から解放されて気が付いたんだが、あいつは色々と背負い込みすぎだ」
ノエルが目を細めていた。
「元王太子がそれでいいの?」
「今は幸せだから、俺は満足している。ま、バルトファルトのおかげだけどな」
「――呆れるわ」
「だろうな」
ユリウスは笑うと、今日はリオンを誘えないので帰ることにした。
◇
ユリウスが去ると、ノエルは空を見上げた。
「――あいつら、馬鹿なのか頭がいいのか分からないわよね」
成績は優秀だ。
だが、行動が駄目すぎる。
『マスターは、彼らを見て面白がっていますけどね』
「そうなの?」
ルクシオンは頷き、そしてリオンが普段口にしないことをノエルに教えるのだった。
『口では色々と言いますが、基本的に八割は嘘です。マスターの言葉は信用しないでください』
「そ、それって酷いわよね?」
クレアーレに同意を求めると、青い一つ目を頷かせていた。
『こいつと一緒で、マスターも捻くれているのよ。基本的に優しいと思うわよ』
ルクシオンが説明を続ける。
『マスターは一般人です。優しく、大きな決断には悩みます。その際に、必ず自分の負担を大きくしてでも、相手に尽くす傾向にあります』
ノエルは、それを何となく理解していた。
共和国でもそうだった。
「分かるよ。何でも出来て、頼りになって――頼り過ぎちゃうんだよね」
『おかげで、マスターは限界です』
クレアーレも普段のふざけた態度ではなく、真剣な口調で告げる。
『もっと自分勝手ならよかったのにね。変に社会性を重視するから、この状況になったわけだし』
ノエルは首をかしげる。
「それって悪いことなの?」
『その社会性の維持のために、マスターが色々と背負い込む必要があるのかしら? 私たちにしてみれば、王国はマスターよりも価値が低いの』
ルクシオンがノエルに告げる。
『――もしも、マスターが精神的に壊れてしまうようなら、我々は即座にこの国を滅ぼします』
「あ、あんたたち、何を言っているか分かっているの? そんなの、リオンが望むわけがないわ」
『そうですね。だからこそ、我々も困っているのです。マスターが正気である内は、王国を滅ぼすことが出来ません』
◇
翌朝。
俺は太陽に向かって両手を広げた。
「世界って美しい!」
そんな俺を見て呆れているのは、黒助を連れたフィンだった。
「朝からどうしたよ」
『こいつ、疲れてハイになったんじゃないか? 休ませた方がいいと思う』
逆に心配されてしまった俺は、フィンの肩に手を置くのだった。
「俺、もう何も怖くない」
「そ、そうか。それは良かったな。それはそうと、今後について話を聞きたいんだが?」
フィンの悩みなど、ミアちゃん関連に決まっている。
「任せろ、すでにプランを用意している。エリカが言うには、主人公はダンジョンの地下三十階にある遺跡のような何かに触れると覚醒するそうだ」
「血が目覚めるってやつだな」
「――ラスボスもいないし、攻略対象もいないからどうなるかと思ったけど、意外と順調だな。何も気にしなくて良いし」
「お前らは少し反省しろよ。攻略対象の男子が全滅したのは、お前にも責任があるからな」
「オスカルの件はすまなかったと思っている」
「ジェイクやアーロンの件をなかったことにするな!」
『相棒、こいつ最低だぞ』
三作目の主人公は、血が目覚めて皇族だという事実が判明する。
そして、そこから帝国が関わるようになってくるのだ。
本来なら、ラスボスの空と海の守護神のどちらかと戦うことになる。
ゲームなら、主人公が選ばなかった側を一作目の主人公たちが担当するのだ。
「ま、ミアちゃんに関しては、ダンジョンの遺跡に連れていくのも可能だけど、帝国に報告する必要があるだろ? 時期的に春休みが良いんじゃないか? これからバタバタするだろうし」
「――そうだな。ミアも学園での行事を楽しみにしているし、タイミングは大事だな」
「授業もあるからな。覚醒すると、一度帝国に呼び戻されるんだってさ」
「まぁ、皇族に復帰というか、皇族になる訳だからな。でも、それまでミアに我慢させるのか」
不満そうなフィンに、俺はマスクを渡すのだった。
「これは? 何か、病院の呼吸器みたいで嫌だな」
「こいつを付けて呼吸すれば、魔素を吸引できるようになっている。苦しい時に使え。あ、これ詰め替え用ね」
小さなボンベを渡すと、フィンが安堵する。
「苦しい時にはこいつを使えば良いのか? 助かる」
「一時的に症状を緩和するだけだから、外ではあまり無理をしない方がいいな。体を動かしたいならダンジョンに行けばいい」
「春休みまではこいつで乗り切るのか――分かった」
授業内容やら、色々な兼ね合いもある。
地下三十階に行くには、春休みの方が都合は良い。
フィンがお礼を言ってくる。
「色々とすまないな。恩に着る」
「別に良いよ。ミアちゃんはエリカの友達でもあるからな」
フィンも嬉しそうにしていた。
「そうだな。ま、ミアの場合は色々と面倒を見てもらっているだけだが」
「エリカも楽しそうだからいいんじゃないか?」
あの二人が仲良くしているのを見ると、俺もフィンも安心してしまう。
悪役のいない学園生活というのは、山も谷もないが穏やかで楽しい。
「ところで、そのエリカちゃんの婚約式っていつなんだ? 予定通り夏期休暇か?」
「――冬休みだ」
「夏期休暇は無理だったか」
「クーデターの処理で忙しいからな」
正直、納得できない部分もある。
だが、色々と事情もあって、冬休みに婚約式をすることになった。
俺が二人の――エリヤの後ろ盾になっていると示す必要もある。
王族にも参加してもらい、俺との関係が良好であるとも示すのだ。
――はぁ、政治って嫌だよね。