pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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「「あ」」
重なった母音はまったくの同じだったが、表情は真逆だった。しまった、と顔を顰めたアオキに、チリがにまぁと口元を緩める。
「よっしゃ、当たった」
「……まさか」
アオキが肩にかけたチェック地のチェスターコートを指して、チリはふふんと得意げな顔をした。
「そのコート、下ろすにはちょうどええ日やなぁ、と思ったんよ」
久々に取れた休日だった。営業職にジムリーダーに四天王にと三足の草鞋を履いているアオキはもちろん四天王に加えて面接官やら街の視察やらであちこちを飛び回っているチリも、一日のまとまった休みを取ることは難しい。万が一取れたとしても、日用品の買い出しや溜まった洗濯物の処理、それからポケモンたちの相手をしているだけで、優に費やしてしまうこととなる。ましてや、二人の休みが被ることなど、三月に一度もあれば良い方である。
だから、と言うのも言い訳になるが、無事に交際を始めてそこそこ経つものの、アオキとチリはほとんどデートらしいデートをしたことがなかった。仕事終わりに一緒にご飯を食べに行って互いの家に泊まるか、近所のショッピングモールに日用品の買い出しに行くくらいがせいぜいだ。チリは別にそれで十分だ、と笑っていたが「どうやらあまりデートをしていないらしい」という話がポピーからハッサク、ハッサクからオモダカへと漏れ、二人並んで委員長室に呼び出されるに至った。アオキは「チリを泣かせたらどうなるかわかっていますね?」というオモダカの圧を受けながらその場で休暇届にサインをしたわけだが、むしろあの人にこそ言いたい。誰のせいで十分に時間を取れないと思っているんだ、もっと仕事を減らしてくれ、と。もちろん言ったが最後、小言を言われるのは目に見えていたので、アオキは懸命にも口を噤んだが。
と、まあ、今日のデートには、そんな経緯があり。せっかくのデートなのだから、と以前に「アオキさんこれ似合うんちゃう?」とチリに勧められて──ほとんど強制的にカートに放り込まれたともいう──通販サイトで買った真新しいコートを下ろしたわけだが、まさかこんなことになるとは。
気まずく逸らした視線を戻し、改めて彼女の格好を見る。チリが羽織るテーラードジャケットは、彼女の纏う凜とした雰囲気を際立たせつつ、チェックの柄の柔らかい布地でカジュアルさをも引き出して、その端正な顔立ちをいっそう際立たせている。いつもなら、どんな服が自分に似合うのかをよくよく分かっているのだなと感心するところだが、今回ばかりはそうもいかない。似合っているからこそ、アオキは渋面を作らざるを得ないのである。
だって、これでは、まるで。
「……敢えて被せたんですか?」
「ペアルックみたいになるかなぁと思うて」
ペアルック。四十手前の男には眩しすぎる単語に、アオキは思わず額を抑えた。呻くような声が、喉の奥から溢れる。
「せめて上着だけなら、まだ……」
「あー……」
海のような深い青色のニットを着たチリが、アオキが黒いハイネックの上に羽織った碧色のジャケットを見て苦笑を浮かべる。
「あんな。信じてほしいんやけど、被せようと思ったんは上着だけなんよ」
「……そうなんですか」
「そうです。いや、さすがのチリちゃんかて、そんな完璧にはアオキさんのコーデ当てられへんわ」
彼女にそんな正確なみらいよちの才能があったら、ナマズンもびっくりの大騒ぎである。彼女の口ぶりからしても、嘘をついていないことは明白だった。そもそも嘘をつくには半端だし、彼女はこんな無意味な嘘をつくような人でもない。
と、分かったところで、居た堪れなさが消えるわけではなく。渋面を崩せないアオキに、チリは苦笑を消して真面目な顔になった。
「アオキさん、ペアルック抵抗ある? 嫌やったら、適当に着替えてくるけど」
「……いえ、嫌というわけでは」
「ほんまに? うち、デートできるだけで十分やから別に無理せんでええよ。アオキさんも楽しないと意味ないし」
「……自分があなたと、ぺ……似た色味の服装を着て隣に並ぶのが、嫌でないなら……」
「むしろわざとそれを狙ってこの上着着てきたのに、嫌なわけないやろ」
なんでやねん、とチリがアオキのぼそぼそと呟いた言葉を笑い飛ばした。ほんまに嫌とちゃうんやな、と最終確認のように投げかけてきた問いに頷くと、彼女は何故かほっとしたように破顔する。
「行こ、アオキさん、映画遅れてまう」
「アオキさん、何見たい?」
チリが上映中の映画の宣伝を流しているスクリーンを指して言った。しばらく眺めていると、恋愛もの、アクション、ホラー、ミステリー、様々なジャンルの映画が30秒ずつ流れてくる。アオキは難しい選択だと思いながら眉を寄せた。
デートなのだからやはりベタに恋愛ものだろうか。しかし、宣伝を見る限り相当描写が濃密そうである。二時間も、隣に座る彼女の反応を気にしながら、その気まずさに耐え切れる自信がない。アクションは悪くないが、ポケモンバトルの描写いかんでは、アオキもチリもクオリティに耐えられなくなる可能性が高い。何より頭が仕事モードに切り替わってしまいそうだ。ホラーは……ゴーストポケモンとバトルというのならともかく、あまり得意ではない。チリも突然びっくりさせられるのは苦手だと言っていたから、これも却下だろう。となると。
チリの方へと目を向けると、ばち、と視線があう。動揺して不自然に逸らしたアオキに、彼女は、ふ、と笑みを溢した。
「熟考やったなぁ」
「……もしかしてずっと見てましたか」
「うん」
「……考え事をしている自分など、見ていてもつまらなかったでしょうに」
「そんなことあらへんよ」
「選ばなくて良いんですか」
「アオキさんのセンス信じとるから」
「せ……責任重大じゃないですか」
「なはは、ごめんて。普通にアオキさんが見たいもん選んでくれたらええんよ」
「……じゃあ」
「うん」
「ミステリーにしましょう」
「そうやと思った!」
チリちゃんにはお見通しやったわ、と言いながら、彼女は上機嫌に券売機の方へと歩いていく。アオキは少し遅れてその後を追った。
ぽちぽちと慣れた手つきでタッチパネルを操作する彼女を見ながら、アオキは小さく呟く。
「いまって機械で買うんですね、チケット」
「スマホロトムで席予約もできるんやで。今回は映画館で雰囲気見て映画選びたかったから予約まではしてへんけど」
「……時代の流れを感じます」
しみじみとそう言ったアオキに、チリが不思議そうに言った。
「……アオキさん、昔は映画館とかよう来てたん?」
「いえよく来るというほどでは。家のテレビで借りてきたビデオカセットを再生する方が落ち着きますし、食べ物や飲み物も適当に用意できますし……ただまあ何度か、」
続くはずだった、デートで来たことが、の言葉は、なんとか飲み込んだ。飲み込んだが、彼女は続きを察したらしい。微かに眉が下がるのが見えて、反射的に謝罪が口をついた。
「すみません」
「いや、いや、アオキさんはうちの質問に答えてくれただけやし。気にせんとって」
「……すみません」
「あんま謝られると余計気になるって。ほら、この話終わり。チケット買えたで」
そう言って券売機から出てきた紙のチケットを押し付けるように渡される。ポップコーン買ってくるわ、と誤魔化しのように付け足して、彼女はフード&ドリンクのカウンターへと去っていった。
「……」
やらかした、と頭を抱えてその場に蹲りたい気分だったが、アオキは残念なことに分別のついた大人だった。公共の場で恥も外聞もなくそんなことをできるほど振り切れてはいない。チケットを握った手の甲を額に押し付け、はあ、と重く息を吐き出すに留めた。
カウンターでポップコーンの味を吟味している彼女の背中を、ぼんやりと見つめる。男性の店員に親しげに話しかけられて、彼女は愛想のいい笑みを浮かべていた。
チリは、仕事相手に愛想よく笑い、応援してくれるファンに優しく笑い、強い挑戦者に闘志をむき出しにして笑ったが、気の抜けたような笑みを浮かべるのは身内の前でだけだった。その笑みを向けられるたび、平凡な自分でも、彼女が気を緩められる場所程度にはなれているのかもしれない、とアオキは自惚れに似た感情を抱く。熟考やったなぁ、と彼女がアオキに向かって言った時の笑顔はまさしくそれで、だからこそアオキは、その笑顔を拭ってしまった自分への自己嫌悪が止まらないのだ。数え切れない溜息が、口から溢れていく。
彼女はまだ決まらないようで、メニューを前にうんうんと唸っている。一緒に選んだ方がいいだろうか、とその場に固まった足を動かそうとした瞬間、店員の目がアオキを捕らえた。店員に何事かを囁かれ、少し遅れてチリが振り向く。彼女は、義務的だった笑みを解き柔らかい笑みを溢した。良いことを思いついた、と言わんばかりにメニューへ向き直り何やら店員へと話しかける。彼はにこりと笑ってそれに答えた。
「……ああ」
時折。時折、思い知らされる。自分が彼女と釣り合わない理由は、年齢だけではない。彼女はいつだって眩しい。見つめるこちらの目に火を移してしまうくらいに。空の王者であるひこうタイプだって、太陽には勝てないのだ。近づき過ぎると翼が焼けて地に落ちてしまうことになる。彼女は、そういう存在なのだと、アオキは時折思い知らされる。
彼女の紅い目を見ているとムクホークを思い出してしまうのは、何もその色のせいだけではないだろう。あのムクホーク──正確には進化前のムックル──はアオキが初めて捕まえたポケモンだった。自由に空を飛んでいたはずの彼をボールに収めたとき、アオキは「捕まえた」ではなく「捕まえてしまった」と思ったのだ。捕まえてしまったからには責任を取らなければならない。結局アオキはムックルを野生に返すことができず、ここまで連れ添ってしまった。
だけど、彼女は。チリは、まだ間に合うのではないだろうか。まだ、手放せるの、では。
「アオキさん」
「……」
「アオキさん?」
「……え? あ、はい」
考え事をしているうちにチリは会計を済ませたようだった。いつの間にやら、アオキの目の前で、ポップコーンの紙箱を抱えて立っている。気まずそうな顔は拭い去られ、再びの上機嫌であった。
「アオキさん、しょっぱいんと甘いん、半分こにしてもろたで」
「……そうですか、良かったですね」
「なんや考え事?」
「いえ……別に。……そんなに半分ずつが嬉しかったんですか?」
「ん? いや、それもそうやけど」
「……けど、なんです?」
「ないしょ」
ゆるゆると口元を緩めた彼女は、悪戯っぽく笑ってそう言った。
アオキが選んだミステリー映画は、満足のいく出来だった。脚本、トリック、俳優の演技、音楽。どれを取っても外れがない映画は久々である。ポップコーンに伸びる手が止まり、ついついスクリーンに見入ってしまったほどだ。
「……いやぁ、絶対にあの校長が悪党やと思うたんやけどなぁ」
映画館から十分に離れたところで、チリがぼそりと言った。映画を見る前の人に配慮して我慢していたがずっと言いたかったのだろう。思うところは同じだったので、アオキも同意の意味を込めて頷いた。
「普通にいい人でしたね」
「アオキさん誰が怪しいと思っとった?」
「……理系の教員って怪しい研究してそうですよね」
「わかる。……でもあの人もええ人やったな」
「まさかあの人が犯人とは」
「でも言われてみればあっちこっちにヒントあったよなぁ、負けた、悔しいわ……」
負けた、という彼女の言葉選びに、アオキは思わず目尻を緩めた。なるほど、彼女にとって「負け」は確かに悔しいだろう。
「……なんやおかしい?」
「いえ。可愛らしいと思って」
「……は?」
ぽかんと呆気に取られたように口を開けたチリは、少し経って言葉の意味を理解したのか、みるみるうちに耳を赤く染めた。あのな、と呆れのような照れ隠しのような言葉がぼそぼそと投げ付けられる。
「アオキさんそーいうとこやで」
「そういうとこ……とは?」
「ほんまに、この人は」
「っ? い、いたいんですが」
ばし、と背中を叩かれる。しゃんとしい、と発破をかけられるのはいつものことだったが、今回ばかりは自分の猫背のせいではないだろうと思う。
「あの、照れ隠しは可愛らしいんですけど、力が……い、いたい」
「頼むからちょぉ黙って」
これ以上背を痛めたくなかったアオキは、言われた通りに黙り込んだ。表情を隠すように俯いたチリは、はあ、と息を吐いて手の甲で額を擦る。しばらくして耳の赤さが引いていくと同時に平常心に戻ったのか、彼女は勢いよく顔を上げた。
「お腹空いた」
「……たしかに、腹が減りましたね」
映画館で食べたポップコーンなどアオキにとっては大した量ではなかった。一人前を彼女と二人で分けたのだから、当然と言えば当然である。時計を見れば、時刻はちょうど正午少し前だった。
「洋食屋さん行きたいな」
チリが呟いた洋食屋さんというキーワードに、もしかして、と先ほどの映画がリフレインする。
「……オムライス?」
「めっちゃ美味そうやったやろ」
「……あのオムライス毒入りだったじゃないですか」
「それとこれとは別!」
「別でしょうか……」
「チリちゃんもう完全にオムライスの胃になってもうたわ、どっかええとこないかな〜」
すい、すいとチリがスマホロトムを操作する。周辺の洋食屋さんを検索しているらしい。しばらくして、適当な店の当たりをつけたのか、チリはくる、と画面をアオキの方へと向けた。
「アオキさん、どっちがええ?」
一つは、お椀状に固められたチキンライスの上に、ふわとろの卵がベールのように覆い被さり、さらにその上から贅沢にもデミグラスソースをかけられた一品だった。
もう一つは、楕円状のチキンライスが、つやつやとした黄色い卵に包まれ、山の中腹を横切るよう濃厚なケチャップソースがかけられている、昔ながらの一品である。
「チリちゃん名探偵やから当てられんで」
同僚期間も含めれば二人が共に過ごした時間は相当長い。チリはアオキの食の好みを熟知している。万が一にも外れることはないだろうと思いながらアオキはゆっくりと口を開いた。
「「シンプルが一番うまい」」
綺麗に重なった音にチリは愉快そうに喉を鳴らし、スマホロトムの道案内をセットした。
「お会計2980円でございます〜」
「カードで」
「かしこまりました」
小銭をじゃらじゃらと持ち歩くのは面倒で、かと言ってスマホロトムで決済するほど若者にもなり切れずアオキは結局カードを持ち歩いている。手早く支払いを済ませると、チリは律儀にごちそうさんと言った。
「いえ。そういう取り決めですから」
お金で──いつも払わされているではなくまた相手に払わせてしまった申し訳ないという方面で──変に揉めたくなくて代金の支払いについては最初のデートで決めた。デートに誘った方がデートのメインの代金を払い、もう片方が食事代を払うことになっている。食事がメインのときは折半だ。今回はチリが映画を選んだため、映画代についてはチリが、食事代についてはアオキが支払い担当となる。アオキの方が履いている草鞋の数が多いためその分給料も多いのだが、チリとてアオキに奢られっぱなしになるほど稼ぎが少ないわけではない。アオキとしては別に全額支払ったって構わないが、互いの気持ちを尊重すれば、まあ着地点としては妥当なところだろう。
「あの、」
レジ打ちの女性が、小さく声を上げた。チリの方を見て、おそるおそる、といった様子で話しかける。
「四天王のチリさん、ですよね」
「お? なんや、なんや、自分チリちゃんのこと知っとるんか」
「わ、私、チリさんのファンで……!」
プロ意識からか懸命に声量は抑えていたが、彼女の興奮は隠し切れていなかった。明らかにプライベートで訪れているチリに、めいいっぱい配慮しつつ、言葉少なに応援の言葉をかける。
「だ、だいすきです、いつも応援してます、あの……これからも頑張ってください……!」
逡巡しながら伸ばされた彼女の手を、チリは躊躇うことなく握った。一生懸命な様子に、かわいらしなぁと目を細めたあと、チリは優しく声を掛ける。
「こんなかわいい子がチリちゃんのファンやなんて、嬉しいわぁ。いつも応援してくれてありがとうさん。これからも頑張ってバリバリ活躍する予定やから……チリちゃんから目ぇ離さんとってな?」
彼女の顔を覗き込むようにしてチリが笑う。間近でファンサービスを食らった彼女は、感極まったように唇を振るわせていた。
「は……はぃ……」
「ごめんな、チリちゃん今日はプライベートやから、もう行くわ。またな、お姉さん」
こくこくと頷いた彼女の目線が、ちらりとアオキの方へと向いた。チリの背景として完全に気配を消しているつもりだったアオキは、唐突に登場人物に格上げされてぱちぱちと瞬く。女性はチリとアオキを何度か見比べたあと、頬を微かに染めて、殊更に潜められた声で二人に問い掛けた。
「こ、恋人さん、ですか」
咄嗟に、返事が喉に詰まった。チリと二人で街中を歩いていて、恋人だと認識されたのは初めてだった。父親だとか叔父だとかに見間違われた場合はそのまま流していれば良かったが、直球に恋人かと聞かれるとわざわざ否定しなければならなくなる。相手がチリのファンであるならば尚更、嘘を吐くしかない。だってそうでなければ、彼女に迷惑が、かかる。
だと、いうのに。
「……ないしょやで?」
チリが、気の抜けたような緩やかな笑みを浮かべ、そう面映そうに言ったものだから。アオキは途端に、否定する気が失せてしまった。ここに来てようやく、アオキにも今日の彼女の思惑に正しく理解が及んだ。
──ああ、だから、ペアルックが必要だったのか。
「自分と恋人に見られたかったんですね」
「……アオキさん、そういうん普通に聞くんやな」
「……何事も確認は大事ですので」
ショッピングモール内の店をふらふらと見て回ったあと、チリとアオキは、珈琲が評判の喫茶店で向かい合って座っていた。注文したブレンドが席に運ばれ、人心地ついたところでアオキが投げかけたのが、場面冒頭の台詞である。
「だって、買いもん行ってもご飯食べに行っても大体親子か親戚か同僚にしか見られんのやもん。せっかくデートなんやし、恋人やって一目で分かってもらえる方法なんかあらへんかなぁと思て」
バレたんやったらしゃあない、と言いたげに両手をあげて、チリはあっさり胸の内を明かした。こういうところが潔いというかなんというか。アオキには一生手に入らなさそうな格好良さである。
「……映画館でポップコーンを買ったあと、やけに機嫌が良さそうだったのは」
「『待ってるの恋人さんですか、楽しい一日になるといいですね』やって。ええ人やったわ」
相当嬉しかったのか、チリは再び口元を緩ませた。あのとき妙な自虐に陥っていた自分がどうにも間抜けに思えて、アオキは思わず溜息をつく。
そんなアオキを見て、彼女は少しだけ思うところがありそうな顔をした。
「どうやった? うちと恋人に見られるん」
「……どう、と言われましても。あなたの方こそどうだったんですか。……自分と恋人に見られるのは、嫌だったのでは」
「……それが嫌な相手に告白なんかせえへんわ。アオキさんの阿呆」
むすりと唇を尖らせながら、チリがコーヒーに口を付けた。熱かったらしい、微かに顔を顰めて、彼女はその焦茶色の液面を眺めながら、ぽつりと言葉を落とした。
「アオキさん、いつも否定せえへんから。……嫌なんかと思って。確かめたくなって」
恋人だと思われるのは嫌ではない、と否定するのは簡単だ。だが恋人に見られたかったかと問われると、それはそれで即答できない節がある。口下手な自覚はあるが、それでも口下手なりに、渡す答えは誠実でありたいと思いながら、アオキは口を開く。
「自分があなたの恋人だと思われることで、あなたがリスクを被るのは嫌だったんです。自分が恋人としてあなたの隣にいることで、あなたが傷付くことになるなら、恋人なんて肩書きはいつでも捨てようと思っていました。……そんな、肩書きがなくても。あなたの同僚として、一緒に飯を食ってくだらない話をして、偶にバトルできるなら……それで自分は十分だった。ノーマルな自分が得られる幸せとしては、十分過ぎるほどでしょう」
チリは黙って話を聞いていた。目を合わせていなくとも、体に突き刺さる視線の強さで、その眼光がどんどんと鋭さを増しているのがわかる。しかし、彼女はとりあえず最後まで話を聞く心づもりがあるようで、アオキが少し言葉を区切っても、間に言葉を差し挟むことはなかった。
「あなたが告白してきてくれたとき。断ろうと思っていたんです。あなたはノーマルな方ではありませんでしたから、自分の平凡な生活に合わせていただくのは申し訳なかったし、逆にあなたの生活に合わせて自分を変えるほどの活力も、自分にはなかったので。……でも」
目と目が合ったらそれがポケモン勝負の合図となる場所が、世界のどこかにはあるらしい。……願わくばその文化がパルデアに来ることはありませんように、とアオキは願っているが、時間の問題かもしれない。優秀なトレーナーが勝負を挑もうと目を合わせれば、きっと挑まれた方もわかってしまう。だってアオキは彼女と目が合った瞬間にわかってしまった。これは勝負だ。にげるの選択肢はない。真摯に戦いを挑まれた以上、正々堂々と応えなければならないのがトレーナーの性というもので。
「あなたの熱意に、負けました。……負けたかったのかも、しれません。自分はもうずっと前から、あなたのことが好きでしたから。あなたに負けて、諦めることを諦めたかったんです」
「……諦められた?」
「どうでしょう。でも」
ずっとおそろしくて、彼女の瞳を真っ直ぐに見れずにいた。でも、周りの目よりも、なによりも、一番に気にしなければならないのは、彼女の目が何を映しているかであるべきだった、とアオキは告解する。
「もう、逃げません」
チリの瞳を真っ直ぐに見る。彼女の瞳がまっすぐに自分を映しているのを見て、アオキは苦笑した。
「あなたが見つめてくださっている限りは、自分から目を逸らすことはないと誓います。もちろんあなたが嫌になったらいつでも言ってくださって結構ですが」
チリはアオキの視線に慣れないように数度瞬いたあと、静かに口を開いた。
「……うちがアオキさんの恋人やって見られんの、嫌やない?」
「はい」
「……親子とか親戚に間違われたら否定してええ?」
「自分がした方がいいんですかね、そういうの」
「どっちでもええやろ」
ふは、とチリが小さな笑みをこぼした。コーヒーカップを掴んでいた手を離して、アオキの方へと伸ばしてくる。
「お願い、いうか、提案なんやけど」
チリの手がアオキの手を掴む。絡められた指先が、まるで熱を移すかのように、そっと左手の薬指の付け根をなぞった。
「ここもお揃いにすると、絶対に間違われへんと思うんやけど、どない?」
「……っ」
思わず、握られた手に力を込めた。喉の奥でずっとつっかえていた衝動が、勢いのままに吐き出される。
「……一度捕まえると放せない性分ですが、それでも構いませんか」
「なんや、まだ手放せるつもりでおったん?」
「……あなたが離して欲しいと望むのなら、いつでもそうできるようにするつもりでしたよ」
「……見立てが甘いなぁアオキさん。一旦捕まえたら放せへん性分はうちもおんなじやで?」
「……捕まえている、というのは、自惚れでしたか」
「チリちゃんがそんな大人しく捕まえられとるタマやないんは分かっとるやろ?」
彼女の紅い瞳が、獲物を見据えたときのように鋭く細められた。……ああ、まったく、こんなところまで相棒に似なくてもいいのに、とアオキは息を詰める。捕まえたとでも言わんばかりに強く手を握り、チリは不敵に笑って見せた。
「すなじごくに捕まったんはアオキさんの方やで」
ああ、そうだった。空の王者だってずっとは飛んでいられない。強く差し込む太陽に追い込まれ、地面に足をつけたが最後、結局は、大地を自在に操る彼女に囚われて負けてしまうのだ。
「賞金は」
「ん?」
「自分の貯金全額で構いませんか」
「……うん?」
チリが訝しげに首を傾げる。アオキは空いている方の手でコーヒーを一息に飲み干して立ち上がった。
「行きましょう」
「は? え? 行くってどこに?」
「宝飾店です」
「……ほうしょく……えっ気ぃ早ないか!?」
「まひどくこおり、ついでにやけど、多種多様な状態異常背負って、残り体力がギリギリなときに、何とか捕まえられる状態まで持っていった野生のポケモンを逃すようなトレーナーなんていないでしょう」
「チリちゃんポケモンとちゃうんやけど」
「知ってます。一生逃したくない大事な人です」
「……いや、そやから、ほんまに、そういうとこ」
チリが額を抑える。今度は耳どころか首筋まで赤く染まっている。本当に可愛らしい人だな、とアオキは思ったが、やっぱり言うと背中を叩かれることになるのだろうか。
「ああああ、もうええわ。覚悟決めたわ、指輪やな、買いに行こ」
彼女は熱が引くのを諦めたようだった。顔を覆っていた手でコーヒーカップを掴んで、一気に中身を飲み干し立ち上がる。
「ああ、そうだ、大事なこと言うの忘れてました」
「なに」
「自分と結婚してください」
その紅い瞳を微かに滲ませてアオキの目を見つめ、たっぷり一分は固まったあと、チリは思い出したかのようにぽつりと言った。
「……結婚したら。書類って、何が必要なんやっけ」
アオチリ(アオキ×チリ)です
こちら(illust/103533165)の素敵な絵を元に小説を書かせていただきました。
両想いで付き合ってるはずのアオチリが、ペアルックじみた格好ですったもんだする話です
※アオキさんに過去にデートをするような関係性の人がいたことを匂わせる文が数行ある
※名無しモブがちょいちょいいる
※全部捏造
※なんでも許せる方のみどうぞ!