pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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——勝者、四天王・アオキ
勝敗を決する無情なアナウンスに、挑戦者はガクリと膝をついた。傷ついたポケモンがモンスターボールへと戻る。
「業務終了です。お疲れ様でした」
背広の襟を整えながら淡々とした声で、アオキは言った。つい先ほどまで熾烈な戦いを繰り広げた熱気はすっかり冷めた様子だ。対して、挑戦者の方は呆然とした顔でその場から動けないでいる。パルデア各地のジムテストをクリアし、四天王を二人まで倒した自信は完全に打ち砕かれていた。抜け殻のようになった身体は駆けつけたリーグ職員に支えられ、出口まで案内されていく。
「おじちゃん、すごいのです! アオキのおじちゃんもポケモンさんたちもかっこよかったのです!」
アオキの足元に、チリの傍らにいたポピーが駆け寄っていく。普段から愛らしい朱に染まった頬は、観戦の熱気によりさらに紅潮している。
「どうも。恐縮です」
「はい! きょーしゅく、なのです!」
ぺこぺこと頭を下げ合うアオキとポピーにチリはふっと小さく笑った。
今思えば四天王として出会った当初から、その姿に魅了されていた。
戦いの前に精神を集中させる横顔。
一気呵成に攻める姿勢。
巻き起こる烈風にも瞬きひとつしない鋭い瞳。
その人の靭さを構成する全てに、目が離せなかった。
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「っはぁ〜! チリちゃん今日はついてなかったわぁ」
仕事終わりの最初の一杯を飲みながら、チリは天を仰ぎ頭を抱えた。傍から見れば大袈裟な動作だが、実際のところかなり悔しがっている。
「相手の手持ち、チリさんとは相性が悪かったですからね」
チリの隣に座るアオキもくいと杯を傾け、答える。パルデア第一の街、テーブルシティで出される酒はどれも美味だ。とりわけ、この日勝利を得たアオキの舌には格別だろう。
リーグ戦が終わると、アオキとチリは帰りがけに二人で飲みにいく。いつから始まった習慣なのか定かではないが、勝った日も負けた日もお互い言いたいことを言い合う場を欲しているうちに、ふたりだけの飲み会が恒例となった。
テーブルシティに食事処は数多くあるがアオキとチリの出身の関係上、大抵飲み会を行うのは和風の小料理屋だ。それも誰もが気軽には立ち寄れないような、街で有数の名店を選ぶ。アオキは一般人に難なく溶け込めるが、チリの容姿はかなり目立つため、人目を避ける必要があるのだ。だが、小洒落た檜のカウンター席で交わされるのは男女の色気のある話ではなく、ほとんどがその日のバトルの反省会だ。
状況に応じた技の選択、繰り出すポケモンの順序、相手の戦略を見破る術等、アオキと忌憚なく意見を言い合うこの時間がチリは何よりも好きだった。
「対策されとったんかなぁ。チリちゃん一番手やから、手持ちの情報ダダ漏れててもしゃーないけど」
チリは四天王の中で先鋒を務めている。それ故、これまで挑戦者と戦ってきた回数も当然に一番多い。あまり考えたくはないが、過去にリーグ挑戦をしてきたトレーナーたちが情報を共有していることも十分にあり得る。だからこそ、じめんタイプを主軸とした手持ちの構成でも弱点対策はできる限りのことをしているつもりだ。しかし、完璧な戦略などは存在しない。追い込まれたらその場その場で最適解を見つけ、勝利に縋るのが結局のところだ。
「ところで、前から聞きたかったんですが……」
「え、なんですか?」
「チリさんが切り札のドオーに『どくどく』と『まもる』を覚えさせているのはどうしてですか?」
唐突なアオキの質問にチリは思考を巡らせる。理論はあるのだが、それを言語化して他人に説明するのは少々難しい。
「うーん……我慢比べって言ったらええんやろか。ドオーの体力の高さと『まもる』を利用して相手を消耗させるのなら『どくどく』で毒状態にしたらええ、っちゅう考えですね。それで相手が毒消しとか使うとる間に攻撃で沈められれば儲けもんやし」
「なるほど」
アオキは手酌で透き通った酒を注ぐ。初めて二人で飲みに行った日、歳下である手前チリはアオキに酒を注ごうとしたが「自分達は平等な立場なので、気にしなくて大丈夫です」と断られた。若くして四天王として各地のジムで視察や運営指導を行うチリは、対峙した相手に極端に卑下されたり、また女性であることを理由に旧時代的な扱いを受けることもしばしばあった。そのため、アオキの飾らない態度には好感がもてた。
「自分は……後に控えるポピーさんや自分に繋ぐため、と思っていました」
「ポピーやアオキさんに?」
「えぇ。毒状態で相手の体力を奪い、『まもる』を使い長期戦に持ち込み、挑戦者とポケモンの集中力を奪う……そうすれば、たとえチリさんが負けても後続の我々で止められる可能性が高まりますから」
そう考えたことはなかった。だが副次的に次鋒、中堅へ繋ぐ役割を果たせていると気付かされ、やはりアオキのバトルに関する考察は興味深いと思った。いや、チリにとってアオキの話はバトルの話題以外でも面白く感じることが多い。曲がりなりにも営業畑で十数年歩んできただけあり、広い知識と鋭い洞察を用いて展開される話は聞いていて飽きない。それが本職の営業で発揮されないのは、アオキが世辞や媚びへつらうことを苦手としているからだろう。
そんな器用な生き方ができないこの男が好ましく、一緒にいて楽だとチリは思っている。何度もふたりで反省会という名の飲み会をするうちに、いつしか同僚以上の気持ちを抱いていた。
「なははっ! 自分が負けること考えて技構成しませんて。まーチリちゃん負けず嫌いなんで『最後まで泥臭く足掻いたる!』って気持ちがでてるんとちゃいます?」
「なるほど……それでこざっぱりした立ち振る舞いの癖に『あくび』や『すなあらし』なんかの物凄く嫌らしい戦法をとってるんですね」
「いや言い方ァ!」
チリがおどけた口調で言うとアオキはふ、と静かに口から息を漏らした。
あ、笑った、とチリの心が弾む。美味い食事にありついた時以外で、アオキが笑うことは珍しい。と言うより、楽しいだとか嬉しいというプラスの感情を表に出すことすら稀だ。そんな男が僅かながらも笑みを見せてくれるのは、自分に心を許してくれている証左かもしれないとチリは少しばかり自惚れていた。
だから、つい口が滑ってしまったのだ。
「アオキさん、好きです」と。
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午前八時四十五分、パルデア大陸ポケモンリーグ本部。
重い気分を引きずりながら、チリは四天王にあてがわれた執務室のドアに手をかけた。部屋に入れば、今一番会いたくない男が既にデスクで作業していた。
チリは無言で自分のデスク——よりにもよってアオキの正面だ——に腰掛け仕事の支度をする。やがて執務室にはカタカタと規則的に鳴るタイピングの音と小さなクリック音だけが響く。ふたりの沈黙を破ったのは、アオキの方だった。
「気まずくても挨拶くらいはしませんか。お互い、いい大人なので」
「……おはようさん」
「おはようございます」
顔はPCの画面に向けたまま、お互い軽く頭を下げる。
昨夜、チリの突然の告白の後に起こったことはこうだ。
好き、と言われたアオキは少なからず動揺し、口に含んでいた酒を派手に噴き出しむせ返った。その様子に、自分はとんでもないことを口走ってしまったとチリは気づき、アルコールの回り始めた頭でとにかく謝り倒した。今日はもう解散しましょう、とアオキは提案しスマホロトムでそらとぶタクシーを二台呼んだ。チリがタクシーに乗り込む際にアオキから言われたことは「さっきのことは忘れます」だった。
つまるところ、チリは振られたのだ。
「まだ、諦めてないですからね。アオキさんには悪いですけど」
「……悪気が全くなさそうな物言いなんですが」
「この際もうバレたらしゃーないですやん」
恋心を伝えた女性というよりも、違法行為を露見された悪人のような口ぶりにアオキは肩を落とした。
「開き直りが激しすぎますよ……」
しばらく、また無言で二人は事務作業を続ける。諦めない、と言ったもののチリにはこの先どうしたらいいのか正直に言って分からなかった。今まで、男女問わず他人から好意を寄せられ告白されることはあっても、自分から誰かに告白するなど、初めてのことだったからだ。それに、交際を断った相手はもう二度とチリに話しかけないか、諦めないとは口で言ってもいずれ身を引いてしまった。
そう、いくら好いていても相手にその気がなければ恋は成就しないのだ。そんな当たり前のことすら棚に上げ、不貞腐れた態度をアオキにぶつけているのだから“狙って堕とす”ことについては、チリは超がつくほどに初心者だ。
「……大昔、学校の先生が好きだったことがあります」
アオキはノートPCを閉じ、突然話しだした。好き、という言葉に過敏に反応し、チリは耳を傾ける。
「誰にでも分け隔てなく接し、地味な自分にも笑顔を向けてくれる人でした。それに教師であり大人ですから、自分の知らないたくさんの面白い話を聞かせてくれました。とてもいい先生で、自分は少しでも特別に見られたくて勉学に励みました」
平凡や普通を信条とするアオキが、好きな人に特別に見られたいと思ったことがあるとは意外だった。そして、この話の結末がよくないものだとチリは直感した。
「ある時、先生はクラスのみんなの前で笑顔で言ったんですよ。『結婚することになりました。学期が終わったら他の学校へ行きます』と。同じ学校の男の先生と交際してたんです。まぁ、ありがちな話なんですが」
「結局、何が言いたいんです?」
淡い初恋の傷跡をさすってほしいわけでもあるまい。チリは少し苛ついた声で先を促した。
「自分に優しくしてくれる歳上の人に寄せる感情は、往々にして勘違いであることが多い、ということです。先生の結婚を知った当初はそれは落ち込みましたが、あれは恋などではなく、憧れに近いものだったと今では思うんです」
アオキはいつも手に下げている黒のビジネスバッグを持ち、デスクから離れる。そして早足で部屋の出口まで行き、ドアノブに手をかけながらチリを振り返った。
「だから、チリさんも早く夢から目を覚ましたほうがいいです。……では、外回りに行ってきます。帰社はしませんので、今日はこれで失礼します」
アオキは言い捨て、部屋から出ていく。ぱたりとドアが閉まり、チリだけが執務室に取り残された。
「なんっやねん! あの態度!」
チリの全力の罵声が虚しく響き渡る。
あんな昔話を聞いただけで、諦めるとでも思ったのか。それも、十代前後の淡すぎる想いと、二十歳を越えた大人が抱いた感情を同等に扱いながら。
「あぁもう……! なんで好きなのに腹立ってんねん……」
好意と怒りがないまぜとなった沸々とした感情が、チリの胸中を支配していた。
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——勝者、四天王・チリ
アナウンスを聞いたチリは、ふぅと息をつきバトルコートに出ていたドオーをモンスターボールに戻した。手持ち一体まで追い込まれたが、どうにか勝利できた。最後まで粘り強く戦ってくれたドオーに感謝しなければ。
打ち倒された挑戦者はすごすごと帰っていく。だんだんと小さくなっていく背中を見送っていると、チリの背後でドアが開いた。
「チリちゃん、おめでとうございます!」
控え室側の出入り口からポピーが出てくる。チリはぱたぱたと覚束ない走り方で近寄ってくる小さな体を受け止め、抱き上げた。
「ありがとぉ〜! ポピーちゃんだけやで! こんなに褒めてくれんの〜!」
ポピーの赤い頬に自分の頬を擦り寄せ、チリは称賛を喜ぶ。きゃあきゃあとかしましくしていると、控室にいたアオキとハッサクもバトルコートへ姿を現し労をねぎらう一言をかけた。
「お疲れ様ですよ! チリ!」
「……お疲れ様でした」
「どーも。おおきに」
チリは一瞥し、ちらとアオキの方に視線をやった。相変わらず、何を考えているのかわからない表情だ。
チリがアオキに告白してから二週間ほどが経過した。しかし事態は一向に進展していない。アオキはチリを避けるように外での仕事の予定を詰め、ろくに本部に立ち入らない。チリもチリで、偶にアオキとすれ違う機会があっても諦めきれない恋心を一押しするどころか、全く靡く気配のないアオキにとげとげとした態度をとってしまいそうで、接触を控えていた。
「あの、アオキさん」
今日は自分が勝利を飾ることができたのだ。祝勝会としていつもの飲み会ができないかと期待を込めてアオキを呼ぶ。しかしアオキは「すみません。用事がありますので、今日はこれで」と、さっさと出て行ってしまった。
「小生も、今夜は予定がありますので。これにて失礼」
ハッサクもチリとポピーに別れの挨拶を告げ、帰路に着いた。
「なぁんや激闘からの大勝利やったんに、二人とも冷たいわぁ。なぁポピーちゃん?」
アオキの冷淡とも言える態度に内心少々傷つきながら、チリはおどけた口調で言う。だが、視線の先のポピーの表情は曇っていた。
「ん? どうしたん?」
「ねぇチリちゃん。アオキのおじちゃんとケンカしてますの?」
「へ? なっ、なんでや?」
アオキの話題を出され、動揺する。喧嘩ではないが、ちょっとした冷戦状態にあることは確かだ。子どもというのはこうまで鋭いものなのかと、チリは冷や汗をかいた。
「だって、すこしまえから、ふたりともおなじへやにいてもおはなししないですし、すぐにどこかへいってしまいますし……。ポピー、とってもしんぱいですの」
チリの腕の中の小さな少女は、澄んだ目を潤ませながらたどたどしく話し続ける。
「ポピーはなかよしなふたりがすきです。だから、はやくおじちゃんとなかなおり、してください」
ポピーはチリの背中に目一杯腕を回し、抱きつく。チリの着ているシャツに大粒の涙が染みる。
「心配してくれてんの、気づかんくてごめんな。ポピーちゃん」
チリはまだ十歳にも満たない少女に、本気の謝罪を口にした。自分の頑なな気持ちのせいでこんな小さな子につらい思いをさせたのか。
「明日ちゃんとアオキさんと仲なおりするから、もう悲しまんといてや」
小さな背中を優しくさすりながら、チリは言う。
「ほんとですの?」
「ほんまやって。チリちゃん嘘はつかんよ?」
心にとある覚悟を秘め、チリはポピーを家に帰すべく室内を後にした。
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薄暗く落ち着いた雰囲気のバーの店内に、ゆったりとしたサックスの音色が流れている。
アオキは音楽に関しては明るくないため、それがどこの誰が作曲した曲なのか定かではない。だが、どこか物悲しく心に訴えかけてくる曲調から、ジャズの類だろうと推測はできた。
「アオキが小生に相談事など珍しいですね」
「お忙しいところすみません」
アオキはカウンター席の右横に座るハッサクに、頭を下げた。
「忙しいのはあなたもでしょう? 小生、教師人生は長い方ですから、道に迷う若者の話は気のすむまで聞きますよ」
「自分は若者という歳ではないんですが……」
ハッサクはカウンターに片肘をつき身を乗り出すようにして、アオキと目線を合わている。普段は暑苦しいとも思えるその態度が、今は心強いと思ってしまう。
「なに、小生と比べれば、あなたも充分に若者ですよ。それで、話とはなんですか?」
ハッサクは笑った顔を突如として引き締める。悩める生徒の話を聞く教師の顔そのものだった。
「……ちょっとした例え話を聞いてほしいのです。他言も詮索も無用です」
「ええ。わかりました」
強くうなづいたハッサクを横目に、アオキは話し始める。
「あるところに、一人の旅人がいました。旅人の前にはふたつの道が広がっています。一つは平坦で、安全な道。もう一つは険しく、先の見えない道です」
「ふむ。続けてください」
「平坦な道は、一人で気楽に歩める道です。一方で、険しい道には同行者が一人いて、共に歩んでくれます。明るくて、おしゃべりで、それでいて旅人の心に安らぎを与えてくれる人です」
「……なんだか、険しい道の方が圧倒的に良い道ではありませんか?」
ハッサクはなぜこんな例え話を振ってきたのだと言いたげだ。アオキは気にせず話を続ける。
「ところが、問題がありまして。旅人は同行者よりも先に死んでしまう可能性が高いのです。そのため、道中は楽しくともいずれ同行者を一人にしてしまうことが恐ろしくて、険しい道へ行くのを躊躇している——としたら、ハッサクさんはどちらの道へ旅人を後押ししますか?」
アオキの言葉にハッサクは押し黙った。琥珀色の双眸が僅かに戸惑いを見せ、揺れる。こんなことを聞いてくる生徒は、長い教師生活でもさすがにいなかったのだろう。
やがて、手元のグラスをくゆらせながら、ハッサクは口を開いた。
「アオキは、今までの人生で大切な人や大切なポケモンを喪ったことはありますか?」
「旅人の話をしていたはずなんですが」
「いいから。答えてください」
丁寧な口振りにもかかわらず、ハッサクの言葉には有無を言わさぬ威厳のようなものがあった。
「……この歳になれば、それなりに」
「喪った時、あなたは悲しみましたか?」
「それはもう……思い出すことすらつらい時もありました」
人もポケモンも、与えられた時間がおなじことはあり得ない。生まれたらいつかは死ぬ運命だけを、等しく背負わさている。当たり前で、絶対で、受け入れ難い法則だ。
「では、『こんなに悲しいのなら、最初から出会わなければよかった』と本気で思ったことはありますか?」
「それは違います」
アオキは語気を強め、即座に否定した。今まで出会い喪った人もポケモンも、アオキにとって何物にも換えられない大事な思い出だ。出会わなければ、などと思う余地はあるはずもなかった。
「ならば、答えは出ているではありませんか」
ハッサクはアオキの背をぽんと軽くはたく。
「旅人を喪っても、同行者の心の中で幸せな記憶は残り続けます。だから、迷わず険しい道へお行きなさい。きっと、素晴らしい景色が二人を待っていますから」
そう言って浮かべた朗らかな笑みは全てを見通しているようだった。
——食えない人だ。
バツの悪さを隠すようにアオキはグラスを傾けた。
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遠方のジム視察を終えたチリが、リーグ本部に帰ってきたのは午後九時過ぎだった。職員のほとんどが帰宅し廊下も消灯されていたが、チリの目的地である執務室からは煌々とした明かりが漏れていた。
覚悟を決め、チリはドアを開ける。
「お疲れさんです」
チリが言うと、デスクで作業していたアオキが「お疲れ様です」とやや疲れた声で答えた。荷物を自分のデスク上に置き、チリはアオキの元へ向かう。
「すみません。いろいろ言いましたけれど、やっぱり同僚でいさせてください」
「……唐突に告白してきて、唐突に撤回ですか」
「もうすっぱり諦めたんで。食事行っても余計なことは言いませんし、アオキさんが困るようなことは絶対にしません。大丈夫です。だから、これからも今まで通りの関係でいさせてください」
「らしくないですね」
アオキはPCを操作しながら言う。その冷めた口調に、チリの中でプツリと何かが切れた。
「『チリさんなら諦めずに最後まで足掻くのに』とか言いたいんですか? 無駄やってわかったことをいつまでも引きずるとかアホらしいやないですか……!」
バン、と手のひらで強くアオキのデスクを叩いた。痛みなど感じなかった。
「チリさん……」
「アオキさんの言う通り、夢見てただけです。一緒にいると楽しくて、優しくされると嬉しなるのを勝手に恋やと思てたんです。でも、勘違いやった。そうやって認めて、同僚としてアオキさんと一緒にいられるんやったら、なんぼでも諦めますよ!」
チリの荒げた声が室内に響く。どうせ本部内に残っている者などほとんどいないのだ。いや、聞こえてたってこの際構わない。全て吐ききってしまえば、この気持ちを忘れられる。そうすれば、ポピーの言うところの“なかなおり”ができる。
感情が昂り、チリの目には涙が浮かぶ。歯を食いしばって堪えようにもひとつ、またひとつと頬に涙が伝う。恋破れた悔し涙なのか、こうまで言われても眉ひとつ動かさないアオキへの怒りの涙なのか、チリ本人にさえ判別がつかない。唯一わかるのは、こんな無様を晒すほどに、アオキが好きだということだけだ。
「なるべく酷く振ってくださいよ。膝、折って立ち直れんくなるくらいに。アオキさん、そういうの得意でしょう?」
チリは皮肉った笑みを浮かべ、吐き捨てるように言った。
アオキを前に心折れた数々の挑戦者たちがチリの脳裏に浮かぶ。あれだけすっかり打ちのめされれば、どんなに楽になれるだろう。
「まったく人聞きの悪いことを……」
アオキは苦い顔をしながらデスクの椅子を後ろに引いた。そしてゆっくりと体を起こし、チリの真正面に立つ。向かい合った二人の背丈の差は頭ひとつ分はゆうにある。
アオキはこんなに上背があったのか、などとチリはどこか他人事のように思った。
「今から話すことをよく聞いてください。一言一句、絶対に聞き逃さずに」
アオキの声は決して遠くまで通るようなものではない。しかし、その少し掠れた低音の声がなぜか鮮明に聞こえる。
「私は、自分のことをチリさんにふさわしい男だと思っていません。見ての通り、外見は平凡な中年ですし、こんな性分ですので本職の営業成績は良くありません。今は四天王とジムリーダーという肩書きがあっても、いつ任を解かれるかわからない不安定な身です」
そんなことはない、と叫んでやりたい気持ちを抑え、チリはアオキの次の言葉を待つ。
「それに、もし仮に生涯を共にするとしたら、一般的な男女の平均寿命から考えて私のほうがチリさんよりもだいぶ先に死にます。それは、私にとって不本意なことです。あなたを悲しませるようなことはしたくないですから」
優しすぎる拒絶の言葉を聞き、チリは自分がアオキに想われていたのだと知る。それだけで少しは報われたような気がした。もういいだろう。これで終わっても。
突然、すう、とアオキが深く息を吸った。目を閉じ何かに祈るように上を向き、ゆっくりと溜まった息を吐く。そして再び目を開けたアオキの表情は、チリには心なしか微笑んでいるように見えた。
「ここまで聞いて、チリさんがそれでもまだ諦められないと言うのであれば……私の持ちうる限りの力であなたを幸せにする権利を、ください」
アオキはチリに片手を差し出す。
自分に向けられたその手のひらの意味を知り、チリは服の袖で乱暴に涙を拭った。
「まどろっこしいねん……!」
チリは差し出された大きな手のひらに、自分の手を重ねる。随分と大きさの違うそれらがぎゅっと握り合った瞬間、自分の方へ力いっぱいに引き寄せる。そして、バランスを崩しよろめいたアオキの広い背に腕を回した。
「チリさん!?」とアオキにしては大きな声が上がる。
そんな存外珍しい現象など無視して、唇を奪ってやった。
本気の相手に対して恋愛下手になる大人っていいよね……!と言う気持ちで作った話です。
少しだけポピーちゃんとハッサクさんも登場します。
短編置き場⇒ twitter/aocr_mojikaki