pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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「チリさん、今週末デートしませんか?」
定時後のポケモンリーグ。
トップのオモダカは会合。ポピーとハッサクは仕事を終えて家路に着いており、残っていたのは三足の草鞋を履いていて常に仕事に追われているアオキと面接希望者の増加により、対応に時間を取られ、書類整理の終わらないチリのみであった。
受験者に関する最後の書類確認を終え、ようやく一息ついたチリに冒頭の言葉がアオキよりかけられた。
「えぇーと、デート?」
「はい」
神妙に頷くアオキに少しキュンとしつつも状況を整理する。
アオキとチリはいわゆる恋人関係であったが、これまでアオキからデートに誘われたことなど一度もなかった。そして、今週末は特に何かの記念日というわけでもない。
元々、二人が付き合っているのも、アオキに惚れ込んだチリが猛アプローチを仕掛け、彼が折れたような形であった。
付き合っている、とは名ばかりでキスも、体を繋げるどころか手を繋ぐことすらできていないもどかしい関係だ。デートも仕事終わりにチリが誘って宝食堂で一緒にご飯を食べたり、たまの休日にご飯を食べに行ったりとそのくらいで、情けないが、今時の学生の方がよっぽど進んでいるような気がする。
ということは。
自分が告白した時の言葉を思い出す。
『アオキさんが嫌になったら、いつでも別れてええから!』
別れ話、やろか。別れる前の最後の思い出作ったるっちゅうやつ、かな。
そう考えて少し涙が出そうになった。
けれど、ここで泣けばこの人の負担になってしまう。軽く唇を噛んでへらりと笑ってみせれば、アオキはそんなチリを見つめ、眉を顰めていた。
「予定が悪ければ……」
「あー、ちゃうちゃう! うん、大丈夫。今週末な! ちゃんと空けとくで」
慌ててスケジュールを確認し、チリはコクコクと頷く。アオキもスケジュール帳を取り出し、几帳面な字でデートの文字を刻んでいた。少し緊張していたのか、肩を撫で下ろして表情を緩める。
「それでは、土曜日の朝九時にお迎えにあがりますので」
「お、おん。わかった……」
それだけチリに伝えると、アオキはパソコンに向き直る。まだ仕事が残っているようだった。
ここで手伝いましょかと申し出てもすげなく断られることをチリはよく知っている。
「ほな、お先に」
「お疲れ様でした」
アオキに視線を向けることなくチリは足早に執務室を後にした。
◇◇◇◇◇◇
チリは悩んでいた。
今日のデートはどのような服装で行くべきかと。朝の五時から。
いつもならば、好きな人に少しでも素敵だと思って貰いたくてお洒落をしていた。あとは付き合っていることをトップにすら報告していないこともあり、身バレしないような格好を心がけていた。
だが、今日はただのデートではない。別れ話が付いてくるデートである。
お洒落をするべきか。控えめで行くべきか。
「どないしよ……」
チリは悩んでいた。
時間が過ぎるのは早いもので、気が付けばもう九時である。時間に几帳面なアオキのことだ。ピッタリの時間にインターフォンが押されるだろう。
つまり、着替えで悩む時間はもうない。
「ええい! ままよ!」
女は度胸!
落ち着いたデザインであれば問題ないだろうと、ストレートデニムとタイトなトップス、オーバーサイズのカーディガンを身につける。あとは目立ちやすい長い髪を纏めあげ、ニット帽に隠せば完璧だ。
鏡の前で何度か姿を確認しているとチリの部屋にインターフォンの音が鳴り響いた。
「はいはーい」
インターフォンの画面を確認すると、果たしてそこに大人らしいシンプルなデザインでまとめられた服を見に纏ったアオキの姿が見えた。変装のつもりか髪を下ろして見慣れぬ眼鏡を掛けている。その眼鏡がよく似合っており、チリは少し笑ってしまう。
今行くでー、とインターフォン越しに声を掛け、鞄を掴んで玄関に向かった。
「チリさん、おはようございます」
「おはよう、アオキさん」
「今日もお綺麗ですね。強いて言えば、貴方のその美しい髪が見えないのが惜しいですが……」
アオキの口から紡がれた褒め言葉にチリの頬が赤く染まる。これまでもデートの際は幾度となく褒められて来てはいるが、お世辞だと分かっていても慣れることはなかった。
「あ、アオキさんも格好ええよ……」
「どうも」
意趣返しにアオキを褒めるが、軽く流されてしまった。反応の薄いアオキにやはり、好意を持っているのは自分だけなのだと感じてしまう。
どよんと落ち込む気持ちを振り払うかのようにチリは笑顔を作り、大きな声でアオキに問う。
「そういえば今日はどこ行くん? 何も聞いてへんかったけど」
「そうですね……。お昼をハッコウシティで予約していますので、それまではショッピングなどどうでしょう?」
「ええやん。ほな行こか」
ブーツを履き、アオキと共に家を出る。
スマホロトムでそらとぶタクシーを呼び出しながら少し前を歩くアオキの手を見つめた。
どうせ今日で別れるんなら最後に手くらい繋いでみたいな。
どうやったら自然と繋げるやろか。はぐれるといかんとか、チリちゃん手繋がんと死んでしまう呪いにかかったねんとか。いや、流石にそれは無理がありすぎるな。
心の中の自分になんでやねんとツッコミを入れる。
あーだ、こーだとチリが悩んでいると、アオキがちらりとチリの方を振り向く。考え込んでいるチリの手を取り、するりと指の間に自身の指を滑り込ませた。
俗にいう、恋人繋ぎというやつだった。
「っ⁉︎」
突然自分の望みが叶ったチリは目を白黒させるが、その手を振り解くわけにもいかず、その現実を享受する。
前を行くアオキの背中を見つめると、チリの気のせいであろうが、少しだけ彼の耳が赤くなっているように感じた。
手を繋いだまま、アオキの呼び出したそらとぶタクシーに乗り、ハッコウシティへ向かう。
いつもなら無口なアオキに代わりあれやこれやと様々な話をするチリであったが、今日ばかりは何を話して良いのかわからなかった。ただ無言でアオキの隣に座る。アオキも特に何かを話すことはなかった。
気まずさを感じながら無言の時間を過ごし、二人はハッコウシティへとたどり着いた。
「……何から見て回ろか」
「チリさん、何か欲しいものは?」
「うーん。パッと思いつかへんなぁ。アオキさんは?」
「最近、鞄がぼろぼろになって来ていまして、チリさんさえよろしければ見に行ってもよろしいでしょうか」
「ええよええよ。チリちゃんがいっちゃんええやつ選んだる!」
アオキが手を離そうとしないのをいいことに、手を繋いだまま店まで歩いていく。
道行く人達の視線を集めているような気がしてついついチリは辺りを窺ってしまう。変装しているから大丈夫だとは思うが気が気でない。終始ドキドキしながらお目当ての店の中に入る。
「いらっしゃいませー。どのようなものをお探しですか?」
「仕事用の、鞄を」
「お仕事用の鞄ですね。こちらになります。材質はどのような希望されますか?」
「ひこうタイプのポケモンがおりますので、ついばむにも耐えられそうなできるだけ頑丈なものを。それでいて、水にも強いとありがたいですね」
ちゃんとアオキの希望するものはあるのだろうかと少し不安に思っていたが、店頭にはいくつか在庫があったようだ。
ようやく手を離したアオキに寂しさを覚えながら店員が置いて行った鞄を眺める彼を見つめる。
左のがスタイリッシュでアオキさんに似合っとるなぁと思うが敢えて口出しはしなかった。
右も左も何度も見比べアオキは唸る。どうやら決め手がないようだ。
「チリさん」
「ひゃい⁉︎」
自分に話しかけられるとは思っておらず、油断していたチリは裏返った声を上げる。それをさして気にする様子もなく、アオキは両手に持つ鞄を掲げた。
「こちらと、こちら。どちらの方が良いと思いますか?」
「……それチリちゃんが選んでええもんなん?」
「えぇ。貴方に選んでもらえると嬉しいです」
臆面もなくそう言われればチリとしても悪い気はしない。遠慮がちに先程よいと思った方の鞄を指差す。
「こっちのがアオキさんには似合っとると思うよ」
「そうですか。ならこちらにします」
「いや、決めんの早ない⁉︎」
ツッコむチリを軽くいなして店員を呼ぶアオキ。その姿にふと思い付いたことがあった。
「なぁアオキさん」
「どうしました?」
「それ、チリちゃんに買わせてくれへん?」
「いえ、それは申し訳ありませんので」
「たまにはええやん。いっつも奢ってもらってばっかやし。チリちゃんかてぎょうさんお金貰ってんねんで。たまには使わしてや」
「いえ、それでも」
固辞するアオキに痺れを切らしたチリは彼から鞄を取り上げると向かって来た店員に差し出し、さっさと何か言われる前にさっさと会計を済ませた。
「それ、プレゼント用にラッピングとかできる?」
「はい、大丈夫ですよ。少しお待ちくださいね」
折角だからとラッピングもしてもらうことにした。
これで、たとえ今日本当に別れたとしても、アオキの手元にこの鞄は残る。彼の性分からして、使えるものがあるのに使わないということはまずないであろうことから、この鞄を使い続ける限りは、チリのことを思い出すことになるだろう。
申し訳なさそうな顔をしているアオキに、してやったりの気分でチリは店内をぶらついていると程なくしてラッピングされた鞄の入った紙袋を手渡された。
「ほな、これはプレゼントするで大事に使てな」
「すみません。ありがとうございます」
店を出て時計を確認するとちょうどお昼の時間が近付いていた。
先導するアオキに再び手を繋がれ、照れくさく思いながら彼の後を歩いていけば、連れてこられたのは、最近話題のカフェであった。
「アオキさん、ここ……」
「チリさんがこの間行きたいと言われていたのを耳にしましたので。喜んでもらえたでしょうか」
「そんなん嬉しいに決まっとるやん! ありがとぉ、アオキさん」
嬉しさのあまり思わずアオキに抱き着いた。少し困ったような顔をしたアオキがやんわりと自身の腕を解く姿にチリは自分がやらかしてしまったことに気付いた。
「ごめんな」
「いえ、気にしていませんので」
あぁ、そうだった。きっとここでされるんだ。
別れ話を。
別れたくないとゴネたらどうなるんだろうか。
喜びの気持ちが風船のように萎んでいく。
「入りましょうか」
「…………」
「チリさん?」
「あぁ、行く! 行くで」
怪しまれないようアオキに笑顔を向け、苦しい気持ちを心の中にひた隠す。
アオキを追うようにしてカフェに入る。
この後のことを考えていたせいか、カフェのご飯の味は正直よくわからなかった。
食事を終え、食後の珈琲を飲んでいると、アオキから名前を呼ばれた。
あぁ、とうとうか。
覚悟を決めてチリはアオキに向き直った。
「その、お話があるんです」
「……どないな話?」
いやや。聞きたくない。
そんな気持ちを封じて彼に続きを促す。
「いつ、トップに言った方が良いと思いますか」
「ごめん。なんの話?」
予想の斜め上の話が来て思わずずっこけかけた体をなんとか止め、アオキに尋ねる。
「その、付き合っていることをいつ報告するべきかと考えていまして、今のところ業務に支障は出ていませんが、この先のことを考えると早い方がいいのではないかとも思いまして。ですが、自分だけのことではないのでチリさんにも相談を、と」
「……ええと、別れたいとかそういう話ではない?」
「チリさんが別れたければ自分は身を引きますが……」
「ちゃうよ! 別れたいわけと違って! その、今日はもしかしたら別れ話されるんかと思とって……」
チリはずっと考えていたことを口にする。
手を繋いだこともキスもしなくて、本当に恋人同士なのか心配になってきたこと。
初めてアオキからデートに誘われて裏があるんじゃないかと思ってしまったこと。
その裏とは、別れ話ではないかと考えてしまったこと。
すべて。
最後まで話しきると、アオキは眉間に皺を寄せながら、とりあえず外に出ませんかとチリを誘った。会計を済ませ、外に出たチリはアオキに手を繋がれ、街の外れまで連れて来られる。そして徐に腕を引かれ、ぐっと抱き締められた。
「アオキ、さん……?」
「不安にさせてすみませんでした」
初めは状況を理解できていなかったが、徐々にアオキに抱き締められている現在を理解したチリの頬が熱く赤く彩られていく。
「貴方に自分が相応しいのかと考えてしまい、なかなか踏み出せませんでした。歯止めが聞かなくなった時に貴方を壊してしまうことも怖くて」
「アオキさんのバカ。チリちゃんはずっと言うとるやん。アオキさんがええって。それに、アオキさんになら何されてもええんよ」
「すみませんでした」
どうやら別れ話は誤解だったようだ。ずっと張っていた気が抜けていくような気がした。
「悪いと思っとるならキスして」
「それは……」
「できへんの?」
「そうではなくて……」
目を泳がせるアオキをじっと見つめる。
しばらく悩んでいたが、意を決したようにチリに向き直った。
「チリさん。自分は貴方を愛しています」
そんな言葉と共にチリの視界はアオキで埋まった。唇に触れる柔らかい感触。数秒にも満たない時間が永遠のように感じた。
「チリちゃんも。アオキさんのこと大好きや」
アオキの首に腕を回し、今度はチリの方から口付けた。
初めてのキスは幸せの味がした。
◇◇◇◇◇◇
「ちなみになんやけど、なんで急にデートに誘ってくれたん?」
「その、テレビで見まして……」
「テレビ?」
「デートにも誘わない男は嫌われてもおかしくないと……」
「……アオキさん! 好きや!」
これまでアオキさんがなかなか手を出してくれなかったせいでいろいろ勘違いしちゃうチリちゃんの話です
よろしくお願いします