pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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「アオキさん、週末デートしやへん?」
平日時間外。二人きりの執務室。
昼食のお誘いのような気軽さで話しかけられた言葉に自分の思考が一時的に停止する。
デート。デート? 誰が。自分とチリさんが?
何もおかしいことではない。紆余曲折あったとはいえ、最終的には自分が折れる形で彼女へ抱いていた想いと向き合い、付き合うこととなったのはつい先日のことだ。
恋人であればデートくらいするものであろう。むしろ自分から誘うべきことだったろうかと少し反省した。
「……いいで、あ」
了承の返事を告げる途中、重大なことを思い出し、固まる。
スーツ以外の外出に使える私服が果たして家にあったろうか、と。
スーツはある。ありとあらゆる仕事に備えて色や形の違うものを数種類備えてある。だが、デートだ。お堅いところへ食事に行くのでもない限り、スーツは着て行くものではないだろう。
他にどんな私服があった? 洋服箪笥の中を思い出そうとするが、朧げにしか浮かんでこない。ここ数年、職場と家の往復くらいしか用事がなく、友人から呼び出された時も仕事終わりにスーツで行ったくらいだ。私服を使う機会が全くと言って良いほどなかった。
確かポロシャツ、があったような気がするが、チリさんとのデートに相応しいものかと問われると答えはノーだろう。
家にあるまともな服はスーツ以外にパジャマしか思い浮かばない。少しでも質の良い睡眠を確保したくて買ったものであるが、デートには確実に適さない。
まぁ、チリさんであれば笑って許してくれそうな気もするが。
あれやこれやと考え込んでいると、いつのまにかチリさんが自分の顔を間近で覗き込んでおり、思わず飛び退いた。
「なんか用事でもあった?」
「いえ、用事ではなく……。デートの方、謹んでお受けさせていただきます」
「堅っ! そんな業務やないんやから……。まぁええよ。週末、楽しみにしとるでね」
楽しそうににっこり笑って去っていく彼女を見送りながら自分は決意した。
早急に、服を探さなければ。
◇◇◇◇◇◇
わからない。完全に手詰まりだ。
デートの予定が決まったあの日の終わり、タクシーを待ってられず、『そらをとぶ』まで駆使して街の洋服屋を訪れたは良いものの、自分に似合う服などわかるはずもなく、結局は何も買わずに店を出た。
マネキンまとめ買いでもすれば良いのかもしれないが、それは大変リスクが大きいだろう。
スマホロトムでも探してはいるが、そもそも適切な服がわからないのだ。今時の若者の流行りは載っておれど、自分のようなおじさん用のコーデはさほど載っていない。載っていても、いかにも『おじさん』然とした格好であり、チリさんの隣に立つに相応しい格好ではなかった。
チリさんはとても綺麗な人だ。格好良いと噂されているところも数多目撃したことがある。そんな人が自分の恋人であるのだ。彼女に恥をかかせたくないが、デートはもう明日である。
スーツで行くべきか、中止を申し出るべきか。
自分は困り果てていた。
斜め向かいの席で鼻歌まで奏でながらご機嫌にパソコンに向かう恋人は相当に楽しみにしていることが手に取るようにわかる。
非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
言い出しにくいが、先延ばしにする方が衝撃も大きくなってしまうだろう。
覚悟を決めて立ち上がり、チリさんの側へ足を運んだ。
「チリさん」
「おわっ! びっくりした。アオキさんか。どうしたん?」
驚かせてしまったにも関わらず、目尻を下げて穏やかに問うてくれるチリさんにさらに罪悪感が募る。チリさんをまともに見られない。
「週末の、デート、のこと、なのですが……」
こんな時でもぼそぼそと小さな声しか出すことができない自分が情けない。
「何か急な仕事でも入った?」
明らかにチリさんの元気が下がったのがわかった。慌てて否定の言葉を紡ぐ。
「いえ、仕事は、つつがなく。その、デートの、服装、なのですが……」
「服? チリちゃんはいつもの感じで行こかと思とるけど……。スカートの方が良かった?」
チリさんのスカート姿。普段なかなか着られることは少ないが、きっと彼女であればどんな服でも颯爽と着こなしてくれるのだろう。
そうであれば尚更、自分もきちんとした服装で行く必要がある。
「それはどちらでも、楽しみです。チリさんにはお似合いでしょうから。ではなく……」
「じゃあ、どうしたん?」
「服が、ないんです」
「ない?」
首を傾げるチリさんに、私服がない事情をこんこんと説明すると、最初は訝しんでいたようだったが、最後には納得してもらえたようであった。
「というわけで明日のデートはスーツでもよろしいでしょうか」
「うーん、別にええんやけど……。せや。アオキさん今日は定時で上がれる?」
チリさんに促され、スケジュールを確認する。急ぎの仕事は今のところない。(トップに何かしらを押し付けられなかれば)定時に帰ることは難しくないはずだ。
そう答えると、チリさんは満面の笑みを浮かべた。
「なら仕事終わったら買いに行こや。アオキさんの私服。折角やでチリちゃんが選んだるわ!」
「そんな、それは……」
「ええのええの。遠慮せんで。あ、どうせならチリちゃんの服もアオキさんが選んでや。お互いにコーディネートした服でデートとかええと思わへん?」
「じ、自分はセンスがないので……」
「センスなんかいらんいらん。アオキさんの好みで選んでくれたらええんやから」
「ですが……」
「ほんなら決まりで! 仕事終わったらタクシー呼んどくで一緒に行こな!」
デートイブに一緒にお出掛けや! と嬉しそうなチリさんにやめましょうなどと言えるわけがなかった。曖昧な顔で頷いて自席に戻る。
今日の夜のコレもある意味デートなのだろうか。
自分の私服がないという話が、なぜかチリさんの服を選ぶなどという重大な任務を任されてしまった。光栄であるが責任が重い。
手早く仕事を済ませ、少しでもスマホロトムで流行りを調べておこうと誓った。
◇◇◇◇◇◇
「これなんかどう?」
差し出されたのは真っ赤なセーターだった。
首を振って断固拒否する。
「似合いません。だめです」
「えー、私服ぐらい派手でもええと思うけどなぁ」
「目立ちたくないのでやめてください」
無事に仕事を終え、自分とチリさんは約束通り互いの服を見繕うため、服屋を訪れていた。
どんな服がいいのか聞かれた際に、地味なものをと言ったはずなのだが、チリさんが持ってくる服は悉く派手なものばかりだ。
幸いにもその目に本気の色はないため、何とか胸を撫で下ろしているが、これで彼女が本気だった場合、果たして自分が拒否できるかどうか怪しいものだ。良くも悪くも自分がこの人に甘いことを自覚しているが故に。
「んー、アオキさんもちゃんとチリちゃんに似合うの選んでな?」
「……はい」
女性の服なんて本当によくわからないというのが本音ではある。だが、そうだな。
一枚。服を手に取った。白いいわゆるタートルネックというやつだ。これに細身のデニムを合わせれば、彼女にもよく似合うのではないかと思う。
上に羽織るコートは、チリさんの持っているもので良いと思うが……。
「自分の色を身につけて欲しいと思うのは贅沢ですかね……」
ぽつりと呟きながら、無意識のうちに黒のコートを手に取っていた。チリさんであればきっとこのコートも見事に着こなしてくれるだろう。
だが、これは自分のエゴではないだろうか。
少し悩み、やっぱり返そうと棚に手を伸ばしたその時、その腕を掴まれた。
細く華奢な手。チリさんだ。
「そのコートめっちゃええね! そっちのも選んでくれたやつ? じゃ、一回チリちゃん試着してくるわ。あ、アオキさんもそこのやつ選んでみたから気に入ったら着てみて」
「えと、あの……」
気が付くと手に取っていた服たちはチリさんの手にあり、試着室へと消えていった。覗いたらあかんで、の言葉付きで。
「覗きませんよ……」
残されたのは自分とチリさんが自分のために選んでくれた服。今度は派手な色はないようだ。ありがたい。サイズが合うかどうか、彼女の言う通り一度身に纏うため、自分も試着へと向かった。
彼女が選んでくれたのは、黒のハイネックに白のパンツ、そして緑のコート。シンプルでいて、着こなしやすいものを選んでくれたのだろう。非常にありがたかった。
身につけて鏡を見てみても違和感はさほどない。これならば、彼女の隣を歩いても後ろ指をさされるようなことにはならないはずだ。
「アオキさん、どないー?」
試着室の外から聞こえた声にカーテンを開ければ、そこには自分の選んだ服を着たチリさんが立っていた。
彼女の格好良さが際立っているように思う。よく似合っている。
「ど、どうでしょうか」
「おん、おん、ええと思う! よう似合っとるで! 格好良さが十割増しや。チリちゃんも惚れ直すわ!」
「ありがとう、ございます……」
たとえお世辞でもそう褒めてもらえたことに悪い気はしなかった。
「チリさんもよくお似合いです。格好良いですね」
「えーと、スカートやなくて、良かったん?」
「スカートのほうが良かったですか? すみません、気が付かず。探してきます」
踵を翻し、先程の服に合うものを探しに行こうとすると、ちゃうねん、と後ろでチリさんがぽつりと呟いた言葉が耳に届き、足を止める。
振り向くと、チリさんが少し俯いていた。
「デートやし、女の子らし格好のがええんかなと思とったから……。ええの? パンツで」
「自分は、その、センスはないですが、チリさんに一番似合う服を選んだつもりです。もちろんスカート姿のチリさんもきっと素敵だと思いますが、自分はチリさんと言えばその格好なので……」
何かまずいことを言ったろうか。どうして良いかわからずおろおろしていると、チリさんが顔を上げた。
「さっすが、アオキさん! チリちゃんのことようわかっとるな! ほなチリちゃん着替えてくるわ」
「あ、ちょっと」
試着室に走るチリさんの耳が少し赤く見えたのはきっと見間違いではない。少し口元を緩めて彼女の消えた方向をじっと見つめる。
明日、チリさんはどんな顔をして自分の選んだ服を着てくれるのだろうか。その隣に並ぶ自分も、チリさんの選んだ服を着る。
どんなデートになるだろうか。楽しみだ。
よろしくお願いします。