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たび
もう一度、初めましてから始まる愛は - たびの小説 - pixiv
もう一度、初めましてから始まる愛は - たびの小説 - pixiv
10,812文字
もう一度、初めましてから始まる愛は
何番煎じすぎますが、チリちゃんの記憶喪失話です。
最後は明るいですが、以下注意事項ご確認お願いします。

・途中ちょっと空気重い

・キャラが終始迷子

・プロポーズ済みだったアオチリ

・記憶なくなる前は半同棲してた

・チリちゃんはジョウト出身設定

・チリちゃんの苦手な食べ物表現あり

・話の都合上、チリちゃんが事故にあい怪我をする描写あり

終わりが見えなくてビビり散らかしてましたが、色々省いて何とか書き終えました。

ご覧になって下さる皆様から、日頃元気を貰ってます。本当にありがとうございます。
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2023年5月6日 00:02

春。青い空が広がる湖畔にて。
地面に膝を付く男が傍らに立つ女を見上げる。
「嬉し」そう言って花咲く様に笑う女を抱きしめる男。
その指に、銀色の光が見える。

幸せをかき抱く。
それらが崩れる事なんて考えることも無く。


ーーー数日後。チリが事故で怪我を負った。
チャンプルジムでの勤務中にそう連絡を受けて、言われた病院へと急ぐ。

突然のことに、揺さぶられる心。

暴れたポケモンから咄嗟に学生を庇ったと聞いて。とても貴女らしいと思えた。
でも、そこにいたのが貴女じゃなければ。
と思ってしまう。

背筋に冷たい汗がつうと流れてゆく。その感覚が酷く気持ち悪い。



勢いそのままに病院の扉を開けたら、病室の奥、ベッドから半身を起こしたチリと目が合う。
病衣から伸びる腕に巻かれた包帯と、頭を覆う包帯が痛々しい。

「チリさん……」
息も整えずにチリの元へ歩み寄る。

突然の訪問者に気づいたチリは、傍に居たオモダカからこちらに視線を動かし、たどたどしく、口を動かした。
「えっと……こんにちは。はじめまして」

他人行儀な朱色の目。
アオキに向けられたその中、失われたものに気づいてしまった。

ぴたりと足が止まり、言葉を失う。
砂の様にさらさらと、かけがえのないものが自分の手、指先からすり落ちていく。胸の中、何かが崩れた音がした。


「チリ、こちらはアオキです。貴女の同僚にあたります」
「そうなんですね。すみませんアオキさん、来てくださってありがとうございます」
「……」

まだ呼吸は乱れていて、息苦しい。立っているはずの足の感覚が遠くなる。視界が揺れる。

「チリ、少しアオキと話がありますので外に出ますね。そのまま私は仕事に戻りますが、何かあったら連絡してください」
分かったと返すチリから私に視線を移し、退室を促された。


お互いに黙って廊下を進む。足が酷く重い。廊下の先、少し開けた自販機コーナーでオモダカが立ち止まった。

「身体は大丈夫そうなのですが、どうも事故前の記憶が飛んでいるようです」
いつになく硬い声。酷く青ざめた顔。

「……どれくらいですか」
「ジョウトからパルデアに来た記憶まである様ですが、四天王になる辺りから、ぷっつりと記憶が途切れてしまっている状態です」

いつ戻るか、いや、戻る保証も分かりません。
普段なら輝く瞳が今は伏せられている。

「ジョウトから明日ご家族が来られる予定なので、身の回りの事はご家族が対応されます。チリに今までの経緯は大まかに伝えています。」


オモダカが少しだけ言い淀んで、続けた。
「チリを支えてください」

「支える、とは?」
「貴方達の関係は知っています。公私共に支えてください。今はチリの負担になるような事は取り除き、しっかり療養できる様にフォローしてください」
「自分の事を忘れているのに?」
「アオキ」「ただの同僚が親しげにする事ほど困惑する事は無いでしょう」

刺々しく擦り切れた私の声に、オモダカは痛い顔をする。

「余計な事かもしれませんが……判断は貴方に委ねます。ただ、少なくとも同僚の立ち位置からは支えて下さい。わたしも上司として支えます」
「……分かりました」

オモダカはスマホロトムに目を落としたのち、チリ不在時の対応調整に行くとだけ言い残し去っていった。


オモダカが自身の視界から完全に消えたあと、自販機傍のベンチへ力無く座り込んだ。
顔を両手で覆う。目の前に突きつけられた現実を少しでも見たくなかった。何も考えたくない。

何故、どうして、と、ぐるぐる巡る暗い気持ちに終わりは見えない。

ゆっくりと深く、深く。息を吐いた。
手で覆われた口元が酷く歪んでいるのが分かる。
肺にあった空気を全て出し切るように吐ききって、ぐっと息を止める。
数秒、おいてゆっくりと浅く息を吸う。

暫く。手を顔から離して、スマホロトムの画面越しに自分の顔を見る。
最低限人前に出せる顔になった事だけを確認して、病室へと足を向けた。



戻った先の病室では、また来ますとチリへ言った自分に驚いた。
ほんの数日前と同じ彼女なのに、全く違う人の様で。そのズレがつきりつきりと心を刺して、刺して、辛かったのに。


病院から出て街中を歩く。喫茶店の前を通り過ぎると共にコーヒー豆の香りが鼻を掠め、ふわりと記憶が甦ってゆく。

ーーー

朝、自分は眠気を陽の光で飛ばしキッチンに立つ。まだ少し春は遠く、ヒンヤリとした空気を感じる。

少し前にかけたコーヒーメーカーがコポコポとリズミカルな音を立てている。冷蔵庫の中から材料を取り出して、フライパンに火をかけ、温めてゆく。
彼女お気に入りの朝食を用意する、この時間が結構好きだった。

そうこうしているうちに寝室からパタパタと忙しないチリの足音が聞こえてくる。扉のノブが回った。

「アオキさん、おはよ。コーヒーええ香りしてる」
「チリさん、おはようございます」
リビングの扉を開けて入ってくる彼女は、上は長袖のスウェットだが、下はハーフパンツとやけに寒そうで、なんなら足下は素足だ。ベッドから出たままこちらに来たらしい。

チリさん、もう少し暖かい格好をしてください。
そう言う自分の背に彼女がくっついてくる。
「ごめん、アオキさんに先挨拶したかってん」

そう言えば自分がこれ以上言えなくなる事を知っていて、あえて言うのだからタチが悪い。

仕方ないと一旦料理の手を止めて、振り返って彼女を抱きしめる。
「一番に来てくださって嬉しいです。もう少ししたら朝ご飯ができますから、準備してきてくださいね」
優しく諭すような声をかけて、離れた。

「うん、アオキさんの朝ご飯、楽しみにしとる」そう目を柔らかく細めて微笑み、彼女はパタパタと元来た道を戻っていった。

穏やかで、甘やかな時間。
何度も繰り返された日々だった。

ーーー

ガチャリ。玄関の鍵を開けて、玄関の照明を付けた。
玄関に置かれたキートレイが視界に入る。そこには本来であれば、この家の合鍵が置いてあるはずだった。……彼女が家に帰ってきているのであれば。
今、そこは空っぽのままだ。

廊下を重い足取りで歩き、リビングまで体を引きずる。リビングの明かりを付ける事さえも、億劫だ。
そこら辺に荷物を置いて、ソファに倒れ込む。

薄闇の中。
「なぜ」「どうして」
そんな言葉しか出てこない。
「俺はどうすればいい……」
呟いても返してくれる人はいない。

崩れた関係。今のチリに想いを伝える事は出来ない。
それなら、今くらいは、この気持ちに溺れていたい。
ぽっかりと穴の空いた体をソファに沈みこませる。


その日はどうやって眠ったのか覚えていない。
銀色のそれは、その日を境に見えなくなった。


ーーー

精密検査の結果、記憶以外には問題なく。
体調が回復するのを待って、退院の運びとなった。

チリの両親が遠方より来てくれて、一通り退院手続きなどを行っていく。暫くはチリの家に滞在していたようだが、チリがある程度元気になった様子を見て、一旦引き上げて行った。

それから少しして。チリの自宅療養が始まってから一ヶ月が経った頃。

チリがリーグ近くまで来る所用があり、お昼前に近くの公園で落ち合う事にした。


公園の中を歩くと、少し離れたベンチに腰掛ける翠の髪が見える。
「チリさん」

振り返った彼女と目が合う。

「アオキさん、お久しぶりです」
傷も癒えて、すっかり元気な姿に安心する。


彼女に近くの売店で買ってきたホットドッグとカフェオレを渡す。
自分の分もあると伝えると、礼を述べ、遠慮がちに受け取ってくれた。

自分が頬張るのを見てから、おずおずと食べ始めた彼女はたった今齧ったその断面を不思議そうに見て、こちらを見た。

「ピクルス、抜いてくださったんですか?」
「え?ああ、まあ、苦手だったはずなので」

記憶の彼女の好みで自然と選んでしまった。それが正しかったのか? ふと思い至り、眉間に皺を寄せた自分を見て彼女は慌てた。

「仰る通りです。あんまり得意じゃないんです。なので抜いてくださって嬉しくて。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる彼女。

「いえ、気にしないで下さい」
そう言うのが精一杯だった。

食べながら互いに近況を話していく。
彼女は最初こんな喋り方をしていたのかと、数年前の記憶を辿りながら。

耳に馴染んだコガネ弁が懐かしくて、そんなところからもチリへの想いを思い出す。
そして、今のチリの話し方に、今更ながら、もうこの関係は保っていられないのだと思い知る。

少し居住まいを正した自分に、彼女は少し身構えた。
「チリさん、驚くかもしれませんが、自分と貴女は交際関係にありました」
チリが少し目を大きく開く。

「そう、なんですね……。でも何だか納得しました。オモダカさんの次に来てくれたのがアオキさんだったので」
「そりゃ、全てを投げ出して行きましたから」

ふふと微笑むチリ。

見慣れた笑顔を見てしまい、これから紡ごうとしている言葉がつっかえそうになる。
それでも何とか引っ張り出した。

「ただ今後、貴女と交際を続ける意思はありません」
え、とチリは口を開ける。

「どうして」
「貴女は今記憶が抜け落ちています。これからゆっくり生活を取り戻していく中で、これ以上考えさせる事を増やしたくありません」

「私の記憶が無いから、困らせたくない、って事ですよね」
チリの目が伏せられる。

「そうです。同僚としての関係に戻った方が良い」
「……すみません」
「貴女が謝ることでは無いでしょう」

「でも。ここで言わなかったら、アオキさんの気持ちまで無くなってしまう気がして」

優しい気遣いが心にチクリと刺さって外れない。

「別に、心配しなくて大丈夫ですから。今は自分の事に集中してください」

これ以上話していると余計な事を言ってしまいそうだったから。
彼女の返事を待たず、傷んだ胸をそのままに、席を立った。



その日から二ヶ月が経った。


「好きな人が全然振り向いてくれなくて!ほんとつれないんですけど!でも好きでしかたなくて!」
「簡単に諦められるもんじゃないよね!そんな事なら最初から好きになってないし!」

ふらりと入った居酒屋で焼き魚をつついていると、壁にかけられたテレビが流すバラエティトークが耳に入る。目を向けると、テレビの端っこには、恋愛お悩み相談の文字が踊っていた。

想うのは自由だよな。そう思ったまま、視線を目の前の魚に戻して、身をつつき直す。

最初は精神的にかなり参っていたものの、時間の経過とは凄いもので、随分と落ち着いていた。

それもこれも、チリがどうであれ、自身の想いを殺す理由にはならない。そう結論付けてしまえば、案外あっさりと納得出来てしまって。

それで良いと思えるようになった。なってしまった。
そう、この気持ちは心の中にしまっておけば良い。
チリからの想いを求めない、という割り切った気持ちにつきりと何処かが痛むが、それだけだ。


貴女と一生別れる訳でもないし。それで良かった。 そんな言い訳でぐるぐるに固めて、放置した。



一ヶ月後。チリの復帰日。
久々に会った彼女は元気そうにしていたが、若干の緊張が見隠れしていた。

彼女を連れてゆっくりとリーグ内を歩く。
彼女はよく喋る様になっていた。

「チリちゃんな、ジョウト戻らんか、って話にもなったんですよ」
「療養期間を短めで希望したと聞きましたよ。折角ですしもう少し伸ばして里帰りしても良かったのではないですか?」
「うーん、やけど、あんまり四天王に穴開ける訳にもあかんやないですか。記憶無くなっても出来ることはあると思うんで」
記憶が無くなっても変わらず頑張り屋な彼女に無理はしないでくださいね、なんて何度目かの声をかける。

「体も元気なりましたし、パルデアでの暮らしにも慣れましたし、出来るだけ頑張りますよ」

チリは初めて来るかのようにリーグ内を物珍しそうに見つつ、そう答えた。

そのまま各施設を巡る間もチリの話は止まらず、随分元気になったなと内心嬉しく思う。


ある部屋の前で自分は立ち止まり、チリがその扉を見る。
「チリさん、こちらが四天王の執務室になります」

そう彼女に声をかけると、彼女は少しだけ強ばった顔をして、部屋に入る自分の後に続いた。



復帰日早々にチリから相談したい事があると言われて、夜、テーブルタウンの個室料理屋に入る事にした。

アオキの家にあるチリの私物を回収する事がずっと先延ばしにされていたので、その話もするかと二つ返事で了承した。


一通り食事を終えたあと、先に口火を切ったのはチリだった。
「もう一度、初めましてから始めませんか?」
「はい?」
どういう事か分からず、変な声が出た。


「アオキさんの事、今はただの同僚としか思えへんけど。でも多分チリちゃんの事や、もっかい好きになりますよ。きっと」
悪巧みする様な顔でも綺麗に映るのだから、美人はとんでもないな、と頭の端で思う。

「無理はしないでくださいよ」
「無理やないですよ」そう彼女はカラリと笑う。

「簡単なことです。なんでチリちゃんがアオキさんの事好きになったんか、もっかい確認したらええだけですから」

そう微笑む彼女の瞳は澄んでいて、何処か腹をきめた様だった。

ーーー

季節は夏と秋を通り過ぎて、冬になった。

テーブルタウンの自室にて。
私は少しだけ空調の設定温度を上げた。エアコンの温い風がソファに座る足元まで届いてくる。

(アオキさんの良いところなあ)

視線を上にあげてぼうっと考える。
今日もぽつぽつと見つけたそれらを忘れないよう、スマホロトムにポチポチと打っていく。

テーブルタウンでのあの夜から、面白いなと思ったところも含め、気になったところは全て残しておくようにしていた。

下に下にスクロールして、上から順々にしっかりと目を通す。


・ご飯を凄く美味しそうに食べる。

・ポケモンバトルがめちゃくちゃ強い。

・ポケモンへの愛情がとても深い。

・カードキーシステムの機械に、宝食堂のポイントカードをかざして、数秒フリーズしていた。

・仕事がめっちゃ早い。でも抜けるとこは抜いてて。なんならここ抜き所です、ってしれっと教えてくる。

・それがトップにバレてたまに忙殺されてる。

・お腹がすきすぎると、この世の終わりみたいな顔をする。

・たまに何も無いとこで躓いてる。

・家で時々料理をするらしい。

・疲れている時に、差し入れしてくれる。

・徹夜明け、スマホロトムをポケットに入れて、スマホロトムを探していた。なんなら途中手に持ってた。

・風が強い日は、風上側に立ってくれる事が多い。

・ご飯を一生に食べると美味しく感じる。

・隣を歩いていると歩幅を合わせてくれる。

・アオキさんが笑うと、何だかこっちも笑顔になる。

・……

最後の項目まで読み終えた時。
予想が確信に変わった。

記憶を失っても自身のことはよく分かっている。

最初は確かに戸惑った。
リビングに置かれた指輪が示す事に気づいてしまっても、本当に同僚以上の感情を持てなかった。

でも、心から愛した男なら、記憶を失ったところで嫌いになる訳が無い。むしろーー。

ソファに体を沈ませる。
「やっぱり。そうやんなあ」
納得した言葉を一人の空間に言い放った。



アオキと晩御飯を食べた後、店先の公園をゆったりと歩く。最近は仕事にも慣れ、ハード気味な仕事を振られる様にもなり、仕事の愚痴をお互いに言い合う時間を時々こうして設けていた。


もう冬も半ば、首元を吹き抜けていく風が冷たくて、少し首を縮めながら、横を歩くアオキに声を掛けた。アオキはさっきから風上側を歩いている。

「なあアオキさん」
「なんですか?」
「アオキさんに言わなあかん事があんねん」
不思議そうにチリを見るアオキと目を合わせる。

「さっきの店で言ったトップへの悪口ですか?それならこちらもオフレコでお願いします」
「いや、そうやなくて。いや、それもお願いしたいですけど」
少しだけ慌てて言い直す。

「それだけや無いし、それよりももっと大事な事や」
びゅうと少しだけ強い風が一瞬頬を撫でて、
再び訪れた静寂を崩すのは、私の声。

「チリちゃん、またアオキさんのこと、好きになったみたいやで」

ふにゃりと笑って見せると、瞬間、力いっぱいに抱きしめられた。
少し息苦しいが、彼の気持ちに応えたくて、大きな背に精一杯腕を回す。


抱きしめられる前、一瞬見えたのは、初めて見る顔だった。今にも泣きそうな、顔。


「また好きになってくれて、本当に、ありがとう」
絞り出すような掠れた声が上から降ってくる。
ぎゅうと締め付けられる心。
なんだかこっちも泣きそうになる。


ああ、やっぱり。
この人を好きになった。
好きになれて良かった。



しばらくして、自室に大切そうに置いてあった鍵が合鍵であった事を知った。


それから少しして。
アオキへの愛が深まるに比例して、過去を忘れてしまった事へのもどかしさを感じるようになった。

銀色のそれを、どんな風に渡してくれたんだろうか。そこに至るまで、私は彼と、どんな思い出を紡いできたのだろうか。


記憶療法なるものを色々、片っ端から試してみるも、一ミリも戻ってこない。
アオキに過去の話を求めれば、それなりに話してくれるが、特に記憶を失う前辺りの事はボヤかされてしまう。

古いジョウトの友人にも相談したが、過去より今が大事やで、と、当たり前の言葉が返ってくる。

求めていたものと違う返事にモヤモヤした気持ちを抱えたまま、終話ボタンを押した。

ソファにもたれて、ため息をつく。
今が大事なんは分かってる。
すぐ近くにあるはずなのに、少しも戻ってこない。指先がかすりもしないその悔しさに視界が歪む。

「なんで、戻って来おへんの?」
記憶への執着が日ごと強くなる事に、薄ら不安を感じていた。

一度記憶を失ってしまった恐怖感がじわじわと、確実に私を蝕む。


夜、彼の家のリビングで専門書を捲っていた。傍にはうず高く治療本が積まれている。どれも、効果が無かった。

違う、これも違う。一心不乱に読み漁っていたから、肩を叩かれるまで彼が声をかけてくれている事にも気づかなかった。

「チリさん、沢山頑張ってくださってありがとうございます。でも、もう十分ですよ」
最近のチリさんは頑張りすぎです。休みましょう。と優しい声が降ってくる。



その声が今は遠く感じてしまって。
なんで、記憶が戻らないんだろう。そんな思いばかりがぐるぐると頭を巡る。

「なんで、こんなに辛いんやろね」
ぽそりと出てしまった本音。

「もう、十分です。これ以上は、やめましょう」
アオキさんの優しい声に辛さが込み上げてくる。


「アオキさんとの大切やったはずの記憶が、何処に もあらへんの」
何かを探すように動いた瞳から、一筋の涙が流れる。流れて、どうしても止まらなかった。


「チリさん。泣かないでください。記憶が無いのは辛いけど、縛られるべきじゃない。どうか、泣かないで。お願いだから」

貴方は戸惑いつつも優しく涙を拭ってくれる。

酷く眉を下げて懇願されても、この悲しみはなかなか消えない。

「なんで、戻ってこんのやろ」

貴方を困らせたい訳では無いのに。流れる涙は止まってくれなかった。

「自分にとっては、今チリさんと居る瞬間が一番大切なんですよ」

「それに……もし記憶が戻らなくても。それをひっくるめて丸ごと貴女を愛すと、決めましたから」


真っ直ぐこちらを見る彼が涙で滲んでは、ぼやけてゆく。

「だから、過去なんて無くたっていい」
「そんなこと」「チリ。俺は今の貴女で、今の貴女が良いんです」

「自分が愛しているのは過去じゃない。今、目の前にいる貴女だ」

優しく拭ってくれる目元から再び涙がつう、と流れて。


「泣き止んでくれませんか」
ひどく眉を下げたアオキに。
「ええの、これは嬉し涙やから」
ゆるく首を振り、笑ってその首筋に抱きついた。


記憶を失うまでと、後では、沢山のことが変わったのかもしれない。それすらも、分からない。

アオキさんが涙を拭ってくれたその日から、過去を振り返る回数は徐々に減っていった。

その代わり、その日から沢山沢山、アオキさんとの記憶が私の中に降り積もっていった。



ある日の休日。私の家に取りに行きたいものがあるとアオキさんが言うので、自宅に招いた。

自宅に勝手知ったる様に入っていく彼に、今日が初めてではない事に気づいて。ふと無い記憶を探しそうになって、駄目だと頭を振る。


「アオキさんの取りたいものってなんなん?」
先行く彼に声をかけると、その目が斜めに泳ぐ。

「説明しづらいんですけど」

「指輪です。銀色の」
それだけで何を言いたいのか分かってしまった。

「それならこっちやわ」
アオキさんが何を考えているのか、不安に思う気持ちに蓋をして、リビングの隅にある小棚に連れていった。

これやで、とその小箱を渡すと。
礼を言って彼はとても大切そうに受け取った。

小箱を慈しむように眺める瞳が、ふとこちらを見る。
「心配しなくても、悪い意味では無いですよ」

「遠くないうちに、渡す事になりそうですから」

一旦、預かるだけです。そう言って彼は微笑んだ。

「そっ、か」

「もしかして、同じものは嫌ですか」
新しいものを用意すべきだったか、と彼が弱った顔をする。

「ちゃう。ちゃうよ、アオキさんがチリちゃんの為に用意してくれたんやろ。やったら、新しいの買って、古いのは放っとくなんて、出来ひん」

「やから、チリちゃんを想って買ってくれたその指輪が良いと思うんよ。でも、ちょっとだけ」

「ちょっとだけ?」

「うん、何なんやろ……」
少しだけ眉を寄せてうーんと唸る。
……昔の私は彼にどう言って貰ったんだろう。

「過去のチリちゃん、アオキさんにプロポーズ、されたんやなーって」


ふむ、とアオキが顎に手を当て。ぽそ、と呟く。


「もしかして……嫉妬?」

「んなっ」
思わず開いた口がワタワタする。
「ちゃうわ、ほんっま!アオキさんのいけず!」

別に良いと思いますよ、だなんて、隠しもせずふふっと笑う彼に、何わろてんねんとドスを効かせても、効果は無かった。

「少し待ってて下さい。そう遠くないうちに改めてお渡しします」

「待たせすぎんとってや」
依然むくれる私に、彼は笑顔で了承した。

ーーー

それからまた時間は過ぎて、季節は春に一巡していった。

湿気った風が頬を撫でる。高くなりつつある空を見て、夏がすぐそこまで近づいている気がした。

傍らを歩くチリを見る。
湖面が夕日を反射してキラキラと揺れる。その光を浴びたチリがふとこちらを見て、微笑む。

湖畔近くまで連れ立って歩き、葉桜の下でチリに向き合った。

「チリさん、貴女に伝えたいことがあるんです」
「うん」

来たる少し先の未来を知っているらしい彼女は大人しく頷き、その続きを待ってくれる。

その思いに応えようと、地面に膝をつき、チリの左手を取って心からの言葉を紡ぐ。

「チリさん、貴女を愛しています。これからも一緒に生きてはくれませんか?」
チリの目が大きく開かれ、嬉しい、と細められるが。

「これ、聞いたらアカンかもやけど気になって……。アオキさん、前の時も同じこと言うたん?」
チリの顔には好奇心がデカデカと書かれていた。

「こら。真剣に言ってるんだから」
少し怒って見せると、チリは首を竦めて、堪忍や、と微笑む。

朱色の瞳と目が合う。彼女の口が緩やかに動く。

「喜んで」
ぎゅうと目を閉じて笑った彼女を抱き締めた。
抱きしめ返す彼女の暖かさに目頭が熱くなる。
いつの間に涙脆くなったんだろうか。

抱きしめる力を緩めて、お互いに見つめ合う。彼女の目がその次を促した。
彼女の手を優しく取り、細い指に指輪を通す。それは夕暮れと銀色が染まりあってキラキラと眩しくて。思わず目を細めた。


貴女への想いを、もう一度伝える事になるだなんて、思っても見なかったけれど。

心から愛しいと思える貴女と寄り添える日が再び来てくれた事に、ただ、幸せが満ち溢れた。


ーーー

ピクニック日和の晴れた青空が何処までも続く、夏。

レジャーシートを広げれそうな木陰を求めて、ザクザクと草を踏みしめ、二人揃って歩く。

チリはなんとなく、今までを振り返る。
今も変わらず、彼の好きなところが増えていく。

過去の私と、今の私、同じ所が好きなのか、違うのか。答え合わせは出来なくて。でも、それでも。


隣で話を聞いてくれる愛しい人に、笑ってみせた。

「でもな。たぶん、今の方がアオキさんのこともっと愛しとるって、信じとる。もしまた記憶が無くなっても、何度でも、大丈夫や」


随分な事を言う人だ、とアオキは思う。
「何度も、はこりごりですね」
そう苦く笑うと、彼女は大きく笑った。


でも。もし、仮に、そうなったのなら。
何度でも初めましてからを繰り返そう。
貴女とならきっと、大丈夫。



そこには、

透き通る空の下、花咲くように笑う貴女がいた。

もう一度、初めましてから始まる愛は
何番煎じすぎますが、チリちゃんの記憶喪失話です。
最後は明るいですが、以下注意事項ご確認お願いします。

・途中ちょっと空気重い

・キャラが終始迷子

・プロポーズ済みだったアオチリ

・記憶なくなる前は半同棲してた

・チリちゃんはジョウト出身設定

・チリちゃんの苦手な食べ物表現あり

・話の都合上、チリちゃんが事故にあい怪我をする描写あり

終わりが見えなくてビビり散らかしてましたが、色々省いて何とか書き終えました。

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2023年5月6日 00:02
たび
コメント
ゆずす
ゆずす
2023年5月10日

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