default

pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

この作品「それに気づいたらハッピーエンド」は「ポケモンSV」「チリ(トレーナー)」等のタグがつけられた作品です。
それに気づいたらハッピーエンド/ばらんの小説

それに気づいたらハッピーエンド

19,675文字39分

アオチリちゃんがくっつくまでの話です。

※注意※

・二次創作です。
・作者はコガネ弁ネイティブではありません。
(変換サイト様使用)
・モブがちょこちょこ出てきます。少し喋ってます。
(ポピーちゃんもでてます)
・軽くですがチリちゃんが怪我してます
・pkmnバトルしてます。
・なんでも許せる方のみ

作者は、この2人にご飯を食べさせたすぎるのかもしれません。
大丈夫でしたらどうぞ。

1
white
horizontal

「ドオー、戦闘不能! 勝者、アオキ!」


審判が勝敗を高らかに告げる。
目の前には地に伏せる自分の相棒と、傷つきながらも悠然と空を舞う大鷹。その奥には、勝者である男が気だるそうに立っていた。


―――負けた。


まざまざと見せつけられた差に、チリの中に悔しさと、強い興奮に似た何かが同時に駆け巡る。久しぶりに感じる高揚感に、思わず身体が震えた。


「対戦ありがとうございました。……良い勝負でした」
「いやぁ、こちらこそありがとさんです。アオキさんごっつ強いですやん。いけると思ったんやけどなぁ〜。チリちゃん、こてんぱんにされてまいましたわ」
「恐縮です。ポケモン達が頑張ってくれましたので」


賛辞を素直に受け取った男は、「次の予定がありますので」とこちらに頭を下げてコートから去っていく。チリはその後ろ姿を見送りながら、先程の試合を思い返していた。


男の名はアオキ。
人を見た目で判断する訳では無いが、チリはアオキのことを、つまらない人間だと思っていた。パッとしない冴えない見た目。ぬぼっとした目には生気が無く、愛想笑いの一つもない。相変わらず覇気のない小さな声で、「業務ですので」とやる気なさげにコートに入ってきたその姿に内心、舐めとんのかコイツ、と思った。
こんな男に自分が負けるわけがない。そう思える程度にはバトルの腕に自信があったし、実力がものを言うこの世界に身を置いている時点で、手加減なんてものも無い。接待バトルで勝ちを譲ってやるつもりだって微塵もなかった。


それがどうだ。
こちらが仕掛けた策はことごとく打ち破られ、むしろそれを利用して奇襲を仕掛けられる始末。掌で転がしてやるつもりが、転がされていたのは自分の方だった。
ジリジリと追い詰められながらも負けじとアオキを睨めば、相棒達への信頼と自信に裏打ちされているであろう強者の眼光に貫かれた。普段の姿からは想像もつかない威圧感に喉が引き攣る。

ヤバい―――のまれる。

瞬間、コート内に突風が吹き荒れてチリは思わず方手で顔を庇った。風が止んで手を下ろす。チリの手元に戦えるポケモンは一匹もいない。
二人の初めての腕比べは、アオキの勝利で幕を閉じたのだった。


この世界には『脳あるムクホークは爪を隠す』という言葉がある。誰が見ても目立つことを好まなさそうなアオキは、もしかしたらそういう人間なのかもしれない。
もしそうなら、自分がまだアオキのことを知らないだけで、実はめちゃくちゃ面白い人なのでは?
この人を逃してはいけない。そう直感が訴える。
先の一戦は、アオキに対する評価が一気に覆ってしまうほど、チリにとって衝撃的な試合だった。


何を考えているのかわからない仏頂面を崩してやったら、あの男はどんな顔をするのだろうか。全身が沸騰するような、バトル中のあの眼光が自分だけに向けられたら。
チリは想像しただけで背筋がゾクりとした。

―――あの男が欲しい。

闘争心にも似た『恋』の始まりに、チリの顔には好戦的な笑みが浮かんでいた。




======




ここはパルデアポケモンリーグ。
トレーナーなら誰もが一度は憧れ、その頂きを目指す最高峰の場所。そんな場所も勤める職員達の終業時刻をとうに過ぎれば、人気もまばらになる。エントランスならまだしも、リーグ内の奥まった位置にあり、更には選ばれし者のみしか使えない部屋の周りなら尚更だ。


「アオキさん、今日で残業何日目です?ちなみにチリちゃんは五日目」
「自分はもう何日目かなんてとっくに忘れました」


リーグを代表する四天王へと割り当てられている執務室。アオキとチリは終わっていない業務と格闘中だった。少し離れた位置にあるそれぞれの机で、お互いの顔は見ずにパソコン画面に向かって話しかける。部屋にはカタカタとキーボードを叩く音だけが響いていた。


「……よっしゃ、出来たで! アオキさん、ファイル送りましたんで、確認お願いします」
「いつまでですか?」
「明日。ったく、トップも人使いが荒いわ。アオキさんもそう思わん?」
「非常に思います。お陰様で、自分も同じような状態なので」


アオキはやっていた作業を一旦中止して、チリから送信されたファイルを開く。カーソルを動かし、画面の上部から順に目を走らせて内容に不備が無いかを確認する。


「あ、そうや。今日は忙しかったから、まだ言ってなかったな」


思い出したように言いながら、チリがアオキの方を向く。アオキはそれに気づいていたが、先に確認を終わらせるべく、顔はパソコンの画面を向いたままだった。


「アオキさん、好きやで。チリちゃんのモノになってくれへん?」
「なりませんよ。……貴女もよく飽きませんね」
「飽きひんよ? だってチリちゃん、狙った獲物は逃がさへんタイプやから」


アオキは思わず深いため息をついた。
この前の試合の後から、チリは何故かやたら自分に絡んでくるようになった。最初は自分のことを根掘り葉掘り聞き出そうとする程度だったのに、いつからか自分に対して恋愛的な意味で、好きだ、と言ってくるようになったのだ。その気もないのにそういうことを軽々しく言うな、と注意しても顔を合わせれば毎回懲りずに伝えてくる。おじさんを困らせて何が楽しいのか。


「アオキさん、ため息は幸せ逃げるで? ……あぁ、チリちゃんがその分幸せにしたればええんやな。そういう訳やから、お付き合いしましょう」
「…………確認できました。特に内容に問題はありません」
「無視かーい! ま、ええけどな。確認ありがとさんです。ところで、チリちゃんこれ送ったらもう上がれるんやけど、アオキさんはあとどのくらいで終わりそうです?」
「タスク量的には一時間程度かと」
「一時間な。じゃぁ、一瞬こっち向いてもろてもええですか?」


そう言われてようやくアオキがチリの方を向く。チリは何かのチケットを二枚持っていた。


「これマリナードタウンにこの間出来たばっかの店の招待チケット。海鮮食べ放題」
「マリナードタウン……海鮮……食べ放題」


二、三日前の朝のニュースでその店が特集されていたのを思い出す。その時の映像が再生されているアオキの頭の中で魚が、アオキを誘うようにピチピチと跳ねる。


「そこでな、ええ話と悪い話があるんやけど、どっちから聞きたい?」
「食べ放題に関係する方で」
「じゃぁ、悪い話からな。実はこのチケット、使用期限が今日までです。今日を逃すとただの紙切れっちゅうわけですわ。ええ話は、偶然二枚あって、そこにチリちゃんと一緒に行けることやで」


チリは、さぁどうする? という顔をしてアオキの返答を待つ。チリからの魅力的な誘いに、疲れてエネルギーを欲する身体は腹が減ったと訴えだした。
なに、同僚と仕事終わりに食事をするだけだ。おかしいことではない。


「……タクシーの時間、確認しておいて下さい」
「アオキさんのそういうとこも好きやで。アオキさんとのデート! 楽しみやなぁ」
「ただの食事です。チケットを無駄にするのを見過ごせないだけですよ」
「好きな人とご飯行くんやし、それはデートって呼んでもええとチリちゃんは思うんやけど。というかそこは嘘でも、「そうですね」ぐらい言えへんのか。大人やろ」


そう言われても、思っていないことは言えないし、取り繕う必要性も感じなかった。
わざとらしく不満げな顔をするチリを放って、一刻も早く仕事を終わらせる為にアオキはパソコンに向き直る。
アオキの食に対する情熱は凄まじく、一時間と言っていた所を三十分で終わらせた。手早く身支度を整え、執務室の電気を消すと、二人は足早にマリナードタウンへと向かう。道中どうにか手を繋ごうとチリは画策していたが、それはきっぱり断った。




***




「うっっまぁ〜! アオキさん、このカルパッチョごっつ美味いで。めっちゃ酒と合う」
「こっちのシーフードピザも中々です。あ、すいません。パエリアと二枚貝のフリット……あと同じピザをもう一枚追加で」


さすがはマリナードタウンに店を構えただけの事はある。港町なだけあって鮮度の良い魚介類が店内に並び、アオキとチリを含めた客達は皆、料理に舌つづみをうっている。
身がしまって艶のある白身魚と緑鮮やかなバジルなどの葉物の上に、セルクル産のオリーブオイルで作られたソースがかけられたカルパッチョ。食べるととろけたチーズが糸状に伸びる、エビやイカがふんだんに乗せられたシーフードピザに、黄色いサフランライスに黄色や赤のパプリカが花のように飾られ、その隙間に色んな種類の海の幸が散りばめられたパエリア等。言い出したらキリがないぐらいの品揃えで大変満足度の高い店だった。
アオキはニュースで見た通りのそれらを、食べ放題なのをいいことに大量に注文し、届いたそばから皿を空にしていく。チリはその様子を、「掃除機みたいやな」とけたけたと笑っていた。
美味い料理に酒もどんどん進んで、気分が良くなった二人は、仕事の愚痴やら最近あった事、自分のポケモンたちの様子など、時間も忘れて語らった。
デザートまで一通り食べて、満足したところでアオキが頭を下げる。


「チリさん、連れてきて頂いてありがとうございました」
「ええって、ええって。アオキさんと来たかったから誘ったんやし」
「今度、何かお礼を」
「じゃ、この後チリちゃんのことお持ち帰りしてくれます?」
「…………」


思わず押し黙ってしまったアオキをからかうように、チリは机に肘をついて顔の近くでグラスをくるくると回す。グラスの中のワインが、ちゃぷりと音を立てた。


「冗談やって。アオキさんがそういうことせぇへんのは自分がいっちゃん分かっとるよ」
「……どうして自分なんですか」
「どうしてって……アオキさんのこと好きなのに理由いります?」
「普通に考えて、貴女が自分を好きになる理由が見つかりません」


だってそうだろう。目の前にいる女性は平凡な自分とは違って、男女問わず虜にしてしまう人だ。恋人など引く手あまたで選び放題だろうに、わざわざ自分より一回りも年上でなんの取り柄もないおじさんを選ぶ理由などない。



「アオキさんの好きなところは沢山あるで。冴えてへんように見えて、実はしっかりしてる所やろ。たまに出る、年上の余裕ちゅうやつ? も堪らんな。バトルが強いとこはもちろんやし、気持ちを受け入れてくれへんくせに本気では突っぱねない優しいところも好き。美味しそうに食べてるとこは可愛いなぁ思いますし、それから―――」
「……チリさん、その辺で」
「なんやの。自分が理由がわからんって言うから、優しいチリちゃんが教えてあげとるのに」


つらつらと自分の好きなところを語り出すチリの言葉を遮る。自分が言った手前申し訳ないとは思うが、目の前で言われるのはちょっと。熱烈な物言いに自分に対するチリの本気を垣間見た気がして、アオキは些か居心地が悪くなった。チリはそんなアオキを頬杖をつきながら、愉快そうに見据える。


「アレコレ言いましたけど、一番の理由は、『アオキさんが欲しい』って思ったからやな。年上とか年下とか、男とか女とか、なぁんも関係あらへんの」
「なんですかそれ……。酔狂すぎて自分にはわかりかねます」
「チリちゃんみたいないい女、放っておくアオキさんのが酔狂なんちゃいます? ……まぁ、今はわからんくてもええよ。いつか絶対、わからせたるから」


そう言ってこちらを見ている、爛々と光る深紅の瞳にアオキは既視感を覚えた。どこかで見たことがあるがどこだったか。……あぁ、そうだ―――バトルコートで対峙した時だ。
勝利への執念と好奇心が綯い交ぜになったような瞳。自分を射抜ような赤色にあの日の記憶がフラッシュバックする。


あの日は上司であるオモダカに言われて、初めてチリと試合をした。やるべき事は二つ。一つはポケモンたちの仕上がりを確認すること。もう一つは、お互いの実力を把握すること。試合前に入っていた仕事の都合で少し遅れてコート着くと、既に待機していたチリは不機嫌そうに立っていた。これは業務だと告げて指定の立ち位置に移動すると、隠すこともせずに不躾な視線を向けてくる。
思っていることが全て表に出ているチリを見て、青いな―――と率直に思った。


戦ってみると、さすがはリーグの代表であるオモダカが直々に推薦しただけの事はある。中々に手強い相手だった。ポケモン達へ出す指示は的確だったし、若さゆえの焦りも見受けられたが、攻撃のバリエーションも多彩で臨機応変にこちらに対処をしてきた。相性的には自分が有利ではあったが、気を抜けば全てを持っていかれるような緊迫感。経験の差でこちらがギリギリ勝てたものの、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。
久しぶりに『負けたくない相手』という者に出会ったような気がして、離れた位置に立つチリを見やれば―――その時に同じような瞳を見た気がする。
アオキが一人回想に耽っていると、現実に引き戻すようにチリが席を立った。グラスの中はアオキが気づかないうちに空になっている。


「そろそろお開きにしましょか」


招待チケットで食事をしていたので特に支払いもなく、そのまま店の外に出た。海側から街に吹き抜ける風が頬を撫ぜる。それが程よく回ったアルコールの熱を冷ましていく様で、大変心地良い。
さっきまでとは打って変わり、特に話すことも無くタクシー乗り場まで歩く。停車していたタクシーにチリを乗せて、アオキも別のタクシーに乗るために踵を返そうとした時、チリに腕をグイッと引っ張られた。


「チリさん?」
「アオキさん、そろそろチリちゃんのこと、ちゃんと見てな? 今日のお礼はそれがええ」


腕を掴んでいたチリの手がパッと離れて、「ほな、また明日」と言い残してドアが閉まった。チリを乗せたタクシーはどんどんと高度を上げ、あっという間に夜の闇に溶けていく。
そろそろってなんだ。
アオキは眼前に広がる光り輝く街並みをなんとなく直視が出来なくて、そっと目を伏せた。




=====





『そろそろチリちゃんのことちゃんと見てな?』


そう言われてから、アオキはとにかくチリを観察してみることにした。
今日も今日とて、チリはアオキを見つけると人懐っこいイワンコのように駆け寄ってくる。


「アオキさん。これ、どーぞ!」


目の前にずいっと、一個のモンスターボールが差し出された。アオキはボールとチリを交互に見てから、チリの方をジッと見る。


やはり、チリは大変整った顔立ちをしていると思う。ハリのある白くきめ細やかな肌にシュッとした顎のライン。赤い瞳には生気が宿り、キリッとした眉と垂れ気味の目尻は人の良さそうな印象を与えつつ、上品さを醸し出している。チリは自分のことを美人だとよく言うが、それが決して間違いではない事を改めて感じた。項あたりで括られた緑の長い髪はチリが動く度にふわりと柔らかそうに揺れ、人の目を引く。男物のYシャツを身につけていてもわかるスレンダーな体型と、そこから伸びるスラッとした手足に、ありえないとは思うが、少し力を込めただけで折れてしまいそうだと思う。


アオキが一切動かずに観察していると、「ちょ、アオキさん、早よ受け取ってぇな」とチリが急かすように再度ボールを差し出してきた。観念してボールを受け取ると、ボワンッ! と音がして中からカジッチュが勢いよく飛び出してくる。アオキがそれを慌てて抱きとめると、カジッチュと目が合った。
カジッチュは、「ジッチュッ!」と元気よく鳴いた。


「アオキさんは知っとる? 好きな人にカジッチュを渡すと結ばれるんやで」
「チリさん」
「アオキさん、チリちゃんの気持ち受け取ってや!」
「元いたところに返してきなさい」


キョトンとした顔をして、辺りを物珍しそうに見回しているカジッチュをボールに戻してチリへと返す。チリはそれをしぶしぶと受け取ると、小さくなったボールをスラックスのポケットにしまった。


「カジッチュはイマイチやったかぁ……。次は何がええかなぁ。ラブラブボールに入ったラブカス? あ、ポケモンがダメやったらお互いの名前でも書いたハートのウロコでも持ちます? 」
「全部却下です」
「なんて? チリちゃんが一番いい? も〜、アオキさんもしょうがないお人やなぁ」
「……貴女、そんなに話を聞かない人でしたっけ?」


チリの一連の動きに、困惑しているアオキはなんとも言えない表情になる。益々猪突猛進になってきているチリに、呆れを通り越してちょっと心配になってきた。自分はそんな風に思ってもらえるほど立派な人間ではないのに。
……大丈夫かな、この人。


チリはアオキにそんなことを思われてるとも知らず、機嫌が良さそうである。パチリと目が合うと、チリのキリッとしていた眉がへにゃりと下がり、照れくさそうに破顔した。
年相応なその顔は綺麗と言うよりも、可愛いという言葉の方が似合うだろう。それが自分だけに見せる表情だと思うと、アオキはちょっとした優越感みたいな物を感じた。


「なぁなぁ、アオキさん。そないに見られると、チリちゃん穴空いちゃうで」
「あ……気分を害したならすいません。この間チリさんに、自分を見て欲しいと言われましたので。……でも、ジロジロ見てたらセクハラになりますよね」
「チリちゃんが見て! って言ったんやからセクハラちゃうよ。ちゃんと言ったこと覚えててくれてんの、ごっつ嬉しいわ」
「食事の礼はしっかりとお返ししなければと」
「チリちゃん見とる理由が本気でそれなのアオキさんぐらいやで。ほんま自分おもろいな、めっちゃ好き」
「それは褒めてますか?」
「なっはっは! 褒めとる褒めとる!」


二人がそのまま話していると少し離れた場所から、チリに声がかかった。


「チリさん、すいません!明日の面接について、いくつか確認したいことがあるんですけどいいですか?」
「おー! 今行くわ。じゃ、アオキさんお先です」


アオキがそれに対して会釈をすると、チリは声をかけた職員の方に向かっていく。去り際に、「チリちゃんの為にも、この調子で頑張ってな」と釘を指していくことも忘れない。遠ざかる後ろ姿に、歩く姿も様になる人だな、と思った。






***





それは突然の出来事だった。
アオキがチャンプルタウンでジム業務を終わらせた後リーグに出勤すると、始めに挑戦者を迎え入れる為の面接室の周りがガヤガヤと騒がしかった。スマホロトムを確認するが、特に自分に連絡は来ていない。きちんとジムバッジを八個集めたトレーナーではなく、興味本位か余程自信のあるトレーナーが乗り込んできたのだろうか。
アオキが珍しく騒ぎにつられて覗きに行くと、面接室の中は何かが暴れたかのような惨状になっていた。机はひしゃげて上に乗っていたパソコンが床に落ち、壁は引っかき傷のようなものでズタズタになっていた。アオキは近くにいた職員を引き止めて、何があったのか事情を聞く。


「すいません。何があったんですか」
「あっ、アオキさん、お疲れ様です! 実は、先程まで資格を満たしていないチャレンジャーが面接に来ていたんですけど、その方が不合格に納得できないと、室内でポケモンを出して暴れだしたんです」
「そのチャレンジャーは今どこに?」
「既に無力化されて警察に引き渡されていますので、これ以上被害が拡大することはありません。ただ……」
「ただ?」
「チリさんのおかげで被害は最小限で済んだんですけど、そのせいで怪我されてしまったんです」


チリが怪我をした。
その事実にサッと血の気が引いて、アオキは相手の話が終わるよりも前に走り出した。エレベーターを待っている時間も惜しく、階段を一つ飛ばしで駆け上がる。息を切らせながら医務室の扉を力任せに開けると、中の長椅子にくつろいだ様子で座っているチリがいた。普段一つに括られている髪は解かれて散らかり、所々に巻かれた包帯や貼られた絆創膏が痛々しくて、アオキは顔をしかめた。


「アオキさん、お疲れさんです。どないしたん?」
「どうしたも何も……怪我、大丈夫ですか」
「あぁ、これ? そんな大したことあらへんよ。……って、こんな格好じゃ説得力ないわな」


チリの思ったより元気そうな姿に安心したアオキが、「失礼します」と人一人分開けて隣に座ると、チリはいつもの調子で事の成り行きを説明し始めた。


やはり乗り込んできたのは、一つもバッジを持たないトレーナーだったようだ。他地方からの挑戦者で、それなりにバトルに自信があり、どこの地方もバッジなしで挑めるリーグなどないだろうに、意気揚々と乗り込んできたらしい。
面接中も終始横柄な態度で、どうでもいいから早く戦わせろ、と話にならない。面接を切り上げて退出を促せば激しく抵抗し、本来ならばリーグの外で告げるのだが、居座り続けようとするので、その場で不合格だと告げると声を荒らげて暴れ出した。罵詈雑言を喚きながら室内でポケモンを出し、無理矢理先に行く扉を壊そうと技を繰り出す始末。面接を担当していたチリと異変に気がついたリーグ職員数名で暴れるトレーナーとそのポケモン達を沈静化させた。チリの怪我はその時に負ったものだった。
アオキはその様子を想像しただけで、苦虫を噛み潰したような顔になったのが分かった。


「ただの雑魚やったわ。色々喚いとったけど大したことなかったしな」
「……内容は聞いても?」
「とりあえず、女なら女らしくしてろ、なんにも出来ひん女の癖に、バトルが出来ひんから面接官なんてやってんやろ……偉いヤツに身体売ったんやろとか。最初はチリちゃんのこと男だと思っとったくせに、女だってわかった途端ぎゃあぎゃあと……やかましいわ」


アオキの膝の上に置いた拳に力が篭もる。
同じ男として完全に女性を下に見ている発言や態度に、強い憤りを感じた。まずもって誰に対しても言っていい言葉では無いし、それが大切な同僚のチリにぶつけられたのなら尚更。自分が言われた訳でもないのに、アオキは腸が煮えくり返った。
チリの努力はリーグに務めているものならば誰もが知っている。もちろん自分もその一人だ。チリ自身の真面目さやひたむきさは、見ず知らずの人間が好き勝手踏みにじっていいものでは決してない。


「ま、少なからずそう思っとる人もおるやろな。そういうの言われんのも慣れとるし。人気者も苦労するわ。アオキさんもそう思わん?」
「チリさん。……お節介かもしれませんが、年長者の戯言とでも思って聞いていただけますか」


アオキは、やれやれとつまらなさそうな顔をしているチリの方を向き直る。あまり気の利いた事は言えないが、出来るだけ思っていることが伝わるように、チリの目を真っ直ぐ見つめた。


「そういうことに慣れないでください。今のチリさんは、今までの貴女が努力してきた結果です。だからこそ、その結果で傷つくことを、当たり前だなんて思わないでください」
「もしかして、心配してくれとる? ……アオキさんは、ほんまに優しいお人やねぇ」
「優しくはないですよ。自分も人間なので、嫉妬や羨望といった感情はありますから」
「それでも、チリちゃんはアオキさんは優しい人やと思うで。だって、誰もそんなこと言ってくれる人おらんかった」
「ここに居ますよ。誰しも嫌なことは嫌ですから、怒ったって泣いたって構わない。チリさんだって同じ人間なんですから。それぐらいで、チリさんを嫌う人など居ないでしょう」
「それはアオキさんも?」
「はい。どんなチリさんでも自分の知るチリさんに変わりはありませんから」


チリに救われている人は沢山いると思う。アオキもそうだった。想いに応えられないのは心苦しく思うが、自分に向かってくるチリを呆れはしても、鬱陶しいと思ったことは無かった。むしろ、懐かれていると思うと嬉しく感じることも多く、疲れて沈んだ心を優しくすくい上げてくれる。他にも業務的なことで助けられていることも多い。だから、間違ったことは言っていないと思う。


チリは黙ったまま何も言わない。重たい沈黙が部屋に充満した。ポツリと、「アオキさん」とチリが小さく隣に座る男の名を漏らす。名を呼ばれてアオキはそちらに顔を向けるが、チリの顔は俯き、髪がカーテンのようになっていてよく見えなかった。


「アオキさん、なんでチリちゃんのこと好きやないの……?」
「それは関係ないと思いますけど」
「ある。大ありや」


チリが立ち上がるとそれに合わせて、緑の長い髪が流れるように動く。チリは座ったままのアオキの前を通り過ぎて、入口の扉に近づいた。ドアノブを掴んで、そこで止まる。


「チリちゃん、アオキさんのこと大好きなんやけど、今は……その優しいところが好きすぎて、嫌い」


チリは扉を開くとそのまま医務室の外に消えた。
パタンと音を立てて扉が閉まる。静まり返った部屋にはアオキだけが残された。
部屋を出る時に一瞬だけ見えたチリの顔は、何かを堪えているかのように見えた。







***





包帯や絆創膏が全て取れた頃、チリは映画館にいた。


「チリ! 映画楽しみだね!」
「あー……せやな」


横でパンフレットを見ながら、上映を今か今かと待つ友人の声が癇に障る。チリは、許されるなら今すぐにでも帰りたかった。


学生時代の友人から、『久しぶりに会おう』と連絡が来たのが数日前。どうにか鬱蒼とした気持ちを晴らしたくて、チリは直ぐにOKの返事を出した。
今日はその当日。
お昼前に集合して軽く食事をした後、映画でも見に行こうとなって。最初は話題になっているアクション映画を見る予定ですごく楽しみだった。なのに映画館に到着して、チケットを購入しようと予約端末を操作すると、希望する回は既に満席だった。次の回は今から三時間後。それは時間が勿体ない、となったところで友人が、「これも気になってたんだ!」と別の映画のポスターを指さした。
昨日から上映が始まったばかりの最新作。全体的にピンク色の背景のポスターの中では、最近人気の若手女優とベテラン俳優が見つめあっていた。共に書かれた謳い文句に、チリの顔が思いっきり引き攣る。

『私が好きになったのは―――おじさんでした』

少女漫画を原作としたそれが、ただの恋愛映画だったらまだ良かった。あろう事か年の差恋愛を題材にしたもので、タイムリーで同じような状況のチリは出来れば見るのを避けたかった。


「チ、チリちゃんこっちのミステリーもええなぁ思っとるんやけど……」
「そっちはこの間見ちゃったんだよね」
「ええやん、もっかい見ようや! 後生やから! な!」
「え、こっちみたいからやだ」


チリの抵抗虚しくピシャリと言われ、友人はサクサクとパネルをタッチして席を確保する。そのまま二人分のチケット代をスマホロトムで支払うと、次の画面には予約完了の文字が浮かんでいた。ガーッと音がなり、発券されたチケットのうち、一枚を渡される。
悲しいかな、取りつく島なんてなかった。


ブザーが開演時刻を知らせる。天井のライトが段々と暗くなって、ガヤガヤと騒がしかった場内がシンと静まり返った。
チリは気休めに買ったLサイズのキャラメルポップコーンを口に頬張る。きっと内容にイライラする。そう思って甘いキャラメル味にしたが、逆にそれが喉に張り付いて不快感を煽った。


内容は至ってシンプル。隣の家に引っ越してきたおじさんの【クローブ】に恋をした、年下の女の子【バニラ】が彼にアタックする話。紆余曲折あった末に、実はお互いに好きだったとわかりハッピーエンド。
横に座る友人を含めた観客達は怒涛の展開に盛り上がり、山場を迎える度に小さく声を上げたが、現実とのギャップを知っているチリはかなりうんざりした気持ちでスクリーンを眺めていた。手当り次第にポップコーンを掴んで口の中に詰め込む。


『クローブさん、好きです』
―――はいはい、バニラちゃんは可愛ええなぁ。上目遣いがよぉお似合いで羨ましいわ。チリちゃんやと、ガンつけとるみたいになりそう。


『こんなに好きなのに、どうして分かってくれないの!』
―――ほんまそれな。どんだけ言っても伝わらん。少しぐらい歩み寄りを見せぇ。……って、見せてくれてたわ。理由、ご飯やけど。


『好きじゃないなら、優しくしないでよ』
―――でも、そんなところも好きなんよ。……チリちゃんは勢い余って、嫌い、って言ってしもた。アオキさんに嫌いや言うたの、あん時が初めてや。


『いつも好きなのは私だけ』
―――チリちゃんの半分でもええから、アオキさんもチリちゃんのこと好きになってくれたら良かったのに。いや、半分は足りん、同じかそれ以上がええ。


案の定、ストーリーに自分たちのことを重ねてしまう。終盤になる頃にはポップコーンも、もう底に数える程度になっていた。Lサイズなら持つだろうと思っていたが、思うところがある度に掴んで食べていたら少し足りなかったようだ。
多くのすれ違いを越えて、映画は感動のラストシーンを迎える。画面の中ではお似合いの男女が見つめあっていた。


『俺はおじさんで、君はまだ若い。だから、きっと君の一種の気の迷いだと思って、ずっと気持ちに蓋をしてきたんだ。でも、本当は君が好きだよ』
『……っ! 私も好きっ、ずっと!』
『もう……離さない』



想いを通じあわせたクローブとバニラ。二人の唇が近づいて、静かに重なる。徐々にカメラがフェードアウトして、エンドロールに切り替わった。
周りからは、これまでの過程に感極まってすすり泣く声が聞こえ、隣からもぐじゅぐじゅと似たような音がする。
あぁ、良かった。
これなら―――自分が泣いていてもおかしくない。


感動では無い涙が、チリの瞳から溢れる。現実はこの映画みたいに上手くいかなくて。
アオキさんはこんなこと言ってくれん。
そう思うと、自分が思っていた以上に欲張りになっていたことに気がついた。


いつか、と自分で言ったのに思うようにうまく進まないし、顔色一つ変えないことに内心焦っていた。本気で突き放してくれれば諦めも着くのに、突き放してくれないどころか、どんなチリでも嫌いにならない、とサラッと言ってのける。それがアオキに同僚としてしか見られていないことを、強く自覚させた。
自分の気持ちが何一つ伝わっていないアオキに無性に悔しくなって、悔しい気持ちと同じくらいに、優しくされて喜ぶ自分に嫌気がさした。
思わず嫌いだなんて言ってしまったが、そんなこと一ミリも思っていない。


ただアオキのことを―――もっと好きになっただけ。


チリはポップコーンの入れ物を傾けると、底に残った物を一気に掻き込む。弾けきれていない硬いままの粒もそのままガリッと噛み砕いて、胃の中に収めた。
ぐだぐだ、うだうだしてるなんて自分の性にあわない。
当たって砕けろ? 上等だ。
どんなチリでも良いと言ったのは、間違いなくアオキなのだから。


上映が完全に終わると場内には明るさが戻り、ザワザワとした喧騒が戻ってきた。観客たちは各々感想を言い合いながらゾロゾロと出口へ向かって進んでいく。チリ達もそれに倣って場内の外に出た。
外の世界は夕暮れ始めていて、真っ赤に燃えた大きな夕日が人々を照らしている。


「……アオキさん、首洗って待っててな」
「え? チリ、今なんか言った?」
「んーん? なーんも!」
「それならいいけど……なんでそんなに機嫌いいの?」


やけにスッキリした顔をしているチリに、友人は不思議そうに首を傾げている。映画の恋はハッピーエンドだったが、アオキとチリの恋の結末はまだ、当事者にもどうなるのかはわからない。神のみぞ知るのだ。
チリの宣言は誰が聞くことも無く街の雑踏の中に溶けた。




=====




「あーら? アオキのおじちゃんげんきないんですのー?」
「……ポピーさん」


アオキが一人で仕事をしていると、心配そうな顔をしてポピーが声をかけてきた。手を止めて椅子から立ち上がり、膝を曲げてポピーの目線と合わせる。おはようございます、とアオキが挨拶をすると、ポピーも「おはようございますですのー!」と思わず花丸を上げたくなる笑顔で応えてくれた。


「ポピーさんは何故こちらに?」
「ポピー、これからハッサクおじちゃんと、ジムしさつにいくんですのー」
「それはそれは……お疲れ様です」
「げんきのないおじちゃんのぶんも、ポピーがぜーんぶみてきてあげますからね!」


まだ部屋にハッサクの姿はなかったので、もう少ししたら迎えに来るのだろう。幼いながらも頼もしい同僚にアオキは少し誇らしい気持ちになった。そんなポピーに心配をかけてしまって申し訳なる。


「ポピーさん、そんなに自分は元気がなさそうに見えますか?」
「みえますの〜。やられちゃったときのポケモンちゃんたちと、おなじおかおしてます。おじちゃんがげんきないの、ポピーかなしいです」


しょんぼりとするポピーにアオキは益々心が痛くなった。


「ご心配お掛けして申し訳ありません。少し、知り合いの女性を怒らせてしまいまして……」
「まぁ! けんかしちゃったんですの?」
「喧嘩ではないですね……自分が一方的に余計なことを言って怒らせてしまったんです。それでその人に、嫌いと言われてしまって」
「おじちゃんは、そのひとにきらいっていわれてかなしくなっちゃったんですのね」


『嫌い』と言われて悲しくなった。
アオキはポピーに言われて、初めて気づく。ポピーには伏せて話しているが、自分はチリにそう言われて傷ついていたのか。そんなアオキを見ながら、ポピーは何かをわかったかのような顔をして、「まぁまぁ!」と自分の小さな両手を顔に当てた。


「きっとおじちゃんは、そのひとのことがだいすきなんですのね!」
「そうですね……。大好きかはわかりませんが、いつも優しくしてもらっていたので。こんな自分を好きだと言ってくれていたことに甘えていたら、嫌われてしまいました。でもこれ以上そう言われるのが怖くて、何も言えないんです。自分の側から居なくなってしまったら寂しくて仕方ないのに。自分は駄目な大人ですね」
「おじちゃん、そのひとに『こい』をしてるんですのね! ポピーしってますの!」
「えっ」
「だって、おかあさまがいってました。だいすきなひとにきらいっていわれちゃったら、なんにもできなくなっちゃうのが、『こい』だって!」


母親は娘に何を吹き込んでいるんだという気持ちは置いといて、突然出てきたワードにアオキは混乱する。
恋? 自分がチリに?
チリの好意を本気で断れないことも、怪我したと聞いて心配でどうにかなりそうだったことも、嫌いと言われて予想以上に傷ついている自分がいることも。
そして、チリに嫌われてしまうことが怖いと思ったり、側にいて欲しいと思うことも。全て恋によるものだと言うのなら。
こんがらがっていた思考が一気にクリアになって、点と点が繋がったような気がした。


「あー……自分は彼女に、恋を、しているんですね」
「ポピーはおじちゃんのことおうえんします! いけいけどんどんですのー!」
「まずは、謝るところからですかね……ポピーさん、話を聞いていただいてありがとうございました」
「いーえ!」


アオキは大分気持ちが落ち着いていた。自分は誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。
ニシシっと笑うポピーに頭を下げると、そのタイミングで、「ポピー、お待たせしましたですよ」とハッサクがポピーを迎えに来た。


「はーい! それじゃ、アオキのおじちゃん、いってきますのー!」
「お気をつけて」


手を振りながらハッサクの所に駆けていくポピーに手を振り返しつつ、ハッサクにも頭を下げる。
二人の姿が見えなくなり、再び部屋に一人になったアオキは、物事が分かりやすくなった頭でこれからしなければならないことを組み立て始めた。


今まで蔑ろにしてきてしまった彼女に、誠心誠意自分の気持ちを伝えるなら。方法は一つしかない。
好きか嫌いか。勝つか負けるか。
ただそれだけだ。不器用な自分にはそれぐらいシンプルな方がわかりやすい。
決まったなら善は急げ。アオキはポケットからスマホロトムを取り出すと、どこかへ連絡を入れ始めた。


「すいません。バトルコートの予約をお願いしたいのですが―――」


遠くで、二人の関係が動きだす音がした。




======





「お待たせしました」
「いや、チリちゃんも今来たとこです。でも、アオキさんからバトルしましょうなんて、どういう風の吹き回しです? 何か悪いもんでも食べたん?」
「そういうこともあるんだと、ご理解いただければ」


アオキとチリは、リーグのバトルコートにいた。
アオキは、はっきりとチリへの恋を自覚したあと、真っ先にリーグのバトルコートを予約した。お互い医務室のことを思い出すと気まずい所はあるが、バトルを前提に誘えば、余程のことがない限り断れないのがトレーナーとしての性だと思う。
軽口を叩きながらそれぞれの立ち位置に移動する。アオキの延長線上にスタンバイしたチリは、ニヤリと目を細めて挑発を仕掛けた。


「今日のバトルは業務なん?」
「いいえ、これは個人的な物です。自分が勝ったらチリさんに聞いて頂きたいことがあります」
「はっ、もう勝った気でおるん? ……でも奇遇やなぁ、チリちゃんもアオキさんに話があるんや。ちゅうわけですから、この勝負はチリちゃんが貰いますんで。しっぽ巻いて逃げ出さんでくださいよ?」
「こちらの台詞です。……始めます」



ひりついた空気を打ち破るように、それぞれが投げたボールが宙に舞う。戦いの火蓋が今ここに切って落とされた。
両者互いに一歩も引かない大接戦。他者が割り込むことなど出来ない場所に二人は立っている。


アオキの初手はトロピウス。それに対してチリはバクーダ。素早さでは劣るが対面はチリが有利だった。チリはにほんばれを発動させるトロピウスにバクーダのあくびをぶつける。避けきれなかったトロピウスが眠気を覚えてぐらりと巨体が揺れるが、アオキが指示を飛ばすとしっかりと四本の足で踏ん張り、即座にソーラービームを放ってくる。それを向かい打つようにバクーダはだいもんじを放った。ただ乗りさせてもらう形で威力をましただいもんじがソーラービームごとトロピウスを焼き付くす。炎に焼かれたトロピウスがコートに倒れるとアオキは静かにボールに戻した。


「トロピウス、よく頑張りました」
「どうや? チリちゃんもあん時から成長したんや。そう簡単にはやられへんで」
「そうですね。貴女は最初から手強い相手でしたから……。次、行きます」


アオキはオドリドリ、チルタリス、カラミンゴ。
チリはナマズン、ドンファン、ダグトリオ。
共に長い間戦ってきた仲間たちを順に繰り出した。倒し倒されを繰り返し、最後に残ったのはお互いの最たる相棒。


「一気に仕留めます。ムクホーク」
「ドオー、あいつを地面に叩き落としたれ!」


飛び出した相棒達が煙を上げてぶつかり合う。それを挟んで、バチバチと火花をあげながら交差する視線。アオキからこれでもかと発せられる圧に、チリはこれ以上ない興奮を覚える。


―――あぁ、楽しい。


全身の血が沸騰するほど熱くなれる相手は、やはりアオキしかいないのだ。この男が欲しい。その気持ちはあの頃から全く変わっていない。むしろ強くなっている。


それはアオキも同じだった。チリからダイレクトにぶつけられる感情に、ぶわりと身体が総毛立つ。こんなにも強く激しく真摯に思われていただなんて、なんでもっと早く気づけなかったんだろうと、自分を殴りたくなる。そんなこと悔やんでも今更遅い。でも気づいてしまったから。ずっと差し出されていたそれを、掴み取る事は許されるはず。


―――だから負けられない。この人には負けたくない。


勝敗の行方とお互いのことしか見えていない。
お世辞にも綺麗とは言えないが、そんな関係が二人には一番似合っていた。


「ここで決める!しまいや、ドオー!」
「受けてたちましょう。ムクホーク、これで最後だ!」


ゴオッと、コート内に突風が吹き荒れる。
この風が止んで、巻き上がった砂埃が消えた時。この勝負と恋の決着がつく。チリはそう思った。
今日のチリはどれだけ風が強くとも手で顔は庇わない。ポケットに手を入れたまま、事の行く末を見つめた。
コートを挟んで向かいに立っているアオキの姿が徐々に見えるようになり、コート内を見るとそこには―――相棒たちが二匹とも倒れていた。
その状況に、呆気に取られたチリから間抜けな声が出る。


「あ、相打ちぃ……? そんなのありなん!?」
「そのよう、ですね」


アオキも驚いているのか、普段あまり開いていない目をぱちくりさせていた。
お互いアレだけの啖呵を切ったのにも関わらず引き分けだったことに、なんとも言えない空気がコートに流れていた。ポケモンたちをボールに戻して、一旦コートを出る。


「ええっと、こういう場合はどうしたらええんやろか。アオキさん知っとる?」
「こういった経験はあまりないのでなんとも。……ですが、チリさんさえ宜しければ自分の話を聞いていただけますか」
「それはまた年長者の戯言、ってやつ?」
「いいえ。今度は間違えていないはずです。本気ですから」
「なら、ええよ。それ終わったらチリちゃんの話も聞いてな」


チリは両手をポケットに入れて、アオキが話し出すのを大人しく待っている。アオキは用意していた言葉を口にした。


「この間は勝手なことを言ってすいませんでした。貴女を怒らせてしまったり悲しませてしまう、不甲斐ない自分ですが……チリさん、自分と結婚して頂けませんか」
「うんうん、チリちゃんと結婚ねぇ……結婚……けっ、け、はぇ!?」
「あ」


顔色ひとつ変えず淡々と言うアオキの発言の意図が理解出来ず、何を言ってるんだ、とチリの頭の中がはてなマークでいっぱいになる。同時に、結婚という言葉に顔がかぁっと熱くなった。


「……間違えました。結婚を前提にお付き合いしてください、と言うつもりでした。すいません」
「いやいやいや、端折りすぎやろ」
「これでも今、過去一番に緊張してますので」


何卒ご検討ください、と取引先にお願いする時のように深々と頭を下げるアオキの顔を、慌てて上げさせる。頭に向かって話す趣味はチリには無い。


「確認したいんやけど、アオキさんはチリちゃんのことそういう意味で好きってことでええ?」
「はい」
「同僚としてではなく?」
「もちろんです。そうでなければ結婚を前提になんて言いませんよ」
「自覚した途端グイグイくんのなんなん……」
「貴女もそうだったじゃないですか。似たようなものです。自分の話はこれで以上なので、チリさんどうぞ」


言いたかったことや考えていたことは、アオキの結婚宣言のおかげですっかりどこかへ飛んでいってしまった。嬉しさにうち震える心の片隅で、新たに沸いた疑問を投げかける。



「アオキさんは、どこでチリちゃんが好きってなったん?」
「嫌い、と医務室で貴女に言われたあと、偶然ポピーさんと話す機会がありまして、その時に」
「ポピーに自覚させられたんかい」
「お恥ずかしながら。……他人に嫌われるのは構わないですが、貴女に嫌われることが怖いと思いました。自分のことを好きでいて欲しい。側にいて欲しい。そう思ったんです」
「……嫌いなんて嘘や。大好き。今だってめっちゃ好き」
「良かった。自分も、好きです。あの、チリさん……抱きしめてもいいですか」


職場ですので少しだけ、と耳を赤くしながら言うアオキの首に手を回して、チリは思いっきり抱きついた。アオキの身体はそれによろけることなく、チリをしっかりと抱きとめると腕に力を込める。チリは溢れる愛しさに身を任せてぎゅうぎゅうと抱きつけば、スーツに染み込んだタバコの香りと、スパイシーさを感じるシダーウッドの香りが鼻腔を擽って、更に胸を高鳴らせた。


「アオキさん、チリちゃんのモンになってくれるんやな?」
「はい。もちろん、チリさんも自分のモノになって下さるんですよね?」
「全部くれるんやったらええよ。あ、あとマリナードでチリちゃんが言っとったことはわかった?」
「自分がいいというのは未だにわかり兼ねるので、これからも頑張って頂けると」
「しゃあないやっちゃな、そんな所も好きやけど! 結婚するまでにはわからせたるから、覚悟しぃ?」
「期待してます。―――チリさん、好きです」


ずっと自分だけに向けられたかったアオキの真っ黒な瞳いっぱいにチリの顔が映る。

―――アオキさん、こんな顔するんや。

初めて見るアオキの、仏頂面が崩れた優しく微笑む顔が愛おしくてたまらない。
息がかかるほど二人の顔が近づく。職場がどうとか言っていたのは、どこの誰だったのか。
唇が重なる瞬間―――この物語もハッピーエンドや、とチリは静かに目を閉じた。






アオキの視線は今日もチリを追いかける。
人の目を引くチリは、外に出ただけでファンに囲まれていた。お互いに休みが重なり、いわゆるデートというやつの真っ最中なのだが、ファンたちにはわからないので致し方ない。少し離れたところで、一人一人丁寧に対応しているチリを見ていると自然にアオキの口元が綻んだ。チリの周りから人が少なくなり、最後の一人がいなくなったところでチリがこちらに戻ってくる。


「いやぁ、アオキさん堪忍な!」
「構いませんよ。予定までもう少し時間がありますから」


どちらからともなく手を繋ぐ。街を歩く人々がこちらを驚いたように見ているが、どうせ遅かれ早かれこの関係は世間に知れ渡ることになるのだ。もう隠す必要もないだろう。アオキがそう思っていると、チリは周りに見せつけるように、指同士を搦めて強く握り直した。その仕草にアオキはグッと来る。
チリを愛おしげに見つめていると、それに気づいたチリが、上目遣いになる角度でアオキを見た。うん、可愛い。


「アオキさん」
「なに?」
「見すぎ」
「……貴女が見て欲しいって言ったでしょ」


照れながら、からかうようにチリが言う。あぁ、今すぐに抱きしめてしまいたい。こんなに熱を上げてただ一人を愛しているなんて、昔の自分に言ったら卒倒しそうだ。


「気に入るやつあったらええなぁ」
「なかったらオーダーメイドでも構いませんよ。なにせ給料三ヶ月分が相場だと言いますし」
「よっ、さすが高給取り! あ、アオキさん、店ここやない? まいど、邪魔すんで〜!」


話しているうちに店に着いたようだ。
二人の関係がまた一つ動き出す。
アオキとチリは繋いだ手を離さないまま、煌びやかな宝飾店の中に入っていった。

コメント

コメントはまだありません
センシティブな内容が含まれている可能性のある作品は一覧に表示されません
人気のイラストタグ
人気の小説タグ