Choko_diary

どこかで二次創作をしているオタクの雑記

私の考える人間関係や揉め事との向き合い方

人が何かを指摘されて怒る時、やり返す時、反論する時、論点をずらす時、それは指摘の内容が正しいと感じた上で、自分自身がそれを認められない時が多い。弱い所、後ろめたい事、向き合えなくて目を逸らしている事、自分でも感じているのに認めきれない事。

それを「被害者」として都合よく仲間内に言いふらして同情を求めるのは、自分の非に気付きながら1人では受け入れられない人。大丈夫ですよ、あなたは間違っていないからね、そう言われないと生きていけない。

本当の友達であれば、何か意見を求められたとしてもまずはきちんと情報を求めます。公平な情報がなければ「判断はできないし考えすぎでは」とはっきり言う。情報を分析した上で相談者に何かよくない点があるなら、あなたにも非があるのではないかと、それもきちんと伝えてくれます。もしそうでないならば、軽率に同意を伝えてくるのなら、そんなの友達ではないし馴れ合うだけの付き合いです。本人のためにもならない。

例えば誰かの小説が自分ものと似ていると思っても、自分1人の判断で、1回だけの出来事でそれを言い出すのは流石によくない。被害妄想が強い可能性もかなりある。でも度々そう感じたなら相談するのは道理。きちんと情報を提示した上で意見を求めた相手が「そうは感じない」と言うなら考えすぎだし「そう感じる」と言うならその信憑性は上がる。前例が多ければなお上がる。そして意見を仰ぐ相手の人数が多ければ、それはより強い根拠になる。

事の真偽は比較的明確です、2択だから。ただ比較や善悪に関しては難しい、人により感じる事が変わるし、立場や関係性により偏向的になるから。だからそこは一概には決められないし、もし決めなければいけないのであればそれは第三者が判断すべき。

なので例えば小説が似てるかどうかの話になったとして、判断するのはそれを読む各人になる。視点や経験により比較の仕方は千差万別なので、同じ判断にはならないでしょうね。でももし自分で判断ができないなら断定してはいけない。片方の言い分や情報だけで決めつけるなら、それは自分では情報収集と分析ができない人。

私はなるべく、情報を出した上で自分の視点での意見を伝えているつもり。それを公にしたいなら、まずは人の意見を乞います。なるべく公平に事を見て判断した結果をはっきりと言える、信頼のおける友人や知人に意見を求めます。確かに夏イベの時は耐えきれなくて感情的になったと思う、でも前例と根拠がない訳ではないのも確かではある。

そもそも、人の小説を真似るのは法に定められた罪ではない、自由ではあります。それでもなお声を上げるのは、人として、創作者としての倫理的な問題です。私はそのプライドのない行為を蔑みます、そういう創作者の主張と非難です。

あと個人的に過去のトラブルは大体そう対応したんですけど、揉め事はなるべく自分で咀嚼し、相手を赦し、自分を省みて消化して飲み込むものだとは思います。それができない人は八つ当たりをする、自分を正当化しないと自我が保てないから。当然人間としても成長はしない。大体揉め事なんてお互いに何か非があるものです、全く非のない人間はいない。もし全く非のない人に何か問題が起きたら、それはもう揉め事ではない、一方的な私刑だと思う。

 

何か問題が起きた時、それはもう第三者の皆さんが自分なりの判断をするだけなんです。個人的には同意や同情を求めるつもりもありません。

ただ私も聖人ではないから、完璧にはこなせない。たまには我慢しているものを吐かないと生きていけない、なるべく見えなくて関係ないところでしてますけど、量や内容が多ければ漏れ出る事はある。

また消化した上で事を公にするのは、ケジメをつけて今後の教訓にしたいから。

 

個人的には一般的な話だと思いますけど、わざわざここまで書かないとだめで、でも書いてもなお何一つ変わらないんだろうね。まあ人数が多いと同調圧力がかけられるし、数という名の正義が生まれるので。

それでも個人的にはやりたい事ができて言いたい事が言える、そういう自由にできる環境が必要だったので整備をしました。それだけです。