2023年9月1日以来の定期 藤井得三郎商店(龍角散)は大正時代に社屋を新築しましたが、その時には、藤井正亭治(しょうていじ)の代からの付き合いがあったと言われる秋田県の某家からお金を借りました。 完成したのもつかの間、関東大震災が起こったというまるで漫画のようなエピソードがあります。
2024-03-29 20:34:55なお、この関西地方。何年か前まで当家の一族の店がありました。 地域の皆様は良くご存知でしょうから、詳細は割愛します。
2024-03-29 11:27:15龍角散の現隆太社長が縁者である小林製薬へ修業に行った時は、身分を隠して大阪へ。 当時の康男社長と副社長だけが知っていたそうですが、先方には直ぐにバレていたそうです。 この出来事を、息子には(家業を)継がせるつもりはないと言いつつ、本当は「実験だった」と康男氏は表現している。
2024-03-28 09:38:15江戸末期の地図を見ますと、現在の台東区の佐竹商店街がある辺りに屋敷を構えているのは佐竹義睦です。 龍角散ビルの直ぐ近く。 美倉橋(みくらはし)を越えると千代田区(神田区)。 ここは秋葉原の近くでもあり、資料によると、昔は小林製薬の東京支店があったようです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-27 19:56:13#龍角散(藤井得三郎商店)の全国展開は早く、明治後期には全国紙に広告を出していたと伝わります。 なお、早い段階から #愛知県 や #大阪府 で、龍角散や当時の藤井家の秘伝薬が売られていたのは、現在の #小林製薬 と縁者にあたるからです。
2024-03-27 12:20:39#龍角散(藤井得三郎商店)の全国展開は早く、明治後期には全国紙に広告を出していたと伝わります。 なお、早い段階から #愛知県 や #大阪府 で、龍角散や当時の藤井家の秘伝薬が売られていたのは、現在の #小林製薬 と縁者にあたるからです。
2024-03-27 12:20:39@mugichanomouze 資料上、現在の大仙市の大曲大町の角、浜町から上大町にかけた場所で作られていたと思われます。これも本来は大仙市側でやるべき仕事でしょうけどね。
2024-03-27 10:01:31@mugichanomouze 昔は大曲の会社で製造し、秋田市大町や東京府で販売していました。 本来は美郷町、秋田市、大仙市、東京都などで連携して宣伝するべき案件と思いますがね。
2024-03-27 00:37:28色々と遅かったようですね。 当家は、現在の #秋田県 #美郷町 #六郷東根 の「代々医者の家と呼ばれた家の出身者である」という明確な根拠はありません。 藤井家は武士で現在の秋田市に来た方、水戸に残った部隊がいたんですね。 ひとまず今出来ることをして行きましょう。
2024-03-26 16:01:00実を言いますと、当アカウントも大分不審者情報を拡散したので、もうやめたいところなのですが、拡散しまくった甲斐もあり、モグラが沢山出てきたので、まだまだ頑張ります! 情報は沢山ありますが、早めに謝ったり、晒さない約束をした人たちはさすがでしたね。 #もうちょっとだけ続くんじゃ
2024-03-25 16:35:20小池さん、宮下さん、藤井得三郎(現在の株式会社龍角散)商店の社員、又は役員の子孫の方はいらっしゃいませんか? 見てましたら連絡ください。確認したいことがあります。 よろしくお願い致します!
2024-03-24 20:14:54Googleブックスの 時を超えて伝えたいこと 桐生敏明 2007 によると、 創業当時は、龍角散の創業者とも縁があって、「ゴホンといえば龍角散」をもじって「御本と言えば柳々堂」のキャッチフレーズで一般書を扱う書店だった。 縁があって、と書かれている。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-23 17:48:3323年11月以来の定期: 龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚だ という噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
2024-03-04 09:07:16@mugichanomouze blog.goo.ne.jp/hanako1033/e/5… リンク先のコピペが間違っていました。大変失礼致しました。
2024-03-23 14:14:03@mugichanomouze 小西家ですと、他にはこういうのですね。 旧家の方が書いた原稿だから正しいかと言われれば、現代では無理がありますね。 blog.goo.ne.jp/hanako1033/e/5… 根本的に、昔の本の類は藤井家は国替え時に六郷東根、または大曲の村に居住したという物なので、本当にせよ、嘘にせよ、時代が合わないんですね。
2024-03-23 10:06:48当家には、利庵(としあん?)という医者もいたそうですが、この人についての詳細は不明です。 利庵は、現在の #大仙市(大曲)に住んでいたようです。 #龍角散 #秋田県 #花火の街大曲
2024-03-23 09:18:471ヶ月ぶりの定期: #劇団わらび座 さんのミュージカルの題材となった #龍角散。 現在の秋田県仙北市にあたる角舘町(角館町)、生保内(おぼない)、田澤村(田沢湖町の一部)には、かつて龍角散の取り引き先がありました。 『西木村(西明寺)にも縁者がいた』という未確認情報があるようです。
2024-03-22 06:35:35@mugichanomouze jpon.xyz/2000/37/4/33.h… この電話帳にある昭和から平成にかけて生きていた方ではないかと考えられます。 古くは知り合いだった家々も、代替わりによって、どんな関係だったのか分からなくなったのではないでしょうか。冠婚葬祭が減った現代では。
2024-03-21 07:12:10当家の屋敷の近くにあった大曲の村の郡役場でしたが、明治19年(1889年)、現在のペットショップ桃太郎さんの手前の月極駐車場のところ(約40年以上前までは消防署だった場所のようです)に移ったそうです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-21 06:54:21定期:#菅江真澄(すがえますみ)の月の出羽路(いでわじ)によると、大曲の村では、今から約200年以上前に花火をあげていた様子。 現在の大曲上大町から浜町にかけての辺りには、駅場(今の駅)、駒場(馬の停留所)、そして1886年(明治19年)までは村の郡役場があったとされます。 #菅江真澄の道
2024-03-20 12:44:50@mugichanomouze ameblo.jp/tatemonoxxx/en… おそらくここだと思われますが、それは何代目の理兵衛さんにあたる方が書いた原稿なのかは不明です。
2024-03-21 06:52:33定期:#菅江真澄(すがえますみ)の月の出羽路(いでわじ)によると、大曲の村では、今から約200年以上前に花火をあげていた様子。 現在の大曲上大町から浜町にかけての辺りには、駅場(今の駅)、駒場(馬の停留所)、そして1886年(明治19年)までは村の郡役場があったとされます。 #菅江真澄の道
2024-03-20 12:44:50定期:#六郷町 六郷(#秋田県 #美郷町)初の新聞人である #倉田桜芳(本名は清)さんは呉服屋。 実は、この倉田家の近所には、秋田側の藤井家の縁者にあたる家がいくつもありました。東京の #龍角散 とは遠縁関係。 この界隈には、何千俵もの小作米(ものなり)が入ってきた家があったそうです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-19 09:40:24定期: 秋田県の #六郷町(#美郷町)の #ニテコ名水庵 の通りで、#秋田諏訪宮 の手前のエリアには #龍角散 を扱う藤井薬舗(やくほ)が存在しました。 これは明治後期、或いは大正時代?から昭和初期にかけてのことではないかと推測されます。
2024-03-15 19:15:24@mugichanomouze おそらく、それは六郷の民間伝承レベルの話を書いてしまったのではないかと思われます。 また、その原稿は当時の東京龍角散や秋田側から許可を取って書いた物ではありません。 小西様についても把握しておりません。
2024-03-18 12:10:30そしてこれも本来は、東京側の説明でありまして、藤井正亭治は嘉永年間(1848年〜1855年)の長崎遊学後、薬を扱う仕事に任命されたということが書かれています。 正亭治は大曲と江戸を行き来する生活をしていたと言われています。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-17 10:35:17〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。 x.com/fujiiyakuho/st… pic.twitter.com/E7eytmI7dS
2024-03-16 14:57:41〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。 x.com/fujiiyakuho/st… pic.twitter.com/E7eytmI7dS
2024-03-16 14:57:41実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓ pic.twitter.com/pPQ0w3tx5r x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-14 11:39:28
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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。
@fujiiyakuho
まず、藩に上がっていくには何代か続いた家であること、藩の学校は現在の秋田市にあるため、親元を離れ、下宿生活をしていたこと。 その場合はその家の長男ではなく、下の方の兄弟であること、または婿養子にあたる人である可能性があると推測されます。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-16 07:25:57
秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の親戚・関係者を騙る人達にはご注意ください。
@fujiiyakuho
定期: 秋田県の #六郷町(#美郷町)の #ニテコ名水庵 の通りで、#秋田諏訪宮 の手前のエリアには #龍角散 を扱う藤井薬舗(やくほ)が存在しました。 これは明治後期、或いは大正時代?から昭和初期にかけてのことではないかと推測されます。
2024-03-15 19:15:24
まとめを更新しました。