マス目を埋める「鬱」、赤文字の「ありがとう」…秋葉原事件の加藤智大元死刑囚が残した表現の変遷とは

2022年10月10日 06時00分

「あしたも、がんばろう。」は「鬱(うつ)」の字で線が描かれている=東京都中央区

 7月に死刑が執行された秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大ともひろ元死刑囚=執行時(39)=は2015年から毎年、イラストやエッセーなどを「死刑囚表現展」(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金主催)に応募していた。選考委員として作品に接してきた評論家の太田昌国まさくにさん(78)は、加藤元死刑囚の意識の変化を感じたという。10日は世界死刑廃止連盟(本部・パリ)が定める世界死刑廃止デー。14日から始まる作品展示を前に、8年間の加藤元死刑囚の表現の軌跡をたどった。(小嶋麻友美)

加藤智大元死刑囚が獄中で描いた81枚をつなぎ合わせた作品「あしたも、がんばろう。」について語る太田昌国さん

 初期の応募作は、数字をヒントにマス目を塗りつぶすと絵になる「イラストロジック」と呼ばれるパズルだった。便せんの裏に数字とマス目が細かく連ねてあった。母親に厳しく管理されていた幼少期、得意としていたという。2年目の16年は200問にも及び、太田さんは「解けなかった」と正直に講評を返した。
 17年の作品「あしたも、がんばろう。」では、方眼紙81枚を貼り合わせるよう指示が添えられていた。選考委員らが手がかりを探しながらつなぐと、縦2.5メートルものアニメゲームの絵が完成。精緻にマス目を埋めているのは「うつ」の文字だった。
 変化の兆しは18年のイラストにあった。毎年の表現展開催後、応募者には冊子が送られ、来場者の意見や他の死刑囚の作品を知ることができる。加藤元死刑囚は他の作品に敬意を表し、その人の名をタイトルに入れたり、模写したイラストを描いたりした。「コミュニケーションをかたくなに拒否していたように見えた彼に、他者との連帯の意思が見え始めた」と太田さんは振り返る。
 20年以降は文章表現が増え、支えに素直な感謝をつづった短歌もあった。
 職員の 口には出せぬ 親切を 目から読み取り 頭を下げる
 全国に 点在したる 支援者を 巻き込まぬよう もうテロはせぬ

2020年の作品「自画像 ヲ13乙」

 イラストの多くは女性の裸体を描き、作品に添えた文章やエッセーでは選考委員らに批判的な言葉を連ねた。「派遣切り」など動機や背景が世間でさまざまに語られることに「無関係だし」と反発し、深い反省や後悔がうかがえる言葉は最後までなかった。
 だが太田さんは表現を通じ「彼は自分の過ちをすべて分かっていたと思う。自己と向き合い、この先さらに変化し、内省する過程が見られたはずだった」と指摘する。
 6月末に届いた今年の作品は、便せん裏に描かれたイラストの連作計81点。その最後の作品「あとがき」は、やはり全裸で、手錠をかけられた女性がほほ笑みながら歩く様子が描かれている。横には赤色で「ありがとう」の文字があった。約1カ月後、刑が執行され、17人が死傷する凄惨せいさんな事件に至った心の内を解く道は途絶えた。
 「死刑囚表現展2022」は14〜16日、東京都中央区入船の松本治一郎記念会館で開かれる。加藤元死刑囚を含む16人の死刑囚らの絵画作品約250点が展示される。7月までに応募のあった作品をその年に展示しており、加藤元死刑囚の作品の展示は今回が最後となる。太田さんは「死刑は国家の名の下に人を殺す。外の社会に生きる我々が、こんな刑罰があっていいのか考えるきっかけにしてほしい」と話す。

 秋葉原無差別殺傷事件 2008年6月8日午後、東京・秋葉原の歩行者天国の交差点に、元派遣社員の加藤智大元死刑囚がトラックで進入。歩行者をはねた後、ダガーナイフで襲い、19〜74歳の男女7人が死亡、10人が重軽傷を負った。加藤元死刑囚は殺人罪などに問われ、公判では、ネットの掲示板に自分になりすます嫌がらせが動機だったと説明した。東京地裁は11年3月、求刑通り死刑判決を言い渡し、15年2月に最高裁で確定。今年7月26日に刑が執行された。

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