ハキム・ベイ『T.A.Z. 一時的自律ゾーン、存在論的アナーキー、詩的テロリズム』読書会(2/4)

※本記事は「進撃の巨人」に関するネタバレがあります※

p.61〜114 (第一コミュニケ〜第一一コミュニケ)

(承前)

キュ:間に合わなくて、今p.112までしか読めてないです…(本来はp.185までやる予定)
レ:僕もやっぱり三回でやるのは厳しいかなと思いました。
キュ:「一時的自律ゾーン」に比べてここと前の章がハイコンテクストなんですよね。
レ:そうなんですよね、文脈が…
キュ:かなりわからないところが多くて調べないといけなかった。
レ:訳注つけてほしかったですね。
キュ:個人名は注をつけてくれてるけど、という…第二コミュニケにカリカク家[1]って出てくるんですけど、アメリカの心理学者かつ優生思想家が対象にした、今でいう知的障害者の家系?が出てきて。そのパロディなんですよね。精神疾患や知的障害は遺伝子によって決まるから生殖時に検閲する制度を整理しないといけないというゴリゴリの優生学で。良質な遺伝子の家は繁栄して、悪質な遺伝子の家は…という話なんだけど、その遺伝子の優劣が混ざった混合状態が神話的だなと。ところどころ小説っぽいし、かなり内容がつかみづらいんですよね。
レ:固有名詞の羅列の仕方が現代詩っぽくて…だから一見するとイロモノみたいに見えるんだけども、ハキム・ベイは学術的に主張を組み立てようとしてるんだなあと思いました。p.156「死の再生産に反対する」で急に弱みみたいなのを見せてくるんですよね。「白状すると、わたしの甘えた愚かさの一つは、アートがわたしを変革できると、そして他者を変革できると信じて(…)いることにある」。ぽろっとこういうことこぼすから、そこにエモさを感じるというか。
キュ:不可能へ向かっていこうとしつつ、そこである種の限界にぶち当たっているという感じはところどころありますよね。個人的に面白かったのはp.79で、「アヴァンギャルドは洗練されている」という話に対して、「自らの脳を掘りかえす必要はない。すべての能力、すべての意識は、自身の所有物としてわれわれに属しているのだ––––心も頭も、知性も精神も、身体も魂もである。我々のそれは、不完全化のアートではなく、行き過ぎた行為の、過剰の、仰天のアートなのである」というところが好きです。
レ:「愚かであること、(…)無意味さを選びたい」ってところが好きで。いざ最悪の方へ!みたいな。自嘲とも違う…
キュ:無意味さや愚かなものの過剰さの中に力を見出すというか。
レ:やっぱりこういう態度捨てちゃダメなんだと思いますね。なんでもかんでもシニカルに受け止めると感性が鈍りますからね。
キュ:第六コミュニケでも「もし、それが『不可能なこと』であっても、気にかけてはならない。『不可能なこと』以外に、我々は何を達成することを望むと言うのだ?」と書いてあって。
レ:いいっすねえ〜ほんとに。
キュ:めちゃくちゃいい。
レ:下手な自己啓発本よりも自己啓発してますね。
キュ:豊穣な海みたいな本なんですよね。すくったときに色々出てくる。この本自体がカオスすぎて、ここから秩序を持ち帰るときに毎回違うものを与えてくれる。p.84にとうとうアルトーが出てきましたね。ハキム・ベイの言う「テロリズム」自体がアルトーの「残酷性」とアナロジーになっている。ハキム・ベイの「テロリズム」は危害などではなくて、主体を変容させるような…
レ:テロリズムをされる側じゃなくてする側が、という。
キュ:そうですね。生成変化的というか、ドゥルーズ的な言い方。あと何回も爆弾魔の話が出てくるんですけど、これは時期的にユナボマー?かな。ユナボマーが根底にあるからラッダイト運動と存在論的アナーキーの違いを明確にしつつ、そこに魅力を感じながらも立場としては違うと。
レ:たしかユナボマーって森の中で大江の隠遁者ギーみたいな生活してたんですよ。『反逆の神話』で完全なアナーキストはユナボマーだけだった、みたいに皮肉風に書かれていて。「すべては望みなし、そしてわたしはあなたより前にそれを知っていたのだ、糞ったれ。ニャー!」(p.78)
キュ:ここめっちゃいいですよね。最高。
レ:完全な無意味。なぜ猫が…。やっぱり詩と同じようにレトリックと内容の区別がつかないような状態を目指してるんじゃないかな〜と。形式と内容の不鮮明化、というか。「脊髄反射的な反テクのアナーキズムには与しない」、ここは完全にユナボマーですね。それともう一人ヴィルヘルム・ライヒ[2]という印象的な人物が出てくる。「オルゴン理論」という、要は擬似科学を提唱した人で、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。ジジェクの先鞭をつけたみたいな人です。
キュ:十一コミュニケで食事の話をするのが面白かったです。p.103に徹底した菜食主義者と中絶の話が並べられて出てくる。食事の話はどこと関係してるんでしょう。ここも難しいですね。
レ:マクドナルドやバーガーキングといったチェーン店の名前を出してくるのも…
キュ:フランスでよくマクドナルド破壊されてますよ。ジョゼ・ボヴェ[3]という酪農家の農民活動家がアルテルモンディアリスム(別の世界主義)[4]という思想を掲げて、マックを破壊している。「もう一つの世界は可能だ」(Un autre monde est possible)という標語から来ているようです。
レ:えー。僕今日マクド行ってきたんですよね。ビッグマック食べてきました。
キュ:破壊はしなかったですか?
レ:破壊はちょっとできなかったですね。(アルテルモンディアリスムに関して)弱者を擁護する、社会主義に見合ったグローバリゼーション…今の斎藤幸平とかこの立場なんじゃないですか?ラトゥーシュの「脱成長」もこれな気がします。「アナザーワールド」の可能性はハキム・ベイも苦心して示そうとしてますし、「世界の終わり」に対してすごく拒否反応を示している。「『世界の終わり』は〈既成事実〉であると宣言されるべきだと提起している」(p.76)。同じようなことは薄ぼんやりと僕も考えてたんですよね。よく「資本主義の終わりよりも、世界の終わりを想像するほうがたやすい」と言いますけど、それを聞くたびに「いや、資本主義の終わりのほうが想像できるでしょ」と思っちゃう。そういうペシミズムが今広がりまくってると思うんですけど、過剰にそんなことを言っても解決策に向かわない気はしますね。
キュ:けっきょく加速主義もそうじゃないですか。具体的な解決って一切なくて。(リンクを貼り)これは栗原康が研究している、別のマクドナルドのデモなんですけど。参加者が「先頭をとる」「みんな警察がキライ」「フェミニズムは終わらない」といっためちゃくちゃな標語を身体にスプレーで書いている。
レ:舞城王太郎かと思いました。
キュ:このデモ、マクドナルドを仮想敵としていろんな極左が集まっているんです。フェミニスト、アナーキスト、なんでもありで。
レ:すごいですね、ハンター試験みたいな…。
キュ:しかもフランスのメディアはこれを擁護したらしいんですよ。
レ:それもすごい。あと脱線しまくるんですけどいいですか?
キュ:はい。
レ:先週アフロフューチャリズムって名前だけ出したじゃないですか。その亜流みたいなのに「Black Quantum Futurism」(黒い量子の未来主義?)という思想があるんです。量子力学はアフリカの時間、空間、意識の伝統とつながりがあるというスゴい思想で。これまで西洋的=単線的な時間の流れというのがあって、アメリカのアフリカ系黒人が現在置かれている状況というのは遡れば過去の奴隷制に端を発している。その単線的な時間軸を徹底して否定して、「過去から未来へ」ではなく、「未来から過去へ」また「現在から過去へ」アクセスしようという流れがある。あまり深追いできてないのでこれからって感じなんですが、無理やりハキム・ベイの議論につなげるなら、彼は因果律みたいなものの更新・アップデートをしようとしているんじゃないか。
キュ:それと毎回コミュニケの題が妙なものとつながってません?「カオス理論と核家族」(第八コミュニケ)とか。ここでは親と子供の話から公園がある種の都市の中の無秩序空間、公園で過ごす時間がカオス的なものとして描かれている。核家族って秩序じゃないですか。それが公園に行くことで無秩序化されるというか、カオス理論との因果関係が発生する。「心理的旧石器時代主義とハイテクノロジー」(第七コミュニケ)。真逆のものが心理的にはつなげられる。ベンヤミンのボードレール論にある「弁証法的イメージ」を連想します。売春婦と聖母が結節する瞬間がある。「歴史の概念について」の章でも、「現在が今をはらんでいる」、歴史家が過去を書くことで現在を定義すると言っている。現在と過去のように、まったく逆なものが無媒介に結節する。ハキム・ベイの混乱したスタイルはベンヤミンに似ていると思います。ベンヤミンは自身の文章を星座(コンステラツィオン)と呼んでいて、断片的な文章群が多数の回路としてつながる瞬間があると言っている。ボードレールは古代と現在がつながるような詩を書いていて、それが「弁証法的イメージ」だと。
レ:僕も第八コミュニケを読んでまさにボードレールの『パリの憂鬱』みたいだなあと思ったんですよ。やる気のないキャッチボールとか、イメージの上で、ですけど。第十コミュニケで「無神論は『大衆』のアヘン以外の何物でもない」(p.108)とマルクスじみたことを言っている。ここ翻訳おかしくないですか?「AOAはマッシュルームのようなもっとましな何かを選ぶことだろう、そうだよね?」。どういう原文だったんだろう。学がなくて完全にイメージのつながりで話すんですけど、ここの翻訳を読んで、似たような喋り方をする、『進撃の巨人』のジークを思い出しました。【※以下ネタバレを含みます】ジークは反出生主義者で、彼は巨人になれるんですけど、ユミルの民(=巨人になれる人類)はどこ行っても迫害されるし争いしか生まないから、ユミルの民=壁の中の民族(=エレン達)は滅ぼしたほうが本人たちにとっても幸せだろう、みたいなことを言うんです。で、ジーク本人は最初めちゃくちゃ強いんですけど、リヴァイには絶対に負けるんですよね。最後らへんは負けることがわかってて戦いに挑んでるんですよ。「何でこうなんねん」と。『進撃の巨人』って漫画で、ジークはコミカルに描かれるんですけど、そのコミカルさが一転してマジになるというか、めちゃくちゃなことを言ってる風なんだけども一番筋が通っているみたいな。ジーク本人は最後らへん負けを運命づけられているようなものなのに、それでも戦場に向かっていく。運命を受け入れつつも運命にあらがっていく、というのかな、彼はその思想の体現者だったと思うんですけど、それって「負けを認めない」とは違うんですよね。負けを認めないから戦いに行くんじゃなくて、「戦う、負ける、じゃあどうする、次も負けるんだったら負け方にこだわろう」みたいな。ハキム・ベイの思想も負けを運命づけられていると思うことがちょくちょくあって。今の左翼思想自体そもそもデカい負けを一回経験しているので…「また終わるために」ですよね。何度も何度も思想そのものを終わらせていく。終わらせる中で新しいなにかが胚胎していく。
キュ:マルクス主義、共産主義、スターリニズムというか、廃墟から新左翼がやってきたわけじゃないですか。左翼って負けが運命づけられていて、負けるんですけど、その抜け殻からまた新しい力が生まれてくる。だからこそどんな敗北を運命づけられた思想も無駄にはならない。先週の外山恒一がファシズムを呼び戻すというのもそうで、ファシズムも共産主義同様負けた思想なんだけど、その廃墟からファシズムを新しく組みかえるのが面白い。そうした営みは連綿と続いていくんでしょうね。新左翼にしろ、それに反対する左翼にしろ、けっきょく共産主義の亡霊、廃墟から出てくることしかできない以上行き詰まりがある。外山恒一はファシズムというだれからも忌避された廃墟の中から持ってきたものを組み入れ、その中でアナキズムとファシズムを倫理的なやり方で連結させる。そこが面白いんですよね。外山恒一はアナーキズムはファシズムになって唯一力をもつという話をしていて、それは矛盾なんだけど矛盾じゃないというか。
レ:矛盾が矛盾のまま共存する、止揚せずにまどろんでいる、という…
キュ:外山恒一は、ファシズムのイデオロギーを抽象化したところには「集まる」ことしかないと言っている。好き放題やりたいアナーキストたちはとりあえず集まって党派を作って好きなようにやれば組織が作れるよねという、バラバラな人間を束ねるファッショ=束だけを用意して、あとはみんな好きにやろう、みたいな。でも好きにやる権利を主張するには数が必要だから、どんな思想、イデオロギーであれ束になって集まることで、力を持てる。
レ:数がものを言いますからね。
キュ:「数のゲーム」ですからね。数で負けるマイノリティたちをひたすら連帯させるとめちゃくちゃ力になる。ネグリもマルクス主義の観点からそういう話をしてます。
レ:でも今コロナでそれが不可能になってますからね…。今ツイッターのTLで追ってるだけなんで詳しいことわからないんですけど、早稲田で座り込み運動?をしてるんでしたっけ。それって具体的にどんな感じなんですか?
キュ:今自分が主導でやってます。現在学生会館が封鎖されて部室が使えず、集会ができないので、それに反対する人たちを集めて部室の前で座り込みしてビラ配りとかしてます。「どう思います?」と通りがかりの人に訊ねたりして。最近ハキム・ベイにも影響受けて、ビラも手書きで詩や標語を書いて「これが詩的テロリズムだ!」って、一時的自律ゾーンを手に入れるためにやってます。
レ:うんうん、それもまた存在論的アナーキーだよね。
キュ:他大とも連携できたらいいなと思ってるんですけどね。外山恒一は「だめ連」というアナーキズム系のグループの支部長だったんですけど、そういう組織になっていけば面白いと思います。
レ:だからこの読書会すごくタイムリーだったわけですね。
キュ:だんだん自分の人生がハキム・ベイに近づいていっている。生成変化なのかもしれないですけど。ハキム・ベイが僕になって、僕がハキム・ベイになる。
レ:ハキム・ベイがこの本で全般的に主張してるのって生産性に対する「否!」ですよね。アナーキズムというのが新自由主義に対するカウンター的な面もあるのはそれは確かなんだけども、もっと根源的に、というか…「『カオス理論』に従って未来の理想的なビジョンを構成する」(p.91)って、すごくBlack Quantum Futurismみたいだな〜と思いました。この前キュアさんの「『模範的社会人』になるための自己啓発読書会」を読んだんですよ。すごく示唆に富んでいて面白かったです。
キュ:みんな酔っ払ってるんで饒舌なんですよ。飲酒読書会面白いですよ。『革命のファンファーレ』回、どこが面白かったですか?
レ:全部面白かったですね。こんなポンポン出てくるもんなんだな〜と読んでてビビりましたね。酔いの状態っていいですね。
キュ:急に話飛んだりして面白いんですよね。酔いを記録するのもいいんですよね。素面だと文字起こししなくても覚えてるんですけど、酔ったあとだとまったく記憶になくて、自分の中の他者と向き合えるんですよね。
レ:ストロングゼロの話、そこに着目するか!と思いましたね。「強力な無」ですもんね。
キュ:あれのあと樋口恭介がストロングゼロ体験記をツイートしてて、飲んで目が覚めた瞬間の着信履歴からわかるヤバさでP・K・ディックの導入みたいになった[5]って言ってました。
レ:怖いですねえ。『スキャナー・ダークリー』じゃないですか。そう考えたらディックも一種アナーキストみたいなもんなのかな。
キュ:『スキャナー・ダークリー』もたしか薬物摂取で亡くなった友人に向けて書かれたらしいんですよね。
レ:僕『ユービック』がすごく好きなんですけど、好きすぎて中学生の頃自分の書いた小説でパクったくらいなんですよ。あれは夢オチみたいな話でしたっけ?
キュ:仲間の一人が死んで、その人を助けるために地球に帰るんだけど、実はその一人だけが生き残りで自分たちは仮死状態のままなんですね。で仮死状態の意識がつながるネットワークに組み込まれて、その中で人の精気を吸い取る奴がいて…みたいな話です。
レ:ボスが必死にメッセージで伝えようとするんですよね。トイレの壁に落書きしたりして。ディックは陰謀論めいてますけど、『ユービック』の世界って、レッド・ピル飲んでもどうにもならないじゃないですか。寝ても覚めても悪夢。そういうカオスな状態でメッセージを送り続けるということ。五年くらい前に「ひとりぼっち惑星」という、匿名のユーザー同士でランダムにメッセージを送り合うアプリが流行ったんです。5chだと一時的にIDと紐付けられて発言主はわかるんですけど、こっちはそれさえわからない。ああ〜〜自分で話しててうまいことつなげるのが難しくなってきた…風呂敷広げすぎました。
キュ:僕も「『模範的社会人』になるための自己啓発読書会」で似たようなことよくやっちゃうんですよね。文字起こしすると人間の発話って理路整然としてないんだなってよくわかります。

references
[1] カリカク家 (https://ja.wikipedia.org/wiki/カリカック家)
[2] ヴィルヘルム・ライヒ (https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム・ライヒ)
[3] ジョゼ・ボヴェ (https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョゼ・ボヴェ)
[4] アルテルモンディアリズム (https://ja.wikipedia.org/wiki/アルテルモンディアリスム)
[5] 樋口氏の当該ツイート
大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫, 1988)
斎藤幸平『人親世の「資本論」』(集英社新書, 2020)
ラトゥーシュ『脱成長』(文庫クセジュ, 2020)
栗原康『アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書, 2018)
Rasheeda Philips "Black Quantum Futurism: Theory & Practice" (Afrofuturist Affair, 2015)
ベンヤミン『ボードレール論 他五篇』(岩波文庫, 1994)
ボードレール『巴里の憂鬱』(新潮文庫, 1951)
諫山創『進撃の巨人』(集英社, 2010〜2021)
西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』(幻冬社, 2017)
P・K・ディック『スキャナー・ダークリー』(ハヤカワ文庫SF, 2005)
P・K・ディック『ユービック』(ハヤカワ文庫SF, 1978)

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