エリヤ
「リオン、お前はフレーザー家のエリヤと本気で決闘するのか?」
翌日。
男子寮に乗り込んできたアンジェに問われた俺は、寝癖を手櫛で整えながら答える。
「向こうが白い手袋を投げ付けてきたんだよ」
「それは聞いている。だが、フレーザー家は国境を預かる身だ。その後継者であるエリヤと戦い、恨みを残せば面倒になる。今でさえ、王国をいつ裏切ってもおかしくない状況だぞ」
フレーザー家は、王家との婚約を破棄されている。
それだけでも憤慨ものなのに、今度は決闘で虚仮にされれば何をするか分からない。
「今は国内で不穏な動きも多い。落ち目ではあるが、フレーザー家を敵に回すと厄介だ」
「分かっているけど、今更取り繕っても遅くない?」
「そ、それはそうだが」
アンジェはかなり焦っているように見える。
それだけ、王国内は危ういのだろう。
それにしても、最近はルクシオンとクレアーレも忙しそうに動いている。
あいつら、また何か企んでいるのだろうか?
アンジェが悲しそうに俯いていた。
「リオン、私はエリヤの気持ちが少し理解できるのだ」
「だろうね」
「だから、面目の立つようにしてやってくれ。私からの願いだ」
アンジェに頼まれたなら、あの五人のように徹底的に叩くことも出来ない。
「分かったよ」
◇
学園に登校し、休憩時間になるとマリエに呼び出された。
「何だよ」
「兄貴、エリヤのことなんだけど」
「またその話か」
朝から皆がエリヤの話をしてくる。
学園中に、エリヤが俺に決闘を申し込んだ噂が広がっていた。
既に賭けをはじめようとしている馬鹿もいたが、俺とエリヤでは勝負にならないと賭けが成立していないようだ。
エリヤは特別優秀な生徒ではないからね。
「面目の立つような決闘にはしてやるつもりだ。角が立たないように終わらせるさ」
「兄貴が言っても信用できないわよ。あ、そうじゃないの!」
マリエは俺に、エリカとエリヤの関係について話をする。
「エリカだけど、実はエリヤのことを嫌っていないのよ」
「え? 何であいつなの? もっといい男は沢山いるだろうに」
「婚約が決まって、エリカは何度かエリヤの領地に向かったらしいの。エリヤ、甘やかされて育っていたから、最初は酷かったらしいわ」
あの乙女ゲーでは、エリカは性格の悪い女で、エリヤはその子分みたいな婚約者だったと聞いている。
だから、エリカはエリヤのことを好きだとか思ってもいなかった。
え? あいつがいいの? どこがいいの?
「でも、エリヤってエリカに一目惚れをしたらしいの。だから、エリカは――」
エリヤにいい領主になってもらうように、色々とアドバイスをしていたようだ。
エリヤの奴は、エリカにいいところを見せようと頑張ったとか。
それを聞いた俺は、いったいどうしたらいい?
「つまり?」
「たぶん、エリカってエリヤと結婚したかったんじゃないかな? 凄く嬉しそうにエリヤのことを話すのよ。あの子、自分の気持ちを口にするのは苦手なの。だから、エリヤと結婚したいとは絶対に言わないわ。でも、そう思っているのは分かるし」
我慢しすぎるところはあると思っていた。
だが、前世の母親であるマリエも気が付いていたのは意外だ。
こいつは気が付かないと思っていた。
「よく見ているな」
「だって、あの子って私が駄目だったから我慢強くなったところがあるのよ。こ、これでも責任を感じているわけでして」
やっぱりお前のせいか。
「それで? お前は俺にどうして欲しいんだ?」
マリエが俺に土下座をしてくる。
「エリカとエリヤを結婚させてください!」
「……えぇぇぇ」
――また、面倒な願いをしてくる。
それってつまり、俺にミレーヌさんの顔に泥を塗れと言っているのと同じなのだが?
いや、いずれはそうなると思っていたけどさ。
俺、気付けば全方位に喧嘩を売ってない?
ローランドになら喧嘩を売ってもいいが、恩のあるヴィンスさんとかミレーヌさんに喧嘩を売るのはちょっと気が引けるんだけど。
◇
放課後。
屋上に一人でいると、俺の側にクレアーレが近付いてくる。
『あら、珍しく悩んでいるわね』
「馬鹿。俺はいつも悩んでいるんだぞ」
『知っているわよ。けど、そんなに悩む姿も珍しいわよ』
俺はクレアーレに、本音を吐露する。
「エリカがエリヤのことを好きなのは分かった。だが、それであの子は幸せになれると思うか?」
『さぁ? だって、私やルクシオンからすれば、マスターとの間に子作りをして欲しいからね。エリカちゃん、旧人類の遺伝子が色濃く出ているの。マスターとの間に子供が出来れば、私たち的には嬉しいし。ま、そのせいでしばらく体調不良だったみたいだけどね』
「そうなのか?」
エリカが表に出てこなかった理由は、本人がこの世界に関わっていいものかと悩んでいたのもある。
だが、一番は体調だった。
『常に安静にしていなきゃいけない状態じゃないの。けど、あまり無理は出来なかったみたい』
「いや、それと旧人類云々はどんな関係があるんだ?」
『大気中の魔素よ。これが今までよりも薄くなったの。ほら、共和国の聖樹が暴れたじゃない? あの時、かなりの魔素を吸い込んだみたいなのよ。今まで微妙なバランスだったのに、そのせいで魔素が薄くなったのよね』
共和国の聖樹が暴れ、魔素が大気中より少しだけ減ってしまった。
おかげでエリカは元気になったようだ。
それを聞いて、少しだけ心が軽くなった。
「元気になったならいいか」
『だから、エリカちゃんとマスターは子作りしましょうよ』
「駄目だ。姪っ子はそういう対象じゃない。見守りたい親心を理解できない人工知能だな」
『今は他人じゃない! 手を出せよ、ヘタレ!』
「てめぇのせいでアーロンがアーレちゃんになったのを忘れてないからな! そもそも、お前のせいでジェイクがアーロン狙いになったんだよ!」
お茶会の後のことだ。
ジェイクがアーレちゃんによく声をかけるようになったらしい。
――もう、ジェイクは攻略対象ではなくなった。
王族の男にろくな奴はいない。
『――で、マスターはどうしたいの? エリカちゃんとは結婚したくない。けど、エリヤも認めない。もしかして、結婚させないつもり? それって酷くない? ずっと側に置いて可愛がるとか、おぞましいことでも考えているの?』
「――それはない。だから悩んでいるんだろうが。エリヤ以上にいい男を捜すか?」
『エリカちゃんが納得するかしら? あ、別件を思い出したわ。実はね、攻略対象の下級生男子だけど、学園入学前に婚約が決まっていたわよ』
「は?」
『だって、今って女性の方が余っているもの。マスターのお兄さんも毎日のようにお見合いをしているわよ。学園入学前に婚約者がいるなんて、珍しくないみたいね』
俺が入学した頃とは状況が違ってきているようだ。
「今の一年が羨ましいな」
この事実を、フィンの奴にどうやって説明しようか?
それが問題だ。
『でも、今は逆に女子に対して横暴な男子も増えているわよ』
「そうなのか?」
『立場が変わったし、今までの鬱憤もあるからじゃない? 婚約を餌に手を出して、そのまま遊んで捨てている男子もいるわね』
うらやまし――くないな。
女の次は、今度は男が増長するのか。
まるでシーソーゲームだ。
誰かバランス取れよ。
「――そいつらがエリカたちに近付いたら、お前の好きなように処分しろ」
『いいの! やったー! マスター、大好き』
こいつに大好きと言われても嬉しくないな。
しかし、本当にどうしよう?
喜んでいたクレアーレが、急に周囲の景色に溶け込み消えてしまった。
誰かが来たようだ。
屋上に来たのはノエルだった。
「リオン、お客さんだよ」
連れてきたのは、学園の関係者ではなく軍人のようだ。
俺に頭を下げてくる。
「え、誰?」
ノエルが笑いながら教えてくれたのは、俺としては困る人物だった。
「フレーザー家の騎士さん。エリヤ君の教育係だって」
三十代の髭を生やした真面目そうな軍人が、背筋を伸ばして俺の前に立っている。
「侯爵にお話があってまいりました」
――ノエル、何て人を連れてきたんだ。
「決闘の話か?」
「はい」
「それなら、ユリウスたちみたいに虚仮にすることはない。安心しろよ」
「いえ、そうではないのです」
「何だ?」
「侯爵、エリヤ様のお気持ちを受け止めていただきたいのです」
――こいつは何を言っているのだろう?
「気持ちだ?」
「はい。エリヤ様は、これまではお世辞にも立派とは言えない方でした。ですが、エリカ様と出会い、そして変わられたのです。領主になる自覚を持ち、領内のことに関心も持たれるようになりました。――今が大事な時なのです」
立派な領主となってもらうために、こいつら家臣としてはエリヤに心が折れてもらっては困るようだ。
「お前ら、エリカとの婚約破棄はどう思っているんだ?」
「――腹立たしいというのが素直な感想ですが、だからと言って王国を裏切るわけにもいかないのが本音です」
俺の側で、周囲からは見えないクレアーレが耳打ちしてくる。
『嘘じゃないわよ』
俺はエリヤの教育係を見ながら、気持ちを受け止めるという意味を確認する。
「それは、俺に本気で相手をしろという意味か? それとも、手加減をして欲しいのか? そもそも、エリヤは強いのか?」
「エリヤ様の実力は、並の騎士以下でございます」
ハッキリ言う家臣だな。
「ただ、最近は気合を入れて訓練もしており、鎧の操縦技術も上達しております。なので、怪我をしない程度に、本気で相手をしていただきたいのです」
「それ、難しくない?」
困っている俺に、ノエルが話しかけてくる。
「どうするの? 別に殺したいと思っているわけじゃないんでしょう?」
「当たり前だ」
何が悲しくて、学園の決闘で命を賭けなければいけないのか。
そういうの、もう流行らない。
ノエルが俺を見る目は、真剣そのものだった。
何かを心配しているような目をしている。
「――別に殺すつもりも、怪我をさせて後遺症を残す戦い方もしない。これでいいんだろ?」
教育係の騎士が、俺にお礼を言って屋上から去って行く。
すると、クレアーレが姿を見せた。
『また面倒よね』
「クレアーレ、あんたもいたんだ。最近見かけないから心配したわよ」
ノエルがそう言うと、クレアーレも軽口を叩く。
『これでも忙しいのよ。マスターみたいに、イジイジと悩んでいる暇もないの』
こいつ、どうして俺を引き合いに出した?
ノエルが笑いながら、俺の隣に来る。
「リオンは、エリカ様と結婚しないの?」
「しないよ」
「好きならすればいいのに。アンジェリカもオリヴィアも怒らないと思うわよ」
「エリカは好きだけど、どちらかと言えば親愛というか親戚みたいな関係? だから、結婚となると違うんだよね」
「そうなの?」
「そうなの。だから、エリカには幸せになって欲しいんだけど、どうしたらいいか分からないんだよね」
「そっか。なら――」
俺はノエルの提案を聞いて、エリカを試すことにした。
◇
学園の闘技場。
久しぶりに顔を出したニックスは、ポップコーンを片手に決闘を観戦することにしていた。
連日お見合いが続いており、今日はリオンを理由に逃げ出してきたのだ。
弟が決闘するので見にいきます、と強引にお見合いから逃げ出してきた。
(上は四十代から下は一桁――こんなの間違っている)
疲れた顔をしているニックスの隣には、ジェナが座っていた。
「あ~、嫌なことを思い出すわ」
「お前、リオンの鎧に爆弾仕掛けたよな。家族としてドン引きだよ」
「五月蠅いわね! 私にそれ以外の選択肢があったと思うの?」
苛々しているジェナだが、王都で随分と息抜きを楽しんでいた。
買い物やら、友人たちとの再会。
だが、婚活だけはうまくいっていなかった。
「ちくしょう! リオンの伝が使えれば、すぐにでも王都の貴族と結婚できるのに!」
ニックスは呆れていた。
「そんな調子だから、親父たちもお前の結婚に反対するんだよ。心を入れ替えれば考えるのに、お前が態度を変えないからだ」
「女を奴隷みたいに扱うなんて間違っているわ!」
「だから男を奴隷にするのか? お前はまったく成長しないな」
今のジェナが、リオンに近付きたい貴族と結婚すれば問題しか起こさない。
そのため、ジェナの結婚にリオンの伝は使わせていなかった。
「もう、王都で観光を楽しんだなら、帰って寄子の誰かと結婚しろよ」
「嫌よ。私は絶対に諦めないわ」
ニックスのポップコーンを奪い、ジェナはやけ食いする。
そんな二人の隣に来たのは、フィンリーだった。
「あ、二人も見に来たの?」
そんなフィンリーの後ろには、お菓子などを大量に持っているオスカルがいた。
「バルトファルトさんのお知り合いですか?」
「うん。うちの兄と姉よ」
少し厳つい顔をしているが、オスカルは美形だ。
高身長で筋肉質の体。
ジェナがポップコーンを落とすのを見て、ニックスは顔に手を当てた。
(あ、こいつジェナが好きなタイプだ)
「フィンリーがいつもお世話になっています。姉のジェナです」
「オスカルです。バルトファルトさんにはいつもお世話になっています」
急に猫なで声を出すジェナを、ニックスもフィンリーも呆れてみている。
「ジェナ、がっつくなよ」
「姉さん、最低」
フィンリーは、どうやらそこまでオスカルのことを好きではないようだ。
だが、姉が狙っているのは許せないらしい。
「年下の男子を狙わないでよ」
「フィンリー、そう怒らないでよ。いくら私の方が女性として魅力的だからって、自分を卑下することはないわ」
「はぁ!? 私がいつそんなことを言ったのよ!」
二人の間で火花が散る幻覚が、ニックスには確かに見えていた。
オスカルが困り果てている。
「二人ともお美しいですよ」
「もう、オスカル様ったら正直ですね」
ジェナがなりふり構わず、オスカルの腕に抱きついていた。
それを見て、フィンリーが目を見開き睨んでいる。
(面倒にならないといいけどな。――ん?)
誰かに見られている気がして、振り返るとそこには清掃作業をしている学園の職員がいた。
若い男は帽子を深くかぶっている。
(あれ? 誰かに似ているような)
ニックスが顔を向けると、逃げるようにその男は去って行く。