幕間 ノエルのリハビリ
リオンたちが再び外国に留学している頃。
バルトファルト男爵家で世話になっているノエルは、リハビリを行っていた。
聖樹の巫女。
その一族の血を引くノエルは、王国にリオンが持ち帰った苗木――若木の巫女だ。
アルゼル共和国では、双子の妹であるレリアが巫女となっている。
部屋の中、手すりを掴んで歩いていた。
ほとんど助からない傷を負いながら、ルクシオンたちの治療により命を取り留めた。
それからしばらくは、療養生活を送っていたが、今は来年度に向けてリハビリを行っている。
汗をかきながら、何とか歩いていた。
エルフのユメリアが、そんなノエルを応援している。
「ノエル様、頑張ってください!」
ノエルは可愛らしいユメリアの応援に、笑いそうになっていた。
「分かったから変な踊りは止めて」
「え? 応援のための踊りですよ」
どこか抜けたところのあるユメリアは、男爵家の屋敷で使用人として働いている。
今はノエルの専属になり、身の回りの世話をしていた。
ノエルは思う。
(これが終わったら勉強で、その後は――)
世話になっている男爵家での扱いは、とりあえず大事なお客様というものだ。
リオンの側室になるのが決まっているという話が広がっており、リオンの両親は申し訳ないという感じで接してくる。
そもそも、リオンの両親は側室に反対の様子だった。
理由は、アンジェとリビアにある。
二人の婚約者がいるのに、三人目なんてどうなの?
そのような感じだ。
リオンには呆れ、事情やら立場から側室になるしかないノエルには同情的だった。
しかし、屋敷内の全ての人間が、ノエルに優しいわけではない。
ノエルを嫌っている人間が、部屋に入ってくる。
「ちょっと、ユメリア! あんたに、頼んでいた仕事が終わっていないじゃないの!」
その人物こそ、リオンの妹である【フィンリー・フォウ・バルトファルト】だ。
ボブカットで、ジェナと違って小柄なフィンリーは、使用人が着る衣装に身を包んでいた。
ユメリアが慌てて謝罪する。
「も、申し訳ありません、フィンリー様! で、でも、奥様が甘やかしてはならないと仰せで」
フィンリーが地団駄を踏む。
「少しは頭を使いなさいよ! 母さんに分からないようにやれば済むでしょう!」
今まで女の子だからと甘やかされてきたが、王国の事情が変わってきている。
このままでは嫁ぎ先に困ると、ジェナ同様にフィンリーも花嫁修業をはじめていた。
「もう、どうしてこうなるのよ! お姉ちゃんは結婚できそうにもないし、私は奴隷も買えないのよ! せめて私が卒業するまで今までと同じで良いじゃない!」
劇的に王国内の事情が変わっている。
まるではしごを外されたように感じるのは、フィンリーだけではない。
エルフの奴隷が欲しかったと泣き出すフィンリーを見て、ノエルが溜息を吐いた。
(これは酷いわ)
王国と共和国では事情が違った。
奴隷を専属使用人と呼んで連れ回したりしない。
そのため、フィンリーの気持ちがノエルには理解できなかったのだ。
「あのさ、もう諦めなよ。素直に花嫁修業をした方がマシだよ」
キッと睨み付けてくるフィンリーは、ノエルに文句を言う。
「居候が私に話しかけるな! あんたなんか、あの馬鹿兄貴の愛人じゃない!」
――三番目に愛している女とリオンは言っていた。
だから、フィンリーの言葉も間違いではない。
「男が愛人を持つのは、子供を生ませるためよ。あんた、調子に乗らないでよね」
ユメリアがブルブルと震えていた。
ノエルがフィンリーを怒鳴りつける。
「キャンキャン五月蠅いんだよ、このガキが!」
「なっ! なんですって!」
元々ノエルは姉御肌だ。
一時期、エリクというヤンデレ彼氏により追い詰められていたが、元来は気が強い。
「あんた、同じ事を母親に言えるの? そもそも、男の数が少ないんだから仕方がないじゃない! いい加減に現実を見なよ」
女性の立場が強かった頃、愛人が認められていた理由は男が少なかったからだ。
地方領主の力を削ぎたい王国も、あまりに男が少ないのは問題だった。
だが、立場の強い女性たちは、子供をあまり生みたがらなかったのだ。
そもそも、子供を生むというのは命懸けだ。
何人も産めば、それだけリスクが高まるのである。
そのため、女性たちも側室を持つことを認めた経緯がある。
そして、今は男性の立場が強い。
「アンジェリカが言っていたけど、男の子はコリン君くらいの年齢でも奪い合いだよ。あんた、今のままで同年代の男の子を、振り向かせることが出来るの?」
フィンリーが視線をそらした。
「が、学園に行けば男なんて選び放題だって――」
「あんたのお姉ちゃん、そう言って未婚で卒業しそうなんだけど?」
現実を突きつけられて、フィンリーが泣きそうになっていた。
そのまま部屋から出ていく。
「五月蠅いのよ! この馬鹿兄貴の愛人!」
去って行くフィンリー。
部屋で溜息を吐くノエルだったが、すぐにリュースが入ってくる。
どうやら会話を聞いていたようだ。
「奥様!」
ユメリアが驚くと、リュースが困った顔をして謝ってきた。
「フィンリーが迷惑をかけてごめんなさいね。ノエルちゃんがリハビリで苦しんでいるのに、あの子ったらわがままばかりで」
対して、ノエルは困ったように笑っていた。
「わ、私こそカッとなってしまって――ごめんなさい」
リュースはノエルを座らせると、そのまま世間話をはじめた。
今のリュースは正式なバルカスの妻だ。
男爵夫人である。
リオンの立場もあって、そのことに表向き文句を言う人物はいない。
「ノエルちゃん、ここでの暮らしはどう? 不自由はしていないかしら?」
「前よりいい暮らしをしていますよ」
「そう、よかったわ」
リュースからすれば、ノエルとは話しやすかった。
アンジェは身分が高すぎ、リビアではまた立場が違う。
そのため、接し方が分からないのだが、ノエルはいい意味で話が合う。
リュースはノエルに悩みを打ち明けるのだ。
「――うちの子が王女様と結婚するかもしれない話を聞いたかしら?」
「はい。アンジェから教えてもらいました」
「あの子、どうして普通でいてくれないのかしらね。ノエルちゃんの気持ちも考えてあげたらいいのに」
三番目発言やら、ノエルの生い立ちも聞いているリュースからすれば、リオンには不満もあった。
ノエルは、リオンの家族に好かれている。
「いっそニックスと結婚してくれたら嬉しかったんだけどね」
「お義兄さんと結婚ですか? 私は微妙な立場だから、難しいですよ」
ニックスの方も大変だ。
何しろリオンの兄だ。
そして、男爵家の当主で、今後は確実に出世すると思われている。
そのため、数多くの見合い話が来るのだ。
リュースからすれば、全員が雲の上のお姫様ばかりである。
ノエルのように話しやすい娘がいない。
「ノエルちゃん、色々とあると思うけど――応援するからね」
「ありがとうございます」
笑顔で答えるノエルを見て、リュースが「こんな娘が欲しかった」と嘆くのだった。
すると、今度は部屋にコリンがやってくる。
「ノエル姉ちゃん! 虫を捕まえてきたよ!」
「お、やるじゃん」
コリンをノエルが褒めると、リュースは叱る。
「コリン、ノエルちゃんはリハビリ中だって言ったでしょう」
「だって、兄ちゃんは忙しいし、フィンリーは怒るし、誰も遊んでくれないんだ。リオン兄ちゃんがいたら、色んな悪戯を教えてくれるんだけどなぁ」
誰も遊んでくれないと言うコリンに、ノエルが手招きをした。
「拗ねるな。拗ねるな。姉ちゃんが相手をしてあげるよ」
「やった!」
素直なコリンを見て、リュースは涙を流す。
「リオンにもこんな可愛い頃があったんだけどね。なのに、今ではこんないい娘を愛人にするなんて」
ノエルは苦笑いをするしかなかったが、男爵家での生活は悪くなかった。