- 2017 11/20
- 知の現場から
2016年8月に発売され、大きな反響をよんだ『人口と日本経済』の著者・吉川洋さん。印象派を長年研究し、近代人の疎外を描いたマネについて、『印象派の誕生』を上梓された吉川節子さん。
2500点近くに及ぶ中公新書の歴史でも、ご夫婦で別の分野の研究をされ、ともに中公新書を執筆しているというケースは珍しい。
そんなお二人の仕事場であるご自宅にうかがった。
せっかくですので、馴れ初めなどうかがってもよろしいでしょうか。
洋「東大で出会いましたが、学年は1年違うんですね。学部もサークルも違いまして……『青春の駒場祭』とか、そんな風にご理解ください(笑)。それからもう50年くらい経ちますね」
リビングの本棚には、経済や絵画の本はむしろ少ない。森鷗外、夏目漱石、永井荷風、内藤湖南、宮崎市定など文学者や歴史家の全集が目立つ。
洋「経済の本は大学の研究室にも置いていますから。全集もところどころ抜き出されている巻があったり、読んでいるのが伝わるでしょう?(笑)」
異分野の研究者が身近にいることについてたずねると――
洋「牛に引かれて善光寺参りじゃないけれど、たとえば一緒に旅行に行くと、自然と美術館に行きます」
洋さんも、絵画の中では印象派にご関心が?
洋「私が一番好きなのは、浮世絵ですね。特に鈴木春信がお気に入りです」
節子「娘は小さい頃に美術館に連れて行きすぎたら、嫌いになってしまって(笑)。高校生くらいから自分で観に行くようになりましたが」
洋「娘は今では建築関係の仕事をしているので、美術と近い分野だと思いますよ。最初は美術嫌いになってしまったかと心配したけど、そんなことなかったんじゃないかな」
と、インタビューから終始あたたかい家庭の様子がうかがえる。実は、当日はリビングにベビーサークルが置いてあった。お嬢さんは、昨年生まれたお子さんと一緒に、しばしば訪れるのだそう。
洋「印象派は、家内の専門分野ですが、私の専門の経済にも意外な関係があります。経済学者のケインズは、第一次世界大戦の講和会議に、イギリスの大蔵省代表として出席しました。フランスは戦争には勝ったものの、イギリスに借りていたお金を返すことが出来ない。そこでケインズは、講和前年の1917年に亡くなったフランスの印象派・ドガが残した絵画のオークションに目をつけます。お金でなくて、絵で返してもらえばいいじゃないか、というわけですね。イギリスのナショナル・ギャラリーの所蔵品が充実していないので、19世紀フランスの絵画を加えるべきだ、と。非常に慧眼です」
ケインズは、21世紀には経済的な問題が解決され、人間は労働から解放されると予測した。その後の人間が生きていくうえで、芸術の役割が重要だと考えたという。
洋「その予測どおりにはいきませんでしたけれど、多くの人が美術にアクセスできるような社会にしたい、という考え方はすばらしいと思いますね」
1時間以上にわたり、プライベートから研究のことまで、さまざまなお話をしてくださった。
書斎のドアには展覧会のポスターが貼られ、リビングの本棚には文学全集がずらり……経済学者と美術史家が20年かけて育んできた住まいからは、幅広いフィールドの「知」が顔をのぞかせていた。