生産的かつ気力を使わないものを求めてしまうために楽しめる趣味がない
昔(高校生の頃)はゲームやアニメなどの娯楽を楽しんでいたのだが、最近は(私の独断と偏見に基づいた)「生産的」でないことをやっていると一種の罪悪感が生まれてしまうことが多く、あまり楽しめなくなってしまった。
初めに断っておくが、後ほど例に挙げる私が罪悪感を感じる趣味たちを生産的でない、みなさんがやることに意味がないと断じているわけではない。自分がそれらの趣味をすることに罪悪感を感じてしまうことも、一種の病的な症状だと思っている。
「生産的」なものは技術の勉強になりそうなもの(CTF/ISUCON練習/競技プログラミングなど)になるが、こちらは気力を使うためにめったにできない。(私は6年くらい軽いうつ状態にあり、創造的なことをする気力は仕事をするだけで使い果たしてしまう。)
「生産性」があり気力がなくてもできるという、両方のポイントで妥協をして楽しめているのは以下のようなもの。(どれも多少の罪悪感はある)
Discord 、LINE 通話や YouTube 配信、さらには友達と会うことなど。しゃべるだけなのであまり気力も使わないし、人脈……というほどでもないが知り合いが増えるということでギリギリ「生産的」判定をされているようだ。
Twitter や note などでこのように文章を書くこと。文章の整合性や読んでいて楽しいかどうかという点を考え始めると書けなくなってしまうが、とりあえず考えていることを描くだけならそんなに気力を使わないし、文章という成果物が生成されているのでギリギリ「生産的」判定をされているようだ。
ストーリーが単純な漫画は読める。「生産的」ではないような気もするが1冊10分くらいで読めるのでそこまで時間を使わず罪悪感が少ない。
罪悪感により楽しめないものは以下のようなもの。
簡単なゲーム(新しいゲームを購入して1時間くらいは罪悪感を好奇心が上回るので楽しめることも。操作やルールが難しい場合結構気力も使う。)
アニメ(音がうるさいのでけっこう気力も使う。考察を書くとか何かアウトプットが出せれば罪悪感がないのだが、今度はそれは気力を使う。)
お絵描き(絵が下手なのでこんな下手な絵を作成しても意味もないのに何をしているんだという気持ちになる、最近はAIで仕上げしてある程度サムネイルとかに使える絵を作成することができるので少しモチベーションが上がった)
ぼーっとすること(この時間で「生産的」なことをしないといけないのに、とかいろいろ考えてしまってつらい)
罪悪感はないが気力がなくて元気な瞬間でないと楽しめないものは以下のようなもの。
仕事(まれにある元気な時は結構楽しい)
技術的な遊び(CTF/ISUCON練習/競技プログラミングなど)
読書(うつ状態になると文字が読めなくなる)
ゲームやアニメなどの考察を書く(罪悪感は減る)
映画・ドラマ(教養みたいなものだと考えているので罪悪感が少ないが、実写なので映像がアニメより複雑なことが多くて疲れる。ストーリーも難しいがち)
ストーリーが少しでも難しい漫画(文字が読めないので絵メインで理解できたい)
ルールや操作が難しいゲーム(ゼルダの伝説が大好きだったのだが、できなくなってしまった)
ひとりで外出、特に遠出(つらい)
3D モデリング(お絵描きより操作が複雑で難しい)
Twitter の TL をちゃんと読む(ぼーっと眺めている時間はあるが、ほとんど中身を読んでいない。頻繁に人間の悪意が増幅されていてつらい)
趣味を増やそうとバイクを最近始めてみたが体力がなくて教習所に行けない
運動(それはそう)
書き出してみて思ったが、罪悪感は何とか「生産性」にこじつければなくなるようなので、あまり該当する趣味がなかった。気力がないことや疲れて文章が読めないことなどのほうが影響が深刻な気がする。
解決策があればぜひ教えていただけると嬉しいです。
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