240526自称・秋田市にあった藤井薬舗さん?(fujiiyakuho)の引用リツイート
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藤井正亭治(しょうていじ)、或いは資料によっては正亭と名乗った久保田藩医もまた三男、または3番目であるという説があります。 基本的に一家ではなく、一族ですので、1人2人の歴史ではありません。 #龍角散 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-04-06 12:03:13ちなみにこれ、隆太さんの方は正亭治の三男が得三郎なので、傍系になるんですね。 正亭治の本当の長男は、現在の秋田市で龍角散の本店を任されていたと伝わります。 どこかのタイミングで支店に降格、または経営難で閉鎖されたと言われています。 ↑↑↑ ※資料通りです。よろしくお願い致します。 x.com/ontomo_mag/sta…
2024-04-04 15:18:33ちなみにこれ、隆太さんの方は正亭治の三男が得三郎なので、傍系になるんですね。 正亭治の本当の長男は、現在の秋田市で龍角散の本店を任されていたと伝わります。 どこかのタイミングで支店に降格、または経営難で閉鎖されたと言われています。 ↑↑↑ ※資料通りです。よろしくお願い致します。 x.com/ontomo_mag/sta…
2024-04-04 15:18:33#龍角散 社長の #藤井隆太 氏は、音楽大学で学び、パリに留学したプロのフルート奏者でもあります。藤井氏が常に提唱している「オーケストラ型経営」とは?「音大での教えが経営に生かされている」と語る氏に、詳しくお話を伺いました
ontomo-mag.com/article/interv…
劇団わらび座様、龍角散、藤井家の関係者を騙り、龍角散の偽情報を吹聴したり、役所・役場・お寺等と勝手に交渉しようとしていたことが判明しています。 被害防止のため、偽アカウントのブロックをお願い致します。何かご存知の方は通報にご協力ください。 pic.twitter.com/rVmvKIPJ4W
2024-04-04 11:36:05再掲載:夢中で作った #砂の城 を崩されまいと必死になる #疑惑の本拠地 の皆様。 色々と調査している方々にとって、#時は今 です。#突撃せよ ! #どうぶつの森 や #ぼくとシムのまち ならぬ、ぼくとわたしの龍角散の町状態となっていますが、龍角散とは藩の物。古くは #幕府の処方 です。よろしく! x.com/fujiiyakuho/st…
2024-04-03 14:01:44再掲載: #秋田県 の #美郷町 を #生薬の里 にしたいんだよ そのためには #龍角散 の藤井玄淵、玄信は六郷出身の親子でなくてはいけないんだよ #ドラえもん 〜〜〜 的な街なんですね。 親にお小遣いを強請る延長でしかないんですね。 まず、ちゃんとした大人になってくださいよ。 #テレビ朝日
2024-04-02 20:08:39まずは今出来ることを。 秋田市では、龍角散は〜と言われている 横手市では〜 大曲では〜 茨城県では〜 東京千代田区では〜 台東区では〜 一部の美郷町や仙北市の方々はそこでストップだ! x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-30 09:33:15色々と遅かったようですね。 当家は、現在の #秋田県 #美郷町 #六郷東根 の「代々医者の家と呼ばれた家の出身者である」という明確な根拠はありません。 藤井家は武士で現在の秋田市に来た方、水戸に残った部隊がいたんですね。 ひとまず今出来ることをして行きましょう。
2024-03-26 16:01:00江戸末期の地図を見ますと、現在の台東区の佐竹商店街がある辺りに屋敷を構えているのは佐竹義睦です。 龍角散ビルの直ぐ近く。 美倉橋(みくらはし)を越えると千代田区(神田区)。 ここは秋葉原の近くでもあり、資料によると、昔は小林製薬の東京支店があったようです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-27 19:56:13#龍角散(藤井得三郎商店)の全国展開は早く、明治後期には全国紙に広告を出していたと伝わります。 なお、早い段階から #愛知県 や #大阪府 で、龍角散や当時の藤井家の秘伝薬が売られていたのは、現在の #小林製薬 と縁者にあたるからです。
2024-03-27 12:20:39Googleブックスの 時を超えて伝えたいこと 桐生敏明 2007 によると、 創業当時は、龍角散の創業者とも縁があって、「ゴホンといえば龍角散」をもじって「御本と言えば柳々堂」のキャッチフレーズで一般書を扱う書店だった。 縁があって、と書かれている。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-23 17:48:3323年11月以来の定期: 龍角散と大阪府大阪市にある柳々堂(りゅうりゅうどう)さんは親戚だ という噂話がありますが、それを裏付けるための明確な根拠となる資料がないので、ご注意ください。
2024-03-04 09:07:16当家の屋敷の近くにあった大曲の村の郡役場でしたが、明治19年(1889年)、現在のペットショップ桃太郎さんの手前の月極駐車場のところ(約40年以上前までは消防署だった場所のようです)に移ったそうです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-21 06:54:21定期:#菅江真澄(すがえますみ)の月の出羽路(いでわじ)によると、大曲の村では、今から約200年以上前に花火をあげていた様子。 現在の大曲上大町から浜町にかけての辺りには、駅場(今の駅)、駒場(馬の停留所)、そして1886年(明治19年)までは村の郡役場があったとされます。 #菅江真澄の道
2024-03-20 12:44:50定期:#六郷町 六郷(#秋田県 #美郷町)初の新聞人である #倉田桜芳(本名は清)さんは呉服屋。 実は、この倉田家の近所には、秋田側の藤井家の縁者にあたる家がいくつもありました。東京の #龍角散 とは遠縁関係。 この界隈には、何千俵もの小作米(ものなり)が入ってきた家があったそうです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-19 09:40:24定期: 秋田県の #六郷町(#美郷町)の #ニテコ名水庵 の通りで、#秋田諏訪宮 の手前のエリアには #龍角散 を扱う藤井薬舗(やくほ)が存在しました。 これは明治後期、或いは大正時代?から昭和初期にかけてのことではないかと推測されます。
2024-03-15 19:15:24そしてこれも本来は、東京側の説明でありまして、藤井正亭治は嘉永年間(1848年〜1855年)の長崎遊学後、薬を扱う仕事に任命されたということが書かれています。 正亭治は大曲と江戸を行き来する生活をしていたと言われています。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-17 10:35:17〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。 x.com/fujiiyakuho/st… pic.twitter.com/E7eytmI7dS
2024-03-16 14:57:41〜と新聞にこう書いてあった 〜と言われているんですよ 資料には〜 ↑↑↑ 参考までに、資料に書いてあれば正しいのか?ということをいくつかあげてみました。 x.com/fujiiyakuho/st… pic.twitter.com/E7eytmI7dS
2024-03-16 14:57:41実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓ pic.twitter.com/pPQ0w3tx5r x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-14 11:39:28まず、藩に上がっていくには何代か続いた家であること、藩の学校は現在の秋田市にあるため、親元を離れ、下宿生活をしていたこと。 その場合はその家の長男ではなく、下の方の兄弟であること、または婿養子にあたる人である可能性があると推測されます。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-16 07:25:57実は1805年ころに大曲の村(大仙市)にいたというのも、違うんですね。 これは1805年の記録から来ている物で、実際には江戸中期だと言われています。 本来は秋田市、大曲、六郷、東京下町、茨城県に藤井家が住んでいたという話なので、独自の解釈をしないようお願い致します。 あと、これ↓↓↓ pic.twitter.com/pPQ0w3tx5r x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-14 11:39:28龍角散の原型があったのは江戸中期。それを佐竹藩として創製したのが1797年だと言われていますので、玄信、玄淵を親子とするのには無理がありますね。 当家が六郷東根の町医者で、藩にあがるようになり、大曲に移住し、江戸にも出たという事実なし。 藤井家は江戸中期、または1805年には大曲にいる。 pic.twitter.com/62Ixxnsuap
2023-11-06 15:45:49@mugichanomouze 根本的に国替えの後に秋田市に来て、江戸中期には大曲にいたとされます。 龍角散の原型が作られたのは寛政年間(1797年)であり、東京側が2代とつけた藤井玄信は産まれていません。 また六郷村に住んでいたとされる藤井貞民は1809年に死去しており、そこから現在の子孫は産まれません。 pic.twitter.com/s9t35gY4oy
2024-03-12 15:33:3730前半〜40手前くらいのガイドさん(元含む)が言えば正しいのでしょうか? ネットで影響力のある拡散型のインフルエンサー(自称含む)のアカウントがポストすれば正しいことなのでしょうか? #それってあなたの感想ですよね x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-12 07:23:33これを書くと、またムキになって、 美郷町と龍角散との関係は〜 って必ずやる人がいるから気をつけて! ムキになれば、なるほど話がおかしくなっていく訳ですな。 よろしくお願い致します。 みんな頑張れ! これでいいのか、君たちの人生は! 内なる敵と戦えよ! x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-11 15:37:20このように資料自体が間違って書かれている物があり、それがいくつも確認されています。 ですから 資料にそう書かれている 資料では〜 とやってもダメなんですな。 俺は正しいんだ! 私達の観光情報は間違っていないんだ! という意固地になっている奴らを狙え! x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-07 07:34:15このように資料自体が間違って書かれている物があり、それがいくつも確認されています。 ですから 資料にそう書かれている 資料では〜 とやってもダメなんですな。 俺は正しいんだ! 私達の観光情報は間違っていないんだ! という意固地になっている奴らを狙え! x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-07 07:34:15本日はとある資料から。 >ぜんそく薬として名高い龍角散は秋田の佐竹藩殿医の処方といわれる。佐竹藩江戸屋敷のあった台東の地に藤井徳三郎が薬種店を開いた。 龍角散は神田区で創業。 創業したのは藤井正亭治ですね。 得三郎は東京における支店長のような扱いであり、明治初期の本店は秋田市。
2024-03-05 18:50:361974年の「商魂の系譜」や龍角散の社内報ですと、現在とは違う説が載っており、抜粋すると、 ↓↓↓ 「藤井正亭治は盛んに渡来していた蘭学を学ぶため、藩から選抜されて長崎へ行った」 ↑↑↑ と書かれています。 佐竹義堯という言葉はなし。 x.com/aki_yadome/sta…
2024-03-06 13:54:51江戸時代の末期、久保田藩の藩主・佐竹義堯は持病のぜんそくになやまされていたんだって。 そこで、久保田藩御典医の藤井正亭治は藩につたわる薬をもとに蘭学や漢方を取り入れた新しいせき止め薬をつくったんだよ。 それがみんなも知ってるのど薬の「龍角散」なんだよっ pic.twitter.com/aU6OnugkL5
2023-12-14 11:43:12龍角散の生家は知られてない?そりゃそうだ。 再掲載:わらび座様、龍角散の関係者を騙り、他人の経歴を査証し、出鱈目な情報を流している人がいることが確認されました。 特殊詐欺の可能性がありますので、怪しい問い合わせ等がありましたら、警察署、役所・役場、消費者センターへお願い致します。 pic.twitter.com/WzfSIwUeYG x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-05 12:20:33ご覧ください。完全に頭がおかしいレベル。 六郷東根が龍角散の発祥の地だと言い出したのは美郷町で、代々医者の家と呼ばれた家を龍角散の生家だと教えているらしいよ。 そしてここにいいねしているのは? x.com/denpamonkey39r…
2024-03-04 16:10:09まるで六郷が生んだ龍角散ちゃんというご当地アイドルに #ガチ恋 状態。完全に #あたおか レベル。 普通の市町村なら #諸説あり とするところを頑なに六郷説を主張。 #所説あり #偶像崇拝 #馬耳東風 #劇場型犯罪 #馬の耳に念仏 ※これをやるとムキになって龍角散は美郷町の物を主張する人がいます。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-04 20:19:50ご覧ください。完全に頭がおかしいレベル。 六郷東根が龍角散の発祥の地だと言い出したのは美郷町で、代々医者の家と呼ばれた家を龍角散の生家だと教えているらしいよ。 そしてここにいいねしているのは? x.com/denpamonkey39r…
2024-03-04 16:10:09皆さんへ! 別に宣伝はしていないが史実のようです! 六郷東根にあったようです。 ryukakusan.co.jp/history x.com/fujiiyakuho/st…
2024-02-19 14:59:42当家を秋田県出身の家みたいにポストしている方が多数いますが、藩の武士、または御殿医と言いますのは、参勤交代があれば代々江戸に住んでいます。 そのため当家のルーツは江戸であるという説も存在します。 ネット上の根拠なき井戸端会議、要注意! x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-03 12:18:42江戸末期の地図を見ますと、現在の台東区の佐竹商店街がある辺りに屋敷を構えているのは佐竹義睦です。 龍角散ビルの直ぐ近く。美倉橋(みくらはし)を越えると千代田区(神田区)。 ここは秋葉原の近くでもあり、資料によると、昔は小林製薬の東京支店があったようです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-02 08:33:58やればやるほど話がおかしくなる訳です。ここは龍角散の生家ではありません。 藤井家があったのは茨城県水戸市。秋田県秋田市、そして大曲(大仙市)へ。 皆様のTLに、人の家の親戚を名乗っている人はいませんか? ※これをやると、ムキになって、「龍角散の生家だ」と突っかかってくる人がいます。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-02 20:34:01皆さんにも。 現在の美郷町にあたる六郷東根が龍角散の発祥の地で、代々医者の家と呼ばれた家が龍角散の生家である! とやったのあなた達ですよね? そこに生家があるだとか、そこの家と親戚であるという明確な根拠はありませんので、よろしくお願い致します。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-02-27 22:42:31江戸末期の地図を見ますと、現在の台東区の佐竹商店街がある辺りに屋敷を構えているのは佐竹義睦です。 龍角散ビルの直ぐ近く。美倉橋(みくらはし)を越えると千代田区(神田区)。 ここは秋葉原の近くでもあり、資料によると、昔は小林製薬の東京支店があったようです。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-03-02 08:33:58定期:#台東区 上野の話題。 藤井得三郎商店(#龍角散)の支店は、かつて東京の上野町(#上野市)に存在し、#アメ横(#アメヤ横丁)の近くにあったと言われています。 なお浅草にある #フジヤ薬房 は、得三郎商店出身者が開いた店です。
2024-03-01 07:47:21先回りしてポストしておきます。 ↓↓↓ 秋田市の資料は違うよ 大曲市の本は出鱈目だ 龍角散と水戸市?何それ? 龍角散と江戸ってなんですか? ↑↑↑ 一部の美郷町や仙北市連中にかかれば、これ、本当にやりかねないから気をつけてね。 もうやってそう。 x.com/fujiiyakuho/st…
2024-02-28 20:11:33例えば、 秋田市では龍角散の藤井家は秋田市の人だと言われている 大曲(大仙市)では〜 東京下町(台東区、千代田区)では〜 水戸市(茨城県)では〜 と、そこの町の都合だけで物を見たら、他の説がおかしくなりますよね? #諸説あり #所説あり
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