「雪、降らないね」
子供の一人が窓の外を見上げながら呟いた。
その日はクリスマス・イブの夕暮れ時で、今年は例年に比べて暖かかった陽気が急に冷え込み、急速に肌寒くなったことで体調を崩す者も少なくない。吐く息は一気に白くなり、朝晩は気温がマイナスを観測することも珍しいことではなくなり、今まで暖房を出し渋っていた家庭も、エアコンからストーブまでフル稼働させて寒さに凍えるばかりだった。
だがまだ雪は降ってはいなかった。それは大人にとっては車の運転が楽になり、雪かきの必要がなくなる有難いことなのだろうが、当の子供にとってはとてもつまらないものだった。
子供は古来から雪が好きなものだ。雪が降れば喜んで家の外に飛び出し、雪道の上に自分の足跡をつけ、雪だるまを作り、雪合戦をし、子供によっては鎌倉まで作って存分に雪を楽しむ。
子供にとっては雪とは冬を楽しむ最大のもののひとつで、クリスマスといえばサンタクロースという以前に、雪道を駆け抜けるそりの方に思いを馳せるのである。
子供の一人が窓の外を見上げながら呟いた。
その日はクリスマス・イブの夕暮れ時で、今年は例年に比べて暖かかった陽気が急に冷え込み、急速に肌寒くなったことで体調を崩す者も少なくない。吐く息は一気に白くなり、朝晩は気温がマイナスを観測することも珍しいことではなくなり、今まで暖房を出し渋っていた家庭も、エアコンからストーブまでフル稼働させて寒さに凍えるばかりだった。
だがまだ雪は降ってはいなかった。それは大人にとっては車の運転が楽になり、雪かきの必要がなくなる有難いことなのだろうが、当の子供にとってはとてもつまらないものだった。
子供は古来から雪が好きなものだ。雪が降れば喜んで家の外に飛び出し、雪道の上に自分の足跡をつけ、雪だるまを作り、雪合戦をし、子供によっては鎌倉まで作って存分に雪を楽しむ。
子供にとっては雪とは冬を楽しむ最大のもののひとつで、クリスマスといえばサンタクロースという以前に、雪道を駆け抜けるそりの方に思いを馳せるのである。
「サンタさんに頼めば、雪を降らしてくれるかな」
子供の一人が言うのにつられて、もう一人の子供が指さして言う。
「あっ、いいねそれ!きっとサンタさんなら叶えてくれるよ」
「じゃあ今年のクリスマスプレゼントは『雪』だね」
「あっ、でもそれなら、どっちかはプレゼント諦めなきゃいけないよね?どうするの?」
「あっそうか……どうしよっかな」
クリスマスツリーの電飾が輝くそばで、子供たちは口々に楽しそうな言葉を交わしていた。だが、そうした楽しい環境が馴染まない子供も中にはいた。
「できっこねえさ、そんなもの」
そう言いながら部屋の奥から現れた少年。年代は子供たちと変わらない小学生の中頃といったところだが、その表情はどこか拗ねたようで、子供らしい朗らかな表情を浮かべた子供たちとは違う
「どうしたの、ハジュン」
「サンタは魔法使いじゃないんだ。天気を変えるなんて、できっこないよ」
「そんな。いっつもクリスマスプレゼントくれるじゃないか。学校のみんなももらってるんだ。それができるのは、魔法だからじゃない」
「そうだよ!サンタさんを悪く言っちゃいけない」
ハジュンの拗ねた表情はますます深くなり、頬の片側をめいっぱい膨らませた後、手に持っていたコップの中のコーラを一杯飲みほしてから言った。
「知ってるか?サンタはな、自分たちのママなんだよ」
それを聞いた子供たちの表情は凍り付くようだった。
「俺は見たんだ。去年のクリスマス。俺は夜眠れなかった。サンタさんの顔を見たくてな。ママは早く寝ろって言ってたのに、どうしても気になった。俺は寝たフリをしてずっと待ってたんだ。そしたら、寝ている俺の部屋にそっとママが入ってきて、首元に箱を置いていった。それから後は誰も来なかった。次の日に箱を開けてみたら、中に入っていたのは俺が欲しかったカードだった!ママに欲しいっておねだりしてた。そこで分かった、クリスマスの日にプレゼントをくれるのはサンタじゃない、自分のママなんだって!」
ハジュンがそう言ってから、しかし二人の表情は次第に元に戻っていった。そしてその表情は次第に怪訝な態度へと変わり、
「きっとサンタさんが忙しかったから、代わりに君のママが持ってきたんじゃないか」
「そうだよ!サンタさん、みんなの家に届けなきゃいけないから、大変だよ。来ない時だってあるって!」
「ならどうして、サンタは俺が欲しいものを知ってるんだ。俺がサンタに言ったわけじゃないんだ。話しているのはママだけで、他には話してない。お前らにだって言ってないんだよ」
「それはきっと、君のママがサンタに――」
「だったらみんなサンタと仲良しじゃないか!一体大人はどうやってサンタと友達になってるんだ。無理に決まってる!」
熱弁を振るうたびにハジュンの声はだんだん大きくなっていった。
「俺は信じてた。サンタさんは本当にいるって。でも本当はママだった!大人はウソを言ってたんだ。俺達をバカにして!これで分かったろ!サンタはみんなのママなんだ。ママに魔法なんて使えない!だから天気を変えさせるなんて、無理なんだよ!」
子供たち二人はハジュンがその勢いになかなか言い返すことができず、ハジュンが話し疲れてクリスマスツリーのそばにあったソファに腰かけるまで、口をきくことができなかった。
「魔法は、きっと使えるよ」
子供の一人が沈黙を破って呟いた。
「だって僕たち、見たでしょ。去年のあの人たち」
「あの人?誰のことだ」
「ぼくたちを助けてくれたじゃん!忘れたの?」
確かに少年たちは、去年そのような存在を目の当たりにしていた。少年たちの住む在日韓国人たちの集落で騒ぎが起こった時に、集落を訪れて問題の解決のために尽力した若者。彼は見たこともない不思議な生物を引き連れていて、その生物たちの奇妙ないでたちゆえに、子供たちに「バケモンマスター」や「バケモンテイマー」など散々な呼ばれ方をされていた。
それでも彼は見返りも求めず、騒ぎの解決のために身を捨てる覚悟で闘ってくれたために、子供たちは彼のことを「ヨンウン(英雄)」と呼び、強く慕うこととなった。
立ち去り際に名乗った名は「ケンモメン」。
ケンモメンとその仲間たちは、子供たちの記憶に強く刻み込まれたのである。
「あれは着ぐるみとロボットだ。本物の魔法じゃない、そうやって言っていたじゃないか」
「着ぐるみやロボットがあんなに動けるはずない!あれは本物だよ、きっと騒ぎになりたくなくて」
「俺、そんなに軽くない!ヨンウンは、俺をそんな風に?」
「僕たちを思ってだよ!きっと驚かせたくないから」
「そんなに弱いと思ってたのか!軽くて弱いって!」
ハジュンは完全に意固地になっており、もはや何を言っても取りつく島がなかった。ハジュンはすっとソファから立ち上がると、大股で部屋の入口まで歩き出した。
「俺、もう帰る」
冬の日の日が暮れるのは早い。あっという間に空は暗くなり、冷たい夜が空を覆い包んだ。
ハジュンは家の中にいた。クリスマスツリーの電飾が光る傍らで談笑に吹かる父と母、それと弟の三人とも家にいた。いつものように家族は明るく、とくに不足することのないいつもの生活。
だがハジュンの心は孤独だった。クリスマスの正体というものを期せずして知ってしまったハジュンにとって、クリスマスは幻想と神秘に満ちた特別な夜ではなく、きわめて現実的で、一年の間にいくらでもある日に変わってしまった。
家族はいつも通りだった。いつもの通り自分を愛してくれるし、いつもと変わったことをするわけでもない。
変わったことといえば、今日はクリスマスだからと、夕食がクリスマスケーキとローストチキンに変わったというくらいである。これはハジュンの舌をとても喜ばせたが、ハジュンの心の奥底にあった失望を払しょくするまでには至らなかった。
そして親はそのハジュンの変化に気づいてはいない。ハジュンはそれほど口数が多くなく、社交的な性格でもないし、何よりハジュンとは対照的に社交的な弟との話につられ、自分のことまで目が回っていなかったのだ。
それがますます面白くなかったが、自分のその孤独を他人に打ち明ける勇気までハジュンは持ち合わせてはいなかった。
そして夜の九時は来た。ハジュンはベッドに入り、静かに目を閉じた。が、今年もハジュンの意識ははっきりと覚めていた。万が一、先の年のことが自分の間違いだったらと確かめたいがためだった。
そして無の時間がずっと続いた。冬の真夜中に虫の鳴き声ひとつせず、音も光もない空間の中でずっとハジュンは待ち続けた。
そしてその沈黙は破られ、ひたひたと足音が近づいてきて、そしてそっと自分の枕元に何かが置かれた。足音がゆっくりと離れていくのを聞き、ハジュンはきっと目を開けた。目に飛び込んできたのは自分の母親の後ろ姿だった。
ほら見ろ、やっぱりママだ。サンタは自分のママなんじゃないか、髭を生やしたおじいさんがシカがひくソリに乗ってやってくるなんて、そんなの嘘っぱちだ、みんなママがプレゼントをくれているだけなんだ。
彼の失望はますます深くなり、つまらないクリスマスの夜に深いため息をついた。と同時にある種では気が抜けた。まだ子供が夜深くまで起きていることはかなり神経を使うことでもある。だからハジュンは母が部屋から出ていくのを見届けるとすぐに眠くなってしまい、あっという間に眠りについた。
次の日の朝鮮学校の朝は快晴だった。結局雪のひとつも降ることもなく、少年たちの夢はかなわぬままに終わっていた。
ハジュンは自分の言ったことがそのまま現実になったが、それでいい気分には何一つならなかった。結局それは、自分の失望を半ば八つ当たりとして吐き出しただけで、本当ならそれを否定してほしかったからだ。だが、それはかなわぬ夢であった。それもまた非常に現実的な話であり、ハジュンは二日にわたって深い失望の海に沈むこととなった。
ハジュンはいつものように玄関で靴を履き替え、自分のロッカーを開けた。中から詰まっていた荷物がドサドサと転がり落ちてきた。
その日のクラスは、いつもに増して賑やかな雰囲気をまとっていた。というより、学校全体がそのような雰囲気であった。子供たちの顔は輝くような笑顔にあふれ、まるで興奮した犬のように子供たちは活発になり、校舎を駆け回り、踊り狂い、歌を歌い、自分の感情を思う存分吐き出していた。
いつも学校に来る子供たちは友との語らいを最大の楽しみにするものだが、今日は違った。楽しみが通常の二倍!それも学校に来た途端にその喜びを共有し合うものだから、子供たちの情動が常軌を逸するのも頷けるというものだった。
「今年のクリスマスは、最高だよ!」
学校の中の一クラスから喜びの声が漏れた。
「うん!サンタさんを信じてよかった!信じて待ってた僕たちに、ご褒美くれたんだ」
「でもいいのかなあ、こんなにもらっちゃって」
「いいんだよ!嫌なこともあったけど、それを乗り越えたから、サンタさんは恵みをくれたんだよ」
「嫌なこと、か……」
彼らにとっての『嫌なこと』という数は、あまりに数えきれない。
朝鮮学校に通う彼らは、常に日本人、とくに差別主義者からは白眼視され、時としてヘイトクライムに遭うことも珍しくない。
先日に起きた『事件』はとくにそのうちのひとつであったが、彼らはそれも乗り越えた。苦難も乗り越えた先に立派な大人になれるという彼らの教えが、その苦痛を跳ね返したのである。
「そっか……そうだね!だからだよ」
子供の一人が、クラスを俯瞰した。クラスの仲間たちが元気いっぱいに狭い教室の中を走り回っているのを見て、その活気に勇気づけられていた。
一方で同じ少年は、先日から引き続いた疑問もぬぐえなかった。
「だけど、雪は降らなかったね」
その一言を聞いた子供が、少し驚いたような顔で眉を押し上げた。
「そういやそうか……」
「でも仕方ないよ。サンタさんだって忙しいんだ、こんなにプレゼントくれただけでも」
すかさず、他のクラスメイトが口をはさんだ。
「でもハジュンが言ってた通りなのかもな……やっぱり、サンタさんは魔法使いじゃないのかも」
「いや、魔法使いだよ!だってこんなに幸せに元気をくれたもん。それだけで、僕充分さ」
「確かに、そうだよね」
子供たちがそう言っている間に、教室の外からドタドタと大きな足音が聞こえてきて、それと同じくらい大きな音を立てて入り口のドアが開けられた。
教室に入ってきたのは、ハジュンだった。
「ハジュン」
子供たちが名を呼ぶのを無視して、ハジュンは手に持っていたプレゼントボックスを自分の机の上に置いた。その包装を丁寧にはがすと、その下には白い無骨な箱の姿があった。
その中に入っていたのは、竜の絵柄が描かれた近代的な男性用のチマ・チョゴリだった。竜の模様は今にも動き出しそうなほど綿密に描かれており、それを見たクラスの生徒たちがみな一様に感嘆の声を上げるほどだった。
「すげえ!クリスマスプレゼント、すげえ!」
「めちゃくちゃかっこいい!良かったなハジュン、すげえもんだぞ!」
しかしハジュンの驚きは今、そのチマ・チョゴリの方にはさして向けられていなかった。箱の中に入っていたのはそれだけではない。一緒に小さなクリスマスカードが封入されており、そちらの方に目を向けていたのだ。
ハジュンはそのカードを開き、読み上げた。
『君たちがどう生きるのかは君たち自身が決めることだ。他の誰が何を言っていようと、最後には君たちが決める道だ。これからそれを考えるまでには時間がある。自分が何をしたいか、何者でありたいか、それをじっくりと考えながら人生を歩みなさい』
サンタクロースより、と呟いてからハジュンの時間は止まった。周りの生徒たちが口々にいろいろな事を言っていたが、いずれも耳に入っていなかった。ハジュンは箱をテーブルの上に置くと、窓の外にある遠い景色を見つめた。遥か彼方に青く浮かぶ山。それを見ながらハジュンはふと呟いた。
「サンタクロースはいない。それは分かってる。でも、やっぱりサンタはいるんだ。自分にとって大切な人だ。それがクリスマスに何かをくれるってのは、とても素敵なことなんだな」
それが分かった時、ハジュンの心は重石が取れたようになり、澄み渡ったような感情が胸のうちに広がり、ハジュンの目は潤んだ。
それをこすった時、ハジュンの表情は一転驚きに満ち、癇癪を起したかのように叫んだ。
「みんな!見ろ!外だ!」
ハジュンが慌てた様子で窓を開けて身を乗り出したのを見て、クラスの全員が何事かと窓の外を見つめた。するとそれを見た者も一様に叫び声を上げた。
「雪だ!!」
なんとそれは、この天気ではもう降るまいと誰もが諦めていたはずの雪だった。空は確かに晴れているのに、その太陽を覆うように生じた雲たちからぱらぱらと雪がちらついていたのだ。太陽は確かに照っているのに真っ白な雪が校舎に降り注ぎ、しかもその大きさはどんどん増していくという幻想的な光景に、子供たちの感情も爆発するようだった。
子供たちは大喜びでクラスを飛び出し、校舎の外へと飛び出していった。ハジュンだけがその驚きを受け止めきれず、ただ立ち尽くしていた。
ハジュンはしばし驚愕したままに窓の外を見ているだけだったが、ふと、その窓の外にある、校舎に隣接したコンクリートの道路上からこちらを見つめる姿があることに気付いた。背の高い成人男性と、その肩に乗っている黄色と青を組み合わせた独特な模様をした不思議な生物の姿。
「ケンモメンさん!?」
叫んだハジュンは、窓を飛び出してその姿がした方へと駆け出していった。が、彼が駆けつけた時には、もうどこにもその姿は見当たらなかった。
けれども彼には分かっていた。彼は今、必ず来たのだ。サンタクロースとして、自分たちの願いを叶えるために。自分たちにささやかなプレゼントを渡すために。
「来てくれたんですね」
ハジュンが空に向かってそう呟くのに合わせるかのように、どこからか小さな笑い声が聞こえてきた。
「かっこつけやがって」
「たまにはいいだろが」
クリスマスはまだ始まったばかりだ。
子供の一人が言うのにつられて、もう一人の子供が指さして言う。
「あっ、いいねそれ!きっとサンタさんなら叶えてくれるよ」
「じゃあ今年のクリスマスプレゼントは『雪』だね」
「あっ、でもそれなら、どっちかはプレゼント諦めなきゃいけないよね?どうするの?」
「あっそうか……どうしよっかな」
クリスマスツリーの電飾が輝くそばで、子供たちは口々に楽しそうな言葉を交わしていた。だが、そうした楽しい環境が馴染まない子供も中にはいた。
「できっこねえさ、そんなもの」
そう言いながら部屋の奥から現れた少年。年代は子供たちと変わらない小学生の中頃といったところだが、その表情はどこか拗ねたようで、子供らしい朗らかな表情を浮かべた子供たちとは違う
「どうしたの、ハジュン」
「サンタは魔法使いじゃないんだ。天気を変えるなんて、できっこないよ」
「そんな。いっつもクリスマスプレゼントくれるじゃないか。学校のみんなももらってるんだ。それができるのは、魔法だからじゃない」
「そうだよ!サンタさんを悪く言っちゃいけない」
ハジュンの拗ねた表情はますます深くなり、頬の片側をめいっぱい膨らませた後、手に持っていたコップの中のコーラを一杯飲みほしてから言った。
「知ってるか?サンタはな、自分たちのママなんだよ」
それを聞いた子供たちの表情は凍り付くようだった。
「俺は見たんだ。去年のクリスマス。俺は夜眠れなかった。サンタさんの顔を見たくてな。ママは早く寝ろって言ってたのに、どうしても気になった。俺は寝たフリをしてずっと待ってたんだ。そしたら、寝ている俺の部屋にそっとママが入ってきて、首元に箱を置いていった。それから後は誰も来なかった。次の日に箱を開けてみたら、中に入っていたのは俺が欲しかったカードだった!ママに欲しいっておねだりしてた。そこで分かった、クリスマスの日にプレゼントをくれるのはサンタじゃない、自分のママなんだって!」
ハジュンがそう言ってから、しかし二人の表情は次第に元に戻っていった。そしてその表情は次第に怪訝な態度へと変わり、
「きっとサンタさんが忙しかったから、代わりに君のママが持ってきたんじゃないか」
「そうだよ!サンタさん、みんなの家に届けなきゃいけないから、大変だよ。来ない時だってあるって!」
「ならどうして、サンタは俺が欲しいものを知ってるんだ。俺がサンタに言ったわけじゃないんだ。話しているのはママだけで、他には話してない。お前らにだって言ってないんだよ」
「それはきっと、君のママがサンタに――」
「だったらみんなサンタと仲良しじゃないか!一体大人はどうやってサンタと友達になってるんだ。無理に決まってる!」
熱弁を振るうたびにハジュンの声はだんだん大きくなっていった。
「俺は信じてた。サンタさんは本当にいるって。でも本当はママだった!大人はウソを言ってたんだ。俺達をバカにして!これで分かったろ!サンタはみんなのママなんだ。ママに魔法なんて使えない!だから天気を変えさせるなんて、無理なんだよ!」
子供たち二人はハジュンがその勢いになかなか言い返すことができず、ハジュンが話し疲れてクリスマスツリーのそばにあったソファに腰かけるまで、口をきくことができなかった。
「魔法は、きっと使えるよ」
子供の一人が沈黙を破って呟いた。
「だって僕たち、見たでしょ。去年のあの人たち」
「あの人?誰のことだ」
「ぼくたちを助けてくれたじゃん!忘れたの?」
確かに少年たちは、去年そのような存在を目の当たりにしていた。少年たちの住む在日韓国人たちの集落で騒ぎが起こった時に、集落を訪れて問題の解決のために尽力した若者。彼は見たこともない不思議な生物を引き連れていて、その生物たちの奇妙ないでたちゆえに、子供たちに「バケモンマスター」や「バケモンテイマー」など散々な呼ばれ方をされていた。
それでも彼は見返りも求めず、騒ぎの解決のために身を捨てる覚悟で闘ってくれたために、子供たちは彼のことを「ヨンウン(英雄)」と呼び、強く慕うこととなった。
立ち去り際に名乗った名は「ケンモメン」。
ケンモメンとその仲間たちは、子供たちの記憶に強く刻み込まれたのである。
「あれは着ぐるみとロボットだ。本物の魔法じゃない、そうやって言っていたじゃないか」
「着ぐるみやロボットがあんなに動けるはずない!あれは本物だよ、きっと騒ぎになりたくなくて」
「俺、そんなに軽くない!ヨンウンは、俺をそんな風に?」
「僕たちを思ってだよ!きっと驚かせたくないから」
「そんなに弱いと思ってたのか!軽くて弱いって!」
ハジュンは完全に意固地になっており、もはや何を言っても取りつく島がなかった。ハジュンはすっとソファから立ち上がると、大股で部屋の入口まで歩き出した。
「俺、もう帰る」
冬の日の日が暮れるのは早い。あっという間に空は暗くなり、冷たい夜が空を覆い包んだ。
ハジュンは家の中にいた。クリスマスツリーの電飾が光る傍らで談笑に吹かる父と母、それと弟の三人とも家にいた。いつものように家族は明るく、とくに不足することのないいつもの生活。
だがハジュンの心は孤独だった。クリスマスの正体というものを期せずして知ってしまったハジュンにとって、クリスマスは幻想と神秘に満ちた特別な夜ではなく、きわめて現実的で、一年の間にいくらでもある日に変わってしまった。
家族はいつも通りだった。いつもの通り自分を愛してくれるし、いつもと変わったことをするわけでもない。
変わったことといえば、今日はクリスマスだからと、夕食がクリスマスケーキとローストチキンに変わったというくらいである。これはハジュンの舌をとても喜ばせたが、ハジュンの心の奥底にあった失望を払しょくするまでには至らなかった。
そして親はそのハジュンの変化に気づいてはいない。ハジュンはそれほど口数が多くなく、社交的な性格でもないし、何よりハジュンとは対照的に社交的な弟との話につられ、自分のことまで目が回っていなかったのだ。
それがますます面白くなかったが、自分のその孤独を他人に打ち明ける勇気までハジュンは持ち合わせてはいなかった。
そして夜の九時は来た。ハジュンはベッドに入り、静かに目を閉じた。が、今年もハジュンの意識ははっきりと覚めていた。万が一、先の年のことが自分の間違いだったらと確かめたいがためだった。
そして無の時間がずっと続いた。冬の真夜中に虫の鳴き声ひとつせず、音も光もない空間の中でずっとハジュンは待ち続けた。
そしてその沈黙は破られ、ひたひたと足音が近づいてきて、そしてそっと自分の枕元に何かが置かれた。足音がゆっくりと離れていくのを聞き、ハジュンはきっと目を開けた。目に飛び込んできたのは自分の母親の後ろ姿だった。
ほら見ろ、やっぱりママだ。サンタは自分のママなんじゃないか、髭を生やしたおじいさんがシカがひくソリに乗ってやってくるなんて、そんなの嘘っぱちだ、みんなママがプレゼントをくれているだけなんだ。
彼の失望はますます深くなり、つまらないクリスマスの夜に深いため息をついた。と同時にある種では気が抜けた。まだ子供が夜深くまで起きていることはかなり神経を使うことでもある。だからハジュンは母が部屋から出ていくのを見届けるとすぐに眠くなってしまい、あっという間に眠りについた。
次の日の朝鮮学校の朝は快晴だった。結局雪のひとつも降ることもなく、少年たちの夢はかなわぬままに終わっていた。
ハジュンは自分の言ったことがそのまま現実になったが、それでいい気分には何一つならなかった。結局それは、自分の失望を半ば八つ当たりとして吐き出しただけで、本当ならそれを否定してほしかったからだ。だが、それはかなわぬ夢であった。それもまた非常に現実的な話であり、ハジュンは二日にわたって深い失望の海に沈むこととなった。
ハジュンはいつものように玄関で靴を履き替え、自分のロッカーを開けた。中から詰まっていた荷物がドサドサと転がり落ちてきた。
その日のクラスは、いつもに増して賑やかな雰囲気をまとっていた。というより、学校全体がそのような雰囲気であった。子供たちの顔は輝くような笑顔にあふれ、まるで興奮した犬のように子供たちは活発になり、校舎を駆け回り、踊り狂い、歌を歌い、自分の感情を思う存分吐き出していた。
いつも学校に来る子供たちは友との語らいを最大の楽しみにするものだが、今日は違った。楽しみが通常の二倍!それも学校に来た途端にその喜びを共有し合うものだから、子供たちの情動が常軌を逸するのも頷けるというものだった。
「今年のクリスマスは、最高だよ!」
学校の中の一クラスから喜びの声が漏れた。
「うん!サンタさんを信じてよかった!信じて待ってた僕たちに、ご褒美くれたんだ」
「でもいいのかなあ、こんなにもらっちゃって」
「いいんだよ!嫌なこともあったけど、それを乗り越えたから、サンタさんは恵みをくれたんだよ」
「嫌なこと、か……」
彼らにとっての『嫌なこと』という数は、あまりに数えきれない。
朝鮮学校に通う彼らは、常に日本人、とくに差別主義者からは白眼視され、時としてヘイトクライムに遭うことも珍しくない。
先日に起きた『事件』はとくにそのうちのひとつであったが、彼らはそれも乗り越えた。苦難も乗り越えた先に立派な大人になれるという彼らの教えが、その苦痛を跳ね返したのである。
「そっか……そうだね!だからだよ」
子供の一人が、クラスを俯瞰した。クラスの仲間たちが元気いっぱいに狭い教室の中を走り回っているのを見て、その活気に勇気づけられていた。
一方で同じ少年は、先日から引き続いた疑問もぬぐえなかった。
「だけど、雪は降らなかったね」
その一言を聞いた子供が、少し驚いたような顔で眉を押し上げた。
「そういやそうか……」
「でも仕方ないよ。サンタさんだって忙しいんだ、こんなにプレゼントくれただけでも」
すかさず、他のクラスメイトが口をはさんだ。
「でもハジュンが言ってた通りなのかもな……やっぱり、サンタさんは魔法使いじゃないのかも」
「いや、魔法使いだよ!だってこんなに幸せに元気をくれたもん。それだけで、僕充分さ」
「確かに、そうだよね」
子供たちがそう言っている間に、教室の外からドタドタと大きな足音が聞こえてきて、それと同じくらい大きな音を立てて入り口のドアが開けられた。
教室に入ってきたのは、ハジュンだった。
「ハジュン」
子供たちが名を呼ぶのを無視して、ハジュンは手に持っていたプレゼントボックスを自分の机の上に置いた。その包装を丁寧にはがすと、その下には白い無骨な箱の姿があった。
その中に入っていたのは、竜の絵柄が描かれた近代的な男性用のチマ・チョゴリだった。竜の模様は今にも動き出しそうなほど綿密に描かれており、それを見たクラスの生徒たちがみな一様に感嘆の声を上げるほどだった。
「すげえ!クリスマスプレゼント、すげえ!」
「めちゃくちゃかっこいい!良かったなハジュン、すげえもんだぞ!」
しかしハジュンの驚きは今、そのチマ・チョゴリの方にはさして向けられていなかった。箱の中に入っていたのはそれだけではない。一緒に小さなクリスマスカードが封入されており、そちらの方に目を向けていたのだ。
ハジュンはそのカードを開き、読み上げた。
『君たちがどう生きるのかは君たち自身が決めることだ。他の誰が何を言っていようと、最後には君たちが決める道だ。これからそれを考えるまでには時間がある。自分が何をしたいか、何者でありたいか、それをじっくりと考えながら人生を歩みなさい』
サンタクロースより、と呟いてからハジュンの時間は止まった。周りの生徒たちが口々にいろいろな事を言っていたが、いずれも耳に入っていなかった。ハジュンは箱をテーブルの上に置くと、窓の外にある遠い景色を見つめた。遥か彼方に青く浮かぶ山。それを見ながらハジュンはふと呟いた。
「サンタクロースはいない。それは分かってる。でも、やっぱりサンタはいるんだ。自分にとって大切な人だ。それがクリスマスに何かをくれるってのは、とても素敵なことなんだな」
それが分かった時、ハジュンの心は重石が取れたようになり、澄み渡ったような感情が胸のうちに広がり、ハジュンの目は潤んだ。
それをこすった時、ハジュンの表情は一転驚きに満ち、癇癪を起したかのように叫んだ。
「みんな!見ろ!外だ!」
ハジュンが慌てた様子で窓を開けて身を乗り出したのを見て、クラスの全員が何事かと窓の外を見つめた。するとそれを見た者も一様に叫び声を上げた。
「雪だ!!」
なんとそれは、この天気ではもう降るまいと誰もが諦めていたはずの雪だった。空は確かに晴れているのに、その太陽を覆うように生じた雲たちからぱらぱらと雪がちらついていたのだ。太陽は確かに照っているのに真っ白な雪が校舎に降り注ぎ、しかもその大きさはどんどん増していくという幻想的な光景に、子供たちの感情も爆発するようだった。
子供たちは大喜びでクラスを飛び出し、校舎の外へと飛び出していった。ハジュンだけがその驚きを受け止めきれず、ただ立ち尽くしていた。
ハジュンはしばし驚愕したままに窓の外を見ているだけだったが、ふと、その窓の外にある、校舎に隣接したコンクリートの道路上からこちらを見つめる姿があることに気付いた。背の高い成人男性と、その肩に乗っている黄色と青を組み合わせた独特な模様をした不思議な生物の姿。
「ケンモメンさん!?」
叫んだハジュンは、窓を飛び出してその姿がした方へと駆け出していった。が、彼が駆けつけた時には、もうどこにもその姿は見当たらなかった。
けれども彼には分かっていた。彼は今、必ず来たのだ。サンタクロースとして、自分たちの願いを叶えるために。自分たちにささやかなプレゼントを渡すために。
「来てくれたんですね」
ハジュンが空に向かってそう呟くのに合わせるかのように、どこからか小さな笑い声が聞こえてきた。
「かっこつけやがって」
「たまにはいいだろが」
クリスマスはまだ始まったばかりだ。
コメント