渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

通行止め ~三原市観光道路~

2024年05月26日 | open




2024年2月19日の降雨による
法面崩落で全面通行禁止とな
った。
通行禁止は自然災害によるも
のなので致し方ない。
だが、全く復旧計画も目途も
予定も立てず、復旧に関する
広報さえも市は一切しない。
動かない。
何もしていないというのはど
ういう事か。
予算の関係もあるだろうが、
我々の血税の使い道の事だ。
予定や計画や目途や進捗くら
いは市民に知らせるべきでは
ないか。
広島県三原市。


三原市ウェブサイト

こういう事を書くと「地元
ヘイトが激しい奴」とか中
傷して「嫌ならあんた三原
から出て行きんさいやね」
と喚くヤカラが続出する。
これ現実。そういう土地柄。
そういう民に支えられて市政
が成り立っている。
市民生活隅々に亘り、三原市
の結果は、ご覧の通り。

現実が全てを物語っている。
ほぼ全ての公園は「犬の散歩
禁止」。
曰く「公園はみんなのもの
です -三原市-」との事で
看板まである。
人口流出に歯止めが利かない
市。
だが、三原生まれ育ちのネイ
ティヴ「三原市民」は、三原
市こそが地上の楽園で、「三
原よりええとこはよそにはな
いけえ」と真顔で誰もが言う。
それほど住みやすく良い町な
のだそうだ。
いっそのこと「井の中市」と
でも改称したほうがよいよう
な気もする。
多くの「よそ」から諸般の事
情でたまたま三原市に転住し
た人たちは、知る限り全員が
「ふ~ん」という対応だ。
そして、「三原市」が嫌で嫌
で心の病になってしまった外
部からの転入者を私は実際に
かなり多く知っている。
厳密には「市」が嫌なのでは
なく、「市民」が嫌なのだが、
その「市民」によって市政は
支えられている。

一つの理不尽が三原市におい
て存する現実問題として、私
は裁判を起こそうかと考えて
いる。
私の世代で決着をつけて清算
しておかないと、私が死んだ
後、子や孫やその先の世代ま
で負の尾を引かせるからだ。
これは三原市が嫌なら転住す
れば済む問題ではない。
それは、土地所有権に関して、
私個人の持分だけでなく、他
人の所有権にかかる不動産に
ついて税金を私に三原市が課
して来る案件が存するからだ。
赤の他人の納税分を私に課し
て来るのだ。
これ、法的にどう解釈しても
おかしいし、違法性が高い。
何度窓口交渉しても三原市は
門前払いだ。当該土地は使用
さえしていない。
自己所有物件自己持分に関し
ては自分が納税するのは当然
の義務だが、なぜ他人の所有
持分まで私が支払う義務を負
うのか。
過去数十年に亘る既払い分返
還訴訟と公正妥当な持分のみ
の納税手続きに変更させる訴
訟を提起しようと考えている。
法的におかしい事はおかしい
からだ。
「三原ルール」などが法治国
家のこの日本で通用してよい
道理は無い。
 

 

 
 






この記事についてブログを書く
« かげとものみち(古代山陽道)... | トップ |