倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)
黒田廬戸宮の比定地は
奈良県磯城郡田原本町黒田。
さて、ここで阿波古代史のバイブル
『道は阿波より始まる』や、
敬愛するぐーたら気延日記さんの
記事等に重要なことが多数記載されていた。
まず、
天佐自能和氣神社の周辺を見てみると、
徳島市国府町に
『西黒田』『東黒田』なる地名が残る。
付近に鎮座する芝原八幡神社は、
「八幡」に変えられる以前は、
孝霊天皇を祀っていたのだそうな。
また、日子刺肩別尊の兄弟姉妹であり
一部の間では卑弥呼とも言われる
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)
香川県東かがわ市に鎮座する
式内社『水主神社』の祭神は
倭迹迹日百襲姫命であり、
社伝では↓
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幼い頃から神意を伺い、
まじないや占い、知能に優れ、
弥生時代後期に争乱を避けるため、
7歳のときに皇居の黒田を出られ、
うつぼ船(天磐船)に乗って
8歳で水主宮内に着き住まわれ、
土人に弥生米をあたえて米作りを教え、
水路を開き、雨祈で雨を降せ
文化の興隆をなされた。
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と、かなり具体的な逸話が残る。
また、
水主神社の本殿右側の
御母宮『國玉神社』に
母倭国香媛を祀り、
本殿後方の
御父宮『孝霊神社』に
父孝霊天皇が祀られている。
倭迹迹日百襲姫命はその後、
二十歳までこの地に居たとも言われる。
同じく香川県の讃岐一宮に
倭迹迹日百襲姫命や
その兄弟が祀られている理由がよくわかる。
そして、
倭迹迹日百襲姫命は出逢うのだ。
『大物主神』に。
箸墓伝説では、
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倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となる。
しかし大物主神は昼は姿を見せず
夜にしかやってこない。
倭迹迹日百襲姫命が
明朝に姿を見たいと願うと、
翌朝、大物主神は櫛笥の中に
なんと、蛇の姿で現れた。
倭迹迹日百襲姫命が
驚き叫んでしまったため、
大物主神は恥じて御諸山に登ってしまう。
倭迹迹日百襲姫命は、
後悔して腰を落とした際に、
箸が陰部を突いたため亡くなってしまった。
倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られ、
その墓を「箸墓」と呼ばれた。
箸墓に使われた石は、
大坂山から運ばれたものだという。
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さて、そんな『大市』だが、
阿波市には『市場町』があり、
町内には『箸供養』の地名が残り、
付近には『奈良阪』、
来たにいくと香川県との県境に
『大阪峠』がある。
さらに、
蛇神大物主神と言えば
香川県仲多度郡琴平町に鎮座する
『金刀比羅宮』。
実は、
金刀比羅宮には奥の院と呼ばれる寺がある。
それが、徳島県三好市池田町に鎮座する
箸蔵寺。
箸と大物主はストーリーで繋がる。
さらにさらに、
同じく日子刺肩別尊の兄弟であり
鬼退治の神稚武彦命は、
徳島市上八万町の式内社
『宅宮神社』に祀られており↓
鬼ヶ島と言われる香川県の女木島。
同じく兄弟の吉備津彦は、
岡山の吉備津神社の祭神。
第7代孝霊天皇の外祖父
天押帯日子命(アメオシタラシヒコ)は、
徳島県徳島市不動西町に鎮座する
式内社『雨降(アマタラシ)神社』に
関連しており、
天押帯日子命の父である
第5代孝昭天皇の本名
観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)天皇の
名を冠する式内社
御間都比古(ミマツヒコ)神社が
徳島県佐那河内村に鎮座する。
これらを地図上に表すと↓
②式内社 雨降神社(天押帯日子命️)
③徳島市国府町東黒田(黒田廬戸宮)
④式内社 宅宮神社(稚武彦命)
⑤式内社 御間都比古神社
⑥阿波市市場町興崎箸供養(大市 箸墓)
⑦奈良坂
⑧大阪峠(大阪山)
⑨式内社 水主神社(倭迹迹日百襲姫命)
⑩箸蔵寺(金刀比羅宮 奥の院)
⑪金刀比羅宮(大物主神)
⑫讃岐国一宮 田村神社(倭迹迹日百襲姫命 他)
⑬女木島(鬼ヶ島)
⑭吉備津彦神社
四国周辺には、まだまだ
欠史八代と言われる天皇と
その一族達の痕跡が遺されている。
欠史八代の説は、
もう忘れてもよいかもしれませんね
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