1人ぐらい食べてもまぁバレへんやろ   作:こだまりパン

8 / 8
8-高低差あり過ぎて耳キーンなるわ!

「お時間あるなら、少しお話伺っても?」

 

 レディーススーツがよく似合う警察の黒髪お姉さまに対し、メガネ君の反応は早かった。

 

「ふざっ、けんなよおい!」

 

 メガネ君がおれの背中を突き飛ばしてお姉さまにぶつける──という魂胆が見え見えだったので、するりと躱して逆にソフトタッチでお姉さまの方に送り出してやる。

 

「おわぇっ!?」

「きゃあ!」

 

 お姉さまとメガネ君がアスファルトの上にくんずほぐれつ倒れこむ。

 オノレうらやまっ……!

 

「佐藤さん!?」

 

 ちょうど追いついてきたお姉さまの同僚らしき茶色スーツの刑事さんが驚きから足を止める。

 その隙に……アディオス! おれは一足先にとんずらさせてもらうぜー! 未成年淫行(未遂)か厳重注意になるか知らんけどメガネ君はがんがえー!

 

「! 追って高木くん!」

「は、はい!」

 

 路地の暗がりに向かってせこせこ走り出したおれを見逃さなかったお姉さま、もとい佐藤刑事……佐藤刑事!?

 ファー! おれ覚えとるよ! 警視庁捜査一課のマドンナ・佐藤美和子警部補やんけ! リアルだとあんな美人なんか!? どこの宝塚や!? 女が惚れる女やんけ……!

 メガネ君に押し倒されながらも動揺は最小限に、すぐさま適切に指示を飛ばす姿は凛としていて、そりゃファンも多いよねと当然の納得感!

 

「ま、待ちなさい! 君ーっ!」

 

 てことはあんちゃん……もしや高木刑事!? 高木刑事なんか!?

 もともと名もないモブキャラだったのに声優さんのアドリブ名乗りで一気に準レギュラーに昇格したというモブキャラ界の出世頭、高木渉巡査部長やんけ! 癒し系の顔してるねアンタ!

 

 路地に入って右左。ちょこまかとルートを刻むおれを高木刑事は的確に追いかけてくる。

 本編だとややドジっ子なイメージがある彼だけど流石は現役の刑事さん。ふつうに身体能力高いし、このままだとあくまでただの子どもっぽく振舞っているおれに追いつくのも時間の問題に思えた。

 

──食べちゃう?

 

 刹那の閃き。だが却下だ。

 ぶっちゃけ(食欲的な意味で)魅力的な案ではあるけど、たかが食事一回のために警察組織との敵対を決定的にするのはあまりに性急すぎる。グール生ガバガバRTA実況中のおれではあるけど、そこまでいくとガバではなく単なるバカでしかない。

 

「待ってくれないか! ……足、はやっ……き、聞きたいことがあるんだ!」

 

 追いすがる高木刑事の声を背に、やはり適当に振り切ることを決める。

 手近な丁字路で左折──した瞬間に壁を蹴って三角跳び。裏路地とはいえ人間では不可能な道幅でもグールの脚力があれば建物の屋上まであっという間だ。

 

「──、あれ!? 消えっ、ええ……!?」

 

 屋上に降り立ったおれの眼下では忽然と姿を消したターゲット(おれ)の影を求めて高木刑事が右往左往。後ろを振り返ったり何度もきょろきょろしたり、近場のゴミ箱の中や建物の裏口が開かないかガチャガチャ試したり、他の路地に行っていないか覗き込んだり落ち込んだりラジバンダリ。

 

 ばいばい高木刑事。また会えたら会おうねー。佐藤刑事に怒られちゃうかもしれないけど、まぁ未来のイイ人との可愛い思い出ってことでここはひとつヨロシコ。

 


 

 佐藤刑事に押しつけた伊達メガネ君だが、電話片手に不機嫌そうにのろのろと通りを歩いているの見つけた。

 雑多なにおいが充満する歓楽街で彼を探すのは難儀したが、最後に別れた場所からそう離れていないことを願って足で稼いでみたら運よく見つけられた。

 

「マジ最悪だよ……いや笑いすぎ……、…うん……あぁ、…まぁ……だから笑うなって! 一回黙れよマジで……」

 

 どうやらメガネ君は先ほどまでのことを電話口の相手に愚痴っていたらしい。まぁそらそーか。あと少しで電撃イライラ()棒をゴールイン()できそうだったのに、お巡りさんに取っ捕まって全部おじゃんだもんね。イライラ()がただの苛々になっちゃったそのフラストレーション察するに余りある。

 てことで。

 

 災難だったねお兄さん。

 

 後ろから呑気に声をかけてみれば音が鳴るほどの勢いで振り向いてきた。

 あーら、にこにこ顔はどうしたよ。開眼した糸目キャラ並に瞳孔かっ開いてんじゃねーか。

 

 メガネ君は「……さっきの件だけど、そのままでよろしく。──あぁ、片さなくてよくなったから、……そう、よろしく……じゃ」なんて意味深な会話を残して通話を切った。

 どう考えても電話の向こうの相手との、なんかヤラしい段取りである。具体的にはナンパで引っかけた相手を仲間ぐるみでイヤン♡アハン♡して搾取しようって魂胆にちげーねー。昔から耳年増と呼ばれたおれにはお見通しなのだ。決して薄い本の読みすぎなどではない。

 

 だからあえて乗る。

 

 瞬時にニコニコ顔に切り替えてきたメガネ君の口車に再び乗ること20~30分ほど。横に並んで背中に手を添えてくるメガネ君のエスコート(「今度は逃がさねーぞ」という気概を感じる)に任せて歩き続けると、やがてそこそこお高そうな賃貸マンションにやってきた。

 ちなみにメガネ君はこの(かん)もずっとおれに話しかけ続けてくれていた。ここにきても理解あるボク君ムーブを続けられる辺りに無駄なプロ根性を感じて仕方ない。おま、その情熱をもっと別のところにぶつけようよ……。

 

 おれはメスガキレスポンスはほどほどに残しつつ、警察を押しつけてしまった負い目があるんですー、の神妙な感じで大人しく部屋に連れ込まれた。自分から入っていくのか……(困惑)

 

「勇者サマお帰り~!」

「だぁっはっは! い、いらっしゃーい、ぶふっ!」

「いえーい! よろしくね~!」

「まぁたガキかよ」

「味変だろ味変」

「まぁ家主の趣味だし多少はガマンすんべ」

 

 玄関で靴を脱ぎ、奥の部屋へと進めば案の定、たばこスパスパ酒缶パカパカで完全に出来上がっているザ・陽キャグループがくつろぎながら待ち構えていた。君たちは、どういう集まりなんだっけ?

 部屋の奥に壁付けされた大き目のベッド(気のせいでなければ拘束具付き)とその上にいっぱい散乱しているオモチャ♡、そして複数の脚付きカメラ(天井にも設置あり)&ミニ照明等撮影器具の数々はなんなんですかね?(すっとぼけ)

 壁沿いにはハンガー掛けのコスプレ衣装がずらずらり。*で装備するタイプの尻尾コスプレまで用意されている気合いの入れよう。なんだこれは……たまげたなぁ。

 

「いやぁ、連れてくるのに苦労したよ」

 

 あたかも状況を呑み込めていないかのような挙動不審JSスタイルを崩さないおれの肩にメガネ君が手を置いてくる。

 ニコニコだった糸目はわかりやすくニヤニヤし、嫌味に吊り上がった口元からはホワイトニングされた明るい歯とピンクの歯茎がこんにちは。感極まってやや興奮気味なのか息が荒くなり始めている。口くさっ。

 

「ごめんね? 何がどうなってるのかよくわからないでしょ?」

 

 おっ、そうだな。

 

「でも大丈夫、みんなボクの友だちでさ……。優しいお兄さんしかいないから安心していいよ」

 

 嘘つけ絶対女殴ってそうだゾ。

 

「一緒に楽しい夜にしよう──ねッ!」

 

 どっ、とおれの背中を押し、非力な不良JS(推定)を陽キャの輪の中に無理やり突っ込ませるメガネ君。八つ当たりなのか、さっきまでのフレンドリーさが嘘のような力加減だ。周りの陽キャからは「真ん中来いよ!」と楽しそうな野次が飛んできた。

 

「さて、……じゃあ、さっそくだけど」

 

 (やに)下がる男たち。それどころか幾人かは既にスマホカメラをぱしゃぱしゃしたりハンディカメラの録画モードをONにしたりと準備万端。明らかにこれから起こるであろう一連の騒ぎをとても楽しみにしていることが理解できた。

 メガネ君は舌を出して渾身のゲス笑顔。

 

「パンいちね。服脱ごっか?」

 

 あ、そうだ(唐突)

 で、出ますよ……(赫子)出しちゃっていいっスか?

 

「……え?」

 

 とりあえず死ね。

 


 

─────────────────────

────────────────

───────────

───────

────

──

 

 カーテン越しだというのに、窓から差し込む陽射しがとても明るい。

 都内相場的にもお高めな賃貸マンション、その一室は現在物々しい雰囲気に包まれている。

 

 専用の道具で部屋の隅々まで何かの採取に励み、都度カメラで記録写真に収めていく鑑識。

 室内を見渡し、周囲の部下に適宜指示を出していく刑事。

 人が倒れていたことを示す白テープ。

 壁や床、カーペット、果ては天井にまで赤黒く染み付いてしまった血痕。

 何者かが激しく暴れた跡なのか、割れた照明が破片となって転がり、テーブルやイスは足が折れ、壁にはいくつも穴が空き、棚板が割れて本や飾りなどの中身を部屋中にぶち撒けた本棚だったものなど。中にはたばこの吸い殻や飲みかけの酒缶も同じように床の上に散らばっていて、しばらくは不愉快な臭いが鼻の奥に残りそうだ。

 

 都内の大学に通う大学生が一人暮らしをしているはずのその部屋は、陰惨な非日常を具現化したかのような様相を呈していた。

 そんな部屋に、一人の若い刑事がやや急ぎで入ってくる。

 

「──目暮警部!」

「うむ、戻ったか。……それで? 何がわかった」

「はい警部。……えー、被害者の7名は全員同じ大学に通う同期生です。うち4名が未成年、3名が成人済み。現場に残された学生証の情報から大学に問い合わせたところ、7名はいずれもその大学に確かに在籍しており、同じサークル仲間であることも先ほど確認が取れました。また被害者7名はそれぞれ……」

 

 目暮と呼ばれた恰幅の良い中年刑事が促すと、若手刑事が手帳にメモした内容とともに被害者全員の簡単なプロフィールを読み上げていく。

 中年刑事は難しい顔で、鼻の下のひげをいじりながらその情報を頭に叩き込んだ。

 

 ふと、説明途中の若手刑事の表情が複雑そうに歪む。

 

「それと……入学当初からのようですが、彼らはこの7人でつるむことが多く、度々…その、いかがわしい集まりを開いており、彼らから暴行の被害に遭ったという女性が未成年も含め複数いるとの情報もあります。現場に残されていた彼らのスマートフォンやビデオカメラは損傷が酷く、中のデータを確認することはできませんでしたが、彼らがそれぞれ所有していたパソコンやタブレット、外付けの記録媒体などからは実際の証拠となる過去の画像や映像が次々見つかっています。……かなり酷い内容だとか」

「……うむ」

 

 内容が内容なだけに口にするのも憚られる、といった様子の若手刑事を見て、さもありなん、難しいがこれも経験だ、と声には出さずとも視線だけで労わる中年刑事。

 若手刑事からの報告はそれからも続いた。

 

「──と、いうことです。報告は以上になります」

「うぅむ、そうか……。ご苦労だったな高木君。また新たな情報が入ったら頼む」

「はっ! 失礼します」

 

 若手刑事高木からの敬礼に簡単な礼を返した中年刑事──目暮警部は、部屋から出て行く高木の背を見送ると、夥しい量の血痕が残る事件現場に目を走らせた。

 

 男の名は目暮十三。

 警視庁刑事部捜査第一課強行犯捜査三係に席を置き、幾人もの部下を率いているベテラン刑事。

 御年41歳。愛妻家。

 

 今回の事件は近隣住民からの通報により発覚した。

 曰く、同じマンションのある部屋からひどい異臭がする、と。

 当初は大したことのない通報かと思われたが、若い学生が住むはずのその部屋から人の出入りがここ一週間以上全くないこと、いつものようにその部屋に集まったと思われる複数の学生らの物音が、ある夜を境にぱったりと途絶えている(外出した様子もない)こと、その夜はひと際物音が大きく、気のせいでなければあれは叫び声だったのかもしれない等、複数の要素を鑑みて事件性があると警察は判断。

 そして派遣された警察官立ち合いのもと、マンションの管理人が部屋の中を確認したところ、腐敗の進んだ複数のバラバラ死体が見つかることとなった。

 

 現場からの報告を受け、新たに駆け付けた警官や刑事の中には、目暮警部率いる目暮班の姿もあった。

 そして事件現場をただちに確認すれば、すぐにとある可能性が彼ら全員の脳裏を(よぎ)った。

 

【東都連続猟奇殺人事件】

 

 事の始まりは今から約一月半前。都内某所にある改装予定のオフィスビル内で男女3人の遺体が見つかった事件を発端とする。

 男性2名、女性1名。いずれの遺体も頭部を欠損し、また全身を激しく損傷。遺体の様子から見ても未だ数日と経過していない真新しい状態。

 特に女性の遺体は凄惨を極め、全身の肉という肉を削ぎ落とされたかのような(おぞ)ましい状態となっており、その内臓に至るまで全てが執拗なほど丁寧に取り除かれていた。

 だというのに失われた肉体、その臓器や体の一部などが現場周辺から発見されることはなく、現場に唯一残されていたのは、何か強い力で引き千切られたと思わしき胸部(乳房周り)のみ。

 またそれだけでなく、現場であるビル内は重機でも持ち込まなければ再現不可能なほどの破壊痕が至るところに残されていた。

 真っ先に現着した機動鑑識隊の面々は揃って「この世の光景とは思えなかった」と口にした。

 

 常軌を逸した荒らされ方をした現場。

 犯人の強い残虐性を示す異状死体。

 女性の遺体がほとんど骨しか残されていない猟奇的な状況。

 

 今後の捜査は混迷を極めるかに思えた。

 しかし後日、現場に残された僅かな手がかり──女性の遺体の乳房、その一部からとんでもない事実が判明することになる。

 

 

 

『間違いない、歯形です……に、人間の……ッ』

 

 

 

 遺体は何者かによって食い千切られていた。

 

 検視からもたらされた情報はまさに爆弾だった。

 捜査関係者全員が脳を揺さぶられたかのような衝撃を感じ、特に事件現場をその目で直接確認している者ほど動揺は大きかった。

 

 血生臭い現場だった。

 恐ろしく、そして奇妙なほどに壊された現場だった。

 人によってはたまに夢に出てしまうとか。そうでなくとも目を閉じれば嫌でも鮮明に思い出すことだってできる。

 遺体の状態が酷かったことも記憶に新しい。

 過剰な暴行の痕、からの殺人、死体損壊・遺棄。

 そしてそこに生々しく連なる「人食い」の三文字。

 

 正気の沙汰じゃない。

 誰もがそう思った。

 

 この時点で警察は今回の事件を近年類を見ない凶悪犯罪として扱い、取材を求めるメディアには情報を規制することまで決定していたが、話はまだ終わっていなかった。

 検視からの続報が原因だ。

 

──歯形が小さい。

 

 遺体に残されていた歯形は比較的小さく、形・大きさともに成人の、それも男性のものとは考えにくく、この歯形の持ち主として「非常に小柄な女性」もしくは「小学生以下の子ども」が候補として挙げられたという。

 

 あり得ない。

 検視は事件の異常さに()てられて頭がおかしくなったんじゃないか。

 成人男女3人分の人体を積み木のごとくバラバラにし、死肉を貪り、コンクリート造りのビル内を損壊させる意味不明な凶悪犯なんだぞ。

 それが小柄な女性? 義務教育中の子ども? 何かの間違いじゃないのか。

 そんな反応が一部から出るほどにその情報は信じがたかった。

 

 しかし証拠(データ)は嘘をつかない。

 引き続き検視から、そして鑑識から報告が上がってくるたび、捜査関係者の口数は減っていく。

 

 今度は靴跡が発見された。事件現場を出入りする、被害者3名のものとは明らかに異なる靴跡が一種類。

 推定される足のサイズは21cm前後。歩幅も考慮すれば身長にしておよそ120~140cm。ちょうど8~11歳くらいまでの子どもの平均がここに該当する。

 この靴跡は登山靴や作業靴などに見られる形状に類似した特徴を持っており、特に近似した靴を複数のメーカーからリストアップできたが、どれも完全には一致しなかった。

 またその足跡から、この人物の当時の行動がある程度読み取れた。

 足跡はビルの一階入り口付近から始まり、フロア全体を大まかに歩き回ったところで上階へ。これが二階、三階、四階…と事件現場まで順に続いている。

 全体的に迷いのない足取りだ。途中で引き返したり立ち止まったりした様子もなく、最初から何らかの目的があってこのビルに侵入したのではないかと予想される。

 そして事件現場まで続いた足跡だが、ここで一旦途絶えてしまっていた。何せ現場は筆舌に尽くしがたい状態にあり、足跡を特定するどころではなかったのだから。

 なので足跡の主が肝心の現場で当時どのような動きをしていたのかは不明のまま、しかし階下へ引き返していく足跡──被害者らの血をべっとりとつけた小さい靴の跡を追うことはできた。

 

 捜査関係者はそれを不審に思った。

 歯形といい遺体といい足跡といい、この人物、痕跡を残すことに対して無頓着過ぎやしないか。

 まさかこの足跡は偽装の一環だったりしないか。

 そんな思惑をよそに血の足跡は真っ直ぐに階段を下り、少しずつ血の色を薄めながら、やがてビル外へと消えていった。

 

 これが第1の事件の概要である。

 

 

 

 第2の事件はその翌日のこと。

 

 場所は同じく都内の、某風俗街でも特に人通りの少ない路地の奥。

 そこに夥しい量の血痕と、挽肉のように圧壊・細断された大量の、人のものと思われる骨肉片が散乱しているのを、現場を偶然訪れた近隣住民が発見し警察に通報が入った。

 

 遺体、と思わしき肉塊だが、現場近辺には目立った遺留品がなく、当初被害者の特定は困難かに思われた。

 しかしその身元はすぐに判明した。というのも、遺体の一部から採取したDNA情報が警察のデータベースに登録されているものと一致したというのだ。

 

 被害者は過去に逮捕歴のある男だった。

 都内有数の指定暴力団組織に所属する直参幹部の一人であった。

 

 そしてこの事件現場にも、どこか見覚えのある小さな足跡が残されていた。

 アスファルトに散らばる被害者の血肉を平然と踏み締め、やはり迷いのない足取りで立ち去っていく血の靴跡が。

 

 

 

 そして第3の事件が起こった。第2の事件から翌日のこと。これで三日連続となる。

 

 事件の現場となったのはとあるオフィスビルの会社。

 表向きは経営コンサルタントや各種イベント、企業向けに所属モデルを派遣する事業を展開しており、しかしその実態は第2の事件の被害者である暴力団幹部が取締役を務めるフロント企業というもの。

 

 事件当日、夜の十時半を過ぎた頃。

 ビル内はある一室を除いて全ての階の明かりが消えており、複数の人の悲鳴やガラスのような硬い物が割れる音、大きな物が倒れるような音などを耳にした通行人からの通報が第一報として記録に残っている。

 

 第二報はそのわずか十分後のこと。第一報を受けた警官らの到着とほぼ同時。

 例の唯一明かりがついていた部屋の階の様子が、開け放たれた部屋のドアからあふれた光によって内部から浮き彫りになり、その異様が野次馬の目に留まることとなって通報された。

 「誰かが暴れてる」「複数の人影が走り回っている」「物音がひどい」「ずっと悲鳴が聞こえる」「窓ガラスに血がべったりついている。今またついた」

 複数人からの同時通報だったが、その内容は共通してビル内で暴力事件が発生している可能性を十分に示していた。

 加えて、第一報を受けて現着した警官からの報告も重要な決め手になった。

 現場からの報告を受けた警察は暴力団による抗争も視野に入れ、機動隊の出動を決定。

 事件現場となった建物は一時間足らずのうちに包囲されることとなった。

 

 都会の夜を切り裂くサイレン、ランプの赤色灯。

 通りを埋めかねないほどの警察車両の群れ。

 ビルを取り囲む大勢の警察官の波。

 出入口を固め、勧告を行い、時が来るや一糸乱れぬ統率のもと突入していく機動隊。

 

 ビル内に生存者は一人もいなかった。

 

 事件現場に突入した機動隊が見たのは、何者かによって殺されたと思しき無残な死体ばかり。いずれも裸の状態。

 いかなる方法か頭を潰され、首を刎ねられ、中には背骨ごと腹部や胸の辺りをごっそり抉られている者も。

 そんな死体が建物の上から下まで点々といくつも転がり、またビル内は至るところのガラスや鏡などが割られていて、その破片が廊下の複数箇所に撒かれ、特に一階に近づくほど破片の量が多くなる。

 見つかった死体が裸足ばかりだったことも踏まえると、おそらく被害者らの逃走防止のためだったのではないか、との見方が強い。

 

 唯一明かりがついていた例の部屋はというと、またしても頭部を失った死体が複数。

 床の上に雑に放置され、その後わざと損壊させられたのであろう三分割状態の男性が1人と、用途があからさまなベッドの上で川の字になるよう並べられた、頭部以外に欠損がない綺麗な状態で残された女性が3人。

(女性らの全身に残っていた暴行跡は、その後の検視によって被害男性らによってつけられたものであることがわかっている)

 これらの内容を報告として聞いた者の中でも耳が早い者は、昨日、そして一昨日にも起きたばかりの異常事件との関連を真っ先に疑い、“特に”と念を入れて鑑識に一つの指示を飛ばした。

 

 やがて捜査が始まり、調査が進むと──隣接するビルの屋上、構造物の隙間に容積を無視して押し込まれたと思しき変形死体が見つかるという異常もあったが──これらの遺体は全てこの会社の従業員のものであると身元が判明した。

 女性3名は所属モデルであり、男性らは全員、前述の暴力団の構成員もしくは準構成員で、第2の事件の被害者である男の部下でもあった。

 

 そして鑑識からは「子どもぐらいの大きさの足跡が見つかった」との報告が上げられた。

 

 足跡は第1・第2の事件のものと完全に一致。さらに今回に限っては、発見された足跡は靴のものと素足の両方で、今後の捜査において重要な手掛かりを掴んだと言える。

 あっさりと見つかる手掛かりに釈然としないものを感じつつ、しかし捜査関係者はこの足跡の持ち主を事件の重要参考人として、その行方を追うことに。

 

 後日、事態を重く受け止めた上層部は異例のスピードで、第1から第3までの事件を全て一連のものであると認定。正式に捜査本部を設置し、事件解決のために東都の警察全体が慌ただしく動き始めた。

 これ以上被害を増やしてはならない。

 彼らの決意は大きかった。

 

 しかしそれから一か月以上。彼らの危機感に反して新たな事件は起こらなかった。

 捜査関係者の間では、あれだけ派手に暴れたとなれば犯人もほとぼりが冷めるまで大人しくしているつもりなのだろう、との意見も出た。

 

 捜査はそれなりに順調に進んでいる。

 周辺への聞き込み、防犯カメラの映像など、足跡以外にも証拠は揃いつつあるのだ。

 犯人が再び事件を起こさないという確証はないが、だとしても、たとえそうでなくとも、警視庁の名に懸けて必ずや逮捕してみせる。

 捜査官の面々がそのように決意を新たにしていた時だ……第4の事件が起こったのは。

 

 

 

「……、…」

 

 目暮は第4の事件現場となった部屋全体を見渡せるよう部屋の入口に立っていた。

 日当たりの良い部屋は明るく、向暑の暖かさに満ちている。部屋中の様々なものが原形を留めないほどに荒れ、異臭が立ち込め、ペンキをぶちまけたかのような赤黒さに染められているのが質の悪い冗談のようだ。

 

 じっと、部屋を眺め続けてどれほどの時間が経っただろうか。

 その場から一向に動こうとしない目暮だが、彼は今、つい先日捜査本部における直属の上司に呼び出された時のことを思い返していた。

 

 上司からの呼び出しは、目暮を筆頭とした捜査官からの要望である「閲覧制限されている防犯カメラの映像の解禁」への回答と思われた。

 一連の事件に関する捜査で集められた情報というのは、何も足跡や歯形だけではない。

 刑事たちが地道に足で稼いだ情報はもちろん、鑑識により現場から発見された玉石混交の手がかり、科学・医学的根拠に基づいた検視からの報告、現場周辺に設置された防犯カメラの映像や、市民によって偶然撮影された動画・画像など多種多様なものも含まれている。

 しかしその中で一つ、不自然なまでに捜査関係者への開示が制限されている情報があった。

 

 防犯カメラの──犯行現場を捉えた映像である。

 

 聞き込みにより目撃証言は集められた。

 鑑識により例の重要参考人──信じがたいことではあるが、やはり容疑者と見るのが正しい──の人物像もある程度固まった。

 検視からは未だ推測の域を出ないおぼろげなものだが、容疑者の手口──あまりに非科学的過ぎてやはり信じがたい内容となっている──も浮かび上がりつつある。

 そして現場付近の防犯カメラの映像、特に静止画からは容疑者の容姿・背格好が明確になり……だというのに動画の方に関しては全くと言って良いほど肝心な部分──犯行現場を捉えているはずの部分が提供されることはなかった。第3の事件、オフィスビル内で行われた大量殺人、その一部始終をビル内の監視カメラが収めているはずだというのに。

 当然納得できるはずもなく、目暮は自身の部下を始めとする捜査官らの代表として捜査本部長──自身の上司でもある警視へ直談判した。

 

 警視からの答えは『映像は然るべき部署により解析中』とにべもないものだった。

 目暮はかっとなった。

 

──然るべき部署? 捜査本部は然るべき部署ではないと言いたいのか?

 

 警視からの返答を聞いた瞬間、目暮の頭には【公安(ハム)】の二文字が浮かんでいた。そして、ありえそうだ、とも。

 犯行現場の映像にはもしや何らかの重大情報が……警察にとって秘匿しておきたいような内容が……。

 と、表情に出ていたのかもしれない。そこまで邪推してしまったところで警視から、苦笑とともに否定の言葉がかけられた。

 曰く、この件に関して警察にとって不都合な事実は一切ない、と。……それはそれで他の件であればそういった事情が絡む場合がある、という何とも自虐的な言い方になってしまっているわけだが今は捨て置く。

 警視からは続けて『明日には()()()から人員を何人か受け入れることが決まった』『捜査自体は今後もここで継続することになっているから安心しろ』とも言われた。

 納得はできない。しかし『外』からの圧力をこうもはっきりと示されてしまえば、いくら目暮といえどそれ以上抗うことも難しい。

 

 踵を返し、憤懣やる方なく辞去する目暮。

 そしてドアノブを回し、部屋から出る直前、その背に警視からの声がかかった。

 

『目暮、私は見たぞ。……いや、()()()()()()と言った方が正しいか』

 

 ぴたりと動きを止めた目暮に構わず警視は続ける。

 

『その上で言うが、あれは「見せられない」、と……確かに思った』

『そ、それはいったいどういう──』

『私からは以上だ』

『なっ、しかし』

『目暮!! この件に関してこれ以上詮索してはならん。……良いな?』

 

 目暮が捜査本部に戻ると、彼が戻るまでわざわざ待機していた捜査官らがたちまち集まった。

 目暮は大切な部下であるそんな彼らに自分が受けた話を正直に明かそうとして、

 

──あれは『見せられない』

 

 苦渋に満ちた警視の言葉が目暮を踏み(とど)まらせた。

 

 結局、目暮が捜査官らに話せたのは『ハム絡みかもしれん。明日から共同捜査になるが頼む』という彼にとっては当たり障りのない範囲でのこと。しかし言い方は悪くなるが、下っ端でしかない捜査官らにとっては寝耳に水であり、同時に十分説得力のある話でもあった。

 口々に『上』への不満を吐き捨て、それでも渋々と元の仕事に戻る刑事たち。

 目暮はそんな彼らの背を小さな罪悪感とともに見送った。

 

 

 

 その日の作業を終えた鑑識や他の捜査官に続き、目暮は最後に部屋を出た。

 エレベーターで地上まで降り、エントランスを抜け、外の通りに一度出たところで再度マンションの方を振り返る。

 事件現場となった部屋を見上げる視線は鋭い。

 

「警視は……いや、『上』はいったい【何】を見たというのだ……?」

 

 その問いに答えが返ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

 かに思えた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、それって何の話?」

「ぬぉっ!? コ、コナン君!? なぜここに……!」

「おい小僧! 急にいなくなりやが──…って、ややっ、これは目暮警部殿!」

「なっ」

「ねぇねぇ目暮警部、このマンションに何か用事でもあったの?」

「くぉぉら! そこどけガキ! ったく…、……いや~奇遇ですな警部殿ぉ! 何か事件でも?」

「ハ、」

「……『ハ』?」

 

「ハイエナか貴様は!!」

 

「はいぃぃ!?」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。