2006年3月28日付の産経新聞に掲載した連載「わたしの失敗」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。
フォークが歌えない世の中に
あの選択は、果たして正しかったのか-。高石は、今でも自問する。自身が「六九年の選択」と呼ぶ出来事は、それほどに彼の人生を左右している。
昭和四十四(一九六九)年暮れ。大阪・フェスティバルホールで開いた「冬眠コンサート」を最後に、高石はステージを降りたのだった。
話はさかのぼる。
昭和四十一年、大阪・サンケイホールで開かれた労音のフォーク・コンサート。ギター一本で飛び入り出演した二十五歳の高石は、会場を熱狂的に沸かせた。その年のうちにデビューを果たし、初アルバムも発表。四十三年の「受験生ブルース」は空前の大ヒットとなる。