ラファを去る決断、最後の夜の空爆 家族には隠した感情を伝えたい

イスラエル・パレスチナ問題

ハンユニス=ムハンマド・マンスール 構成・エルサレム=高久潤
【動画】パレスチナ自治区ガザ南部の破壊された街の様子=ムハンマド・マンスール撮影

 5月17日、私たち家族はついにラファを離れた。イスラエル軍の激しい攻撃を浴びても、イスラエル軍から退避勧告が出ても、しばらくはラファを離れるのを拒否していた。いまは苦しみにさらされていても、生まれ育ったこの街には思い出が詰まっている。この街を失うことは私にとって、心のよりどころを失うことに等しい。それでも、ラファの大きな病院が空爆を受けて、私は考え直した。

 イスラエル軍の地上部隊の装甲車両に囲まれて逃げられなくなったらどうなるのか。私たちは戦闘を半年以上耐え忍んだ。でも結局イスラエル軍に殺戮(さつりく)された大勢のパレスチナ人の一人となるのだろうか。大切な妻や子どもたち、母や兄弟がそんな結末を迎える姿を考えるのは苦しい。

 毎晩こう考えていた。

 なぜ、もっと早く逃げないのかと思うかもしれない。イスラエル政府はラファで地上部隊を展開すると繰り返し言ってきた。

 でも私はどこかで期待していたのだ。国際的な圧力が功を奏して、イスラエルとハマスがこの戦争を何らかのかたちで終わらせることで合意するのではないか、と。

 パレスチナ自治区ガザでのイスラム組織ハマスとの戦闘で、イスラエル軍は最南部ラファでの攻撃を強めている。ラファで取材をしてきたムハンマド・マンスール朝日新聞通信員(28)は家族とラファを離れる決断をした。何を考え、何を見たのか。報告する。

 イスラエル軍がラファで地上作戦を「限定的な軍事作戦」として始めたと発表したのが5月7日。報道をみると、イスラエル軍はエジプトとの境のラファ検問所を制圧し、その周囲を指す作戦のため「限定」と言っているようだ。

 もしかしたら「空」から見ればそうなのかもしれない。だが、地上にいる私たちには「限定」の意味がわからなかった。

 これまでの空爆音とは異質の爆発音が建物やテントを揺らす。その音はどんどん大きくなる。そしてイスラエル軍は私たちに「退避せよ」と書いたチラシをばらまいた。

 いくら私たちが国際社会の動きを待っても、イスラエル軍は止まらない。イスラエルは私たちを殺すつもりなのだ。

 「ガザの市民の死は一人でさえ悲劇だ」

 イスラエルのネタニヤフ首相は、米国メディアのインタビューに顔色一つ変えず語っていた。ガザでは3万5千人も死んでいるのに、だ。

 私は、家族と一緒にこの街を出ようと決意した。

     ◇

 パレスチナ自治区ガザ最南部ラファからどう逃げるか。私たち10人家族が長距離を移動するのは、今のガザでは簡単なことではない。荷物を運ぶには車が欠かせないが、その車が見つからない。周囲に声をかけてまわっても、誰も貸してくれなかった。

 理由は街に出ればわかる。私たちのような人たちが路頭にあふれている。「退避」と言ってもイスラエル軍の空爆は続く。できれば車を、とみなが思う。

 結局、私は車探しで、7時間歩き回ったが、借りられず、ラファでもう一夜を明かすことになった。

 その夜中。

 近所が空爆された。人々の悲鳴、子どもたちの泣き声、救急車のサイレン。目を閉じると、イスラエルの戦闘機が迫ってくるのがわかった。

 もううんざりだった。

 「いつまでこんなことを続けるんだ。もう十分じゃないか」

 思わず口を突いて出た私のつぶやきは、ガザの夜の静けさをかき消す騒々しい爆音で誰にも届かなかった。

 私がラファで過ごした最後の夜に考えていたことはこんなことだった。

 もう動きたくない。

 何も考えたくない。

 何もかもわからない。

 なぜ私は記者なのに何も知らない。

 抑えていた感情が膨れあがり、家の外に飛び出した。

 夜中の戸外は特に危険だ。そんなことは分かっている。でも叫び出したい気持ちだった。物陰で、大きな声をあげて泣いた。

 家族の前でこんな顔を見せるわけにいかない。これ以上、不安にするわけにはいかない。

 もう一度車を探そうと心に決めた。

 爆撃の合間をぬって車を探しに出て、運んでくれるという運転手にやっと出会うことができた。

 料金は、800ドル(約12万5千円)だった。ガザの人々には高すぎる金額だ。「イスラエル軍の封鎖で、燃料1リットルが約40ドル(約6200円)まで高騰しているんだよ」。私が暗い顔をしていたからだろうか、運転手は申し訳なさそうに説明した。

 私たちは隣接するハンユニスの海岸にたどり着いた。どうにか逃げてはきたものの、家族全員が休めるテントや寝袋、基本的な生活必需品を手に入れると、飲み物や食べ物を買うお金はほとんど残らなかった。

 これからどうなるのだろうか。家族を守りきれるのだろうか。こうした状況を記者として伝え続けても、この戦争が終わる気配が見えないのはなぜなのか。

 それでも、私たちの声を届けることにしか希望はないのではないかと考えた。だから私はこの「退避」を日本の読者に伝えたいと思う。イスラエルが「人道的」と呼ぶこの退避がどんなものなのか。私は考えた。

 そうだ。私の家族の写真を載せよう。この苦しみを知ってもらおう。そのように妻や母に説明した。

 「人間としての暮らしから、もう長いこと遠ざかっている。こんなに汚れて、みすぼらしい姿を、大勢の人に見られるのは耐えられない」

 妻はそう言って泣いた。

 私の仕事を間近でみて理解している妻と母が、写真は撮らないでほしいと言った。

 私たちは生きているのに、ほとんど死んでいるようなものだ。「死者」の写真を載せるわけにいかない。だから、記事に載せられる私たちの写真はない。

 この苦しみには出口がないと感じる。

 この言葉だけでもいいから私たちの声を聞いてくれないだろうか。(ハンユニス=ムハンマド・マンスール、構成・エルサレム=高久潤

広がるイスラエル軍の地上作戦 破壊されるラファ

 イスラエル軍は、パレスチナ自治区ガザ最南部ラファでの攻撃を強めている。ガザ全域からの避難民が集中したラファへの大規模攻撃を強く懸念する国際社会に対し、イスラエル軍は地上作戦は「限定的」と説明してきた。だが、最新の衛星写真などから、ラファでの破壊はすでに甚大になっている様子が見て取れる。

 イスラエルの有力紙ハアレツは22日、民間の衛星会社が19日に撮影した衛星画像をもとに、隣国エジプトとの境界にあるラファ検問所北方の地域が、「広範囲にわたりほぼ全壊し、更地となっている」と報じた。少なくとも約18平方キロで顕著な破壊がみられるという。オレゴン大学などの研究チームの分析によると、戦争開始から現在までに、損壊したり完全に破壊されたりしたラファの建物は、全体の約4割に上るという。

 国連人道問題調整事務所(OCHA)は22日、ラファから約81万5千人がガザの他の地域へ避難したと発表。ガザ全域からラファに集まっていた約150万人の半数ほどにあたる。

 イスラエル軍は、人道的な安全地域を設けることで犠牲を最小限に抑えていると主張する。ただ、ラファに隣接する南部ハンユニスなど避難先の地域の多くもイスラエル軍の攻撃ですでに破壊されている。

 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のフィリップ・ラザリーニ事務局長は、避難した人たちが到着した地域では、人が過密状態に陥っており、「絶望的」で、「安全で尊厳ある方法で緊急人道支援を提供するための最低限の条件」が欠けている、と訴えた。

 イスラエル軍は5月上旬にラファで地上部隊の展開を開始。支援物資の搬入口でもあるラファ検問所を制圧した。軍はこの検問所周辺は地下などがエジプトとの境界からの武器密輸入ルートに使われており、イスラム組織ハマスの壊滅にはこうしたインフラの破壊が欠かせないと主張している。

 国連や支援組織は、イスラエル軍による検問所の制圧以降、ガザ全域で支援物資の配布が滞っていると危機感を募らせる。

 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)や、国連世界食糧計画(WFP)は21日、ラファでの食料配給を一時停止したと公表。物資が不足し、安全も確保されていないことが理由という。AP通信によると、WFP報道官は「ガザに食料などが大量に入るようにならなければ、飢餓状態が広がることになる」と話した。世界保健機関(WHO)によると、燃料不足などで稼働を停止せざるを得ない病院も増えているという。

 ネタニヤフ首相は、ラファにはハマスの主要な軍事拠点があり、地上部隊を本格的に展開すると公言している。

 ただ、米ニューヨーク・タイムズは、ラファでの軍事作戦の有効性を疑問視する軍事アナリストの見方を伝えた。ハマスの戦闘員の多くは軍事力で圧倒的に優位なイスラエル軍との直接対決を避け、すでにラファの外へ移動している可能性が高いとしている。

 イスラエルメディアは、ガザのハマスの最高指導者シンワル氏やハマス軍事部門トップ・デイフ氏らはラファから逃れたとみる、諜報(ちょうほう)機関関係者の見方を伝えている。

 実際、イスラエル軍は北部ジャバリヤ難民キャンプでも激しい軍事作戦を続けている。ジャバリヤは一時期、軍が「制圧した」と発表した場所だった。

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    三牧聖子
    (同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
    2024年5月24日20時47分 投稿
    【視点】

    岡真里先生が今月号の『思想』に論稿「ガザは甦る」を寄せ、生命や生活を意味する「ハヤート」がない、というのがガザの人々の口癖であると紹介されていた。今回の軍事行動が始まるはるか以前から、ガザの人々はイスラエルによって「生きながらの死」を強いられてきたが、マンスール通信員の切迫した言葉は、イスラエルによる終わりのない軍事行動が、そうした状況を極限化させていることをありありと伝えている。 同じ論稿で岡さんは、抵抗を意味する「ソムード」という言葉も紹介されている。打たれても打たれても立ち上がり、挫けない、そうした形の「抵抗」だという。ガザでは生き続けるよりも、家族一緒に死にたいと願う人も増えているとも聞いた。そんな思いが何度も頭をよぎる絶望的な状況で、それでも必死に生き、家族や同胞を生かそうとするガザの人々。まさに「ソムード」だ。岡先生の論稿はウェブで全文読めるので、未読の方はぜひ、ご一読いただきたい。 思想の言葉:ガザは甦る 岡 真理【『思想』2024年5月号】 https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8002 「ラファ侵攻はレッドラインだ」と米バイデン大統領は強調してきたはずだが、今やこの言葉は、「ラファの大規模侵攻はレッドラインだ」にすり替えられ、「限定的な侵攻」の名のもとに、ガザ市民への非道な攻撃を正当化するレトリックになっている。先日、国際刑事裁判所が、ハマス幹部のみならず、ネタニヤフ首相らにも逮捕状を請求したと発表した際には、激怒したバイデン大統領は「ガザで起こっているのはジェノサイドではない」と改めて強調し、「イスラエルとともにある」と高らかに宣言した。 バイデン自身は、2024年大統領選でトランプに勝利し、「アメリカの民主主義を守った政治家」として人々に記憶されることを願っているだろうが、世界の圧倒的な多数の人々には、「ジェノサイドを幇助した大統領」「ジェノサイド・ジョー」と記憶されることになるだろう。日本は、ICC加盟国として、現所長の赤根智子氏を輩出した国として、対米追随ではなく、「法の支配」に則った行動、何より命を守るための行動をとってもらいたい。

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    高久潤
    (朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費)
    2024年5月24日18時59分 投稿
    【視点】

    危険だから退避するのは当然なのか。私はラファを拠点に取材を続けてきたマンスール通信員と退避について電話で話しをするなかで何度も考えました。この記事で書いているように、ラファで育った彼は最後までとどまり続けるかどうか迷っていました。 もちろん危険を避けるという意味では退避したほうがいい。でも7カ月以上の戦闘で、退避したからといって安全が保障されているわけではないことがわかっています。 そもそもとして、ラファはイスラエル軍がそこに逃げるようにと指定して北部の住民たちを退避させた場所です。まるでそんなことはなかったかのように、今はラファから逃げろと言っているわけです。 さらに重要な問題があります。これはマンスール通信員に言われたことですが、そもそも「なぜ逃げろ」と言われなければいけないのか。どうして自分たちが住んでる場所を脅かしている人間の言葉にしたがわなければいけないのか。そのそもそも論を忘れてはいけません。 「限定的作戦」や「戦闘休止」といった軍事作戦や外交をめぐる話は、まるで空の上から地上を見下ろすような視線に近づきやすい。作戦がおこなわれている場所の人たちからみれば、「限定」ということは起きていないし、戦闘の休止と停戦の違いは現場の人にはそんなに大きな問題として受け止められていません。 これはミクロの現実とマクロの現実の違いという話ではない。この記事ではマンスール通信員のルポとともに、ラファを撮影した衛星写真からガザの被害状況を検討しました。衛星写真をみても「限定的」というにはあまりに大きな被害が生じており、たとえば米国やイスラエルがまだ本格的な大規模な軍事作戦には至っていない、という話がどの程度の話なのかが浮かび上がってきます。 すでにラファは、ミクロな視点でも、マクロな視点でも、大規模に破壊されていると考えるべきだと私は考えています。 戦闘が続くなか、各国や軍事組織の利害が入り乱れるため、それぞれの発言に依拠するだけでは彼らの利害を割り引くのは非常に難しい。実際に今ガザの内部に外から記者から入ることはほぼできませんし、イスラエルは許可していません。 むろんハマスはハマスでその利害に基づいて自分たちのストーリーでこの戦争を語ります。だからこそ、政府や武装組織が語る「戦闘のストーリー」と違う語りやデータを組み合わせないと、何が起きているのかが見えてきません。 「退避」「限定的作戦」「戦闘休止・停戦」といった言葉の向こう側にある現実を今後もマンスール通信員と報じていくつもりです。

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