見出し画像

自分とは空間(スペース)である。

なぜ、これだけ物質的に豊かで平和な世の中なのに、自分に自信がなかったり、精神を病む人が多いのか。今日明日殺されてしまうリスクに身を晒している訳でもないのに、漠然とした不安に襲われたり、倦怠や幻滅や虚無を抱える人が多いのか。ものすごい乱暴にまとめると、それは「自分であることに安心できないから」だと思う。自分であることに安心できないから、恋愛や金や仕事や酒や娯楽で埋めようとする。だが、それは根本的な解決にはならない。より一層自分を傷つけて、溝を深めることになる。

キリスト教には原罪という考え方がある。罪の語源は「的外れ」である。的外れな生き方をするから罪が生まれるのであり、自然が「あなたの生き方はズレていますよ。そっちじゃないですよ」と教えてくれた時に、抵抗をしないで受け入れると、罪は消える。罪を消す方法は、罪滅ぼしをすることではない。自分に生じているズレを認識して、的外れな生き方をやめることだ。的外れな生き方を続けると、体の中に罪悪感が蓄積する。罪悪感の別名は、エゴだ。エゴは「お前はダメだ。お前は不足している。生きているだけではダメで、何かをした時にはじめてお前はそこにいてもよくなる」と囁き、より一層自分を的外れな方向に進ませる。エゴの声を消す方法は、自分のズレを認識することだ。

原罪という言葉は物騒だから誤解を招きやすいが、キリストは「死ぬまで罪悪感を持って生きろ」なんて言っていない。罪悪感を抱いたら、それは生き方がズレている合図だから無視をしないでしっかりと自分の真ん中を生きましょうね、と言っている。それでは、自分とは何か。自分とは空間(スペース)である。自分は無職であるとか、自分は作家であるとか、自分は母であるとか、自分は普通のサラリーマンであるとか、自分の外側に貼り付けたラベルを取り去った後に残るもの、自分は○○であるではなく「自分はある」と思う感覚、これが、自分だ。自分の真ん中を生きるということは、自分のエゴを生きることではない。最後の最後まで自分の中に残り続ける生命感にリーチすることだ。

居場所が欲しい、居場所を作りたい、そんな言葉を聞くことが増えた。だが、これは危険だ。ズレる可能性が高い。居場所は自分。自分以外に居場所を求めると、それが崩れた時に脆い。居場所の類義語に「帰属」がある。自分を心許なく感じた時、自分より大きなものに帰属したり、みんなが欲しがる物を欲しがる時がある。高級車に乗れば高級車に乗るようなグループに帰属できるし、ブランドの服を着ればブランドの服を着るようなグループに帰属できる。それによって自分を大きく見せることができるが、実態は「より一層自分を小さくしているだけ」だ。自分の価値を若さに置くと、年と共に自分の価値を失うことになる。自分の価値を金に置くと、金が減ることは自分の価値が減ることになる。真の自分には、年齢も性別も形もない。

居場所は自分。帰属先は自分。それ以外に求めると崩れた時に脆い。特別な存在になりたいと思わないこと。特別になりたいと思うほど、自分の中にある特別性を無視し、傷つけ、冒涜することになる。自分は優れている、あるいは、自分は劣っている、これらは全部エゴの声だ。エゴは傲慢で、エゴは小賢しく、エゴは自分や他人の不幸をエサにして成長する。エゴは自分ではない。自分とは空間(スペース)である。空間から放たれる愛や知性は、自分と他者を分け隔てない。自分を愛するように他者を愛し、他者を愛するように自分を愛する。自分が特別であるように、他者もまた特別であることを認識する。私の中に神がいて、あなたの中に神がいる。的外れな生き方をやめて、自分の真ん中を生きた時、その生き方が周囲を活気づける。罪滅ぼしとは、自分を生きることだ。本人にその意図はなくても、その意図がないからこそ、純粋なエネルギーとなる。何者でもなく、平気で生きる。自分とは空間(スペース)である。

坂爪さん

こんばんは。昨日は遠くまで来てくださったにもかかわらず
大変失礼な対応をしてしまい、ほんとうに申し訳ありませんでした。

夜中にふとんのなかで「自分は狂っている」と思い至りました。
私は狂った自分を坂爪さんに調律していただきたかったのだと気付きました。

狂っている自覚のないまま、それを坂爪さんにぶつけてしまいました。自覚をもってやる以上に、私は坂爪さんに悪質なことをしました。
大切な時間を奪ってしまってほんとうにごめんなさい。

私は坂爪さんのように、すぐに立ち去ることができませんでした。いつも離れることが怖くて、執着して、やりすぎて、自分の感情がわからなくなっていました。

坂爪さんが書かれていたように、私はまさにゾンビだし、坂爪さんにとって敵です。
それでもこの人は本音を書いてくれるんだ、と驚きました。
坂爪さんは私によるストレスでやられてしまっていたにも関わらず、です。

寝て寝ろ。自然のなかでゆっくりすごせ。お前に必要なのは多分こっちだ。人間になれ、コジコジになれ、プーさんになれ。
これは坂爪さんのやさしさだと思いました。この人は見捨てないんだと思いました。

うなぎパイと一緒に渡してくださった本、家で開いたときにはじめてカードが添えられていたことに気付きました。
丁寧な美しい文字で、一文字一文字心をこめて書いてくださったことが伝わってきました。

こんなに心をこめて用意してくださっていたのに、返してほしいと言わせてしまった。
坂爪さんがおっしゃっていたとおり、エゴに取り憑かれている私に今一番必要な本です。カードと一緒に大切にします。

ずっと楽に生きたかったんだ。そう思うと心が軽いです。
坂爪さん、私、仕事も、会社も、社長も、ほんとうに樂しくて大好きでした。こんなに大切なものを手放すのだから、きっと大丈夫なのだと思います。もっと、心を喜ばせてあげようと思います。

自分のジメジメした感情が、坂爪さんに照らされてカラッと乾いていくような、風が通るような感じがします。
私、コジコジ大好きなんです。自分がコジコジになれるなんて思ってもみなかったけど、なれるんですね。ゾンビからコジコジになります!

お会いできてよかったです。坂爪さんはやっぱりハンパじゃなく美しい人です。ほんとうにありがとうございました。

画像

おおまかな予定

5月25日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

コメント

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。
THE PRESENTS
自分とは空間(スペース)である。|坂爪圭吾