お詫びにチート全盛りしたけど、現代日本じゃ使い道がない。   作:チート全バフ

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マッサージをやめてみる

 『気功術の才能』の技術を磨くために始めた地元の老人たちに対するマッサージの施術も、気が付けば取り返しの付かないレベルで大勢の人間に知れ渡ってしまった。

 

 理由はとても単純で病気が治ってしまうから。

 宣伝などしなくとも施術を受けた人の話は、この情報化社会においては恐ろしい速度で伝播していく。そして週刊誌が取り上げたことを皮切りにして、この噂の真実を確かめようとする人たちが現れた。

 

 世の中には病気が治るという噂を信じて遠くの地まで赴く人たちが大勢いる。

 聖人の起こしたという奇跡、伝説として語られる話、神からの加護、普段なら一笑に付すような眉唾話と思っていても、いざ自分が不治の病に罹り余命幾許もないとなれば縋ってしまう。

 

 現代医療では解決できない問題、その恐ろしい現実に抗うためにマッサージを受けにくる病人は少なくなかった。

 そして俺は例外なく誰も彼も節操なく救ってしまったために余計に事態はややこしくなる。

 

 本物の奇跡が現実にあると知った瞬間、その事実と喜びをたくさんの人と共有しようとするのだ。

 同じ病に苦しむ者同士で励まし合った仲の人にこの奇跡を伝える。家族や友人に病気に苦しむ人が居たらならば救いはそこにあると伝える。病院の診断書や証拠を添付して、世界中の人間に嘘っぱちではない本物が存在すると頼んでもないのに喧伝する人も居た。

 

 その結果が救いを求める病人たちが連日のように、不治の病の苦しみから逃れるために訪れる状況を作り出す。

 

 

 

 

「学業に励むためにマッサージの奉仕活動は休止しようと思います」

「うん、それがえぇ。子供が背負うには重すぎる。それに潮時としては丁度いいじゃろう」

 

 会議室に集まってくれた老人会の人たちは一様に頷いてくれる。

 老人たちは俺のマッサージ活動を手伝ってくれるボランティアであり、施術によって健康にしてくれた恩を返すために色々と便宜を図ってくれていた。

 

「人の噂も七十五日、(なぎ)君がマッサージを止めれば自然に落ち着いてくるべ」

「週刊誌に取り上げられて、インターネットで話題になってる程度なら、まぁ……凄腕のマッサージ師とかそんくらいには落ち着いてるだろう」

「本来は凪君が地元のために始めた活動だしねぇ……今の状況は小学生には可哀そうよ」

 

 面倒になったらすぐに逃げる、それが俺の鉄則のようなものだった。

 

 このままなし崩し的にマッサージを続けていけば、いずれは大々的に世間に俺という存在が露見することだろう。

 現状としてネットの知名度は高いが、逆に言えばその程度の存在。

 

 未成年で小学生、そんな子供がマッサージによって病気を治すなんて話は大抵の大人は真面目に取り合わない。

 大手のマスメディアが取り扱うには余りにも馬鹿馬鹿しく、証拠として難病が治った人間の体験談などカルト宗教でよくある霊感商法の手口としか見られていないだろう。

 雑誌といってもせいぜいオカルト雑誌やSNSで話題にあがる程度であり、存在は知っているがただの子供にそんな能力などある訳ないと冷笑している人がほとんどだ。

 

 積極的に自分の能力を喧伝しないのが良かったな……これでムキになって証明しようとしてたら面倒事になっていた。

 

 能力をひけらかしていれば状況はまた違ったものになっていただろう。

 『念力』で宙に浮いたり、物を動かしたりするなど目に見える形で行動していれば大騒ぎにはなる。だが、俺が実際に行ったことは()()()()()()()()

 『気功術の才能』と『万能武術』による天才的な技術を用いたものではあるが、傍からみれば小学生がただマッサージ師の真似事をしているだけ。体験しなければ分からない癒しの感覚など、部外者からすればそんなに気持ち良かったんだ、程度の感想だろう。

 

 病気が治った因果関係だって当事者は説明なんてできない。

 表向きは病人がマッサージをされている光景であり、そこに身体が光ったとか、目に見えて分かるような超常的な体験など存在しないのだから。

 マッサージを受けたら病気が治った、それを分別と良識ある大人たちに理路整然と説明して納得させることなど不可能だ。

 

 『気功術の才能』のことも公言してない上に、俺はあくまでもただのマッサージしかしていないってスタンスだからな。施術者である子供がそうとしか言ってないのに、外野がいくら騒ごうと火の立てようもない。

 

 老人会が公式にマッサージ活動の休止を告知すれば、いずれは訪れる人も減っていくはず。

 予約分を掃ければいずれは落ち着き、オカルト雑誌とネットの噂を信じ続けるほどに病人だって暇じゃない。実際に治った人がいる以上はその伝手でゼロにはならないだろうが、小学生がマッサージで病人を治すという話をいつまでもネットで話題にされず飽きられるだろう。

 

 知る人は知っているか、どうしようなく藁にも縋るような病人以外は来なければいいな。

 

 病気の人を救いたくない訳ではない。だがモノには限度というものがある。

 このまま行けば人生の全てを病気を治すことに捧げるハメになる。私生活の全てを投げ打つほどに俺は聖人ではないし、日常で積めるだけの善行を積むだけで満足するほどの小市民なのだ。

 

 決して、全世界に奇跡を起こす人間として紹介されて皆から持て囃されたい訳ではない。

 

「どうしようもない病気の人が訪れたら連絡ください。その時は施術をしますので」

「はいよ。でも、これからおじちゃんたちの身体が悪くなったら老後の世話頼むわ」

 

 冗談を言って笑うようなほどほどの関係で俺は満足なのだ。

 老人会の人たちの孫に接するかのような距離感が程よく、崇拝して神を見るような病人たちのような視線はちょっと勘弁願いたい。

 

 適当に茶菓子をつまみ、茶を飲んで雑談を交わし身体の調子が悪いと言われたらちょっとマッサージをして感謝される、そのくらいがちょうどいい。

 

「これで騒動が落ち着いてくれたらいいなぁ……」

 

 授かった才能と力。その使い道はそんな大袈裟なことに使うつもりはない。

 せいぜい日常生活を便利に、そして好奇心を満たす程度。

 

「ほら、お前も茶菓子を食っていいぞ」

 

 こうやって足元の床を泳ぐ玩具だったワニにお菓子をやるようなちょっとした非日常だけで俺は満足していた。

 次は『魔術の才能』で試そうか、とそんな呟きが小さく零れる。


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