第5話 歓待と、温かい食事と
シャワーを浴びて出ると、ニコニコした女性に迎えられた。
言っておくが燈真にはパンツを履いてシャツを着たままシャワーを浴びる習慣はない。幼い頃の心臓移植の痕と、イイカラダな筋肉も、そして男の男たる所以——燈真の立派な息子も、一糸纏っていない。
「あの、裸なんすけど」
「大丈夫よ、慣れてるから。……うん、女の子が見ても幻滅しないわよ。大きいから、自信持って」
「余計なお世話です。えっと……漆宮燈真です」
渡されたバスタオルで髪の毛の水気を拭いつつ、燈真は自己紹介した。裸を見られることは別に恥ずかしいと思わない。女性——化け狸の美魔女は、ふふっと微笑んで「
燈真は体を拭いて、差し出された着替えを着た。少しだけサイズが大きいが、問題はなかった。上は七分丈の黒いシャツに、下はオリーブ色のスラックス。尻に尻尾を通す穴が用意されているが、閉じることもできるので問題ない。多分、椿姫の父親のものだろう。
「ごめんなさいね、孝之さんに聞いた寸法で服を作ってるんだけど、間に合わなかったから……」
「いや、助かります。……でも作るって? 買うんじゃダメ……ああ、退魔師としての衣装も兼ねてるんですね」
「そういうこと。……あと、敬語はいらないからね。私にも、もちろん他のうちの子にも普通に接してくれていいから」
伊予が微笑んで、その笑みは燈真の心の隙間に不思議と入り込んでくる柔らかさがある。狸が持つ愛嬌がそうさせるのか、なぜか拒絶しようという選択肢が無意識に除外されるのだ。
だから燈真も自然と心を許し、「わかった、伊予さん」と答えた。
風呂場に持ち込んだ洗面道具は、そのままでいいと言われた。どうやらこの本館の風呂場は臨時のもので、本来の浴場は別館にあるらしい。ちょっとした旅館くらいの設備だと、椿姫が自慢げに語っていた。
なんというか、とんでもない屋敷の世話になっているなあと思いながら燈真は伊予に続いて、居間に入った。
「はーいみんな、今日からうちで修行する子が来たわよ」
居間にいた複数名の妖怪の視線が、燈真に向いた。
幼い妖狐の女の子、その子より年上の中学生くらいの男子妖狐、燈真や椿姫より少し年上っぽい四尾の猫又に、二尾のハクビシンっぽい少年。そして上座には、九尾の狐が座って脇息に肘を置いてこちらをじっと見ている。椿姫が、ニヤニヤしながら言葉を待っていた。
「漆宮燈真……です。今日からお世話になります。……よろしく」
敬語はいらない、という伊予の言葉を信じ、あえてお願いします、をつけなかった。
と、女の子の妖狐が立ち上がって、スタスタ近づいてきた。一四〇センチくらいのちんまりとした二尾である。くりくりした紫色の大きな瞳で、じーっと燈真を見上げる。
「……顔になんかついてたか?」
「とうま……うーん、すっごいちっちゃいころ、このにおい……かいだなあ」
「俺の匂い……? 汗の匂いした?」
「ちがくて。ま、いっか。よろしくね。わっちはすずな。しょうらい、おいろけもふもふになる、ぜっせいのびじょだよ」
微笑ましい——思わず抱きしめたくなるような可愛らしさだ。
燈真は差し出された小さな手を握り、もちもちした感触を優しく握る。
そういえば椿姫には菘という妹がいるそうだが、この子がそうなのだろう。全然似てない——と思ったが、顔立ちや自信満々な物言いは、まさしく椿姫のそれと似通っている。
菘は平らな胸を張って、精一杯の威厳を保ちつつ座布団に座った。それを、中学生くらいの男子妖狐が苦笑いしながら迎える。
彼も稲尾家の特徴を持った月白と紫紺の妖狐である。菘の兄、椿姫の弟と言ったところか。少年趣味なんて微塵もない燈真でさえ見惚れるような美少年である。
「どうしたの、燈真」
「いや、菘の兄貴なのかなって。よろしく」
「うん、よろしく。僕は
「開いた口が塞がらん。結界術ってのは、基礎術の中でシンプルゆえに誤魔化しが効かない術って聞いたことがあるぞ」
竜胆は、人間換算で十三歳から十四歳。つまり、妖怪的には四十代前半くらいだ。普通、一尾。二尾でも凄いと持て囃される歳でありながら、すでに三尾。稲尾家が自信に満ち溢れるのは裏打ちされた実力があるからだとわかる、そんな片鱗を垣間見た。
(才能に溺れた野郎、って嫌な感想をもたないのは、本当に才能に溺れてないからだ。相応の、血反吐吐くような努力をみんな当たり前のようにしてる。むしろ、恵まれた体に胡座かいて楽してたのは俺の方だ)
「どうかした?」
「なんでもない。隣、いいか?」
「うん。どうぞ」
燈真は竜胆の隣に座る。左に竜胆、すぐ上座に柊、そして右にはハクビシン妖怪の少年。
その少年は、狐のような金色の髪に白いメッシュを入れた今時風の若者だった。よく言えば現代的、言葉を選ばず言えばチャラい雰囲気がある。しかし、その顔には小動物的な、相手の懐に入り込むような愛嬌があった。小さな丸みを帯びた三角形の耳と、その尻尾でハクビシンと判断したが、遠目に見たら狐妖怪と間違えそうだ。
「へぇ、人間……にしちゃ、ちょっと俺らみたいな匂いがすんな。ちょっと混じってる……? いや、違うな……まあいっか。俺は
光希と名乗った少年は拳を突き出して笑った。着ている服を変えればそのまま性別が変わりそうな、可愛らしい中性的な少年である。
人から好かれるタイプの若妖怪だ、と直感した。燈真にはない素質である。
「ああ、よろしく」
燈真も右拳を差し出した。拳と拳が触れ合い、ごつ、中手骨の骨頭同士ぶつかり合う。その瞬間、ぱちっと弱い電気が弾けた。
「俺は、こういう種族だ。わかるか?」
「……雷獣、だろ?」
「そ。存在自体はポピュラーだよな。雲の上に住んでて、雷と一緒に落ちてくる妖怪。俺の先祖は平安時代の『日本霊異記』にも『雷の憙を得て生ま令めし子の強き力在る縁』って記述があるんだぜ。雷神がその力を授けた子供の子孫、ってのが大筋だが、その雷神ってのが多分雷獣だったんだろうな」
「凄い逸話だな。あれだろ、日本霊異記って狐の語源が書いてあるっていう……」
椿姫が食い気味に反応した。
「『共に子を成せし仲ではないか、来て寝よ』でしょ? そうそう、その日本霊異記。日本最古の、当時の人にとってのファンタジー小説ね」
「俗っぽい言い方だなあ。歴史ある書物なんだから」
椿姫の隣に座る、黒髪の美しい女がツッコミを入れた。
四尾の猫又である。丸っとした飴色の瞳に、黒い毛髪。闇のような黒衣に編み目状の動きやすいデザインのインナーを合わせた、忍者っぽい格好。
その雰囲気は猫というより豹という猛獣のそれだが、敵意は一切ない。ただ、にこやかだが今この場が突如として争いの場になれば、一秒後には賊の首を刎ね飛ばす凄味を、微かに滲ませる。
燈真は曲がりなりにも人の悪意に触れてきたから、わかる。万里恵は、そういう次元の「気」ではない。本物の、研ぎ澄まされた透明な殺意を纏う……とにかくその殺気は偽りない本物だ。本物の、仕事人である。
「緊張しなくていいよ。私、万里恵。
「よろしく……。多分、だけど……半端なく強い、んだよな?」
「さあねえ。強いかどうかってより、なにができるかどうかだから。そーいう役に立たない物差しなんてあっても意味ないし」
見透かすように、万里恵は微笑んだ。怖くない。むしろ、頼もしい。
そうか、菘や竜胆が怯えないのは万里恵が頼もしいからだ。彼女の強さが、決して自分たちに向かないという絶対的な信頼があるのだ。
「椿姫に害が及ばないんなら、私は別に敵対しないから」
「大丈夫大丈夫、今の燈真じゃ私には絶対手ぇ出せないから。でも、ゆくゆくは私に圧勝できるくらいにはなってもらうけど」
椿姫はファッション誌を広げながらそう言った。
椿姫は、足で小突くぞと言った時もそうだが「今の燈真」という言い方をしていた。
そう、現状の燈真では天地がひっくり返っても椿姫には勝てない。多分、触れることさえ敵わず制圧される。
だが同時に、彼女は伸び代を認めているのだ。だから今のという表現を用いるのである。
その期待が、思いが、燈真の覚悟を強く引き締める。バケモノ——
「椿姫に圧勝って、私でも難しいのにねえ」
「わっちなら、かんたんだよっ」
椿姫の隣で、菘が鼻を鳴らす。そして、椿姫に抱きついて頭をぐりぐり胸元に押し当てた。
「おねえちゃん、すき」
「んん゛っ〜〜〜〜〜〜! お姉ちゃんも菘のこと好きー!」
「全く、妹煩悩めが」
上座の美女が呆れたようにそう言った。
右手には、燈真が買ってきたビール缶。まだ朝だぞ、と思ったが、彼女の堂々たる振る舞いを前にするとそんな文句さえ陳腐に思えた。
彼女こそが稲尾柊であろう。一五〇〇年を生きた絶世の美女であり、宿老。なんとも魅力的な女性なのに、性的な目で見れないのは歳がそうさせるのだろうか。貫禄というか、その風格が、そこらの妖怪と一線を画す隔たりを生んでいた。
(違う、人とか妖怪とかじゃない。もっと別のカテゴリが違う……)
そう思えた。何かが根本的に違うのだ。
柊がちょこちょこ歩いてきた菘に目を向ける。妹煩悩め、と言った手前、厳しく接するのか——そう思いきや、
「おー、可愛いのがこっちに来よった。どれ、顔を見せ。どんな顔して甘えておるのだお主は……ほれほれ、豆食うか?」
全力で子煩悩全開であった。いや、世代感覚的に孫煩悩だろうか。
菘は胡座をかいている柊の足の上に座って、柿ピーのナッツをポリポリ食べ始めた。
「椿姫たち、仲良いんだな」
「仲良いっていうか普通じゃないの? うちは昔からこんな感じだったし」
と、気づいたら席を外していた伊予が戻ってきた。手には、平皿。その上にはおにぎりが三つと、卵焼きに、ウインナー。それから味噌汁の入ったお椀。
「燈真君、朝ごはんまだでしょ。今朝の残りで悪いけど、これでいいかしら」
「そういや食ってなかったっけ。ありがとう。いただきます」
いかにも、田舎の一般家庭の朝食というメニューだった。
しかし素朴な感じが、食欲をそそる。こういうのでいいんだよ、こういうので。まさにそれだ。余計な飾り気を必要としない、シンプルな食事がそこにあった。
燈真はおにぎりをかじった。塩と、出汁の風味が効いた味。米は粒が立っており、硬めの炊き具合。海苔は炙ってあるのか香ばしく、具はあさりしぐれが入っておりその濃いめの味つけが美味い。人間向けのあさりしぐれより優しい味だが、全然、美味い。
味噌汁は白味噌である。薄味——というよりは、マイルドな味わい。たっぷりの油揚げと豆腐、大根だけの具材だ。一口啜って、箸で具をかき込む。
ウインナーを一切れ、丸ごと口に入れる。大ぶりなそれを、パリパリの皮ごと噛み締めた。甘い肉の脂が染み出し、卵はやはり薄味だが、それでもしっかり出汁の風味を感じる美味なだし巻き卵だ。
夢中で食べた。こういう、ひとの手で作られた——コンビニ弁当じゃない食事なんて、いつぶりだろう。
「おいしそうにたべてる」
「ふ……飢えておったんだろう。大丈夫だ、ここにいればもう、心配はいらん」
伊予が思わず、「あんなに美味しそうに食べてくれるならいくらでも作っていいよねえ……」と呟いたが、すぐさま椿姫が「いや、流石につくりすぎはよくないから」と諫めた。
さてもその日、燈真は稲尾家でのんびり過ごすこととなった。
稲尾家で暮らす妖怪と触れ合い、家のあれこれを説明してもらい、明日からの生活に備えることとなった。
そして二日後——あまりにもいきなりに、燈真の初陣が始まるのだった。
次の更新予定
2024年5月25日 19:30
ゴヲスト・パレヱド — 孤独な鬼は、気高き狐に導かれ最強の退魔師を目指す — 夢咲蕾花 @FoxHunter
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