第3話 ようこそ、魅雲村へ

 夜行バスは約四時間ほどで悪路と山道を乗り越えた。

 午前六時ごろ。朝日がかすかに差し込む魅雲連山の下り道をバスが下っていく。この山が魅雲村の北と東、そして西を取り囲んでいた。南側には別の山があり、燈真たちは西の山道からやってきた。

 車窓越しに寝ぼけ眼に見えたのは、キラキラと輝く湖面。

 そこには大きな湖があった。周りには砂利が敷かれ、防波堤がある。山から吹き下ろす風が波を立てるから、その対策だろうか。遊覧ボートを出す波止場もあり、その沿岸部には湖やそこへ流れ込む河川で採れる魚を卸す市場がある。

 中心部には雑居ビルや、高層ビルが数棟。村というより地方都市と言っていい発展具合だ。

 目がいいな、俺。そんなことを思った。人並みにエレフォンやなんかのブルーライトを浴びているから、てっきりギリギリ眼鏡いらないくらいの視力だと思っていたが……。

 学校自体サボりがちで、ろくに身体測定も受けていない。自分はあまりにも、自分のことや自分に関することを知らなすぎる。


 燈真はあくびを噛み殺し、残っていたプレーンのプロテインドリンクを飲み干した。メーカーによってプロテインのプレーン味はだいぶ変わるが、今回気まぐれに買ったものは、不味くはなかった。ただ、粉を溶かした味がするだけだ。もちろん、決して美味しいものでもない。間違ってもこんなのを水分補給のために買うべきではなかったと、後悔した。

 彼の体は少々恵まれている。背は高校一年生にして一七九センチ、体重はそれでいて九十三キロもある。そして、その質量の大半が常人離れした頑強な骨格と、筋肉だった。

 父は脳神経外科の医師免許を持ち、脳科学の知識にも明るい。昔は色々、脳に限らず色々教えてくれたが、最近はめっきりだ。

 彼は立派に医者として働けるのだが、その上で医療メーカーに勤めるエリートである。そんな父が言うには燈真には『ACTN3遺伝子で言えばR/R型(速筋が多く備わる瞬発タイプ)、ACE遺伝子で言えばD/D型(瞬発型)、PPARGC1A遺伝子はG/G型(ミトコンドリアの活性率が高いタイプ)』これらが備わっているらしい。

 真剣に短距離選手だったり水泳選手、砲丸投げなどのスポーツの道を目指せば余裕で金メダルを取れるような逸材なのだ。

 ただ、同時に自覚していた。


『自分の先祖のどこかに、妖怪がいる』と。


 でなければ、こんなに恵まれた肉体が与えられるのはおかしい。

 燈真は己の大きな手を伸ばしたり閉じたりしながら、浮き上がる筋や血管を見て、考える。それから車窓を見ると、たった数時間であんなに腫れ上がっていた顔がほとんど治っていた。

 これだ。昔から異様に傷の治りが速い。燈真は、外科治療というものをほとんど受けなくても、針で縫うようなケガですら適当に止血しておけば一晩で治る体質である。

 どう考えても異常だ。


「んぁ」


 隣で、椿姫が目覚めた。自分の尻尾を膝枕に、一本だけ頭を支える枕にするというなんとも種族の有効活用的なことをして寝ていた彼女は、燈真の悩み事をよそに、乙女としては少々はしたない寝起きの間抜けヅラを晒して燈真を見つめた。


「……なに」

「いや……女の子ってのは、男に寝起きの顔見られたら嫌じゃないのかなって」

「じゃああんたが気を遣って見なきゃいいでしょうが」

「いちいちムカつく奴だな。一理あるけど」

「ふん。それに、どうせ内弟子ってことになるんだからお互い嫌でも寝起きの顔付き合わせること増えるわよ。だからって裸見られたら手が滑って目突きするかもしれないけど」

「ずいぶん具体的に手ぇ滑らす奴だな。……弟子ってのは、俺だけなのか?」


 椿姫は冗談を打ち切って、「もう一匹、雷獣の男子がいるわよ。人間に換算すればあんたと同い年で、妖怪的にも私と同世代。私が六十七で、あいつは六十四だから見た目は同じくらいよ」と答えた。

 妖怪の兄弟子がいるらしい。どんな感じだろうか。やっぱり、いかつくて怖い感じなのだろうか。

 というか六十代で人間でいう十五、六の年齢なんだな、と燈真は思った。妖力次第では不老といえる寿命さえ持つのが妖怪だが、実際に聞くと言葉が出てこない。


 さても、兄弟子は……どういう感じなのだろう。

 燈真自身、気弱というわけではないからいじめのターゲットにはなりづらいが、怖くて近寄りがたいみたいで、つい孤立してしまう。結果的に、頭のおかしな奴らに絡まれてしまう感じだ。そいつらを悉く叩きのめすような性格だから、中学時代は桜花中の裏番長なんて言われた。喧嘩で獲得した校章は実に十四種類にも及ぶ。

 まあ、平安時代に英雄的な活躍をした家系の弟子なのだ。そんな馬鹿なことはしないだろう。やられたらやり返すまでだ。


 やがてバスが魅雲村の麓に近づいた。そこにはやっぱりバスターミナルがあって、村の玄関となっている。

 アナウンスが流れた。村に来るものは少なく、バスに乗っていたのは燈真と椿姫だけだった。燈真は自分の荷物を持って、バスの運転手に「ありがとうございます」と言ってから降りる。

 偽善、ではない。そういう習慣だ。店員や仕事に従事する者に対して一言添えるのは、別におかしなことではない。客は神様じゃないのだ。相応の扱いを受けたいのなら、それなりの礼儀を守らねばならない。ただそれだけの社会通念を守っているにすぎない。


 六月初旬のじめついた空気は相変わらずだが、今日は晴れていた。ピーカンというわけではないが、最近の雨続きを思えばすっきりとしている。湿度も、気持ち低い。

 燈真は邪魔でしかないガーゼやらをひっぺがして近くのゴミ箱に突っ込んだ。


「痒い」

「すごい治癒力ね。妖怪以上よ、それ」

「人間も捨てたもんじゃないだろ」


 軽口を叩いて、燈真は椿姫に「どっちに行けばいいんだ? 町の方?」と聞いた。すると椿姫は「その前に手土産くらい用意したほうがいいかも」とアドバイスする。

 無理やり弟子にさせられてそれかよ、という言葉が舌の上に乗っかったが、なんとか飲みくだす。


「無理強いされて土産物かよ。って顔に出てるわね」

「必死こいて飲み込んだ言葉を読み上げんな」

「言っとくけど手土産は自腹ね。じゃないと意味ないから」

「それは流石にわかるって。でも、当主ってお前だろ? お前何が欲しいんだ」

「私は次期当主。今の当主……お母さんは、人間と妖怪の融和のためのお父さんと講演活動で家を離れてるから、始祖にあたる柊が当主代理をしてる状態」

「柊……様が? あのひと何歳なんだ」

「本人も正確に何年に生まれたか知らないって。大体一五〇〇歳くらいじゃないの」


 とんでもない年月を生きているな、と燈真は思った。それ以上にどういう感想を持つのがいいのかさえわからないほど、途方もない年月だ。

 そんな妖怪が好むもの……すぐに思いつくのは、高明な職人が作った茶器とか、美しい刀とか、あるいは松坂牛の中でも年間十頭しか取れない大石牛の極上霜降り肉とか……。

 いずれにしたって、燈真では逆立ちしても手に入れられないものだ。


「まあ柊のことだし、力仕事任せられる男手増えるだけで喜びそうだけどね。適当にビールとツマミ買ってけばいいんじゃない」

「俺未成年だぞ」

「歳気にして酒飲まないタイプには見えないけど?」

「ふん。ノーコメント、だ」


 燈真はそう言い切った。自白も同然だが。


「こんな田舎で年齢確認なんてしないって。それにあんた、老けてるから大丈夫。誤魔化せる」

「女じゃなきゃ顎外してガタガタ言わせてるぞ」

「こわ……こんな可愛い狐に暴力振るうなんて……」


 自分で可愛いとかいうな、と思いながら、燈真は辺りを見回す。

 すると、八百屋のような、スーパーのような、こぢんまりとした個人店があった。小鼓こづつみ商店、とある。可愛らしい狸が、小鼓を担いでいる絵が描いてある。


「あそこありそうだな。ビールって、なんの銘柄がいいかな」

「朝日を浴びたくなるような辛口でスーパーなドライとかじゃない?」

「そこまで言うならはっきり言えばいいんじゃないかな」


 店に入ると、緑色の前掛けをした、人間に対し最も友好的な妖怪と言われる化け狸のおじさんが「いらっしゃい」と声をかけてきた。燈真は小さく会釈して、アルコールコーナーに向かう。


 早速銀色のロング缶を一本手に取り、それから豆菓子のコーナーに入って柿ピーの詰め合わせを選ぶ。合わせても、五〇〇円しない。手土産というにはあまりにもしょぼいというか、なんとも飲み仲間の家に遊びに行くような感じになるが、いいんだろうか。いいんだろう。子孫がゴーサインを出しているのだ。何かあったら椿姫のせいにしてしまえ。

 椿姫は椿姫で何やら煎餅と和菓子を買い込んでいた。精算したそれを、袋をもらうのもアレなので手で持って歩く。


「現場帰りのあんちゃんみたい……ふふっ」

「ほんっとにお前って絶妙に腹立たしいよな」

「よく言われる。直す気ないけど」

「ってか、見事に俺全部の手ぇ塞がってんだけど」


 ボストンバッグを肩に掛け、リュックを背負い、左手にはゴミが入った袋と缶ビール、右手に柿ピー。


「ごめん、訂正。出張に来たお兄さんって感じ」

「ビンタは無理でも足で軽く小突くことはできるんだからな」

「はっ、あんたが私に攻撃当てるとか無理無理。ぜーったいできない。今のままじゃね」

「これに関しては言い返せねえ……けど、だからって溜飲は下がらないな」


 なんなら込み上がってきている。

 燈真は奥歯をギリギリ歯軋りし、三白眼気味の目を椿姫に向ける。彼女は面白そうにステップを踏みながら歩き、「あの坂道を登ってくわよ」と言った。


「この村って、退魔師を育てるのに適してるのか? 普通ののどかな村だけど」

「のどかな村だからいいんでしょ。邪魔が入らないし、余計な情報も少ない。

 それに……ここ、霊場に浸してある土地みたいな感じでね。あの湖と、川と、山——魅雲湖、魅雲川、魅雲山は三角霊場とも言われてる。滝もあるから、滝行もしてもらう。山間だけど寒稽古もできるし、霊脈上の要点でもあるから退魔局の支部も置かれてる」


 どうやら一式、必要なものはあるらしい。


「形から入るっていうでしょ。ひとまずあんたには五等級退魔師になってもらう。すぐにでもテストを受けてもらってね。見習い階級だけど正式に依頼に出られるし、法師退魔師と違って報酬にも正当性を認められるからいちいち監査官が派遣されることもない。退魔師って立派な仕事だから、履歴書にも書けるから大学進学にも超有利。それに高校の諸々の学費も稼げるしね」

「ここの高校って、私立?」

「いや村立。公立みたいなもん。学費ってのは言葉のあや。ほら、結局教科書買ったりノート買ったり、学食とか携帯代とかさ、お金かかるし」

「それはそう。……でも、修行とバイトを両立できるなら——」

「バイトじゃなくて、仕事。退魔師はバイト感覚でやっていいことじゃないからね。そういうやつは決まって初陣で喰い荒らされる」


 覚悟を持て、と言われた気がして、燈真は口を引く結んで頷いた。

 山道を進んでいく。あたりにはりんご、すももや梨などの果樹園が広がっている。りんごと梨は摘果のタイミングで、農家の妖怪が作業をしていた。手作業で地道な仕事をしており、すももの方はあとは収穫時期を一か月に控え、じっくり様子を見ている段階である。


「菘が喜ぶ時期が来るわね」

「すずな?」

「妹。果物が好きだから」


 その妹の菘も自信過剰のどえらい子なのだろうか……とか思っていると、木々が天蓋をなす小道に入った。


「道間違えてないか? 寺や神社に参拝に行くってんじゃないだろうな」

「神仏に手を合わせるのが嫌とか、最近のガキはほんとに不敬ね。……そうじゃなくて、こっちで合ってんのよ」


 やがて石垣と築地塀が顔を出した。高さは二メートルほど。その向こうには生垣もある。少し歩くと、大きな門構え。


「稲尾組、若頭稲尾椿姫……とかじゃないよな」

「女極道じゃねーっての! こういう古い家なんだから仕方ないでしょ!」


 椿姫が尻尾をブンブン回しながら否定した。本当に感情をダイレクトに出す子だ。さっきからずっと、顔の表情筋が休息を取らない。

 妖怪としての年齢が六十七歳ということはさっき聞いて知っている。だが、精神までもが人間感覚で六十七年分老熟しているわけではないのだ。妖怪の成長はゆっくりであり、稚気や若気が、長く続くのである。彼らからしてみれば、十数年で青春時代が終わる人間は悲劇的に見えるらしい。

 と、門が一人でに動いた。センサー、もしくはそういう術が仕込まれているに違いない。


「ようこそ、妖怪屋敷へ」


 椿姫が挑戦的に微笑んで、敷地内に入っていった。

 燈真は何かを試されていると思い、意を決して一歩、踏み出すのだった。

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