日本最強のNKマシン
モリワキ 梨本号を研究する!!

(本人の解説)
ミスターバイク1996年8月号10月号より
これは1996年に、二号に渡ってミスターバイク誌に寄稿した原稿である。
HPに来たある読者から「当時の原稿を載せて欲しい」という依頼があり、バックナンバーも見当たらず古本屋さんにもないということで、探すのは不可能とのことだった。そこへ「ありますよ」と友人の声。私自身はいざその原稿のコピーを読むまで何を書いたのすっかり忘れてしまっていて「とんでもなく恥ずかしいことが書いてあったらどうしよう?」と、引越しの時に必ず見つけてしまう古ぼけた日記を読み返すような恐怖心に見舞われたのだが、出てきた原稿はそんなに恥ずかしいものではなかった。それならということで、当時25歳の梨本圭が一体どんなことを考え何に惹かれつつ鉛筆一本で原稿用紙に向かっていたのかを私自身も探る意味で、原稿には一切編集を入れずに掲載することにした。
なお、(※)印脚注にに関しては、最低限解説が必要と思われる文章を今回付け加えたものである。

 
[PART 1]

先月号で書いたように、ボクは鈴鹿サーキットでCB400スーパーフォアに乗り、2分21秒78というタイムを出した。 このタイムが一体どういうものなのか、レースシーンに身を置く現場の連中からミスター・バイクの読者の人までまったくつかめていないと思うので、解説をするために取材にきて欲しいと編集長の近藤さんに頼んだ。 (※取材)当日、富士スピードウェイに現れたのは、福田照夫でも山田純でもなく、ポチ落合氏(※当時のミスターバイク編集部員。レースに関しては完全なド素人だった)だったので、これはまずいなと思っていたら、案の定自分で原稿を書くことになってしまった。
考えてみれば、NK4についてボクが聞いて欲しい思うようなことを聞いてくる雑誌屋さんは一人もいないから、やっぱり自分で書いて説明するのが一番いいなと思って、今これを書いています。
さて、ボクはNK4というカテゴリーのマシンに乗って三年目になるわけですが、まず、そのこと自体が今のレースシーンにおいてはとても異常なことだと思う。同じマシンに徹底して三年も乗っているレーサーはたぶん日本ではボクくらいじゃないだろうか。それもモリワキというトップコンストラクターにいながらにして、というので考えたらたぶん、ボク一人だと思う。そういう関係性から生まれてくるバイクは乗り手が勘違いさえしない限り(実はこれが一番難しいんだけどね)自然と人間の感性に反応する道具となる。 ボクはCBをただひたすら自分に合うように、梨本圭が乗りやすいように徹底して創ってきたわけだけど、そこには開発だとか販売だとかって曖昧なコンセプトはほとんどない訳だから、やっぱり限りなく人の感性に従うようなオートバイになる。
今までボクがレースシーンにおいて乗ってきたオートバイは、NSR、RS250、VFR750(RC30)、TZ125、TZ250、RVF(RC45)と色々だけど、その中で‘92年以降のRS250(‘94~は知らないが、たぶん‘93モデルからほぼ変わらないはず)とRC45に関しては「本当に人間が創ったバイクなのか」と思うほど、機械に自分を合わせなければ乗れないバイクだった。機械に自分を合わせるというのは、正確に言うと、機械という意志に自分の意識を合わせる、ということでそれはテクノロジーとしては進化になるんだろうけど、道具としては完全に退化なわけだよね。
そんな中から、そういうバイクだけは絶対に創らないぞというボクのわがままで固い意志と、森脇護社長率いるモリワキエンジニアリングとの融合で面白いバイクが出来上がったんだと思う。
そのいいマシンのこの三年間における進化について具体的に解説していきたいと思う。


まずボクが今一番CBの中で気に入ってるのが足回り。鈴鹿サーキットだったら今あるすべてのレーサーマシンよりも乗りやすくて速くコーナーを抜けれるんじゃないかな、ボクは思うほど惚れこんでいます。それは三年かかって少しずつ出来上がってきたんだけれど、その中でもまず感動したのはホイールをアルミからマグ(※マグネシウム製)に変えたときだった。 ‘94年当時、東コースのラップタイムが59秒8、フルコースが2分26秒7だった。で、はじめの3戦は常にトップ争いをしていたわけです。 ところがNK4耐(※NK4クラスの4時間耐久レース。この年初開催)の時はコーナもストレートも他のバイクに全く歯が立たなくなった。何故WHY?と考えて色々とやってみたんだけど、結局耐久では惨敗の3位。ボクは、いきなり速くなった周りの連中が全てマグホイールだった、と聞かされても別になんとも思わなかった。ところが自分もマグホイールを入れてみるとこれがスゴいスゴい。まるで空でも飛びそうなほどにバネ下は軽くなり、コーナリングスピードはもちろんピックアップもトップスピードも、飛躍的に伸びた。この年はそれ以外に三つ又(※フロントフォークアンダーブラケット)の補強やスロットルセンサー(※を付けた)FCR、サスセッティングなど色々やったんだけど、やっぱり一番大きかったのはマグホイールだと思う。それまでのレコードを2秒以上短縮して、2分24秒6というタイムを出した。



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みんなが思っている以上にバネ下というのは重要で、下手にエンジンをいじるよりも確実にオートバイは速くなる。ここまで明確にバネ下重量の重要性を知ったのはボク自身初めてだったのですごく感動したのを憶えている。 あともう一つ、この年勉強になったのが、フレームについてだった。目の字断面がどうで前年比20%剛性アップで・・・・・・とかっていうわけのわからないことじゃないよ。ダウンチューブにサイドスタンド用のステーとかついてるよね?あれを軽量化のためとかいって削り取るだけで、全くちがうオートバイになってしまうんだよ、知ってた?たったあれだけだけど、それを削ることによってバランスはガックリと崩れるからものすごく振られたり、やたら旋回性能が上がったりする。これもすごく驚いたことだった。
そして翌年、1995年。NKレースは二年目を迎えて、よりマシン差を無くすためにウェイトハンディキャップ制度が用いられることになった。3戦目まで連勝したボクは以降、常に15キロのウェイトハンディを背負って戦って行くことになった(※俗にバラストといわれる鉛の塊を15キロ分積む。一口に15キロといってもその塊はかなり大きな物になる)。単純に考えて、15キロの重りを載せるだけで、スーパーバイククラスより重い180キロの400ccマシンということになるんだけど、15キロもの重りをどこに積めばベストな位置にくるのか、というのも重要なテーマだった。結局、それまでの重量配分を参考にして、ベストな位置は前面のエキパイとエンジンの間に、エレメントをセンターの位置としてその上下に配置(というか、積む、だよね)するというものだった。
さて重量配分を同じにしたくらいではとても15キロ積む前のタイムは出ないから、本当に色々とやりました。前後サスペンションバネレートの強化、車高の引き上げ、大径ディスクプレートへの変更、ミッションファイナルのショート化、見た目こそ一緒だけど乗り味はまたく違う、というバイクがそうやって出来ていって、それでも6月(鈴鹿200キロ時、距離はSBのようにロングランではないが、位置付けとしてはNK4耐の前哨戦に当たるレースだった)の時点で2分25秒5。つまり自分の持つレコードの約1秒落ちしか出なかった。
その後のNK4耐では、それまで養ったノウハウがフルに活用されてブッチ切りで優勝するわけなんだけど(※NK4耐に関しては重量ハンディ制度が適用されなかった)その後のレースでは結局オートバイとして、15キロのハンディを背負った上での進化というのは実感できなかった。(※1995年の鈴鹿NK4の最終戦で、)タイム的には2分24秒0と、自分の1年前のレコードをコンマ6秒ほどつめたんだけど、それは進化とは呼べないなとボクは思った。なぜならそのバイクはすごく乗りにくかったからだ。 この年、ボクが常に気にしていたのが、重量配分とコーナリングスピードの関係、そしてステップワークについてだったんだけど、この時点ではまだ、CBにステップワークはさほど必要とされていなかった。強いて言えば、NK4耐の時のマシン仕様、あれはステップワークを必要としていた。 ステップワークがその目的を果たす足回りを創ること。それが翌年、スーパーNKに参戦する上でのボクの課題となった。
(以下、次回)
 
[PART 2]

さて前回ボクが提示したテーマ、ステップワークについて少し説明しておきたい。
ボクは今まで様々なレースマニュアルを読んできたわけだけど、そのどれもに必ずステップワークという言葉が出てきた。そこには体重移動のきっかけとして、或いはコーナリング中の重心移動を決める手段として、もしくは荷重をかけた方向へ進むマシンの特性を活かすためにステップに荷重をかけていく、なんてことが書いてあった。そして体重移動や重心位置の変更、なんていうのはわりとすぐに自分のものにできた。つまりボク個人が体験できた。基本的にボクは、オートバイの運転に関する体全体の運動量を10とすると、7から8を下半身で行うタイプだ。だから自分の体の位置を決めるだけ、というのとほとんど同義になる体重移動や重心位置の変更というのは、すぐに実感して、いつのまにか効率的に体が動くようになった。そしてそれらは、オートバイそれ自体男鹿もたらす物理的な現象よりも、乗っている人間に作用する比率の方が高く、簡単に言えば、そこまでのステップワークを行っただけでは、乗っていて楽だな、という程度にしか実感がない。つまり、オートバイ自体が物理的に何か反応するということは、ほとんどない。まあ、ゼロではないけれどね。
それでボク自身も、その程度のものなのかな、という感じでオートバイに乗っていた。ステップワークというのはオートバイに対して行うのではなくて、人間に対して要求される動作なんだな、というふうに理解したわけです。ところが実は、そうじゃなかった。これはボク自身が乗ってきたオートバイ経験にも大きく関係するんだけど、ある時、それまでホンダでしか乗ったことがなかったボクはヤマハでレースをすることになった。ヤマハの旋回力というのはイヤというほど見せられていたので、非常に興味深く走り出した。ただボクはホンダのオートバイでしかサーキットを走ったことがなかったから、はじめのうちはその旋回力をどうやって引き出していいのかわからず、オートバイはまったく言うことを聞いてくれなかった。
ある瞬間、ふと気付いて、それまで置物のように載せているだけだったステップ上の足に、意識的に荷重をかけるようにしてみた。コーナーに対して常に内側にある足に(ボクの場合はつま先)力を入れてみる。すると不思議なことに、、リヤタイヤが旋回力を持ち始めた。ギョッとして、これだったのか、と思った。これはボクにとって革命的な発見だった。オートバイが、まるでフォークリフトのようにリヤタイヤで旋回するということ、そしてそれを実感したということ。そのために、ステップワークは存在するのだということ。そして、ホンダのオートバイではそれが実感できなかった、ということ。もちろんスピードにイメージを追うものとしては様々なトライをしてきてはいたけど、ヤマハのマシンでのこの衝撃的な体験に比べれば、それらは未経験と一緒だった。




 


ステップワークとは体を支えたり体の動きを助けたりするものではなく、自分の行きたい方向へオートバイを進めるという、簡単に言えば、押しがけでエンジンをかけるのとセルでエンジンをかけることが違うように、とてもメカニカルな反応を示すものだ、ということだ。
これは多分、ヤマハに乗りつづけている人は無意識に知っていて、それとは逆にヤマハに乗ったことがない人は、知識としてそれを知っているだけで経験はないはずだから、そういう物理的作用を知らない。ちなみにこの理論はレースマシンに限られた話ではなく、YSR50からSR、YZR500やXJRやFZにまで言えることなんだ。ヤマハのマシンに乗ってステップワークの必要性とその効力を体験した人間にとって、その他のメーカーのマシンに乗っている時に行われるステップワークとその効力は、あまりに貧弱なものだ。ボクが何故ここまでステップワークにこだわるのかというと、ステップワークによって反応するバイクの動きが、人間にとってとても気持ちのよいものだったからだ。
前回書いたように、テクノロジーだけの進化というのはある時、道具としては退化になる場合がある。だけど道具というのはあくまで人間の感性と合致、あるいは延長線上にそのポテンシャルを持つべきものであって、違う始点を持ってはいけない。そこにヒトの感性を合わせていくのは不快だし、ちっとも便利じゃないからね。だからヤマハのマシンが持つ特性というのは、特に足回りに関して言えば、ヒトの感性に沿うように仕上がっていて、そのことが過去から現在にいたるまで徹底して貫かれている。それは、ボクがオートバイという道具を使ってイマジネイションを楽しんでいく上で、とても大切なテーマだった。そしてそれがその後、ボクがオートバイとの関係を築いていく上でのヒントとなったわけです。
さて、前置きが長くなったけど、そういうテーマを持って今シーズンはレースに取り組んだ。取り組んだというのは正確じゃないな、レースというシチュエイションを使ってマシンを創ったということかな。スーパーNKなんていうレースはどうでもよかったし、実際どうしようもないレースだったしね。レースそのものよりも、鉄フレームのNKマシンの可能性について、ボクは興味があったんだと思う。
それで今シーズン一戦目は鈴鹿の東コースで行われた。二年前、NKレースの第一戦もやはり東コースで行われたんだけど、その時のベストラップが59秒7だかでなんとXJR(※400)。ボク自身も59秒7を出したんだけど100分の1秒台で負けて、XJRがレコードホルダーになっていた。そして外観こそ同じように見えるけど何から何まで進化した二年後のボクとCBは、その時のタイムをあっという間に破って、57秒3というニューレコードを出した。




 



ただこのタイムがどの程度のものなのかはボクもよくわからなかった。東コースでのタイムはほとんど基準にならない。それは東コースで行われるレースが数少なくて、ボク自身、二年前と今回の二回しかレースに出場してないからタイム的なデータが全くなかったからだ。
そんなこんなで1200と400が混走というバカげたレースを終え、その下らないレースで生じた1200との落差が、悲劇的にも鈴鹿サーキット2分21秒台の道へとつながっていくわけです。
第一戦を終えた時点で抱えていた問題がアンダーステアとリヤサスの動きの悪さ。アンダーステアは多分、リヤサスの動きが鈍いというところからきていて、ヤマハハンドリングをCBに試みるボクにとっては、致命的な問題だった。車高を上げるだけ上げてストローク量を多めに取ったり、フロントフォークのオイル粘度を5番から20番へと変えてガチガチしたりしたんだけど、マシンは不快さを増すばかりで、一向に気持ちよくならない。
どうにかなんないのかなあと悩んでいるところで森脇社長が「レイダウンしてみろ」と言い出した。レイダウンは知っている。よくPゾーン(※当時ミスターバイク誌の中にあったコーナー)なんかでみんなやってるもんな。けど、なんのためにやるんだろう?リンクを使った一本サス全盛期育ちのボクは、レイダウンの効果を知らなかった。そして効果を聞いてから走り出すと先入観がジャマしてオートバイの反応を感じ難いので、レイダウン後、効果については何も聞かず、走り出した。

これが、すごかった。

サスペンションは自分の手足と同じように動き、その情報を確実に一部の洩れもなく、運転手に伝えた。本当にボクとつながっているみたいだった。今までフレーム(※全体)で越えていたギャップは足元に収まり、ギャップの形状や数までも的確にリヤサスが伝えた。
感動した。
そしてステップワークが使えるようになった。行きたい方向側のつま先に荷重をかけると、リヤタイヤがククッと旋回しはじめる。スライド量も自由自在に操れる。何よりも乗っていて楽しい。ボクが体験したヤマハのステアフィーリング、がそこにあった。
レイダウンしたことによって下がった車高を引き上げる。またがると、これが400か、というほどシート高が高い(※私の身長で、片足のつま先がやっとというレベルだった)。それでもしっかりとした順序を追って創られたのは間違いのないところだから、なんの疑問も持たずにコースインする。二周ほど、様子を見た。
CBは道具として最高の状態、つまりボクとの境界線が限りなく曖昧な感性を見せる。次の周、その優しい状態に沿うようにして、タイムアタックをした。そして、啓示的に、そのタイムはマークされた。
2分21秒78。
実はそれはとんでもないタイムだった。ボク自身が持っているコースレコードが2分24秒0。つまりそれよりも2秒22も速く、SP400(CBR,ZXRなどレーサーレプリカクラス)のレコードもぶち破って(※当然だがストレートスピードはNK仕様のCB400SFよりもSP400の方がはるかに速かった)、ノービスクラスの125(RS、TZ125等)のレコードにもコンマ数秒まで近寄ってしまった。要するに、現行のレーサーレプリカを頭から否定するようなタイムが出てしまったわけです。 三年間も同じマシンでマイナーレースをやるのは退屈だったとか、でも他にやりたいレースがないんだからしょうがねえだろ、というレースに取り組むボク自身の個人的な感情をとりあえず無視して言うと、これだけオーソドックスなスタイルのバイクにオーソドックスな手法(PGMがどうでインジェクションがどうで可変ファンネルや空力やトラクションコントロールやアンチロックブレーキや前後連動ブレーキ、とかの最先端のテクノロジーなくして、という意味で)を用いて三年間も徹底してある分野の最先端にい続けたのは、その成果や効果が第三者に伝わるものとしては、この数年間でボク一人だ。この一連の流れの中で、少なくともボクが使う道具に関して言えば、メーカーやファクトリーレーサーたちの言動はほとんどアテにならなかったし、しなかった。
そうやってボクの素晴らしい道具は一つずつ仕上がってきた。もちろんボク一人の力ではどうすることも出来なかったと思うし、モリワキエンジニアリングの優秀なスタッフと、森脇社長の奇抜なアイデアとではじめて、2分21秒というタイムをマークしてしまう、楽しいCB400が出来上がったんだと思う。

ボクは21秒を出した時、道央自動車道で鹿をひき殺すようにとか、雨の東北道を常時ハイドロで走ったりとか、首都高速三号線手前の右カーブ後のトンネルに盲目的に180キロで突っ込んでいったりとか、東名でトラックのミラーを叩き割って逃げた時とか、中国道広島付近の対面通行トンネルで逆走するようにとか、関門自動車道入り口でやっていたシートベルト検問を突破していくようなだとか、そういう気分ではなかった。
そうじゃなくて、きれいな女の子と夜の海岸線の風に沿うように、流した。もちろん力の入り具合は全然違うんだけど、気分的にはそういう感じだった。必ずしも気分のいいものが数値的に優れている訳ではないのかも知れないけど、今回は重なった。
そもそもパワーとかトルクに始まる数値なんて、本来は関係ないと思う。そんなものは物理的に生ずる人間の錯覚を補正する程度のものでいいはずだよ。どこでどう間違ってエキスパートたちが死に目を見るような道具、オートバイが出来上がってしまったんだろう。道具に意志なんてないから、やっぱりヒトの勘違いがすべての悪のの根源なんだろうね。勘違いしてる創り手や乗り手が、本当に多いものね。ボクは道具と接しているということについては今まで勘違いはなかったし、これからも絶対にしないように気をつけようと思う。そうすることではじめて、自分にとっての一台のオートバイが必要になってくるはずだからね。メーカーや車種なんて、ボクには関係ない。気持ちよく乗れるか、気分悪いかでしかない。だからCBにTZのフィーリングを自然に求めるし、自分にとって足りないものにすぐ気付くことができるんだと思う。
 




 



今回は前回と違って具体的に何をしたからこう出た、という結果論よりも、方法論について重きを置いた。前回は比較的興奮していたりもしたから、逆に具体的なことについて触れた。でも結局言いたかったのは、ボクはオートバイという道具についてはボクだけの感性で接してきていて、そのことが間違っていなかったよ、ということなんだと思う。そしてそういう関係性のとり方でしか、ナイスでキュートな道具は生まれてこないと思う。とても個人的なマシンが、逆に人間の感性一体になるマシンだと思う。ボクはそういうことの自分への証明を、CBとNKレースと、21秒というタイムで、得た。
概念に縛られない技術者はもう出てこないんだろうか?ボクはそういうバイクにしか、興味ないな。

追伸 NK4耐終了後、またしてもボクの痺左エ門(CBのことです)は買われてしまいました。これで、5台目。計600万円目の、ドナドナです。鈴鹿サーキットではかつての相棒「痺男」や「痺助」が元気に走ってます。それも、上の方で。 モリワキが600万円もらって何千万損しているのか、ボクは知らないけど、でもいい傾向だと思ってます。こうやって道具が伝達されていったらそのうち誰かが「2分17秒BY CB400」なんてことをするかもね。

じゃあ、また。      1996年 梨本 圭


 


解説と編集後記






 
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