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この作品「幸福を運ぶ鳥」は「アオチリ」「PKMNノマカプ」等のタグがつけられた作品です。
幸福を運ぶ鳥/めでるの小説

幸福を運ぶ鳥

12,817文字25分

「アオキとチリの恋が実るまで」を書きました。多分な妄想を含みます。

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 ひとりの女性に恋をした。同じ職場、同じ立場、歳は一回り下。パルディア地方の四天王のひとり、チリさんだ。最初は憧れだと思っていた。チリさんは、老若男女から好かれる人たらしだ。男物のシャツを着こなす、モデルとも見紛うスタイル、ワインレッドの瞳と、さらりさらりと揺れる玉露色の髪。中性的な容姿だが、頬とおでこは丸くて華奢だ。その風貌は、性別をも凌駕して愛されている。陽気で元気溌剌なチリさんは、親しい人の前では、ジョウト弁で話す。
 一方、いざ四天王として現れると、襟を正した敬語を話す。戦闘中の勇ましい姿、好戦的なスタイルに、アカデミーの挑戦者の多くは「メロメロ」だという。チリさんは、四天王の実技テストをする度に、SNSでトレンドに上がる存在である。「四天王」チリと戦えただけで、その人は「幸運」でもあり、名前も憶えてもらいやすいからだろう。
 そんな「チリさん」に、自分が「メロメロ」などといった劣情を抱くのは、社会的倫理的に問題だらけである。自分は、「チリさん」よりも一回り歳上、口下手、営業成績不振、人手不足を理由にジムリーダー、四天王になったおじさんだ。若く前途洋々な「チリさん」には、自分と違って、もっと明るい未来と無限の選択肢があるはずである。だから、この恋は荼毘にふすと決めた。火葬されて、灰も残らず、煙になればいい。
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 今日は四天王とジムリーダー、それにトップチャンピオン、オモダカさんとの忘年会だ。今年の開催場所は、テーブルシティである。パルデア地方随一のアカデミーを擁する学園都市だ。
 アカデミーには、特大クリスマスツリーとイルミネーションが飾られ、キラキラと辺りを照らし、まるで、宝石が街全体を彩っているようだ。街を行き交う人々の雰囲気もいつも以上に華やいでいる。ファミリーレストランバラトの宴会場にて、ハンバーグ、ピザ、レザニア、ドリア、サラダ、アヒージョ、バーニャカウダなど、一年を祝う鮮やかな品々が並ぶ。肉と赤ワインが美味しい。白米派のアオキは、ハンバーグの付け合わせにご飯を注文し、他の参加者がお酒と会話を楽しむ傍ら、モッモッモッモッと白米を口に含んでいた。
「アオキさん、楽しんでまっか?」
別の席から、チリがワイングラスを片手に、アオキの隣に移動してきた。
「...おかげさまで、ありがとうございます。」
「今年もお世話になりましてん。ところで、アオキさんは、年末何して過ごします?」
「私は...特に予定はありません。ネッコアラと寝正月です」
「ほんなら、年末年始、貴重な休みやけど、一日チリちゃんにくれまへんか?」
アオキにとって、チリからの珍しい申し出だった。
「どうしたんですか?」
「実は友人から、ムックルを預かったんですわ。ただそのムックルちゃん、冬なのに、換羽期がまだだったらしく...ずっとイライラしてて、触らせてくれへんし、羽根で部屋がエライことなってるんです。」
「それは...大変ですね」
「そこで、とりポケモンの扱いなら、アオキさんやと。ムクホークも持ってらっしゃるし、アオキさん、お願いや。うちのムックルちゃんの様子、見てくれまへんか?」
とりポケモンというのは、人間の近くに種々様々に生息しているが、その実、警戒心が強い。火山や砂漠に住むような、じめんタイプのポケモン専門の「チリさん」や、不慣れな人がお世話をするのは難しいのだろう。
「いいですよ、わかりました。」
「ホンマですか?!」
チリの笑顔が、パァァァと輝いた。それを心底眩しいと思いながら、好きな人に頼られて嬉しくない人はいない、とアオキは胸を熱くするのだった。
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(......良いのだろうか........)
(セクハラ...独身女性...同僚...始末書...)
 アオキはチリの部屋のインターホンの前で、指が震えているのに気づいた。
 忘年会の夜は酔っていたのだ。そこにチリの必死の懇願が相まって、つい承諾してしまったのだ。
 チリに、マンション入り口のセキュリティを通らせてもらった後、アオキは気づいた。これから、アオキは好きな女性の住まいに入る。今すぐごみ収集所で燃やしたいくらいの、恋心を隠し通せるだろうか、アオキの顔は沈んでいた。
「ムピィィィーーギュゥゥゥ!!」
 空気をつんざくムックルの鳴き声...もはや叫び声が聞こえた。アオキは驚きのあまり、勢いあまって、インターホンをピンポーンと押してしまった。
「ああ〜アオキさん!よう来てくれはりました!」
 間髪入れずに、チリが扉を開き、出迎えに来た。逃げるには遅きに失した。アオキは促されるまま、ドオーのスリッパに足を通し、洗面台を借りて手を洗い、チリの部屋の中へ足を進めた。
 チリの部屋は1階に位置する。ドオーをはじめ、チリのポケモンには重量級が多いからだろう。リビングに面した窓の外には、ドオーが遊びまわるに十分なくらいの庭が広がっていた。冬の朝日が部屋に差し込む。その光が、モカブラウンと白を基調にした、小奇麗なリビングを照らしていた。
「チリさんの部屋だ...」と、わくわくどきどき部屋を見回そうとする変態心を抑えて、アオキはゲージに入れられたムックルの様子を見た。
「これは......」
「ピギュゥゥ!!ピィギュルルルゥ!!」
 小さなムックルだが、この部屋の誰よりも声が大きい。アオキには、ムックルが怯えているように見えた。チリは「預かってから、こないな感じでお手上げです〜」というのを片耳で聞きつつ、アオキはムックルの視線の先が、チリさんのモンスターボールに注がれているのに気づいた。
「チリさん」
「はい?」
「恐れ入りますが、チリさんのポケモンを、お庭かどこかに出して、この子と距離を離してくれませんか?」
 チリは、アオキの提案に戸惑いながらも、自身のポケモンやボールを庭に移動させた。その後、チリは庭の窓を閉めて、リビングに戻ってきた。
「この子、ゲージから出してもいいですか?」
「窓の戸締り、確認しますわ」
 チリは逃げないように、と細心の注意を払って、アオキは慎重にムックルの入ったゲージを開けた。ムックルは、先ほどよりかは落ち着いた様子で、トットッと、爪音を立てて外に出てきた。
「おいで」
 アオキは慎重に、慎重に、鳥用防具を被せた手の甲を、下から差し出した。すると、ムックルはアオキの手の甲に乗ってきた。
「撫ででも、いいですか?」
 アオキは、ムックルに伺いを立てた。ムックルは「ピギュゥ」と、「許す」とも言わんばかりに一節鳴いた。アオキは、とりポケモン用の市販ブラシを取りだし、ムックルの羽を優しく撫でつける。少しずつ、不要な羽毛がブラシに溜まっていった。
「おそらく、この子は箱入り娘、いや、屋敷の御曹司とでも呼びましょうか。部屋の中で飼われていたと思います。とりポケモンの中には、環境変化や気温変化、日照時間の不足がホルモンに影響して、換羽がうまくいかないときがあるんです。」
「あ~そうか、うちこの子を外に出してあげられへんかった。暴れてまう、というのもあったけど、逃がしてしまうのが怖ぅて」
「換羽が上手く行かなかったのも原因の一つですが、チリさんの手持ちポケモンは、砂漠や火山に住むポケモンが多いですね。とりポケモンは、戦闘でもない限り、砂漠に住むポケモンとは出くわしません。高い空を飛んでいます。じめんタイプはともかく、いわ技はひこうタイプの天敵でしょう?」
「この子の怒りの原因は...チリちゃんではなく、チリちゃんのポケモンを怖がっていたということ?」
「その通りです。チリさんのポケモンは練度も高くて、この子が敵う相手でもないでしょうから」
「ほーん、そーいうこともあるんや...アオキさんおおきにです〜!この子も元気になって、よかった!」
そうして、チリのつり眉とたれ目がふにゃりと曲線を描き、口には笑みをたたえる。
 好きな人、いや同僚の役に立ててよかった、とアオキは少しだけ誇らしい気持ちになった。
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 しばらくして、アオキがチリの家のリビングで、コーヒーを頂いているうちに、部屋に放していたムックルが、「ばさ、ばさ、ばさ」と軽くなった翼を揺らし始めた。
「飛び立つ準備をしているのでしょうか」
「なんや、もう巣立ってしまうんか」
「とりは自由ですから。この子も、やがて大空を飛ぶ。でも、土をなくして、生き物は生きられません。木の実は地に生えます。地上のことを忘れることはありませんよ」
「うちは、とりポケモンとはあまりそりが合わんくて、逃がしてまうことも多かったんですよね…。アオキさんは、誰かとの別れを惜しんだことはありますか?」
 若さ故だろうか。チリは、このように、唐突に、人の懐に入り込みたがる癖がある。チリ本人は、きっと深く考えていないのだろう。チリの長所でもあり、短所でもある。
 アオキは、「仕事で、しょっちゅう出会いも別れもあるから、いません」と答えようとした。でも、なぜだろうか。アオキは言いたくなかった。それは、「誰もいない」というのは、嘘だからだ。今まさに、目の前に、別れたくないその人がいるのだから。
「ひとりだけ、いますね」
すると、チリは、しゅんとした顔をした。
「…すんません、聞きすぎました」
「この歳になると、別れはつきものなんですよ。チリさんも気を付けて、過ごしてくださいね」
 それ以降は、穏やかに世間話をして、「いや恐れ多いわ」と遠慮するチリに、ムックル用のブラシを渡し、チリの部屋を後にした。なんとか隠し通せた、とアオキは安堵したのだった。
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 その日のチャンピオンテストは白熱した。挑戦者が強者だったのだ。タイプバランスの良いパーティだった。レベル、個体値共に発達、厳選しており、シンオウ地方の高名なチャンピオン・シロナを思い出させた。そうして、チリとポピーに続き、アオキも挑戦者とのポケモンバトルに敗北した。
「アオキのおじちゃん、それじゃ、四天王最後のお一人、呼んでください!」
ポピーがいつものように、アオキに振る。
「ハッサクさーん!出番です!」
 チリは、驚いた顔をした。ポピーもびっくりした顔をしていた。いつもはチリに頼っていたはずのアオキが、自らハッサクを大声で呼んだからだ。
「アオキさん...大きな声、出るやん」
「そう、ですね。今までご迷惑をおかけしました」
「今まで出さなかったのは、なんででっか?」
「…甘えてたんですよ。チリさんに。ご迷惑を、おかけしました」
 すると、少しチリは傷ついた顔をした。アオキは、なぜチリが悲しそうな顔をしたかはわからなかった。それでも、「どうしましたか」とは、聞き返せなかった。
 そうして、挑戦者が、テラスタルを発動したハッサクに、僅差で敗れるのを見届けるまで、アオキとチリは、沈黙を守ったのだった。アオキは「それでは」と言い残し、そそくさとその場を後にした。
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 チリが初めてアオキと出会ったときの印象は、けして良いものではなかった。くたびれ気味のサラリーマン。実力はあるのに、チャンピオンの座につかず、妙なところで若手に甘える、しょーもないおっさんやなぁと思っていた。同時に、仕事が好きで、もはや仕事が恋人で、孤独に強い性格なんだとも思っていた。
 けれども、チリは違うと感じていた。きっとアオキにも、寂しい時があった。チリがジョウト地方から、越してきた夜のように。リーグの営業、ジムリーダー、それに四天王という三足草鞋は、誰にでもできることではない。それでもアオキは、それに耐え得る体力と素質があった。毎日仕事に忙殺され、上に仕え、下に気を遣う。仕事をしている間はきっと、気づかない。
 でもふとした時に思う。独りのときの、ひとかけらの、寄る辺なさを埋めてほしいと。ポケモンは可愛く、格好よく、元気をくれる。でも、人ではない。ポケモンは、感情はわかっても、言葉は話せない。チリはアオキの孤独を知ってしまった。そして、チリは、「その寂しさに寄り添いたい」と思っている自分に気づいてしまった。
 これが恋だと気づいたチリは、恋に消極的であろうアオキに、グイグイ迫って、飲み歩いて、酔ったついでに告白して、フラれてしまおうかとも考えた。しかし、それはつまり、今まで同僚として円満だった関係にひびを入れる、ということだった。「忘れられない人が、ひとりいる」と、アオキは、言った。記憶の中に閉じ込めた、古く懐かしい思い出にはきっと勝てない。さなぎは、羽化に失敗すれば、死ぬ。
「どうすれば、いいんや」
「チリ?」
 名前を呼ばれて、ハッと気づいた。今は、トップチャンピオン・オモダカと会議中だった。
「申し訳ありません。すこし、気が散ってしもうて」
「大切な話を聞き逃すようでは、看過できませんよ。何かありましたか?お話しなさい」
 やってもうた、とチリは落胆した。この人の前では、なぜこうも逃げられないのか。
 オモダカさんは、よく言えばカリスマがあり、悪く言えば「一辺倒」なんだ。むろん、役職上、やっかみやリーグの問題を一身に受ける立場からして、そういうことになるのかもしれないけれど。
 チャンピオンと四天王には、明確な上下関係がある。四天王が、チャンピオンの前に立ちはだかるから、四天王は四天王たりうるし、チャンピオンは、チャンピオンなのだ。
「…最近、自分の失態から、アオキさんに避けられてしまうようになって」
 チリは、ムックルとの経緯から、今まであったこと、そして、自分の心の在り方について、白状した。
「言い訳がましいですが、アオキさんのせいじゃ、ありません。オモダカさんは、あまりアオキさんのこと、評価してないんかもしれませんが、うちの心の問題です。近いうち、どうにかします」
 オモダカは、思案している顔で答えた。
「…プライベートには、首をつっこみません。それでも、会議には、ちゃんと集中するように」
チリは「はい」と答えて、その後、会議は滞りなく進んだ。
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 その日、ポケモンリーグの事務室の時計は、23時を指していた。アオキは、所用、雑用、その他諸々を片付けに、夜まで残っていた。ほかの四天王や事務員は、すでに帰宅している。しばらく、チリとは会うこともなくて、アオキはほっとしていた。
「アオキ、お疲れ様です」
「オモダカさん」
事務室にて、アオキが小休止と缶コーヒーをあおっていると、オモダカが現れた。
「今日はいらっしゃったのですね」
 チャンピオンを目指す挑戦者の中でも、トップチャンピオンとの戦闘まで至る強者は、ごくわずかだ。すなわちオモダカさんは、四天王が全員倒されるまでは、待機状態なのである。
 アカデミーの理事長も兼務し、アオキに負けず劣らず多忙なオモダカは、四天王と挑戦者の戦闘を覗きみて、挑戦者が望みなしと判断された場合、仕事で移動することも多い。夜までトップチャンピオンがリーグに残っていることは、珍しいことなのだ。
「ところで、アオキはチリのことが、好きなんですか?」
 アオキは飲んでいた缶コーヒーを吹き出しそうになった。遠慮も突拍子もない質問だった。
「いえ、そのようなことは」
「ふふ、隠し通すのは難しいと思いますよ。私は、アオキの目線の向け方で気づいていました。あなたが実技テストで負けた時、ハッサクを毎回チリに呼んでもらっていたのも、わざとでしょう?」
 アオキはうなだれる。
「そのチリから、アオキが自分を避けるようになった、嫌われたかもしれない、と相談が来ているのです」
まさか、自分の態度がチリさんを傷つけていたなんて、とアオキは驚愕する。
「部下の悩みは、職場の雰囲気にも影響しますね」
オモダカはやれやれといった顔をする。
「それで、アオキはチリをどうしたいんですか?返答次第では、異動も考えねばなりません」
 アオキは、もう隠し通せまいと、判断した。弁明を経ないまま、何も告げないまま異動をしたら、もっとチリを傷付ける。戦わずして負けるのは嫌だ。ならば、いっそ打ち明けてしまおう、とアオキはやけくそになった。
「私は、チリさんのことが大切なんです。」
 アオキは俯きそうになりながら、それでもオモダカの瞳を捉えた。アオキの態度は、猫背のネガティブサラリーマンのそれではなかった。
「大切だから、踏み出せないんです。私は一回りも歳上で、私にチリさんはもったいないぐらいのお方ですから」
 恋情を白状してしまった。恋愛のいざこざは、職場ではご法度だ。一回りも歳上のおっさんが、一回り年下の同僚女性への恋を漏らすなど、風紀を乱しかねない、あるまじき行為だ。異動案件だ。ましてや、その聞き役が自分の直属の上司なら。アオキは、目をぎゅっとつぶった。
「...私は心から応援しますよ。アオキ」
 異動、辞表、最悪解雇と頭を巡り、青ざめて呼吸不全の一歩手前になっていたアオキは、ヒュッ、と息を吸った。
「アオキは、随分と長い間、リーグの営業、ジムリーダー、果ては四天王を勤めています。このパルディアから、世界に、ずっと貢献しているではありませんか。」
オモダカは、ひとつ、間をおいた。
「私は、ポケモンバトルから得られる快感が心地良く、ある種狂気をもってして、トップチャンピオンの座にいるんですが」
「部下の幸せを祈れずして、リーグを支える方々や、アカデミーの生徒、そして、ポケモンへの愛や友情、誠実さを、語れる資格はないと思うのです」
 アオキは、ぐっと口を噛み締めた。オモダカのことばは、昔、祖母の膝の上で聞いた、幸せなおとぎ話のように、優しかった。
「ただし、もうチリにははっきり伝えた方がよいですよ。チリの心に、影響が出ているのです。旅の恥はかき捨て、玉砕覚悟で行ってみなさい。おそらくチリにとっては、白黒つけられた方が楽でしょう。もし、それでもどうにもならなかったときは、私がなんとかします」
 前言撤回、オモダカという方は厳しかった。手に握っていたアオキのコーヒー缶が、ぎし、と鳴る音が響いた。恋心は荼毘に付される前に、白黒つけるときが来てしまった。
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 同じ日の夜23時。チリは、先ほど、事務室でアオキとオモダカと話し込んでいるのを見てしまった。チリは日が沈む頃から今まで、事務室の隣の棟の仮眠室で寝ていたのだ。チリの「今日」は、仕事の関係上、特別朝が早かった。夕方にはその業務を終えたが、睡魔に負け、仮眠室で休むことにした。そうして気がついたら、夜の23時だった。チリは「うっかり寝過ぎた」と、慌ててベッドから起き出した。
 チリが玄関に向かう通路を歩いていると、事務室に明かりがついているのが見えた。昼間の気分で話すには遅い時間であり、ちらりと様子だけ見て、帰ろうと思っていた。
 事務室の明かりがついた一角に、アオキとオモダカがいた。アオキはオモダカに、真剣な声色で、「チリさんのことが大切なんです」と告げていた。チリは、怖くてそれ以上は聞けず、足早にその場を離れた。チリは、その「大切」はどういう意味かと聞きたかった。同僚として、年長者として?それとも、「異性」という意味で?知りたい、でも聞くのは怖い。人の心は、目に見えない。それでも、我慢し通しなのは、チリの性に合わない。
「きっついな…」
 誰かに相談したい。誰かいないか。この気持ちを受け止めてくれる誰かを。チリははっと気が付いた。そう、ひとりだけいた。チリとアオキの立場を理解してくれそうで、口が固く、信頼感あふれ、ちゃんとした職に就いていて、適度にリーグとの距離もある。相談役として理想的な人間がいる。
 チリは、さっそく、その方の連絡先を確認するために、スマホロトムを取り出した。
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 テーブルシティの一角。お惣菜屋やファッションブティックが並ぶ区域、チリはレンガ造りのマンションの一棟に入っていった。玄関セキュリティで、主の住む部屋番号を押す。「どうぞお入りになって」と、家の主が朗らかに応えた。チリは、エレベーターで上階に上がり、イワンコの装飾リースがかけられた扉のインターホンを鳴らした。
「まぁまぁ、はるばるようこそ、チリさん」
扉の中から現れたのは、アカデミーの数学教師・タイムだった。チリは、タイムに「お忙しいところ、すみません」とお礼の茶菓子を手渡し、客間に入れさせてもらった。
「会うのは、四天王になったご挨拶に、来ていただいたとき以来かしら。立派になりましたね。今日は授業もおやすみなの。だから、気にしないで。生徒のためのみならず、自分の時間、友人と会う時間のために、ジムリーダーを妹に譲ったのだから」
 チリは、タイムに促され、テーブルクロスのかけられた、4人用の客席に座った。「紅茶でいいかしら?」と問うタイムに、チリは「ありがたく、いただきます」と答えた。まもなく、タイムが熱々で淹れたての紅茶と、クッキーを持ってきてくれた。チリは、ティーカップに息を吹きかけ、口をつける。新鮮な茶葉から抽出された、淡い甘さのダージリンが美味しい。タイムもまもなく席についた。
「プライベートのご相談、と言っていましたね。そして、他言をしてほしくないと」
「はい」
「お約束しましょう。立場のある者同士、助け合うときは助け合うべきです。勿論、秘密の共有もね」
「ありがとうございます」
「それで…どうしたの?」
 チリは、奥歯をぐっと嚙み締めた。もう引くことはできない。
「恋をしたんです」
「あら…あら、まぁ…」
「でも、その人には忘れられへん人がいるみたいで、辛くなってしまいました」
「そうだったの…」
 タイムは、なだめるようにチリの言葉に相槌を打った。
「チリさん、聞いても大丈夫?その人とはよく会うの?」
「仕事では顔を合わせます。毎日ってわけではないけど、少なくとも月に3回は」
「それで、苦しいのね」
 チリの顔からは、いつも溌剌さは消えていた。
「その人は、うちより何歳も年上やし、今までずっと真面目に仕事してきた人なんで、この恋自体が、不毛かもしれまへん。でも、辛くて、つろうて、仕方がないんです」
「恋に、苦しんでいるのね」
タイムは、「恋は…難しいものよね」と、呟いた。
「ある小説では、恋は罪悪ともいうけれど、それは、知らないうちに自分を苦しめてしまうからなのよね。相手も知っていることなら、なおのこと」
「うちは…どうすればええと思いますか、先生」
タイムは、すぅと息を吸い、穏やかに語りだした。
「チリさん、確かに恋は苦しいかもしれませんが、その気持ちは大切にした方がよいものよ。恋するほどに、素晴らしい方がいることにも」
 タイムは続ける。
「人は、年を取ると、その気持ちに反して、少しずつ身体が動かなくなっていくの。大切な人が急に目の前からいなくなったりして、いなくなった後に後悔するの。あのとき、こうしていればよかったって。もちろん、生きる喜びもあるわね。きっと人は、寝たきりになって初めて、その悲しみと喜びを振り返る」
タイムは、優しい目でチリを見つめた。
「逃げた分は、逃げた分だけ後悔をすることになる。戦って、負けがついても、自分が挑戦したという事実は残る。恋をすることは、素敵なことよ。恋に破れても、恋が実っても、いつかチリさんは、自分が戦い抜いたことを誇りに思えるでしょう。…告白するかは、チリさん次第だけど、その想いを否定しないで。その想いに、勇気をもって、ぶつかってみて」
 ポケモンバトルが得意なんだから、恋だってできますよ、チリさんはアカデミーでもモテモテよ、とタイムはチリを勇気づけた。チリは、自分の心が救われた気がして、感極まった顔で「ありがとうございます」と声を絞り出した。
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 それから数日たった冬の朝。チリが庭でドオーやダグトリオと戯れていた時だった。
「...ムクホーク?」
 なかなかお目にかかれない、立派な体格をしたムクホークが、チリのもとに降り立った。ムクホークが、人の多い住宅地に、出現することは滅多にない。ムクホークは「見よ」といわんばかりに、バサリと片翼をチリに差し出した。チリは、羽の中にポケモン用生体認証の埋め込みチップと見られる膨らみを確認した。それをスマホロトムで読み込んでみる。
ポケモンの「所有者欄」に「アオキ」という文字と、四天王の所有ポケモンにのみ刻まれる「四」と「王冠」が描かれたマークがあった。
「アオキさんの、ムクホーク?」
 ムクホークは、チリの問いかけに対し、「ピュビューィ」と返事をした。ムクホークは、その場で足をがさがさと動かした。足に着けられた筒が、カランカランと鳴る。チリは、その筒をムクホークの足から外した。仕事でのアオキとの連絡方法はもっぱらメールで、回答を急ぐときのみ、電話である。アオキのムクホークによる伝書鳩は、初めてだった。チリは、手のひらほどの大きさの、通信文を読んだ。
“チリさんへ 土曜日の11時に、コサジの小道の灯台まで、来て頂けますか?来て頂けるのであれば、12時まで、お待ちしています。アオキより”
 チリは、自身の心臓が、ドクン、ドクンと波打つ音を聞いた。
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 残酷なほどに、太陽の美しい朝だった。生涯最後の恋が、正午には終わる。先日、アオキは、チリ宛に書いた通信文を、ムクホークに託した。メールや電話では、傍受される危険がある。アオキは、自分のことで外野に騒がれようと、「これはこれはお暇なことで」と気にしない度量があるが、チリは違う。チリに醜聞をつける訳にはいかない。若者の憧れの象徴を、汚す訳にはいかない。
 チリに手紙を送ったあの日の夕方、ムクホークは、ほどなく帰ってきた。筒の中身は空になっていた。チリが手紙を受け取った証拠だ。つまるところ、この恋の結末は、返事の方法の違いにもある。
 チリが来なければ、この恋は海に捨てる。来たら、そのときが決戦の時だ。アオキが灯台の入り口で待っていると、まだ冷たい潮風がアオキの髪を揺らした。ジャケットは普段の仕事のスーツだが、着なれない白のポロシャツが落ち着かない。
 約束の午前11時、一台のそらとぶタクシーが灯台の入り口前に降り立った。チリが、タクシーから姿を現す。チリの服装は、いつもの仕事の服装だが、ネクタイだけはせず、長いベージュのコートを羽織っていた。
「...アオキさん」
「...こんにちは」
 当たり障りのない、最後になるかもしれない、挨拶。
「来てくれて、ありがとうございます」
チリは緊張した面持ちで、アオキを見据えた。そうして、海の方に視線をずらした。
「いつもリーグにばかりおるから、久しぶりの海ですわ」
「私もです。灯台の上に、登りましょうか」
 アオキとチリは、灯台の上に登った。吐く息は白い。灯台から見える海外線はどこまでも青く、キラキラと光り輝いていた。キャモメが翼を広げ、海面と平行に遠く、遠く羽ばたいていく。
 ざざん、と波が立った。アオキとチリは灯台の上にたどり着いた。はぁと、息を整えて、アオキはチリの瞳を捉えた。チリの瞳もまた、アオキを捉える。
「私は、チリさんが、好きです。同僚ではなく、異性として」
 時よ、止まれ。恋が散るその前に。愛する人の瞳を捉えたまま、死なせてくれ。
「チリさんの、恋人になりたい。その気持ちに嘘はありません。けれど、私はチリさんより早く逝くでしょう」
 ざざん、と波音が聞こえる。時は止まらない。
「ご迷惑なら、私は今日、チリさんの前から消えます。四天王も辞します。あなたに出会い、恋を知れただけ、私は幸せでした」
 ざざぁ、と波が砂浜を覆い、泡が消える。"さようなら"と別れを告げるように。
「アオキさん、」
 アオキはチリを凝視した。チリの目はくしゃりと歪み、悲しそうに眉を寄せ、はくはくと、もどかしそうに、口を動かしていた。チリは、こぶしを握り、ぐっとため込んだ後、堰を切った。
「勝手に決めんといて。勝手に、消えんといて。うちは、うちは幸せや。うちは、うちかて、アオキさんが好きや!」
「チリさん、」
「知らんかった!恋がこんなにきっついものやなんて!愛がすぐ目の前にあることやって!責任とって、アオキさん!うちと幸せになって!消えるなんて許さへん!」
「チリさん!」
 口が引き攣り、泣き出しそうな顔をしたチリを、アオキは抱き締めた。想像以上に、か細い身体だった。
「いいんですか、私で」
「だから、そう言っとるやん...」
「ありがとうございます、チリさん」
 恋は散らなかった。波に攫われなかった。恋に身をつくしたら、澪標になった。今日を絶対に忘れない。今が、幸福の出発点だ。
「泣いとるの?アオキさん?」
 チリはアオキの腕の中から、アオキの顔を覗き込んだ。
「老眼で、目が霞んだんですよ」
「アオキさんは、いじっぱりやんな」
「...善処します」
「何を?」
「素直になれるように、ですよ」
 ぷ、とアオキとチリは笑いあった。アオキがチリの頬にキスをすると、チリの頬は真っ赤になった。
「…口にせえへんの?」
「止まらなくなるので...」
「意気地無し」
「ここで裸になるのはちょっと...」
 開放的すぎますよ、とアオキが返すと、チリの顔はトマトのようになった。
「チリさん、トマトみたいな顔してますよ」
「ちょっと黙っといて」
「ふふふ。チリさん、テーブルシティに行きませんか?」
 アオキが「お腹がすきました」とチリに伝えると、チリは「初デートやんな」と満面の笑みを返したのだった。

コメント

  • えちみや
    2023年1月2日
  • あり
    2022年12月27日
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