貴女の目を見て、真っ直ぐ、伝われ
アオチリが付き合うまで、です。
一応前作「貴方の目を見て、真っ直ぐに」の続きですが、単品でも読めると思います。前作はただチリちゃんがアオキさんに好き絡みしているだけなので……。
エメラルドのホウエン地方を引っ張ってきた関係上、チャンピオンのミクリさんがチラッと名前だけ出ます。ぶっちゃけ書き終わってエメラルドじゃなくても良いなこれ、とは思いました。
空を飛ぶの人数制限など、大丈夫か?という所はまあ、良いだろ、と思考をぶん投げたので多めに見てやって下さい。
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春が来て、麗らかな日差しが心地よいお昼すぎ。それらがシャットアウトされた部屋の中。オモダカの執務室では重たい空気を纏ったアオキがいた。
「……何故こんなことに」
「心の声が漏れていますよ、アオキ」
繁忙期を抜け、仕事も落ち着いてきた。自分なりに緩急を付けて仕事をこなしていたところ、緩急の緩を狙ったかの様にオモダカからホウエン地方出張の指示が飛んだ。これならもう少し忙しい振りをしておけば良かった、と脳内でうす暗い考えが渦を巻いていく。
いや、そんな事をしてもお見通しだろう、しかしであれば……と長考の海に足先をつけたところで、オモダカの「同行者はチリになります」の一言に、「なぜですか」と反射的に返していた。瞬時、反応すべきでなかったと、内心、顔を顰めた。
「チリにも、より一層リーグ発展のために貢献していただきたく考えています。その一環としてパルデア以外のリーグ運営、ポケモントレーナー育成の環境を見ておいても良いでしょう。アオキ、後進を育てると思って、よろしくお願いしますね」
にこやかに有無を言わせぬ笑顔を見せられ、拒否権など元から無いのだ、とアオキは諦観する。
その後も続く説明のなか、宙に浮いた視線を正そうともせず、挙句退室していった男を見送ってオモダカは少しだけ首を傾げた。
アオキはいつも通りそつ無く仕事をしている。仕事に支障が無ければそれで良い。ただ、繁忙期を過ぎてなお深刻な顔をしている部下が少しだけ気になった。
廊下にアオキの靴音が響く。扉の前まで来ると、ガチャリと、四天王執務室のドアノブを回した。
部屋の中、モニターからすっと顔を上げたチリがアオキに気づき、眉間に出来ていた皺をといて、微笑みをくれる。
「アオキさんお疲れさんです。ホウエン地方への出張やって聞きました?来週って事で急な話ですけど、よろしゅうお願いします」
午後からリーグに出勤だったアオキと異なり、チリは午前中のうちに話を聞いていたらしい。
「こちらこそ、お願いします。事前準備に少し時間がかかりそうなので、お手伝いお願いできますか?」
「勿論ですよ。チリちゃん、今週やったら半日はまるっと空けられるんで、都合のええ時言ってください」
「ありがとうございます。それではーー」
簡単な打ち合わせが進んでいく。
終業後、アオキをとっ捕まえては「好きや!うんとかすんとか言わんかい!」と、まくし立てるチリも、業務中は一同僚としての立ち位置を守っていた。ただ、それは表面を取り繕っただけで、アオキと居る事で安らぐ心をチリは大切にそっと抱えている。
ーーーー
パルデアから船でまる一日半、ようやく着いたホウエン地方。カイナシティは雲ひとつない快晴で、暖かな日差しの下、チリはうーんと背伸びをする。
「んー、流石に慣れない船旅は身体にこたえますね」
「そうですね、身体が軋んでいる気がします。今は……午前十一時ですか。少し早いですが、市場で昼食にしましょうか」
さっきまで身体がだるいしんどいと重苦しかったアオキが、一転、食に目を輝かせる様を見て、思わずチリは笑顔が零れる。
「ほな、何食べましょか。折角海の街に来たんやし、海鮮とか?」
「良いですね、海鮮丼、お造り、煮付けに、いや、焼き魚も捨て難いな……」
ぽんぽんと思いつく品々で脳内を埋め尽くさんと長考しだしたアオキを見て、これはあかんとチリは近くの屋台までアオキを引っぱっていった。案外、腕を引けば歩いてくれるのだから、器用なんか不器用なんか分からん人やなとチリは思う。
アオキが長考から帰ってきた時には、目の前に出来たての料理が並んでいた。大きな切り身の乗った海鮮丼にほかほかと湯気を立てる海鮮汁。頭で理解するより先にお腹が大きく音を鳴らす。
「お、戻ってきました?」
「……すみません。何時もの癖が……」
「まあ、言うても何時もよか短めでしたよ。それよかアオキさん、特盛にしてもらいましたけど、足りそうです?」
盛りに盛った米は艶やかで切り身はしっかりと分厚く、油がいい具合に乗っている。
「これから移動ですから、これくらいで丁度いいです」
流れるようにチリから渡された醤油をかけて、二人でいただきますと一言。
一口、自然と笑みを浮かべたアオキを見て、ほんまこの人、美味しそうに食べるなあとチリは目を細めた。
「チリさん、そんなに見られると穴が開きます」
「穴あいたらチリちゃんが何とかしたげますよ」
「また適当な事を言って……」
軽口を挟みつつ食事を囲む。隣には美味しそうに口いっぱいご飯を頬張る好いた人。そんな時間を愛おしく感じる心を、チリは一人胸の内にしまった。
食後は港近くの預かり所に荷物を渡し、チリは一人、空を見上げるアオキに目をやった。
執務室での打ち合わせにて、リーグへの移動をどうするかという話になった時。アオキから「空を飛んで行きます」と言われて、やから飛行タイプを使ってるんやろかと、タイプ指示をしたオモダカの顔が一瞬過ぎった。不意に現れたトップの顔にヒヤリと汗を感じながら、いや流石にないかと首をふる。
「こんなとこで経費カットや無いよな」
「あんまり詮索しない方が良いですよ」
しばしの沈黙と共に、アオキと遠い目をした事を思い出す。
空の天候を見終え、アオキはムクホークとウォーグルをボールから出して、健康状態を確認する。問題無かったようで、チリさん、と呼ぶ声がした。
「ウォーグルをお願いします」
「こちらこそやで、よろしく頼むわな」
カイナシティの晴れた空を、高く高く二羽の鳥が飛んで行った。
ーーーー
リーグ周辺の環境から、リーグ内の設備や、バトル等を確認して、その後の業務も予定通りこなしていく。途中、ド派手なチャンピオン、ミクリと黒一色のアオキが隣あって話しているのが面白くて、ふっと笑ったら、アオキからのジト目をくらった事をチリは思い出す。
一日の業務が無事終わった事にほっと息を吐きつつ、チリはアオキと連れ立ってリーグ外へ出た。
「アオキさん、ミクリさんと話合ったんですか?」
「仕事に関する話は問題無いです。雑談はあれでしたが……。貴女こそ隠れて笑ってましたけど、そんなに面白かったですか? 」
「すんません、隣に並んでる違和感がおもろくて」
「貴女たまによく分からないとこで笑いますよね」
「それ褒めてないですよね? 」
「悪口ではないですよ」
ゆったりと歩いていく。
帰りのスケジュールを脳内で組み立てていたチリを、アオキが呼び止めた。
「チリさん、ちょっと寄り道しても構いませんか?」
「ええけど珍しいですね、そんな事言うの」
「まあ、もう業務時間外ですし、ついでです」
ふっとスマホロトムを見るともう定時を回っていた。日はまだ明るく、ややオレンジがかった程度か。
「ええですね、行きましょ」
珍しい誘いにチリはアオキの後を着いて行った。
少し歩くと、白い砂浜の海岸線がチリの目前に広がった。日差しがキラキラと砂浜を照らし、淡いオレンジ色に染まっていく。海面が光を反射し、視界一面が眩しいくらいに輝いて見える。
「めっちゃ綺麗や」
「今も以前と変わりありませんね。数年前の出張で、時間潰しに歩いていたら見つけたんです」
「時間潰して」
「まあ、疲れていたのもあって海を求めてさ迷って……ってやつです」
「疲れてる時に森求めんのと同じような心理ですかね。そんな状態で出張て、疲れ溜まりますやん」
「そうですね。でもここを見つけられたので、結局はそれも良く……良くはないです」
「せやろな! 」
なはは、チリが手を叩いて笑う。
「変わってなくて良かったです。貴女にも見せたかったので」
ははと笑っていたチリの笑顔がぴしりと固まる。
「……おおきに」
「どういたしまして」
夕日を眩しそうにしていたアオキがふっと微笑んだ。だが、その顔には僅かな陰りが見える。
チリは一瞬躊躇い、一息、言葉を紡ぐ。
「アオキさん、その、嬉しいんですけど、なんやしんどい事でもありました? ちょっと顔色悪いですよ」
「しんどくは無いですよ、でも自分にとって深刻な事ではあります。一回り離れた女性から想いを寄せられる、というのは」
アオキはすっと視線をチリに投げた。
は、とチリは途端に何処に目をやっていいか分からなくなってしまう。
「今日は好きだと言わないんですか? 」
「いや、言わんことも無いけどやな」
「無いけど? 」
「っやかましわ。チリちゃんが何度アタックしても躱しよったんはアオキさんやろ……! 今更何やねん」
「……」
黙りこくったアオキを前に自分がどんな顔をしているのか分からない。もう、そんな事も……気にしとられん。
「言うんも言わんのもチリちゃんの勝手やろ。きちんと返事もくれへんアオキさんに、そないな事言われる筋合いあらへんわ!
いつまでも待ってなんかおられへん。別にチリちゃんの気持ちなんか気にせんでええ、って言うたやろ!」
「絶対気にします。他でもない、貴女の気持ちなんだから」
「そないな言葉、いらんねん! そないな言葉に期待してまう心を、いつまで抱えとかなあかんの? 」
感極まってチリはアオキを睨みつける。グッと力を込めた目に滲んだ涙を、アオキの指が優しく掬う。
「仕草だけで終わりなんて、許さへん」
そんな気丈な言葉に思わずアオキは眉尻を下げた。
「いつか、いつの日か自分が言った事を覚えてますか? きちんと返事は目を見て伝えると」
夕焼けの日差しに目を細めながらアオキの視線がチリを捉える。緊張したアオキの感情がチリにも伝わって、ぎゅっと口を結んだ。
視線をそのまま、アオキは一息ついて、続ける。
「いつからなのか、気がついたら貴女が自分の世界の端っこにいました」
「えらい失礼な言い草やな」
「ええ、すみません。でもまた気がついたら貴女は世界の中央近くに来てました。
貴女が笑っていると安心する。貴女が辛そうにしていれば不安になる。それ程、近い、けれど、決して不快では無い」
「不快って、もっと良い言い方あるやろ」
アオキはふっと微笑む。
「そうですね、たぶん、幸せなんだと思います」
「たぶんて何やねん」
「ずっとその幸せを直視出来なかった。幸せと思う覚悟が無かった」
「覚悟なんて、チリちゃん求めてへん」
「でも、自分には必要でした。年の差もこれからの事も、全部ひっくるめて、『貴女と共にある』という選択のために」
「……もう一声」
「何でもない日々を貴女と共に重ねていきたい」
「それを、なんて言い換えんの」
「そうですね……」
アオキは微笑みつつも変に力が入ってしまって困ってしまう。はっきりとこの気持ちを、目の前の貴女に、今、伝えなければとどうにも気持ちが急いで、
「どうか……どうか、自分と、っ結婚してくれませんか」
言い切ってすぐ「やらかした」の五文字がドッと顔に浮き出たアオキに、お互い目が丸くなる。
「え、いや、その、ちが、違くはないんですけど、先ずはお付き合いから……で……お願いします」
汗が吹き出してしどうしようも無かった。さっきまでの落ち着きは何処へやら、口を動かせど言葉になってくれない。
ポカンとしていたチリも意識が戻ってきた様で。
「ビックリさせんとってくださいよ!」
嬉し恥ずかしさに、いつもより強くアオキの肩をバシバシ叩く。
その勢いにはっとしたアオキは足に力を入れ、強い眼差しをチリに向ける。
「返事をいただけますか?」
「え?おお、なんや、せっかちやな。返事なんて決まっとるやろ!結婚するで!勿論や」
なははとチリが高らかに笑う。
「結婚」の二文字にアオキはまだ冷や汗を残しつつも、首をひと振り、背筋をすっと伸ばしてチリに向き合った。
ちぐはぐになってしまったけれど、言葉にしよう。
貴女にこの気持ちが伝われと、思いを込めて。
「貴女を愛しています」
「嬉しいわ、チリちゃんも愛しとるで」
「一生愛し続けます」
「なんや、結婚の誓いみたいやな」
チリが茶化すも、アオキの目線が一向に離れることはなくて。らしくない。チリの心が揺さぶられてしまって。耐えきれずすっと目を逃がしたチリの頬にアオキの手が優しく添えられて、再び視線が交わる。
「心から、愛しています」
「そんな、分かっとる……一度に沢山言わんとってや」
顔を真っ赤にしたチリを見て、可愛いなんて口走ってしまったがために、軽いパンチをお見舞いされて。触れた温かさに思わず頬を緩めた。
バサリと翼が風を捉える。
オレンジ色に染まった海を見下ろして、一羽の鳥が力強く、飛び立って行った。
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「ってな感じで、報告書はこちらになります」
アオキ不在のリーグ内で、粗方の説明を終えたチリがオモダカへ報告書を手渡す。
「戻ってきて早々にありがとうございます。ところで、チリ、何かいい事ありました?」
「いやー、商店街でクジ引いたら一泊二日の温泉旅行が当たりまして、いつ行こかてルンルンなんです」
ふんふんと嬉しそうな部下を見て、オモダカは微笑み「楽しんできてくださいね」と返す。
失礼しましたとドアを閉め、ふーっと盛大に息をつく。……あれはバレとんやろかとチリは内心バクバクだった。隠す必要も無いのだけれど、やっと実った関係をそっと大事にしたい自分もいて、そんな事実に頬の緩みは止まりそうもない。
さて、温泉旅行はほんとの話だし、楽しみなのもほんとだ。でも、さっき程「定時で上がれそうです」と連絡のあった彼と、今晩は何を食べようかと思い巡らす事が最優先と決めている。逸る気持ちをそのままに、彼女は緑の髪を揺らして軽やかに踏み出していった。