2022/12/29
立花孝志物語 9 NHK退職 のつづきです。
NHK退職後、孝志はフリージャーナリストを名乗って活動を継続した。
フリージャーナリストとして1年間活動した最初の年である2006年の孝志の収入は以下であった。
年収1,146万円
内訳
雑誌などへの協力に対する謝礼金66万1505円
家賃収入120万円
パチンコ960万円
ジャーナリスト活動の内訳
記事は32本、テレビ出演1回
東京への新幹線代やホテル代などの経費がありジャーナリスト活動は赤字であった。
1軒目のマンションは20才で、2軒目は35才で購入していた。
収入面からも従事時間面からも主たる仕事はパチプロであった。雑誌にも職業をパチプロと記載した。
孝志がパチプロをしていた理由の一つは、お金を貰う為にジャーナリスト活動をしたくなかったからである。
雑誌社や新聞社からの原稿料で生計を立てていれば、企業や広告代理店に遠慮しながら記事を書かなければならない。真のジャーナリストはジャーナリスト活動によってお金を稼がない人間だと孝志は考えていた。
また、もし孝志がパチプロでなければ、就職先や所属先の組織にNHKはいろいろな圧力をかけていたであろう。
孝志はパチンコしながらあるテープをヘッドフォンで聞き続けた。そのテープとはロッキー青木が1985年に作成したR.E.Lという能力開発プログラムである。
ロッキー青木とはアメリカ国内80店を含む世界110店舗を展開する一大日本食チェーン「BENIHANA」の創業者だ。
このテープを聞き続けることによって常識にとらわれず、いつも常識を疑い、疑問があれば徹底的に追求するクセを身につけたと孝志は語っている。
孝志はインターネットで良さそうなお店を探し出し、その店で優秀な台をみつけたら、全額資金を負担して、パチンコを打つだけの人間にパチンコを打たせた。
パチンコは数字が好きな人、特に確率が好きな人は簡単に勝つことが出来る。
投資金額・デジタルの回転数・出玉数を孝志は店内でモバイルパソコンに記録した。パチンコは単なる数字遊び、その遊びが上手な人が儲かるようになっている。
競馬・競輪・競艇・オートレース・宝くじ・TOTOはいくら研究しても長期的に見たら絶対に儲からない。
孝志はこのように語っている。
2005年8月8日、小泉純一郎総理大臣が衆議院を解散した。
2005年9月11日、投開票の総選挙は自由民主党が296議席を得て圧勝した。郵政民営化に多くの国民が賛同したのだ。
孝志はこの衆議院選挙で生まれて初めて自民党候補に投票した。
「利権」にしがみついている組織の崩壊を多くの国民が望んだのだろう、と孝志は分析した。
この選挙でホリエモンこと堀江貴文は無所属で広島6区から立候補した。無所属であったが堀江貴文の応援演説には自民党の武部幹事長や竹中平蔵経済財政政策担当大臣が駆けつけた。広島6区は大物政治家亀井静香の地盤であった。自民党の応援を受けながら無所属で立候補した堀江のことを亀井は「忍者かね」と言った。
結果は亀井が当選し、堀江は落選した。
ホリエモンと一緒に日本を変える。孝志は文春の記者などにこう語った。
当時、堀江貴文は立花孝志のことを全く知らなかった。世間でも孝志はほとんど無名だった。
2005年11月28日、NHK紅白チーフプロデューサー巨額横領事件を起こしたI.Kの裁判に孝志は証人として出廷した。
孝志は証言する前に、検察の作成した、膨大な量の調書に目を通した。
その裁判で孝志は初めて証言台にたったが「あの緊張感はたまらない快感」であったと2ちゃんねるに書き残している。
同じ法廷では、I.Kが一般職時代の上司「M.M」「S.N」「S.M」の3人も証人として証言台に上がっている。孝志は彼らが、偽証をしたと考えている。
偽証内容は、「I.K被告が勝手に私の引き出しからハンコを取り出して、放送料特別料金設定事案書に押印した」である。
規定により当日の証言者である孝志は彼らの証言を傍聴することは出来なかったが、「Sさんは法廷でブルブル震えていた」と傍聴した人から孝志は聞いた。
NHKスポーツのドンであり孝志の上司であった大久保建男は2005年12月にこの世を去った。
彼を裏切り内部告発をしたことで彼の死期を早めてしまったと孝志は思った。大久保は自分のせいで孝志がおかしくなってしまったと考えていた。孝志は大久保最期の3日間、つききりで看病した。
10月末に結婚するまで、大久保には3親等以内の親族はいなかった。大久保の財産管理は孝志がしていた。大久保が家族と言えるのは孝志しかいなかった。大久保は孝志のことを息子のように可愛がっていた。
大久保は、尊敬に値する部分と、とんでもなく悪の部分を併せ持つ人物だった。臆せずNHKの改革を断行したが、呆れるほどの公私混同ぶりであった。
孝志は大久保によって様々なことを経験することが出来た。
彼は亡くなる前、文字盤を指で差し、「NHKと戦うならトコトンやれ!」と孝志に伝えた。
孝志は大久保への恩返しとして何が出来るか考えた。そのことがNHKと闘い続けるきっかけのひとつとなった。
2006年1月1日付で海老沢勝二は読売新聞社の調査研究本部顧問に就任した。
更に海老沢は2008年日本ゴルフツアー機構理事、2012年3月日本ゴルフツアー機構会長、2016年3月に名誉会長に就任している。
大相撲との関係で海老沢は、2012年2月日本相撲協会外部理事、2016年8月日本相撲協会評議員、2018年6月に評議員会議長に就任。
巨人戦、ゴルフ、大相撲は海老沢がNHK会長時代に注力したコンテンツである。
2006年1月16日 、堀江貴文は東京地検特捜部から家宅捜索を受けた。
2006年1月23日 堀江貴文逮捕
2006年3月30日参議院総務委員会で民主党の蓮舫議員がNHK受信料契約率について質疑を行った。これは孝志の情報提供に基づいて行われたものだった。
2006年4月27日 94日ぶりに堀江貴文保釈
不祥事前年度の2003年度(+53億)6478億円
不祥事発覚年度2004年度(▲68億)6410億円
不祥事発覚翌年度2005年度(▲386億円)6024億円
2006年度NHKが国会で承認をうけた予算(▲84億円)5940億円
不祥事前の2003年度まで前年度比で受信料収入が減った事は一度もなかった。
受信料収入減少に対してNHK内には恒常的な支出削減計画はなにもなかった。そのため、債務が積み上がっていくことが予想された。
「信頼」を商品として経営してきたNHKにとって不祥事やその隠蔽は経営破綻につながる、と孝志は考えた。
2006年5月当時、NHK営業のホームペーシで1994年からの月別の受信契約総数を見ることができた。
1994年から毎年確実に30~40万件ずつ増えていた受信契約総数は、磯野事件発覚の翌月の3,828万件をピークにその後、毎月減少を続けた。
2006年5月はピーク時から72万件まで減少した。
新規契約者数から解約者数を差し引いた件数が72万件であった。
これとは別に不払いが389万件あることもNHKがインターネット上で公表していた。
不払い者はもっと多い、と孝志は指摘した。
不払い者をカウントする明確な基準がないため、「不払い」か「支払いが遅れているだけ」を判断するのはNHKの自由だからだ。
視聴者のNHKに対する怒りは確実に広がっている。これらの数字がなによりの証拠なのだと孝志は主張した。
立花孝志物語 11 2ちゃんねるで1ちゃんねるとの闘い開始へつづく
ここもほぼ2ちゃんねるへの立花さんの書き込み通りです。人物名は原本では実名ですが、ここではイニシャルにしました。
堀江貴文さんと立花さんの関わりは後々重要になってきますので、堀江さんに関するエピソードはWikipediaを参考にして僕が書き加えました。
2003年から2006年頃、僕は公私ともに本当に苦しんでいました。本当に大変な時期で、良くして頂いていた医師に相談したところ「軽症うつ」と診断を受けました。こんなに辛いのに軽症なのかと驚いたくらいでした。
そのような状態だったので世間のことに関心を寄せる余裕はありませんでした。リアルタイムでNHKの不祥事が話題になっていたというのを見た記憶がありません。でも、堀江さんの逮捕は覚えています。兎に角、話題になっている人でした。
テレビは堀江さんを悪者にするために大きく報じ、NHK問題は不都合だったために全く報じなかったのだと今では考えています。
あの時の日本が堀江貴文を最大限活用し、立花孝志の言うことを聞いてNHKが改革を行っていたら、ずいぶん違った未来になっていただろうなあ、と思います。
僕は色々なものを読んできた結果、自分なりの人生哲学を身につけるようになりました。「新個人主義」と呼ばれている考えのようです。
立花さんを知って、自分の価値観と合致していることを知って応援するようになりました。3年間実際に会って質問したり一緒に仕事をさせていただいて僕の最初の見立ては間違えていなかったと考えています。
一方、堀江さんとは考えが違うと思うことがしばしばあります。人それぞれ考えが違うのは当然で良い悪いという話ではありません。
考えは違いますが、影響を受けている面もあります。なんと言っても堀江さんは僕等の世代を代表する人物です。彼の本は20冊以上読んだと思います。脱サラするきっかけになった人の一人でもあります。
今現在でも堀江さんの言動をみていると思うところはありますが、ライブドア事件での堀江さんの態度を思い出すと、この人は本当にすごい人だ、と素直に思うことが出来ます。彼は検察の言うとおりに「罪」を認めれば刑務所に行くことはなかったのです。でも、悪いことをしていないのに悪いことをしたとは言いたくない、という理由で検察の申し出を断り刑務所に入りました。
堀江さんの本で心を打たれたのは「ゼロ」「刑務所ナウ1巻から3巻」です。
「ゼロ」は大ベストセラーとなった「嫌われる勇気」を書いた人がライターをしており、とても素晴らしい文章です。本が好きな人には是非読んで欲しいと思います。
本を読むのが苦手な人には「刑務所ナウ」をお勧めします。文章と漫画のパートに分かれていて、漫画だけ読んでもだいたい用は足ります。そして、非常に感動します。僕は感動しました。
堀江貴文と言う人がどういう人物なのかを知るにはとても良い本だと思います。
立花孝志さんってこういう人だったのか、と一人でも多くの人に知ってもらいたいと思い、僕は日々書き続けています。
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モリヤマ ヒデキ/歳/男
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