2022/12/27
立花孝志物語 7 内部告発のつづきです。
3月15日午前10時、孝志の上司Nが孝志の自宅に電話を入れた。孝志は不在であり、妻が対応した。Nは孝志の自宅マンションの下から電話を掛けていた。不自然な行動だった。
この上司の訪問をきっかけに孝志の妻が当時の様子を書き残している。
「今の立花の言動は、躁病的でそう思われても仕方がないと言える。自分の意見を通し、相手を言い負かそうとしたり、急に大きな声で話し出したり誰かに電話をしなければ不安かのように何時間も何人もの人と話したり、話し方や説明の仕方が躁病的であるので、病気でこんなことを言い出していると思われ、問題をすり替えられる。
同じ事を永遠と話すので話の本質が伝わらない。自分が何でも出来る。絶対に勝つ。会社を一度潰して立ち直す、と自分がヒーロー的立場になったみたいな言動も慎んだ方が良い。この人オカシイと思われる」。
当時、孝志はNHKの労働組合にもNHK改革に取り組むことを呼びかけた。
「正直あなたの行動は迷惑です」
これが組合からの回答であった。
孝志の裏切りがNHKに発覚した日の夜21時頃、孝志は「日本放送協会紳士録」を手にしなが海老沢の第二秘書であるFの携帯電話に電話をした。
立花「もしもし、スポーツにいた立花です。」
F、少し焦ったように「は、はい立花さんなんですか?」
立花「私の手元に日本放送協会紳士録という資料があるのですが」
F「はぁ?もしもし・もしもし・た・た・立花さん?」
立花「私の手元に日本放送協会紳士録という理事候補・・・」
私の発言を遮って
F「な・な・なにを言っているのですか?」
立花「だから、私の手元に日本放送協会紳士録という理事候補の資料があるのですよ」
F「紳士禄ですか、な・な・何を意味しているのかわかりません」
立花「内容は、まずT秘書室長が・・・」
またまた私の発言を遮って
F「た・た・立花さん何を言っているかわかりません」
立花「そうですか、私がおかしいのでしょうね、たいへん失礼しました。」
日本放送協会紳士録は海老沢とFだけが持っている極秘資料だった。孝志はそのような情報すらも入手することが可能だった。
2005年3月14日付の週刊文春にこの資料が掲載される2~3日前のことだった。
「貴殿は本年3月中旬頃から当協会職員複数に対し業務時間内に長時間にわたる電話を掛けたり、また職員に充てた電話やメールの中でNHKを潰さないといけないと述べたりしています」という内容証明郵便が3月24日付でNHKから孝志に発せられた。
2005年3月24日、孝志は統合失調症と診断された。
「NHKの『商品』は一般企業に例えたら『信頼』である。
一度壊れた信頼を回復するのは至難の業だが、至難の業だからこそ、やりがいが生まれる。
信頼回復に向かって、前向きに活動を始めればやりがいが生まれ、そこには喜びがあり、モチベーションが高まる。
最初からうまくいく事をやっても、何の達成感もなく喜べない。真の公共放送を視聴者に理解してもらう事はたいへん難しい。しかし『不可能』と『難しい』はまったく違う。
NHK職員が真の公共放送を正しく理解し、視聴者にその事を伝える活動を始めた時、真の再生に向けた活動がスタートする」
孝志はこのことをNHK職員に伝えようとしていた。
内部情報漏洩が発覚し、孝志はNHKから呼び出しを受けた。一度目は恐怖から呼び出しを無視した。再通知が届いた。4月1日に来るようにとのことだった。
孝志は週刊文春のタケダ記者に相談した。タケダは孝志を抱きしめてこういった。「立花さん、負けないで下さい。行ってきて下さい。立花さんは、悪くないのだから堂々と立花さんの意見をNHKに伝えてきて下さい」と言われた。
面談の場に赴くと孝志1人に対して相手は6人だった。孝志が録音を開始すると、相手はそれだけで怒りをあらわにしてきた。
録音した内容をまた週刊誌に持ち込まれるとNHK側は警戒したのだ。しかし、密室で何が話されたのか証拠が残らないことを孝志は恐れた。録音を巡って話は決裂し、具体的な内容には進まなかった。
しかし、部屋を出ると知らない男が近づいてきた。彼もNHK職員だった。「立花さんの内部告発や言動はどうやったら止まるんですか」と彼は聞いてきた。さらに彼は「ポストかお金か」と聞いた。孝志はそのようなもののために内部告発をしているのではなかった。ここでも交渉は決裂した。
その後も週1回のペースで計6回、NHKは孝志と面会し交渉を行った。NHKは事実を隠蔽し続けた。
狡猾で陰湿で執拗な尋問であった。孝志の質問ははぐらかし、孝志以外の人間の証言でNHKにとって有利な証言はすべて事実だとして扱われた
取調べを受けていた約1ヶ月間、孝志は、怒りと興奮で殺人や自殺を真剣に考えた。
孝志は、あの時の会話をすべてICレコードに録音した。そして録音のコピーを信頼できる人間に預けた。
2005年4月14日号の週刊文春に孝志は実名、顔出しで登場した。
「NHK現役経理職員 立花孝志氏 懺悔実名告白『私が手を染めた裏金作りを全てお話しします』」そのようなタイトルの巻頭7ページのスクープ記事だった。
目立ったほうが殺されないと判断したからだ。告白記事の発売前後数ヶ月間、孝志は自宅には帰らずホテルやウィークリーマンションを転々としていた。
紅白チーフプロデューサー不正横領事件に関わった業者の重役が警察に呼ばれた日の夜に東京湾に車で落ちて死亡するという事件があった。そして警察は直ぐに自殺と発表した。遺書はなかった。
孝志の内部告発をNHKは「病人の言っている事だから信用出来ない」と発表した。
2005年4月、海老沢は杏林大学の客員教授に就任した。
ニッポン放送買収計画の失敗
2005年4月、堀江貴文のニッポン放送買収計画は失敗に終わった。
孝志の動きを察知したNHKから「放送権料を外部に漏洩したら懲戒処分にする」、「NHKや契約相手に損害が発生したら貴殿に損害賠償を請求する」という脅しともとれる内容の内容証明郵便が送られてきた。
週刊文春で実名顔出しの懺悔告白をした3週間後に、NHKと相撲協会の放送権料が30億円である事、NHKと巨人戦の放送権料が1試合1.7億円(民間放送の2倍以上)であるという事を孝志は週刊文春にリークした。そのことは記事となった。
孝志はNHKの脅しに屈しなかったのだ。しかし、2005年5月、孝志はこのことにより紹介処分を受け、1ヶ月の停職となった。
2022年現在まで損害賠償請求はされていない。
2005年5月、孝志は警察に自首する為、自分が犯した犯罪関連の伝票を閲覧したいと、上司の編成局(経理)N副部長とコンプライアンス委員会のUに願い出た。自首するには証拠書類が必要だからだ。N副部長は理由も言わずに「それはダメだ」と拒否した。
コンプライアンスのUには「ここはそういう対応をする部署ではない。」と言われた。
警察にも相談したが証拠があるとか、NHKが被害届を出さないと対応できないと言われた。
孝志が犯した犯罪はタクシーチケットの私的利用、放送記念品の私的利用、職員同士の飲食費を経費で処理したことだった。
孝志は自分の罪が裁かれ、罪を償うことを希望していた。しかし、その思いは叶わず長年放置されることとなった。孝志が裁かれるようになるのは16年後の2021年のことである。
立花孝志物語 9 NHK退職へつづく
ここもほぼ2ちゃんねるへの立花さんの書き込み通りです。NHKから呼び出され文春の記者に励まされた下りは街録チャンネルで立花さんが語っていたことを文字にしました。
立花さんが「NHK改革」をNHK職員に呼び掛けていたことは内容証明郵便で残っており、YouTube上で公開されています。
立花さんの話を聞いていると賛同する人が一人もおらず、ヒドイ人たちだなあという気になります。
一方、奥さんが書いたもので当時の立花さんの様子を知ると、立花さんのテンションが高すぎて周りの人が関わることが難しかったのではないか、立花さんの呼び掛け方にも問題があったのではないか、と考えさせられます。
しかし、当時立花さんが心の病を患い躁状態にあったとしても、NHK内で不正が沢山行われていたのは事実だと僕は考えています。もし、事実と異なることを書いたり話したりしていたら名誉毀損で訴えられるはずだが、訴えられていない、と立花さんは繰り返し述べているからです。
職員数1万人を超える巨大企業で一職員が何が出来るのか、と考えて行動に二の足を踏む気持ちも分かります。ただ、NHKの一般職が行動にうつし経営陣に意見をしたことが過去にあったそうです。
NHK会長の発言に対して組合がデモを起こして意見したそうです。
立花さんはこれに期待していたのではないか、と考えています。
また、経営を担っている理事たちは年齢的に数年、NHKが延命すれば無事に勤め上げられる人たちでしたが、その後、10年、20年NHKで働き続けるのは若い一般職の人たちです。NHK改革は将来の自分に深くかかわってくる問題にも関わらず、当時の若手社員は行動を起こしませんでした。
その結果が近々見に見える形で現われてくるのではないかと僕は予想しています。
NHKがおかしくなってしまったことは、その人たちの職場の問題だけでなく、日本全体に大きく影響を与えたと後々の立花さんの解説で分かるようになります。
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モリヤマ ヒデキ/歳/男
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