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森山 英樹 ブログ

立花孝志物語 3 NHK和歌山放送局、大阪放送局時代

2022/12/22

立花孝志物語 2 誕生から高校卒業まで の続きです。

和歌山放送局

孝志は高卒のため営業に配属され集金人の仕事をするのかと思っていたが、NHK和歌山放送局の庶務部に配属された。1986年のことだった。

 

和歌山放送局は、こぢんまりとした放送局だったこともあり、庶務、経理、公報など幅広く業務をこなした。

まず、日計表や資金管理という計数経理や調達契約という経理の基本を3年間遂行した。その後広報や職員給与計算を2年間担当。おかあさんといっしょのキャラクターじゃじゃ丸の中に入り、イベント周知番組に出演したこともある。

 

時はバブル、島会長体制下の受信料30%値上げ、BS付加料金設定、関連会社に株式会社が登場し、NHKが商業主義に走りだした頃だった。

和歌山時代、孝志は不正などとは無関係であり、NHK職員である事に誇りと幸せを感じていた。

 

個人情報の購入

各局NHK営業は地元の電気商店組織とつながっていた。

BSテレビやチューナーを売ったお客さんの住所などの個人情報を1件500~1000円でNHKは購入していた。

孝志も和歌山時代に電気店を自転車で回り、この活動をしていた。

 

労働組合と社会党

孝志は和歌山局時代に社会党議員に投票するよう労働組合から薦められていた。社会党候補者の宣伝ハガキを10枚程度知人に郵送するように依頼されたこともある。

 

NHK職員は労働者である前に公共放送の職員なのであるから、労働組合活動で特定の政党を支持することはやめるべきだ、と後に孝志は語っている。

 

会計検査院

和歌山時代、孝志は会計検査院の検査官と夕方から酒盛りをしていた。

 

大阪放送局赴任

1991年7月孝志は大阪放送局経理部に異動し、資金管理を担当した。

6ヵ月だけ資金管理した後、主計グループ放送予算管理担当に孝志は部内異動となった。そして大阪放送局経理部で不正を初めて発見した。

上司と第一勧業銀行行員が飲み屋で業務の打ち合せをしたという請求書と伝票をみて、勧銀の行員さんに「○○さん先週、内の上司と飲みに行ったでしょう?」と軽い気持ちで聞いて見た。○○さんは「行ってないわよ。よく私と私の上司の名前使ってるみたい」と答えた。

東京経理局職員と大阪放送局経理部職員の飲食費を、銀行と打ち合せしているという不正経理だった。

 

決定印

孝志は1992年7月大阪放送局放送センター編成総務に異動となった。報道とスポーツの現場経理担当であった。現場経理の仕事とは、記者、ディレクター、報道カメラマン、編集マン、アナウンサー、技術などの現場と経理部をつなぐ役目だった。

着任早々引き出しを開けて孝志は驚いた。なんと報道部長と副部長の決定印が入っていたのだ。

「立花くん、ここではすべて君の責任で仕事をするんや!伝票に報道部長の決定印を押すのも、残業したり休日出勤したりするのもすべて自己判断でいい」と言われ、孝志は、強い責任感と使命感がわいてきた。

 

隠蔽

大阪放送局放送センター編成総務時代、孝志は毎日のように深夜1時~2時まで働いていた。そして数々の不正を発見した。

ある職員は同じ日の深夜1時乗車でタクシーチケット3枚発行していた。

孝志が不審に思いこの職員に尋ねたところ「飲み屋のホステス2人にタクシーチケットをあげた」との事だった。

当時の報道部長は深夜でもないのに毎日タクシーで帰宅していた。

経理部はタクシーチケットを一切見ないので問題にならなかった。また部内監査は抜き打ちではなく事前に何月分のタクシーチケットがみたいと予告してきていたため、孝志は上記のような不正タクシーチケットは抜き出して監査に提出した。

こうすることが自分の仕事であり視聴者のためであると孝志は思い込んでいた。

 

活躍

不正の隠蔽を続けた結果、孝志は報道現場から大切に扱われるようになった。孝志を経費で接待する管理職が沢山いた。放送記念品やタクシーチケットをくれる管理職までいた。

阪神淡路大震災、選挙開票速報、大阪APECなどで孝志は中心的存在となり激務をこなした。

 

1995年1月17日に発生した、阪神淡路大震災で孝志は三日三晩寝ずに働いた。2,000食もの弁当の手配、輸送用の船舶やタクシーの確保、防寒具や日用品の調達、高速船を着岸する岸壁の確保、燃料の確保などを行った。チャーターした船のスクリューを修理するために、業者から架空の請求を発行してもらい裏金で処理をした。

 

一方で、大阪~神戸のチャーター船を何隻も高額で契約して他のマスコミを困らせたり、大阪のホテルの客室NHK職員用に大量に確保して神戸から来た被災者の宿泊の邪魔をしたり、神戸に大量の食料や物資を送って被災者の反感をかったりしたこともあった。

受信料という潤沢な資金をバックに孝志は好き勝手にやっていたのだ。

金の力でNHKが他社を圧倒していたのだ。

 

孝志と報道との癒着は大阪放送局編成総務勤務時代の6年間で築き上げられた。

 

 

立花孝志とスポーツ報道

1994年に開催された広島アジア大会事務局の経理担当に孝志は抜擢された。このとき、東京報道局総務部3ヵ月と広島局3ヵ月の長期出張を命じられた。

その後高校野球や高校駅伝などスポーツ現場の経理や庶務をし、1998年2月の長野オリンピックにも参加した孝志は、その業務実績が認められ、1998年7月東京渋谷にある報道局スポーツ報道センターに異動となった。

ここで日本スポーツ会に大きな影響力を持つ大久保建男と出会った。後年、孝志が酔っ払いセンター長と呼ぶ人物である。

立花孝志物語 4 NHK本部 スポーツ報道センター時代 へつづく

 

主な史料

ここから2011年11月にYouTubeを開始するまでの間は、2ちゃんねる「内部告発者立花孝志」1~40をベースにしています。https://tv8.5ch.net/test/read.cgi/nhk/1144247210/

2ちゃんねるの初期に立花さんが自己紹介をしています。後は視聴者とのやり取りや思い出したときにエピソードを語っているので、それを抽出して時間の流れに当てはめて、語尾を変えたり、文章を整えたりして作成しています。

 

著者あとがき

昨晩の時点で、ざっくりと2019年年末まで書き進んでいます。しばらくは毎日投稿出来ると思います。
2019年から現在までの3年間の出来事を僕はほぼ全て見てきましたので、かなりの文量になるだろうなあ、と思っています。Twitterで応援メッセージや感想を下さる方がいて励みになっています。モチベーション維持のため「いいね」などでもいただけると嬉しいです。

https://twitter.com/Nkoku_Watcher

 

 

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