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仲村悠菜ちゃんとの出会いとこれから



みなさんこんにちは。
yuna_is_socuteです。

5/29に行われる純喫茶ミルクティー〜2杯目〜とても楽しみですね!僕は今からワクワクが止まりません!

僕は去年の純喫茶ミルクティーで仲村悠菜ちゃん推しになったので生誕祭当日でちょうど悠菜ちゃん推し1周年です。うんうん😁

今日は仲村悠菜ちゃんに出会うまでと出会ってからの話をしようと思います。内容的に面白いものではないと思うので、時間が有り余ってる暇な方はこの先を読み進めてみてください。



仲村悠菜ちゃんと出会うまで


僕は元々私立恵比寿中学のオタクでした。きっかけは今から10年前?11年前?に友達からエビ中を勧められてYouTubeで禁断のカルマと未確認中学生XのMVを観たことです。

当時中学4年生だった僕は中学3年生だった柏木ひなたさんに一目惚れしました。
僕は地元が札幌なので高校生の頃は映画館でライブを同時中継するライブビューイング(懐かしすぎるだろ)に行くくらいしかできませんでした。
でも、バタフライエフェクトの発売のときに柏木ひなたさんと廣田あいかさんがHMV札幌店にサインを書きに来ててそのときたまたま生で観れたんです!!あの時のことは今でも鮮明に覚えています。かわいかったなぁ。

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HMV札幌店


その後札幌の大学に進学してからはアルバイトを初めて結構遠征してエビ中の現場に通っていました。そのときに出会ったオタクが多いですね。今でも仲良くしてくれてありがとう。

理系学部だったので4年生になると研究室に配属されます。そこらへんでなんとなく「もうそろそろアイドルオタク辞めるか〜」と思って本当にキッパリアイドルに行かなくなりました。
その後は大学院に進学し、学生生活最後の方はアイドルオタクとガチ無縁の日々を送っていました(起きてる時間の半分くらい麻雀打ってたかもしれない…)



大学院2年生の頃、人生の転機が訪れます。アルバイト先に1人のパートさんが入ってきました。(Aさんとします)
Aさんは主婦の方で、年齢は僕の1つ上、3歳の娘さんがいました。
「元AKBのぱるるに似てる子が入ってきた!」とパートのおばさんたちがざわついていたので、見てみると確かに似ていて、とても3歳の娘さんがいるようには見えない方でした。(大学生みたいだった)

Aさんとは最初の数ヶ月は出勤退勤時に挨拶するくらいの関係でしたが、ある時休憩室で令昭位戦の対局を観ていると(誰がそんなの観るんだよ)急にAさんに「麻雀好きなの?」と声をかけられました。「麻雀好きなんですか?」と聞くと「旦那が家でよく観てるから少しはわかるよ」とのこと。その後は年も近いこともあり割と話すようになりました。

ある時急にAさんに「実はそろそろ離婚するんだ」と告げられました。原因は色々ありましたが、1番は旦那が1000万円の借金をしていたことが発覚したからでした(ヤバすぎる)

離婚前後のAさんは毎日体調が悪そうでバイトのみんなで心配してました。ご飯も食べれてなさそうだったのでバイト先のパンケーキを食べているのを見たときは安心しました。人がパンケーキを食べているのを見て安心することはこれが最初で最後かもしれません。

月日は流れ、僕とAさんは付き合うことになりました。学生の身分でシングルマザーと付き合うのは中々勇気のいる決断でしたが、就職先が決まっていたのと、何よりAさんの娘さんがとても僕に懐いてくれていたので付き合うことに抵抗はありませんでした。
僕と Aさん2人の思い出ほど誰も興味ないものはないと思うので、 Aさんの娘も交えた3人のエピソードを綴っていきます。

札幌では子供が遊ぶ施設全てを網羅する勢いで3人で遊びに行きました。元旦那は娘をどこかに連れて行くことをあまりしなかったようで、毎回どこに行っても楽しそうに全力で遊んでいました。この先もたくさん遊んだ経験が少しでも人生の糧になってくれたらいいなと思います。

その後、僕は横浜に就職し、AさんとAさんの娘はAさんの実家のある東北に帰りました。遠距離が始まりましたが、月に1回程度は会っていて、札幌にいたときと何も変わりませんでした。強いていえば遊ぶ場所が札幌から本州になったくらいです。

仕事はとてもキツかったですが、Aさんの娘から「仕事頑張れー!」の音声メッセージや動画が定期的に届いていたので無限残業できました。
本当に仕事がヤバすぎた期間はAさんからお菓子などの詰め合わせ、Aさんの娘からは僕とAさんと Aさんの娘3人の似顔絵をもらいました。泣きながらお菓子をむしゃむしゃ食べていたのを覚えています。
似顔絵以外に貰って嬉しくて泣いたのは Aさんの娘が保育園で習った練習したてのひらがなで頑張って書いてくれた手紙です。ひらがなを習ったから僕に手紙を書きたいっていう発想が愛おしすぎて泣きました。

僕は Aさんの娘を甘やかしすぎるのでよく Aさんに怒られていました。おもちゃコーナーに行くと「全部買ってあげる」と激ヤバ発言をしていました。 Aさんに本気で怒られました。確かに将来パパ活女子とかになっては嫌なので極力おもちゃを買い与えすぎないよう歯を食いしばりました。

ある日好きなおもちゃを1個だけ買っていいよという日に「これほしー!」とドンジャラ持ってきたときは「この子は将来必ず最強の麻雀打ちになる」と確信しました。とりあえず今はドンジャラで勝負勘を身につけて欲しいです。

あるとき、 Aさんの娘が急にお尻を出すという必殺技を見つけてしまった時は大変でした。マジで急にお尻を出すので僕は爆笑してしまいました。すると Aさんの娘の中でお尻出す=面白いことと認識してしまいました。僕は急にお尻を出す芸に笑わないように日々努力していました。お尻を出すことはなくなっていきました(本当に良かった…)

そんな中、今でも1番覚えているのが Aさんの娘に「yuna_is_socuteは宝物だよ」と言われたことです(そんな呼ばれ方はしていませんが)
たくさん遊んでくれて優しいのと、3人で一緒にいるときママがずっと笑ってるからという理由でした。

Aさんは離婚前後は毎日家で泣いていたようでした。その姿を1番近くで見ていた Aさんの娘も辛かったと思います。毎日泣いていたママが僕ら3人でいると幸せそうなので嬉しかったそうです。そのことを聞いたときに絶対2人を幸せにしようと心に決めました。



しかし、現実はそう上手くはいきませんでした。
Aさんの様子が徐々に変わっていきました。 Aさんは若くして結婚したので職歴もなく、 Aさんを正社員で雇ってくれるところはありませんでした。パートの給料だけで2人の生活を支えているだけでも厳しいのに、元旦那と音信不通になり養育費が振り込まれなくなりました。

どんどん精神的にやつれていった Aさんは僕に対して些細なことでキレるようになりました。僕も状況は理解していたので僕の方から怒ることはしませんでした。

ただ一向に状況は改善されませんでした。僕は2人を愛していたのでなんとか改善しようとしましたが、 Aさんは Aさんの娘を育てること、家庭を守ることでいっぱいいっぱいになっていて、僕のことを考える余裕はなくなっていました。
Aさんの立場になってみると当然のことだと思います。むしろ彼氏より娘を優先する母親で安心した面もありました。

その後、話し合いの末に僕たちは別れることになりました。間違いなく人生で1番の絶望期だったと思います。

僕と Aさんが別れるのは普通のカップルが別れるのと変わりません。悲しいですが、時間が経てば悲しい気持ちは薄れていきます。人間は忘却する生き物だと国語の教科書かなんかで読んだことがありますが、辛いことでも忘却できるから人間は生きていけるんだと思います。

しかし、 困ったことにAさんの娘を忘れることができませんでした。もう一生 Aさんの娘に会うことが出来ないのかと思うと頭がおかしくなりそうでした。街中でお父さんと子供が楽しそうに歩いているのを見ると発狂しそうでした。毎日のようにAさんの娘が僕に「あそぼ〜!」と駆け寄ってくる夢を見ていました。間違いなく精神がおかしくなっていたと思います。

そんな絶望期に急に大阪に転勤になりました。横浜の家はそのままでいいから大阪で家具家電付きの家見つけて住んで〜という意味不明転勤だったので引っ越し休みを貰ったというものの特に引っ越し準備がなく暇でした。その引っ越し休みが2023年5月29日、仲村悠菜ちゃんの生誕祭でした。

そのときの僕の仲村悠菜ちゃんに対する知識は「なんか最近エビ中に加入したかわいい子」くらいでした。オーディションを観ていたわけでもないし、エビ中の現場に通っていたわけでもなかったので当然です。ただ古くからのつながりのオタクがTwitterでチケットを余していたので、なんとなく行ってみることにしました。
間違いなくあの会場で僕は悠菜ちゃんのことを1番何も知らない人間だったと思います。

ステージに出てきた悠菜ちゃんを観て衝撃を受けました。

「なんだこの子!?!?!?!?!?可愛すぎる!!!!!!!!!」

僕にもまだこの「自然と推しメンが決まる」という現象が起こるのかとびっくりしました。帰ってすぐブラックタイガーに会員登録し、推しメン設定を仲村悠菜ちゃんにしました。

仲村悠菜ちゃんを見た瞬間にありえないほど大きな愛おしさを感じました。動きの全てがかわいくて、ただ喋ってるだけで愛おしすぎました。

悠菜ちゃんを観て最初から気づいていました。
僕が Aさんの娘に対して愛おしいと思っていた気持ちと、仲村悠菜ちゃんを観て愛おしいと思う気持ちがよく似ているということに。

何をしていても愛おしい。もはや喋ってるだけでかわいい。これから元気に育って欲しい。
そんな気持ちが仲村悠菜ちゃんに対して溢れてきました。 Aさんの娘に対しても全く同じことを思っていました。

Aさんの娘に会えなくなって本当に毎日が絶望でした。そんな中、仲村悠菜ちゃんに出会えたことは本当に救いでした。
Aさんの娘を忘れたいがためにエビ中に通い始めたんだろ!この野郎!とヤジが飛んできそうですが、最初は本当にその通りでした。エビ中のライブを観ているときが僕にとって唯一心が救われる時間でした。

あのとき仲村悠菜ちゃんに出会ってなければ今頃どうなっていたのかなと思います。
ショッピングモールで楽しそうにしている親子を見て涙を流す異常独身男性のままだったでしょう。私立恵比寿中学のライブを観て涙を流す異常独身男性にランクアップできて嬉しいです。



仲村悠菜ちゃんと出会ってから


次第に精神状態も安定してきて、今は普通にエビ中にどハマりしているただのオタクです。ファミえんくらいからただの仲村悠菜ちゃん大好きアラサーおじさんになったかな。
相変わらず仲村悠菜ちゃんは可愛くて愛おしくてたまりませんが、 Aさんの娘を忘れたいとかはもうありません。 Aさんの娘の存在を忘れることは決してないですが、素敵な思い出として心の奥にしまってあります。

4年?5年?ぶりくらいにエビ中のオタクに復帰して、元々仲良かったオタクたちはほとんどエビ中に通っていませんが、その代わり新しい友達がたくさん増えました。まだエビ中ファミリーとしての人生が続いて行くのがとても嬉しいです。仲村悠菜ちゃん本当にありがとう。

これからは仲村悠菜ちゃんがエビ中メンバーでい続ける限り応援したいと思っています。
仲村悠菜ちゃんはとても面白い子です。見ていてとてもワクワクします。この先どんな景色を見せてくれるのかとても楽しみです。




もうすぐ悠菜ちゃん推しになってから1年ということでこんなnoteを書いてみました。特定されるのも怖いので生誕祭が終わったくらいで消す予定です。

それでは純喫茶ミルクティー〜2杯目〜楽しみましょう!🖐️

@yuna_is_socute

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