"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
不意の言葉に、思わず声を上げてしまう。
そんな言葉を、全く想像していなかったから。
彼女は俺に構う事なく、話を続ける。
「カズヤさんは私や、お見舞いに来ていたアイさんを見ている様で、見ていない。接する内に段々と、何だか私たちには見えない私たちを見ている様に思えてきて……その見えない私たちの幸せを願っている様に感じたんです」
なんとなくですけどねっ、なんて誤魔化す様に笑う天使ちゃん。
「そして、ふと思ったんです。私たちには見えない私たちの幸せを願うカズヤさんの幸せって――そこに、カズヤさんは含まれているのかと」
そう告げた彼女は、表情を優し気なものに変えた。
「皆の幸せを願っているカズヤさんの幸せに、カズヤさん自身が存在していない。ただ誰にも気付かれない場所から、皆の幸せを見れればいいっていう風にも感じて……それがまるで、カズヤさんが、私たちの目の前に存在しないんだって思っている様にも見えてしまって」
その言葉に、心臓が大きく跳ねる。
彼女の想像である言い分は、あの当時の俺の心境と一致していたから。
誰にも知られるはずがなく、誰にも知られる訳にはいかなかった思考。
それを、目の前の女性には感じ取られていたから。
アイですら気付かなかった俺の、本当の気持ち。
それが、会って間もないこの女性に知られていた事に愕然とさせられ、何も言葉が返せなかった。
俺に構わず、天使ちゃんは最後の言葉を告げる。
「そうして気付いたら――カズヤさんを幸せにしてあげたいなって、思っちゃってましたっ」
言い終えた彼女を、見つめる。
「はっ、はわっ、ごっ、ごめんなさいぃっ……いっ、今のまるでっ、こ、こっ、告白みたいでしたよねぇっ……」
わっ、私のばかぁっ。
そう呟いて、自分の発言を振り返ったのか、再び耳まで顔を真っ赤に縮こまってしまった。
けれどもやはり、そんな彼女に対してもただ、見つめる事しか出来なかった。
彼女の言葉に、抱く思いは一つ。
――天使ちゃんは、俺の声の影響を、受けて、ない……?
それだけが埋め尽くしていた。
今までのアイや他の人の反応を考えれば、彼女の気持ちの変化は、俺の声の影響によって訪れるであろう変化と合致しない。
何故なら俺は、天使ちゃんや見舞に来てたアイに対して、そんな事を思われる様な言動は一切していないから。
故に、俺の声の影響を受けたのなら、彼女が俺に愛情を持つまでのルートに、今述べた様な考えは起こらないはず。
だからこそ、俺の声の影響を受けていないと思ってしまった。
彼女の本心を知り、そして俺の本心を知り、思わず笑ってしまう。
「ふぇっ? わっ、笑わないでくださいぃっ」
自分の発言に笑われたと思ったのか、天使ちゃんが恥ずかしさ全開で俺に抗議の声を上げる。
耳まで真っ赤なままの表情に、涙目が追加された。
実に可愛らしい姿である。
「いやー、違うんだよ」
弁明の様にそう告げれば、彼女は首を傾げた。
……アイ、だけだと思ってたんだけどなあ。
内心でそんな言葉を口にする。
「天使ちゃんはやっぱり天使ちゃんだなって再確認しただけだよ」
「ふぇっ、どっ、どういうことですかぁっ……?」
俺の言葉に疑問の声を上げた直後、ハッとした様に「あっ、やっぱりバカにしてるんですねぇっ」と、何を勘違いしたのかぷりぷりと怒り出す。
そんな姿にまた、笑ってしまった。
うん、やっぱり天使ちゃんは天使ちゃんだ。
彼女が"推しの子"の登場人物かどうかは、にわかの俺にはずっと分からなかった。
でも、ようやく気付けた。
こんなにも強く、誰よりも"愛"の才能を持った人物が、登場人物じゃない訳がないと。
ならば天使ちゃんも俺にとっては"推しの子"だ。
今までを振り返れば、彼女が"推しの子"の登場人物じゃないかもしれないという疑惑を言い訳にして、天使ちゃんにただ甘えていた。
そしてアイを幸せにする方法を模索していた。
けれど、その考えを改める。
自立。
その言葉が強く胸の中を過る。
ああ、そうだ。
自立しないとな、俺も。
天使ちゃんの愛に甘えてばっかりいた俺から、自立しないと。
俺も、しっかりと彼女に愛を返さなければいけない。
少し前にカフェで話をしたアクアとの会話を思い出す。
――クズでもいいじゃないか。クズなりに、愛してる人をちゃんと幸せにしてあげられたのなら、何も問題ない。
そこで言われた、俺を肯定してくれる言葉。
雨宮先生は、やっぱりすごい。
確かに"推しの子"の主人公だ。
こんな、にわかな俺の違って、声の力なんかなくても……俺に、言葉で力をくれるんだから。
今まではアイを幸せにする為に、アクアからの言葉を受けて色々と考えてきた。
アイが、子どもたちに俺を父親だと明かすそのタイミングで、彼女との結婚を受け入れようと。
こんな自己満足で一方的にしか愛をぶつけられなかった俺に、何度離れても、結局は寄り添ってくれたアイ。
彼女の為に、どうすれば彼女を幸せに出来るかを考えてきた。
アイが、俺が父親だと双子に明かした際に彼女が万が一、子どもたちから責められる様な事があれば、その原因を俺にする方法。
アイが、俺と結婚した際に子どもたちが生まれた出来事が万が一スキャンダルとして露呈した際に、その原因を俺にする方法。
色々と模索してきたが、全て一から考えを改める。
俺がこの世界に生まれ変わった意味。
そして"にわか"な俺が持った、こんな分不相応な声の力。
これらの本当の意味を。
これらを用いて、"推しの子"を幸せにする方法を。
やっと、気付けた。
俺がここに、こうしている意味を。
……俺はクズである。
だから、好きという感情が分からない。
好き以外の何かの理由がなければ、誰かを突出して特別視する事が出来ない。
前世でそんな人物は、どのタイミングでも一人しかいなかった。
だから突出してその人を特別視出来た。
だって、その人から話を聞かなければ、その人の生い立ちや辛く悲しい境遇なんて分かるはずがないから。
なのでそれを聞いて、その人が幸せになって欲しいと愛してしまう。
その人が自分だけを見て欲しいと言うのであれば、そうする。
だから、基本的に複数の人を同じだけ愛するという事がなかった。
けれど、この世界は違う。
にわかな俺だが、知ってしまっている。
この世界の登場人物の境遇を。
何らかに辛く悲しい事に直面していたり、これから直面するのだと。
詳細は知らずとも、"推しの子"の登場人物は皆、何かしら悲しみや苦しみを抱いてしまうのだと。
にわかながらに、この世界の他人に対して既に、そんな"知識"を持ってしまっている。
故に、俺は思ったんだ。
"推しの子"をハッピーエンドにしたいって。
誰も悲しむ事なく、笑顔で終える。
悲しむ人がいるのなら、助けてあげたい。
苦しむ人がいるのなら、手を差し伸べてあげたい。
他の誰かが幸せに出来ないのなら、幸せにしてあげたいって。
その対象は本来、一人なんだろう。
だって普通は、幸せにしてあげたいって思う人には、愛してるっていう感情とセットで"好き"という気持ちが湧くはずなんだから。
けれど俺には"好き"が分からない。
それはつまり、恋愛が出来ないという事。
恋という愛情――即ち、"好き"という感情で誰かを特別視出来ないから。
好きじゃないのに、愛して幸せにしてあげたいと思ってしまう。
だから俺はクズ。
それは、俺が幸せにしてあげないと、と思ってしまう人が一人じゃない場合、どちらかを選ぶ事が出来ないから。
そうなったら、どちらも俺が幸せにしてあげないといけないと思ってしまうから。
どちらも同じだけ愛してしまうから。
そして、反対にどちらも見捨てて、どちらも不幸になる選択肢が選べないから。
なので、やはりクズはクズらしく、幸せを模索するしかない。
俺がこの世界に、"にわか知識"を持って生まれた意味。
俺がこの世界に、声の力を持って生まれた意味。
その全てを、意味があるものとして考えれば、自ずと方法が浮かんでくる。
せんせは、俺にこうも言ってくれた。
――好きと思わなくても……愛してる相手と一緒にいれば、それは幸せな事なんじゃないかと考えても、良いんじゃないか?
ああ、全くもってその通り。
愛している人と一緒にいられれば、確かに幸せなんだろう。
アイ、天使ちゃん、そしてアクアの正体を知ったルビーを見ていればそう思う。
ならば、愛してくれている人と俺も一緒にいよう。
だが、愛してくれている人が複数いたならばどうする?
そうなれば通常、ほぼ全ての人はどちらかを取捨選択するんだろう。
より愛している人を、より好きな人の方を。
そして残りの僅かな人は、選ぶ事により片方が幸せでなくなるならば、どちらも選ばないという方法を取る。
それが正しい"好き"という感情であり、"愛情"なんだろうから。
けれど、クズな俺にはそれらが出来ない。
ならばどうするのか。
クズはクズらしく、クズなりのやり方で――両方を幸せにして見せる。