"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
お詫びとする訳ではないですが今回投稿の三話目は、元々分けようと思っていた約三話分程度を詰めましたので、長くなはなりますが、お楽しみ頂けましたら幸いです。
――さりなちゃん。
後ろから聴こえたそんな声に振り返る。
そこには、アクアの姿。
部屋の入り口側に立ち、こちらを見ていた。
本来なら、アクアの顔なんて見たくなかったはずだ。
だって、家族なのに夢を反対する様な事を言われて、家族なのに酷い言葉を吐いてしまった。
だからアクアの顔を見るとまた、酷い言葉を言ってしまいそうだったから。
なのに。
何故か、何も言葉が出ずに彼を見つめてしまう。
その原因は、言わずもがな。
先程背後から聞こえてきたアクアの声。
彼は今、なんて言った?
聞き間違いじゃなきゃ、さりなちゃんと言ったんだろうか。
何故それを知っているのか。
そればかりが頭に浮かんで離れない。
もしかして、さっきまでの泣いてる中で、気付かずに口にしていたんだろうか。
でも、でもやはり分からない。
だって、仮に私が自分の前世の名前を口にしてても、アクアが"さりなちゃん"と呼んでくる意味が分からない。
前世の名前を知ったとて、何故その名前でわざわざ私の事を呼ぶ理由が分からない。
だから、何でアクアがその名前を口にしたのかが、どうしても理解出来なかった。
けれど一度視界に収めたアクアから、何故か目が離れない。
それは彼が、笑みを浮かべているから。
さっきまでの喧嘩が無かったみたいに、微笑んで私の事を見ている。
それも、今まで一度も見たことがないような、優しい笑顔。
なんでこんな私を、そんな表情で見てくるのかも、分からなかった。
「さりなちゃん」
アクアの口から、再び私の名前が呼ばれる。
やはり、間違いない。
でも、なんで。
「……なんでアクアが……私の、前世の名前、知ってるの……?」
訊ねた私に、彼は柔和だった表情を微かに苦笑へと変えた。
「まあ、それはさっきさりなちゃんの口から聞いて、知ったんだけどね」
そう言って、また私を優しい目で見てくる。
予想していたのが、当たっていたらしい。
やっぱりさっき、知らず知らずのうちに私が言ってしまっていたんだ。
だけど、やはり疑問は残ったまま。
何故アクアが、私をルビーではなくわざわざさりなと呼んでくるのか。
呆然と見つめる私を見てか、アクアが再び口を開く。
「俺ってさ、酷い男なんだよ」
不意の言葉に、思わず首を傾げる。
脈略の無い言葉の意図が、全くつかめなかった。
そんな私に構わず、アクアは続ける。
「母さんの子として生まれて、双子でルビーがいて、そんな彼女を妹だと思っていて……」
アクアは私から顔を逸らして、少し上を見た。
「そんな妹が――さりなちゃんだったらなあ、なんて思ってたんだよ」
「えっ……?」
彼のそんな言葉に声を上げてしまう。
なんで、私の正体をさりなであって欲しいと思っていたのか。
それが分からず、再び脳内が疑問で埋め尽くされる。
だって、そんな必要はないはずだ。
私の前世の思い出は、父親と母親、そしてカズヤ君と、せんせだけ――。
その瞬間、脳内で誰かが、何かに気付いた様な声を出した気がした。
前世の父も母も、私の事を"さりなちゃん"なんて呼んでない。
そう呼んでくれたのはカズヤ君と……せんせだけ。
カズヤ君は、さっきまで連絡を取っていた様に、カズヤ君として生きている。
せんせは、私が生まれ変わる前に殺されてしまっている。
…………じゃあ、私は?
「アイを応援する楽しそうな姿、そして最近見たカズヤ君と話をしている姿。そういった時に、俺は妹の事をさりなちゃんみたいだと思ってしまう事をやめられなかった」
私の前世は病死。
今の私と同い年で、死んだ。
だけど……こうして、生き返った。
…………じゃあ、せんせは?
「さりなちゃんは既に亡くなってしまっているし、妹とも容姿が違う。その度に俺は自分を戒めたよ――俺は生まれ変わったけど、さりなちゃんもそうだとは限らないと」
私が生き返ったんだから、せんせだって……生まれ変わってる可能性はある。
アクアの、彼の言い回しは今まで見た事が無いくらいに優しくて、今まで見た憶えがあるくらい、私に既視感を抱かせてくる。
こんなアクアは見た事ない。
けれど、こんなアクアみたいな口調で話してくれる人は、見た事がある。
無意味に、心臓の鼓動が速さを増していくのが分かった。
先程まで、改めてさりなである事を捨てようとしていた私の思い、それがまるで気紛れだったかの様に、別の気持ちへと変わっていく。
さりなである事を捨てようとしたはずなのに、さりなとしての望みを抱いてしまった。
目の前にある優しい表情と、優しい口調。
姿は違えど、その全てがさりなとして懐かしさを覚えてしまった。
「だけど今日、こうして君がさりなちゃんだと分かって……どうしようもなく嬉しい自分がいたよ」
もう二度と見られないと、聴けないと思っていた人物。
それが目の前にいるのだとしたら……私は、どうしようもない程に、さりなのままでいたいと思ってしまった。
止まったと思っていた涙が、また流れてくる。
けれどそれは、先程とは違う感情の涙。
「前世は、今の歳で亡くなってしまったさりなちゃんが、こうして元気でいてくれるのが、たまらなく嬉しい」
その言葉は優しく、
「またこうして、会って話が出来るのが、たまらなく嬉しい」
嬉しさを抑えようとする事もなくて、
「せんせとして、さりなちゃんと話せる自分が嬉しくて仕方ない」
懐かしさを持った表情で私を見てくる。
そんな彼の姿を見ているだけで、心臓の鼓動が更に速さを増した。
「……俺は一度だけ、神に感謝した事があるんだ。アイの子どもとして生まれ変わらせてくれてありがとうって」
彼はそう言って、そして続けた。
「でも、改めて神に感謝しないといけないね……こうして再び、さりなちゃんに会わせてくれてありがとうって」
そして、僅かな沈黙。
「さりなちゃん」
再び呼ばれる名前。
向けられる優しさに、もう我慢は出来なかった。
「きみは」
私は気付いたら立ち上がっており――、
「俺にくれたのと同じ、そのキーホルダー……やっぱり大事にしてるんだね」
「せんせぇっ!」
目の前に佇む、せんせに抱きついてしまうのをやめられなかった。
アクアに泣きながら抱きつく。
けれど、それはせんせで。
せんせにまた抱きつく事ができる。
それが堪らなく嬉しかった。
彼の背に腕を回して胸に顔を埋めれば、優しい手つきで頭を撫でてくれる。
「……まあ、この姿なら社会的に殺されないし、大丈夫だよな……?」
何やら小さい呟きが聴こえるが、それに構う程の余裕はなかった。
またせんせと会えた。
こうして、近くにいてくれた。
それが何よりも嬉しく、心地良い。
せんせが殺されたと知って、二度と会えないと思ってた。
私と同じ様に生まれ変わってるなんて、望みはしたけど思ってはいなかった。
失ったと思っていたものが、失っていなかったんだ。
せんせに抱きついてから、より心臓の鼓動がうるさい。
生まれ変わっていて嬉しい、こうして近くにいてくれたことが嬉しい。
そんな自分に、思わず胸中で呟く。
――あぁ、やっぱり私……せんせのことが好きなんだ。
だってこんなにも嬉しくて堪らなく、ずっと心臓が痛いくらいに高鳴り続けているんだから。
こんなの、好きじゃないはずがないよ。
大好きなせんせが、こうして目の前にいてくれる。
それがどうしても幸せで仕方ないんだから。
大好きな人にまた触れられる、声が聴けるのを否応なしに実感させられて、涙が止まりそうもなかった。
もう離さない。
せんせを、もう二度と失うなんて事はしたくない。
その気持ちを示すかの様に、抱きしめる力を強めた。
そして、そうする事で、よりせんせがここに存在する事を実感させられる。
こんな幸せから、離れられる訳がなかった。
……せんせ、大好き。
未だに高鳴り続ける心臓につられて、胸中で呟く。
うるさく身体に響き続ける心音が、その呟きが本当の気持ちなんだと私に教えてくれる。
なら、この気持ちをせんせに伝えたい。
もう後悔なんてしたくないから。
だから、言う。
前世でせんせに質問した答えを、今もらうために。