"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
室内が再び静寂に包まれる。
吉祥寺先生が口を開く事はなく、俺も口を開かない。
しかしその沈黙は、破られた。
「…………どういう、こと?」
先生の声。
それに答える。
「"今日は甘口で"という原作を潰しちゃいけない。だから、原作に描かれていない部分に焦点を当てた作品として作りたいんです」
俺の考える再編集ドラマ。
今日あまというストーリーは汲みながら、ドラマのスポットは別に当てる。
今日あまで描かれている舞台や、設定はちらっと出てくるだけ。
つまり、ドラマに登場するのは主人公が殆どで、俺を含め他の役は稀に出演するに留まる。
主人公であるヒロインの女の子の、一人称視点でのドラマ。
それが俺の考える、吉祥寺頼子に作ってもらいたい脚本。
ドラマの流れは今日あまの最終回以降の話を現在として捉え、ヒロインの現在を映しそこで何か出来事が発生した際に、何故ヒロインはその出来事に対してその様な印象を受けるのかという心理描写で、過去の記憶を振り返る。
それらがあったので現在があり、現在でも何かが起こってしまっても、過去の経験とそれからの経験で変わっていく主人公の成長を描いていた物語にしたい。
つまりはアフターストーリー。
だが、演出としては今日あまのメイン舞台である学生編はほぼ描写しない。
主人公以外の登場人物は、俺を含めてエキストラレベルでのスポット出演。
現在視点の主人公はあい、幼少期視点の主人公はかなちゃん。
この二人がダブル主演となってストーリーが進む。
俺を含め、演技が下手な面々は稀にしか出ず、その際に主人公の演技で視聴者を惹きつければ、彼らの演技に目がいく事は無い。
そしてタイトルを"今日は甘口で"ではない、けれど似た名前を用いる。
そうする事で、視聴者には今日あまっぽいという印象を与えるが別作品なので、パクリかと思わせる作戦。
パクリだと思えば、今日あまという作品の評価が下がる事はなく、パクってるこのドラマが悪いという印象になり、ドラマが叩かれる。
これを作ったのは誰だ、脚本は誰が書いたんだ。
故に、吉祥寺先生には偽名を使ってもらい、このストーリーの脚本を希望したのは俺だという事にすれば、ドラマではなく俺が悪いという結論に至る。
カズヤが熱望した作品。それで十分なキャッチコピーになり、初回の視聴率はある程度稼げるに違いない。
初回さえ観てくれれば、そこからはあいとかなちゃんの輝きで目を奪ってしまえば、結局最後まで安定はするだろう。
そして"今日は甘口でっぽいドラマ"として、認知されれば晴れて今日あまとは別作品と認められる。
スポンサーには、俺から伝えれば何とかなるだろう。
出番がほぼなくなるので、何かしら条件を吹っ掛けられるかもしれないが、まあそこは折衝しながら受け入れるしかあるまい。
そしてこれを吉祥寺先生に書いてもらいたい理由。
それは再編集するドラマが、ヒロインの心理描写を中心としており、けれど原作には殆ど描かれない部分を抽出して撮りたいから。
原作には描かれてないんだけど、実はこういう事もあってね。そういった話を出したい。
ヒロインがどういう人物で、どんな出来事があって、どう思っているのか。
その全てを唯一知っている人間、それが吉祥寺頼子だから。
故に彼女にしか書けない脚本となる。
原作には描かれなかった描写だけを、ドラマで撮影する。
――"今日は甘口で"っぽい気はするけど、明らかに別作品。
コアな原作ファンならそう感じるかもしれないくらいの作品にしたい。
究極の自己満足。それが、今回やろうとしている事。
この考えを、先生に伝えた。
「そんな感じで、脚本を書いて頂けたらありがたいです」
俺の説明に、先生は目を見開いていた。
「……なんで」
先生の声。
「……なんで、そこまでするんですか?」
彼女の声に、思わず苦笑してしまう。
なんで、か。
今日あまは最初から完璧な作品であって、後から素晴らしい作品になったんじゃない。
だから、最初から素晴らしくないドラマになるくらいなら"今日は甘口で"というタイトルを掲げたくない。
そんな自分の強い想い。
けれど彼女にそう伝える資格は、俺には無い。
だから、もっとシンプルで根幹の理由を述べる。
額を地面から離して、顔を上げた。
吉祥寺先生は入り口の前で立ち止まっており、俺と目が合った。
「本当にくだらない、自己満足ってだけです」
そう言って、立ち上がる。
「別作品だとしても、主演の彼女らなら作品として絶対に問題ありません。そして……観る人からは分からない、脚本の裏命題としてある、今日あまの質は絶対に落としません」
あい、かなちゃん。
この二人の演技なら、まず間違いなく問題ない。
万が一、演技の解釈に齟齬が発生した場合は、何度も撮り直させる。
まあ、彼女らの場合はそんなに心配してないが。
「この内容でぜひ、脚本を書いて頂けませんか」
そう伝え、頭を下げた。
これで断られたのなら、致し方ない……。
後は、彼女からの回答を待つのみ。
室内が静寂に包まれたまま、時間が過ぎる。
「……わかりました。わかりましたよっ、もうっ」
声を上げた先生。
幾分か投げやりに聞こえるのは気のせいだろうか。
「やればいいんでしょ、やればっ! まあ私が書かないと面白くならないでしょうしッ」
彼女の言葉に嬉しくなる。
顔を上げて笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます!」
「やめてッ、そのイケメンフェイスとイケメンボイスは私に刺さるッ……」
急に胸を押さえて苦しそうにしているが、雰囲気は和らいでいるので、問題はないんだろう。
何やら呻き声を出しつつ俺から視線を逸らす彼女を、しばらく見つめていた。
「監督」
吉祥寺先生と現場に戻り、撮影の準備をしている監督に話しかける。
俺の声に、監督がこちらへと振り向いた。
「……どうなったかは分からないけど、話はまとまったみたいだね」
こちらを見て何か気付いたのか、笑顔でそう言ってくれた。
「ドラマ脚本の再構成と、撮影し直しをしたいです。後、スポンサーに連絡してその承諾をもらいます」
俺の言葉に、驚きの表情を浮かべた。
「えッ、それは……大変だなあ……」
ため息を吐かれた。
迷惑をかけて申し訳ない……。
「まあ、仕方ないか……それで? どんなスケジュールで考えてるのかな?」
自分で納得してくれた監督に感謝しつつ、質問に答える。
「もう一週、撮影開始をずらす事って可能っすか?」
「放送までは時間があるし、可能っちゃ可能かなあ」
彼の言葉に頷く。
「じゃあ、それでいきましょ」
「簡単に言ってくれるけどねえ……君の頼みなら仕方ないな」
あざす。
そう感謝を述べれば、改めてため息を吐かれた。
「最悪、ドラマが無くなるくらいやってくるんじゃないかと思ってはいたけどさ……」
「あ、それも選択肢で吉祥寺先生に伝えたっす」
「ホントに考えてたんだッ?」
驚きの声を上げた監督は、再びため息を吐いた。
俺から顔を逸らし、奥を見る。
それにつられて、俺も顔を動かした。
そこには腕を組んでそっぽを向いている先生の姿。
「……吉祥寺先生はすっかり落とされちゃった訳だ」
監督の呟きに、先生はくわっと目を見開いてこちらを見た。
「はあっ? 全然落とされてないんですがっ、こんな人に落とされるわけないんですけどッ。こんな口が悪くて自分の想いだけ一方的に伝えてくる人なんてぜんっぜんタイプじゃないですしッ」
先生の怒涛の口撃に、監督の苦笑が聞こえる。
「それって、まるで今日あまの男の子みたいな性格だねえ」
「はッ、はああッ? ぜんっぜん違うんですけどっ! あの子とこんな人全然違うんですがッ、どこが同じなのか教えてもらってもいいですかねえっ!」
先生はまるでプライドを傷付けられたかの様に、捲し立てている。
だが、俺と作中の登場人物を一緒にされる様な言い方をしたんだ、それも当然だろう。
未だに監督に捲し立て続けている先生を見やってから、現場の中心へと歩き出した。
「皆さんっ、お集まり頂いてもよろしいでしょうかっ!」
声を張り、現場にいる全員に届ける。
撮影準備を進めていたスタッフは手を止め、休憩していた演者も話をやめて、全員が俺を見た。
そしてぞろぞろと集まって来てくれる。
まずは、彼らを説得するとこから。
「お時間を頂きありがとうございます。皆さんにお伝えしなければならない事があり、お集まり頂きました」
俺の言葉に、それぞれ近くの者と顔を見合わせたり、訝しんでこちらを見てくる人が見受けられる。
彼らの反応を気にせず、話を続ける。
「大変申し訳ないんですが、初回の撮影を来週に回したいと思います」
その言葉に、先程以上に周りがざわつき始めた。
「作品を変える事になりましたので、台本も全て刷新されますんでよろしくお願いします」
頭を下げるが、周りのざわつきは収まらない。
「カズヤさん、ちょっといっすか?」
声をかけられたので、顔を上げる。
そこには、確かモデルをやっている男性の姿。
「てことはまた台本覚え直しってことっすよねぇ」
そう聞かれたので頷けば「うわっ、だりぃ」と言って、後頭部を掻いていた。
今日も大分セリフが抜けていた彼だが、彼なりに覚えようとはしてくれていたという事だろうか。
「来週からは恐らくセリフ量はかなり少なくなるんで、今よりは楽になると思いますよ?」
「マジでっ? ラッキーっ!」
俺の言葉に今度はテンションを上げて喜んでいた。
まあ、納得してくれたならそれに越した事はない。
他を見渡すが、誰も声を上げようとしないので、質問は終了と判断。
最後に必要な事を伝える。
「まずスタッフの方々には、本当にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません。そして、今回この様な事態となってしまったのは全て私の責任です。監督や原作者である吉祥寺先生は一切関係ありませんので、そこを誤らない様にだけ強くお願いしたいです」
「ちがっ」
吉祥寺先生の声が聞こえたが、被せる様に話を続ける。
「俺が今日撮影に来て、"今日は甘口で"というドラマを撮りたくないと思った、俺の我儘のせいです。吉祥寺先生はこのまま撮影を続ける意欲を見せておりましたんで」
僅かに目線を送れば、目が合った先生は息を呑んだ様な表情を浮かべた。
貴女には脚本という仕事を与えてしまうんだ、それ以外の余計なしがらみを受ける必要は何一つない。
脚本と撮影以外の事は、全て俺が引き取る。
「なので、今日はこれにて解散でお願いします。来週からの動きは、追って事務所等にご連絡致します」
そう告げて手を二回叩けば、不満そうな表情の人は何人かいるものの、全員が撤収作業を開始した。
その姿を見て、ようやく一息。
「ちょ、ちょっとっ、カズヤさんっ」
不意に腕を掴まれて、少し離れたところに連れていかれる。
腕を引くのは吉祥寺先生。
やがて立ち止まり、腕を開放された。
先生は俺を睨み付けている。
「なんであんな言い方するんですかっ! 結果的には私も了承したんで、言わば共犯のはずですっ!」
ああ、さっきの事か。
「先生にはご無理を言って脚本を書いてもらいますから、それ以外の雑音は全て俺が回収します」
「だけどっ……あんな言い方じゃ、カズヤさんが悪者に……」
やっぱり、この人は優しい人だ。
だからこそ、彼女に悪意の一切も向けさせてはいけない。
「さっきの俺の言い方、今日あまの彼に似てませんでした?」
「はッ? はああッ? 似てないッ、ぜんっぜん似てないんですがっ! もしかして自意識過剰なんじゃないですかあッ?」
こうして、一週間が経過し二度目にして初回の撮影が始まった。