"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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第61話

 今日という日を迎えてしまった。

 早く寝ようとしたが、結構遅くまで起きててしまった。

 それは、アイからのメッセージが止まなかったから。

 

『明日共演楽しみだねっ』

 

『おー楽しみだなー』

 

『他の女に色目使わないでね』

 

『はい』

 

 この様な乱高下が激しいやり取りを何ループした事か。

 その中で分かった事。

 それは――あいはドラマのストーリーを知らないという事。

 まあそれは、俺も昨日監督に聞かなきゃストーリー分かんなかったし、初回の台本を見ても、まだ主人公とヒロインがくっついたりしないから、そういった展開は予想出来ないだろう。

 俺だってサブで出演する時は、他の役がそれぞれどうなっていくなんて興味なかったし。

 だからこそ、怖い。

 あいがいつ気付くのか。

 この物語の展開に。

 今日はまだ知らないままで終われるのか、それとも知ってしまうのか。

 それだけがただ、怖かった。

 多分このドラマが終わるまで、俺の憩いは仕事中だけになるんだろうなあ……。

 そう漠然と思った。

 断言できる、仕事終わりは必ず彼女からの鬼メッセージで費やされると。

 久々に仕事を飛ばしたいと思った。

 

 あれこれ考えている内に、現場についてしまった。

 ざっと一望してみたが、あいの姿はない。

 安堵のため息を吐いた。

 とりあえず、監督の傍にいて、何か危険を察知したらすぐ監督に話しかけられる様にしておこう。

 そう思い、監督の姿を探せば、居た。

 スタッフに対して色々と指示をしている様だった。

 忙しそうで行き辛かったが、ここで行かねば負けだと思い、監督の下へ向かう。

 

「監督、今日はよろしくお願いします」

 

 丁寧な挨拶から入る。

 彼にはもっと砕けた挨拶でも構わないが、これは俺の生存戦略。

 絶対に離れる訳にはいかないから。

 

「お、カズヤ君。今日からよろしくね」

 

 返ってきたのは、緊張を感じさせないいつも通りの声。

 流石は監督である。

 

「最初、どのシーンから撮るんすか?」

 

 もういつも通りで良いだろう思い、口調を直す。

 初回の台本はほぼ高校編である。

 主人公とヒロイン、その友達の三人は幼馴染で、よくつるんでいた。

 大学進学を期に、主人公は医学の道へと進み、二人と離れる事となる。

 その別れまでのシーンがメインであり、過去編。

 終盤で現在に戻り、医療現場で働く主人公の下に、ヒロインが怪我をして訪れるという出会いで終わる。

 なので現在は学校に来ており、とりあえず高校編を撮るんだなという事だけは分かっていた。

 

「最初は外でのシーンを撮って、後から校内のシーンを撮るって感じかな」

 

 監督の言葉に納得。

 視線を他に向ければ、撮影に向けてカメラや機材の設置を校庭で行っている。

 ここの場所って事はあれか。

 

「なら最初は、下校しながらわちゃわちゃするシーンっすね?」

 

 俺の言葉に監督が苦笑する。

 

「まあ、そんな感じのシーンだね」

 

 その言葉を最後に沈黙。

 駄目だ、会話のストックが切れた。

 監督と結構頻繁に話してるから、新しい話題が無い。

 今日いい天気っすね、ぐらいしか思い浮かばん……。

 

 

「B小町アイさん入られまーす!」

 

 

 不意に後方から聞こえてきたスタッフの声に、心臓が止まるかと思った。

 急な大声に加えて、その名前だ。

 けど、ここで心停止したらワンチャン仕事を飛ばせるかもしれない。

 何となくそう思った。

 やはり俺には、天使ちゃんがいないと駄目なのかもしれない。

 身体を声の方向に向けられないまま、そのなどうでもいい事を考えていた。

 

「おはようございますっ! 今日はよろしくお願いしますっ」

 

 またしても不意に背後から聞こえた元気な声に、今度は心臓が飛び出すかと思った。

 背後プラス至近距離の破壊力はとんでもない。

 けれど、その声は俺には向けられていないのは分かった。

 

「おはよう。アイちゃんも今日はよろしくね」

 

 相変わらず柔和な雰囲気で、監督が返した。

 心臓の鼓動が、早鐘の様に鳴り続けてる。

 しまった、仲良い監督のとこに避難したつもりだったけど、確かに普通は監督に挨拶するよな……。

 やばい、近くにいるから次は俺の番だ。

 思わず固唾を呑んでしまった。

 

「カズヤくんも、二回目の共演だけどよろしくねっ」

 

 来た!

 耳に届く声色は明るく、微塵の影も無い。

 まだ、あいはストーリーを知らない……?

 いや待て、この声が嘘である可能性だって十二分にある。

 だが、とりあえず挨拶を返さないと周りに怪しまれるから、まずは振り向いて挨拶。

 考えても分からんから、諦めた。

 行くぞッ、そう気合を入れて身体を反転させる。

 

 そこには完璧な笑顔の、星野アイがいた。

 ……ぜんっぜん分からん!

 やはり俺には彼女の嘘が全く分からなかった。

 だから、余計に怖い。

 内心を隠す様に、笑顔を作る。

 

「あいさん、お久しぶりですね。こちらこそよろしくお願いします」

 

 何とか、滑らかに他人行儀で返せた。

 とりあえず最低限のミッションはクリアできたと、内心で溜息を吐く。

 不意にあいが口を開いた。

 

「カズヤくん、今世間ですごく話題の俳優さんだから、会うの楽しみだったんだよねっ」

 

 握手してくださいっ、笑顔をそのままに両手を差し出してくる。

 会うのが楽しみだった。

 という事は、やはりまだストーリーはバレてないんじゃないか?

 もしバレてて内心穏やかじゃなければ、きっと「カズヤくんって俳優さんだから、異性の人と共演しても緊張しないだろうからすごいなって思うよっ」的な、ピンポイントに俺だけをクリティカルで狙い撃ちするアイ語で責めてくるに違いない。

 故に、確信。

 あいはまだこのドラマの展開を知らない!

 緊張が解け、心臓の鼓動も落ち着きを取り戻してくる。

 とりあえず、今日は一日平穏に過ごせそうだ。

 問題の先送り? 違う、問題を未来の俺に託したんだ。

 

「俺なんかで良ければ」

 

 気楽になったので、そう返してあいに右手を差し出す。

 その手を、あいの両手が包み込んだ。

 

「――いッ」

 

 不意に走る痛み。

 辛うじて、声と表情を抑える。

 鋭い痛みが、俺を襲った。

 痛みの発生源へと目を向ける。

 それは俺の右手。

 包み込んでいるあいの両手。

 両手の内、彼女の左手の親指と人差し指で、俺の手の甲の皮膚を思い切り抓っていた。

 

 ……あかん、ばれてーら。

 

 変わらずの笑顔を浮かべているあい。

 しかも、中々にキレている可能性がある。

 やばい……けど、どうしようもない。

 彼女に対して打開策がある訳でも無く、ただ右手の痛みに耐えるしかなかった。

 やがて、彼女の両手が離れた。

 自由になった右手を戻しながら、ちらっと視線を落とす。

 まるで彼女の存在を刻み付けるかの様に、二本の爪痕がくっきりと残されていた。

 後方からあいを呼ぶ声が聴こえ、彼女はそちらへ駆けて行った。

 こりゃあ、相当しんどい収録になるぞ……。

 それが、本番前最後に思った事だった。

 

 

 当初の心配とは裏腹に、撮影は順調に進んでいった。

 アイの演技も完璧である。

 彼女の姿はやはり目を引いた。

 絵に映るとより際立ってしまう。

 その姿は、芝居やドラマに特に思い入れのない俺ですら、このままで作品として問題ないのか心配になる程だった。

 だが、待ち時間にちらっと監督に大丈夫か確認をしたが、これで良いとの事。よく分からんが、監督が良いなら良いか。

 外での撮影は順調に終わり、校内での撮影に。

 本日最後のシーンの収録に入る。

 

 主人公、ヒロイン、その友達は三人で放課後の教室でたむろっていた。

 主人公であるユウキは椅子に座りながら、特に何を考えるでもなく机で頬杖をつきながら、窓を見ている。

 彼の机を囲む様に、前と横の机に腰掛ける女子生徒が二人。

 一人はヒロインのアイカ。

 彼女はユウキの前の席で、窓へと顔を向けている彼の横顔を笑顔で眺めている。

 そんな彼らに、腕を組んでそっぽを向いている、ユウキの隣の机に座る女子生徒の名前はチヒロ。

 彼らは間もなく高校を卒業で、それぞれ大学へと進学していく。

 今の様に、当たり前に三人が揃う事なんて、大人になるにつれて少なくなっていくのかもしれない。

 夕焼けが教室の窓から差し込み、三人を照らす。

 

「ねえっ、せっかくだからさ、大人になってもずっと仲良しでいようねって、ここで宣言しようよっ」

 

 沈黙を掻き消す様に教室へと響いた言葉。

 その声の主はアイカ。

 彼らの中では、こうして彼女から会話が始まる事が多かった。

 その声は明るく、聞く者を元気にさせる。

 そこに、聴こえたため息。

 

「……アイカが言うんなら、しょうがないから参加してあげる」

 

 腕を組んだまま、顔をアイカへと向けつつ目線を逸らしたチヒロが続けた。

 彼女はアイカの言葉に渋々といった様相で承諾する事が多い。

 けれども、そこには確かな絆が感じられた。

 

「ほらっ、ユウキ君もっ」

 

 アイカはそう言って、目の前に座る男子生徒へと身を乗り出した。

 しかし、学校でも指折りの人気を誇る彼女の笑顔を一身に受けても、男子生徒の様相に変化はない。

 頬杖をし窓を見たまま、口を開く。

 

「宣言した所で、何の効力もないからなあ」

 

 言葉に強さは無く、ユウキの言葉は呟きの様にすぐ消えた。

 けれども、彼の声は自身以外にも届いている。

 

「またそんなこと言ってっ、夢がないなあ、ユウキくんはっ」

 

 僅かに睨み付ける様に目を細め、しかし柔らかい声色でアイカは、ユウキに対して言葉を向けた。

 彼女の言葉にユウキはため息を吐いた。

 

「いや、だって確証ないし」

 

「ないからこそっ、宣言するのっ」

 

 強く放たれたアイカの言葉に、ユウキは思わず顔を彼女に向けた。

 アイカは笑顔のまま彼を見つめている。

 その光景を、何をするでもなくチヒロは横目で見ていた。

 よくある、三人での光景だった。

 アイカが再び口を開いた。

 

「宣言して思い続けてれば、絶対に仲良しのままなんだからっ」

 

 彼女の笑顔と言葉に、ユウキは目が逸らせない。

 何故だか、呆然と見つめてしまった。

 

「……ユウキ、これしなきゃ帰れないよ?」

 

 ユウキの横から、声が届く。

 彼が声の方へ顔を向ければ、声の主と視線が交差する。

 チヒロは何かを含んだ様にユウキを見つめていた。

 それは僅かな時間。

 ユウキがため息を吐いた事で終わった。

 

「……しゃーねえなあ」

 

 その言葉に対して、彼の表情は苦笑。

 明るく二人を引っ張るアイカに対して、引っ張られる二人はアイコンタクトで互いを労い合う事が多い。

 一瞬の視線の交錯。けれども確かに伝わる思い。

 それは、二人にしか分からない感覚だった。

 

「じゃあっ、三人は大人になってもずっと仲良しでいますっ、って言おっ」

 

 全員の許諾が取れたからか、嬉し気な表情で二人の顔を見ながら告げた。

 片や静かに、片や渋々といった表情で頷く。

 

「じゃあいくよっ」

 

 アイカの明るい声が響いた。

 

『三人は大人になってもずっと仲良しでいます』

 

 言い終われば、沈黙が訪れる。

 それを破ったのは、やはり彼女だった。

 

「約束だよっ? ユウキくんっ、チヒロっ」

 

 アイカの言葉に、チヒロは珍しく笑顔を浮かべた。

 普段よりも大きめの声で告げる。

 

「約束だよ、アイカ、ユウキっ」

 

 彼女らの言葉に、ユウキは再び苦笑した。

 

「りょーかい、アイカ、チヒロ」

 

 

 

 

「――カットッ!」

 

 

 

 

 撮影を止める声が響く。

 

「すごく良かった、ばっちりだったよ!」

 

 明るくそう言うのは、監督だった。

 どうやらリテイクの必要はないらしい。

 監督の言葉を期に、あちこちから「お疲れ様でしたー!」という明るい声が飛び交う。

 着替える為に、俺は楽屋へと歩いていた。

 その道中で考える。

 ……最後のセリフ、何か違和感を覚えたのは俺だけか?

 なら気のせいかもしれない。

 けれど、違和感としてずっと残ってしまう。

 チヒロ……アイが言ったセリフ。

 ――約束だよ、アイカ、ユウキっ。

 何も不思議じゃない。

 ちゃんと台本通りのセリフ。

 けれど、それを聞いて昔の記憶がフラッシュバックした。

 それは既に忘れていたはずの遠い昔の記憶。

 今世での、小学生の時の記憶。

 

 ――木村くんっ、星野ちゃんじゃあねー!

 

 あいでもない、今では顔も名前も思い出せない同級生の女子が言った言葉。

 何故これを思い出すのか分からない。

 それを思い出した所で、何の意味も無い記憶。

 けれど、僅かに湧いた胸中の不安。

 何事も無く終わればいいけど……。

 

 そんな事を思った、初日の撮影だった。


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