"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
目の前で驚愕している若い看護師さんに、可愛いと思えて安堵した。
やっぱり俺は、ロリコンじゃない……!
あれは夢で、本当に俺が思ってる事じゃないんだ。
ありがとう、看護師さん。
「あっ、先生を呼んできますねっ」
ハッとした様に表情を変えて、ぱたぱたと走り去ってしまった。
またしても一人になる。
さて、こうして生き残ってしまったわけだから、予め考えていた予備案を実行していくしかない。
といっても予備というか、ホントに漠然としか考えてなかった計画。
だって、あそこで刺されるか、何かしらの不慮の事故とか……原作の修正力で俺は死ぬんだろうなと思っていたから。
あいを助ける事に注力してたから、もし生き残ったらなんてイフを殆ど考えていない。
彼女を殺させない為の計画でとにかく金が必要だったから、仕事のジャンルを問わずに受けまくった。
あの楽しかったけど忌々しい恋愛リアリティショーのせいで、ある程度知名度を持ってしまったから、当初の星野ママ探しの計画は完全に断念して、知名度を利用した今回の計画へと練り直した。
そして今。
生き残ってしまって、ここからの具体的な人生設計なんてない。
とりあえず行おうと思っているのは、芸能界を辞めて、適当に星野ママ探しの旅。
ずっと保険としてのSPに金を注ぎ込んでいたから、口座は見ていないが恐らくは何年も裕福に暮らせる額はないだろう。
星野ママを見つけて結婚して、普通に就職する。
これが一番無難で理想な気がした。
正直、芸能界を辞めるのは簡単だと思っている。
一応すぐすぐ迷惑をかけない様に、佐山さんには事前に一週間程度はスケジュールを空けてもらっているが、まあ腹を普通に刺されたんだ。
一週間で復帰は絶望的だろう。
よって、一週間の間に徐々に仕事のキャンセルを行っていけば、関係先は俺が今どうなっているのか不審に思う。
それで事務所に問い合わせが増えれば、事務所はきっと体調不良で活動を一時休止とか公表するに違いない。
そんで、そのままスケジュールが空になった状態で古傷が痛んでとか言えば、情状酌量の余地もありめでたく芸能界引退を果たせるという算段である。
事務所や関係先にちょっと迷惑をかけるが、そこは許して欲しい。
元々いなかった筈の人間がいなくなるだけなんだ。
多少のばたばたはあれど、すぐに元通りになるに違いない。
そして星野ママについて、これが目下一番の課題である。
俺が勝手に星野ママと呼んでいるが、現在も星野姓なのかは分からない。
というか、よくよく考えてみたら、綺麗であろう人だ。
再婚していてもおかしくない。
あいを産んだ時に、そもそも結婚していたのか独身なのかは分からないけど。
……あれ、最初から俺の人生設計ガバガバ過ぎん?
そうだよ、何で今までそれを考慮してこなかったのか。
何せ美人、その魅惑の蜜におびき寄せられて男どもが群がるだろう。
思い込みって怖いね。
十何年もずっと、星野ママは俺の嫁って勝手に思い込んでた。
だが彼女視点からすると、俺は存在しない人間。
星野ママの行動に、俺が考慮されるはずがない。
まあ、仮に再婚していて幸せな家庭を築けているなら、それはそれでいい。
けどDVとか受けてたら?
……や、やはり推しの笑顔を確認する為に、一目でも見に行かないと気が済まない。
星野ママの安否について心配していると、ドアをノックする音が聴こえた。
返事をすれば如何にも医者というおじさんが入ってきて、色々と聞かれる。
言われたままに身体を少し動かしたら腹に激痛が走って、軽く悶絶。
絶対安静ですって言われる。なら動かさせんなって思った。
医者が言うには、どうやら最低でも二週間は入院で、その後は経過観察で退院時期を決めるとの事。
また後程と言って、看護師を残して退室していった。
「では木村さん、血圧図りますねっ」
その看護師は、目覚めて最初に見た人であり、袖を捲って俺の腕に黒い布を巻いて、機械のスイッチを押した。
機械に表示される、上昇していく数値をすげー真剣な目で凝視している。
まだ経験が浅い看護師なんだろうか? 可愛いから別にいいけど。
血圧を測り終えて、俺の腕が自由になった。
看護師さんは真剣な表情で、結果をバインダーに書き込んでいる。
暇なのでその光景を見つめる。
段々と看護師さんの目の動きが落ち着かなくなってきた。
「……あっ、あのっ」
急にかけられた声に、首を傾げる。
「そ、そんなに見られると……は、恥ずかしいです」
可愛い。
頬を赤らめ、バインダーを寄せて顔を隠してしまった看護師さん。
何だかすごいほのぼのとした空気が流れ、心地よい。
こんな光景をあいが見たら、それはそれは地獄だったろう。
また無言のパンケーキに誘われてしまうかもしれない。
だが、あいとはもう関係性がなくなってしまった。
未だにバインダーで顔を隠している看護師さんを見ながら、僅かな寂しさを感じる。
これはきっと人生の目標を達成した、全クリ後の気持ちなんだろうと自分に言い聞かせ、気分を変える様に看護師さんに向かって、とりあえず謝罪した。
バインダーから僅かに顔を覗かせて、未だに恥ずかしそうにこちらを見る看護師さん。
話す事も特になくただ、ぼーっと看護師さんを見つめる俺。
沈黙が、二人の間に漂った。
暇だったので看護師さんに笑顔を向ければ、彼女の頬が更に赤くなるのが見える。
うむ、可愛い。
何だか青春してんなーって、他人事の様な感覚を抱いた。
やがて、看護師さんがハッとした表情を浮かべる。
「あっ、あのっ……ちょ、ちょっと忘れ物を取りにっ」
彼女は最後まで言えなかった。
慌てた様に反転させたその身体。
しかし、脚がついていかずに縺れた。
「きゃっ」
その声と共に倒れ込んでくる身体。
絶対安静と言われている俺は、動く事が出来ない。
彼女の手から、持っていたバインダーが離れて宙に舞った。
段々と近付いてくる看護師さんの顔。
それを俺はただ茫然と見ている事しか出来なかった。
そして……。
互いの吐息を感じられる程の至近距離で見つめ合う。
彼女の腕は、それぞれ俺の身体を挟んだ両脇で立てていた。
顔を少しでも前に出せば、互いの唇が触れてしまう距離。
ばさり。彼女の背後でバインダーが落ちる音がする。
僅かに開けられた彼女の唇から、微かに吐息が漏れるのを感じた。
何をする訳でも無く、互いに見つめ合う。
頬を赤らめて、僅かに瞳を潤ませている彼女を見ながら思う俺の心。
……すっげえ怖かったッ。
看護師さんの腕がちょっとズレてたら俺の腹だったし、もし腕で支え切れなかったら俺の腹へボディプレスしたのは間違いない。
奇跡的に無傷で済んだが、一歩間違えればあの激痛がまた押し寄せてきた事だろう。
さっきから背中の冷や汗が止まらなかった。
刺された時もだが、基本的に痛いのが嫌だから、痛みが無く済んだこのアクシデントに、まず神に感謝。
次いで、胸に当たっている柔らかい感触にテンションが上がる。
こういうのをラッキースケベと言うんだろうか。
そんな事を考えながら、この子がどうするのかを観察していた。
だって、彼女が動いてくれないと、俺からは何も出来ないし。
こっちから触ってセクハラ認定されたら嫌だし。
度胸も甲斐性もない男、それが木村カズヤである。
ぱさり、何かが落ちる様な音がした。
まるで何か軽い物が落ちた様な音。
何かが落ちたのか気になり、看護師さんから横に顔をズラして、焦点を奥へと合わせる。
こちらに寄りかかる様に上体を倒している目の前の女性の肢体を越せば、やがてその向こう側が見えた。
同時に、目を見開く。
そこには、直下に落とした花を一顧だにせず、こちらを笑顔で見つめる――