"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
トイレに少し籠り、気分を落ち着かせる。
恐らく彼女がああなってしまったのは、以前の喧嘩と同じく執着心の可能性が高い。
お気に入りを取られる。
それによって引き起こされてしまったに違いない。
まあ彼女にとって、まだお気に入りと思ってくれているのは正直嬉しい。
恐らくは以前と変わらず、自分を肯定してくれる都合の良い人だろうが、それでも良かった。
だって彼女はこの数年間で少女から女性へと大きく成長しだした。
背はちょっと低いが、それは関係ない。
とにかく星野アイは最早美幼女とは呼べず、完全に美女に片足を突っ込んだ美少女と化していた。
故に、そんな美少女と遊べるなら嬉しい。
まあ、まだ星野ママが俺の一押しだけどな!
星野ママの現在の年齢は恐らく、前世の俺と同じくらいか少し年上くらいだろう。
精神年齢について言えば正直、前世の最期くらいとあまり変わっていない気がする。
色々と意見はあるんだろうが、俺の体感としては今の精神年齢がアラフォーになっている気は全くしない。
それは恐らく、経験が違うからだと思っている。
前世の年齢と今世の年齢を足せば、もう数年したらアラフィフだ。
だが、精神的に言えば、俺は前世の年齢以上の経験を積んでいない。
つまり、三〇代の時は三〇代の経験をしなければ、精神年齢はそこに追い付かない。
四〇代や五〇代についても、他も同じ。
俺は前世の最期の方では、他の人からは勿論三〇代の人間として見られ、扱われてきた。
だが今は?
前世と今世会わせてアラフォーを越したが、今の俺の姿はどう見ても一〇代の若者にしか見えない。
ならば他の人は俺を見て四〇代として接してくる事は無い。
それ故、四〇代としての経験など積めるはずもなく、精神年齢がそこに行く事も無い。
俺がアラフォー以上の精神年齢になれるのは、今世で四〇代になってから、やっと四〇代としての価値観を手に入れられる様になる。
だから現在の価値観は、前世の年齢までの価値観で固定されてしまっていると認識している。
だって今、五〇代の女性に魅力感じて付き合いたいっていう様な感覚は全くないし。それが答えだ。
……とまあシンキングタイムはここまでにして、そろそろ出ないと怪しまれる可能性がある。
一度深呼吸し、満を持してトイレのドアを開けた。
ダイニングに戻れば、変わらずに座っているあいの後ろ姿。
それを通り過ぎ、元居た彼女の対面の席に座り直した。
お茶を飲むついでにちらりと彼女を盗み見れば、変わらずの無表情でスマホをいじっていた。
うむ、機嫌直ったのかどうか分からん。
「あ、そうだ」
不意に彼女が声を上げる。
スマホに目を落としたまま、言葉を続けた。
「うちの社長からさ、演技の勉強してこいとかっていうので、今度ワークショップに参加する事になったんだ」
彼女の話に「ほーん」と返す。
良かった、剣呑な雰囲気は終わった様だ。
内心で深いため息をこぼした。
「いいじゃん、折角の機会だし色々勉強してきたら?」
肯定した俺の言葉に、彼女は僅かに俯いてしまった。
「……演じて愛してるって嘘を重ねて、それもいつか本当になるのかな」
まあ、確かに。
例え嫌いな人であっても好きと言わなきゃいけないのが演技だ。
その場凌ぎの言葉で終わる事もあるだろう。
だがその反面、恋愛物で共演してそのままめでたくゴールインなんて話も良く聞く。
所詮はケースバイケース。
だけど、
「もしかしたら、なるんじゃない?」
ケースバイケースで良い方に傾く可能性があるなら、進める。
それに、俺に出来るのは肯定だけだ。
多少驚いた顔でこちらを見るあい。
やがて目線を逸らした。
「確かに、ってこの前ちょっと思ったんだ」
ほーん、そうなのか。
「……昔、CM撮影で共演したの憶えてる?」
不意に言われた昔の話。
「ああ、憶えてるよ」
あれは忘れもしない、俺が仕事で精神的に一番疲れた日なんだから。
もう数年前の話だが、昨日の事の様に憶えている。
「あの時さ、セリフの掛け合いだったじゃん?」
その言葉に頷く。
「セリフって今も憶えてる?」
「……あー、どうだっけなあ」
彼女の言葉に、暫し頭を悩ませる。
何て言ったっけか? ニュアンスでしか覚えてない。
だが――、
「これを飲んで君と遊んだ思い出」
彼女の言葉で、
「僕はずっと忘れない」
先程まで終ぞ出なかったセリフが、
「大きくなっても、これを持って君を待ってる」
覚えたての頃の様に出てくる。
「僕も君を待っている」
そして当時よりも、言葉が言いやすい。
『だって』
それは今の関係になったからだろうか。
『――君の事が好きだから』
少しの静寂。やがてどちらともなく微かに笑い出した。
「ちゃんと憶えてるし」
久々に見せてくれた笑みと共に、声をかけられる。
「そっちこそ、良く憶えてんなあ」
そう言葉を返す。
やがて笑いが収まり、互いに見やる。
「……あの時さ、少し分かったんだ」
そのまま彼女は続けた。
「カズマが言った言葉って、何かずっと胸の中に残っててさ。そうやって心に残らせる言葉になるなら、演技で愛を伝えてもいいんじゃないかって」
彼女の表情は明るく、先程までの無表情なんてどこにも見当たらない。
前に進み続ける彼女に、こちらもつられて笑顔になる。
「そっか、頑張ってきな」
そう告げれば、頷きが返ってくる。
「いつかそれを演技の場じゃなく、いつでもどこでも言える様に、言われる様になる為に、やりたい事が決まったよ」
伝えてくる彼女の瞳は輝いており、一切の曇りもない。
それが果たして嘘なのかどうか、俺には判断出来ない。
だからこそ、
「おう、好きにやっちゃいな」
肯定するだけ。けれど、俺の本心でもあった。
「楽しみにしててね?」
「あいよー」
和やかな雰囲気に包まれたからなのか、不意にあくびが出そうになり嚙み殺す。
「あれ、眠い?」
だが彼女には必ずバレる。
和やかな雰囲気だけでなく、ここまでの緊張と緩和の落差のせいかもしれない。
「このまま寝てもいいよ? 後で時間見て帰るからさ」
彼女の言葉に返そうとするが、眠気が強く寝るのを優先したくなる。
どうやら思っていた以上に、今日の出来事は俺の精神力を削った様だ。
テーブルに突っ伏し、寝る態勢についた。
何やら頭に感触が。
どうやらあいが頭を撫でているらしい。
ここまで甘やかされては、眠る以外出来なくなる。
「んじゃー、鍵しめなくていいからさー」
「はいはい、おやすみー」
そんな彼女の声を子守歌に、眠りについた。
目が覚めると外が暗くなっており、すっかりと夜になっていた。
あいの姿はなく、玄関のドアが、鍵が開いたまま閉まっているのを見て、彼女が帰ったのだと知る。
スマホを点ければあいから『起きたらちゃんとベッドで寝るんだよー』とのメッセージ。
途中で寝てごめんよー、と返信しまだ眠気が残るので、彼女の言葉の通りベッドに横になる。
徐々に睡魔が強くなってくる中、考える。
午前中はどうなる事やらと、かなりヒヤヒヤした。
それでも結果としては丸く収まった。
とりあえず、あいとの関係がまた良好になって満足な一日になって良かったと考えたのが、その日最後の記憶。