"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
のほほんとした空気から一転、やたらと剣呑になってしまった。
何が彼女の逆鱗に触れたのよ……。
訳も分からず彼女を見ていれば、俯いた状態は変わらず。
「……なんで仕事するの?」
ぽつりと一言。
……いや、なんでって言われても。
「いや、施設にずっといるし、時間もあるから働いても良いか――」
「嘘」
まだ話してる最中だったが、ぴしゃりと放たれたたった二文字で何も言えなくなった。
何か分からんが何故か背筋がゾクゾクしてくる。
「ねえ、なんで仕事するの?」
再度こちらのターンが来てしまった。
俯いたままでどんな表情を浮かべているのか分からず、緊張で妙に口が開きにくい。
「あ、いや、やっぱお金はあった方がいいかなーって」
なんとか一音目を出せば、そこからようやく口が回り出してくれた。
かといって緊張がなくなった訳じゃない。
相変わらず俯いたまま。
そろそろ顔を見せて欲しい、何かそこはかとない怖さがあるのよ……。
「……やりたい仕事なの?」
「い、いや、別にやりたい仕事って訳じゃ――」
「じゃあやんなくていいじゃん」
「え、あ、いや……」
ぴしゃりやめて、ひゅってなるから。
お、俺は別に間違った事言ってないよな……?
働きたいっていうのって良い事だよな、なんて自問自答するが、彼女の反応を見ると段々自信が無くなってくる。
「やりたい仕事じゃないなら、働かなくていいじゃん」
「え、だからその」
「やりたくないのに大変なんだよ? 辛いんだよ?」
「いや、その」
「仕事ばっかで全然時間取れなくなるんだよ?」
「あの」
「体壊して動けなくなるんだよ?」
「それブラッ」
「そんなに仕事したいの?」
「い、いや、それはしたくないかなあ……なんて」
「じゃあ仕事しなくていいじゃん」
な、なんて暴論……けど何故か言い返せないッ。
精神アラサーの男が一二歳の少女に言い負けた瞬間だった。
何故こんな事に……。
始発点の分からないこの話題を理解しろと言われても、なかなかどうして難しい。
発言としては「仕事始める」なのは間違いない。
けれど、その発言の何がトリガーになったのかが、さっぱり分からない。
「ねえ、何か言ってよ」
突然の言葉に身体が大きく震える。
あ、あー、話し返せばいいのね?
「ま、まあ確かに職種や会社によってはそうい」
「じゃなくて」
心臓がキュってなった。
な、何か言い方間違えたか……?
「仕事するの? しないの?」
その行間は読めないって……!
このあいは恐ろしすぎる。
嘘発見器付きの尋問官なんてチート過ぎんだろ……。
だが、猶予は無し。
イエスかノーの答えを出さないといけなくなってしまった。
彼女の満足する答えは、会話の流れから間違いなく"仕事をしない"だろう。
しかしそう答えて、彼女に仕事をしているのがバレてしまったら?
じゃあ"仕事をする"と答えた場合は? 即アウトの様な気配しかない。
今まさに、前門の虎後門の狼といった状況がここにあった。
どうしよう……ワンチャン、これで言ってみるか?
考えている内に浮かんが回答は「仕事をしますぇん」。つまり聞き間違いだ。
聞き間違いなら、相手がどう捉えようと、こちらはこの意思でしたと後から言い訳が可能である。
これでいくか? なんて本気で検討し始めた時。
俺に天啓が下った。
そ、そうか、突然の事にかなり動揺したが、よく考えればこれが根本的な理由だろう。
だから彼女はここまで豹変したに違いない。
アハ体験が如く、思考がクリアになる。
なんだ、簡単な事じゃないか。
同時に緊張も解れた。
ならば彼女を早く安心させてあげよう。
笑みを浮かべ、口を開いた。
「オッケーオッケー、初ライブにはどんな予定があっても必ず行くよ」
デビューライブだもんな、そりゃあ大切な友達って思ってくれてるなら、自分が一所懸命頑張って練習した集大成を、絶対観に来てもらいたいもんな。
隠れて観に行こうと思っていたが、初ライブくらいはしっかりと前面で応援でもしますか。
そう考えて瞼を閉じる。
だがそれは再び開かれた。
「――――もういい」
……えっ?
心の声が口に出たかは分からない。
「……もういい」
もう一度紡がれた同じ言葉。
思考が全く纏まらず、何を言えば良いのか分からない。
だが、考えるよりも先に口が動いてくれた。
「あ、いや、だからちゃんとデビューライブは行って、全力で応援するか」
「――全然違うッ!」
初めて聞いた金切り声。
顔が上がり、彼女の表情がようやく伺えた。
「もう仕事したいなら勝手にすればいいよッ! どうなっても知らないからッ!」
目をキツく瞑り、口角が上がる事はない。
その顔は決して
勢いよく立ち上がり、睨んだ目付きでこちらを見下ろす。
「もう勝手に仕事して倒れちゃえばいいんだッ!」
えっ、ちょ……。
「私の事なんかさっさと忘れて好きにすればいいよッ!」
叫びながら、彼女は横を向く。
それが何か考える前に身体が動き手を伸ばすが。
彼女の目を見て、動きを止めてしまった。
「もう、信じられないッ! ――――カズヤのバカッ!」
彼女が走り去った後、遠くからおばちゃんの驚いた様な声が聴こえた。
それを他人事の様に聞き流しながら、思う。
出会って幾年月経つが、初めて見た涙。
それが心に重くのしかかる。
廊下をドシドシという音を立てながら足音が近付いてくる。
あー、絶対おばちゃんだろうなあ。
どんだけ怒られるんだろうか、そう考えながら上げっぱなしだった腕を床に下した。
初めての喧嘩は、俺と彼女の道標みたいに互いのベクトルが交わらないまま終わりを迎えた。