前回は→その①
ニチユ同祖論を主張する人に聞きたいんですが、それってどこの誰が言い始めたか知っていますか?
~プロローグ~
【時間の経過により忘れ去られた経緯】
ニチユ同祖論がネット上に目立ち始めたのって311だと思いますね。それまで私は観光地に行くと静寂な寺や神社に散歩するのが元々好きだったので、あらましを調べたりしていました。その時と雰囲気が違いますから。震災後やたらとニチユ同祖論をゴリ押ししてきたりする異常さに私は何か裏が有るんじゃないかな?と思い始めたんですが・・・・その直感が当たっていた話をしたいと思います。
例えば以下の過去記事をご覧下さい。私が最も胡散臭いと思ったのは時代によって国宝や神社の記録や記述の内容がすり替わっている事です。
知っているのと知らないのでは大きく論じ始める始点が変わってきてしまうんですよ。既にスピ本によって洗脳された人たちが色々書きまくって広めてしまっているけど(笑)
【ニチユ同祖論を始めたのはこの人物です】Wikipediaより引用まとめ
ニチユ同祖論は日本に昔から有った理論では有りません。これらの概念を作った人が具体的に誰か?ご存知でしょうか?
明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド) は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化した。日ユ同祖論の歴史は、彼の日本での英語の著作
●The Epitome of The Ancient History of Japan(意味は『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房
●Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan 京都 1878年(明治11年)
によって始まった。これは、後の1901年、「ユダヤ大百科事典」ニューヨーク版失われた10支族の項目に引用されたという。彼は韓ユ同祖論も唱えていたこともあって、マクラウドはなんでも失われた10支族と結びつけるいい加減な人物であったと結論する者もいる。彼の主張は、10支族の内の主要な部族は、青森戸来村、沖縄奄美、朝鮮半島らを経由して日本へ鞍馬寺へ渡ったのに対して、ダン族など残りの支族は、そのまま朝鮮半島に留まったというものであり、諸説論理上の整合性は取れている。
~以上~
そうです明治になってマクラウドという宣教師が書いた本によってニチユ同祖論が構築されました。つまりそれ以前はそんな話は出ていなかったという事です。しかし、これについて私からいくつか指摘して行きたいと思います。
まず本が出されたのはいつですか? 1878年(明治11年) 。この時代の背景と言うのは前回の記事に書いたように。1873年(明治6年)にキリスト教禁止令は解かれた。つまり解禁されたら数年で書き上げたと思われます。それまでは布教禁止でしたのでニチユ同祖論とか、徳川家康の時代に書いていたら処罰されていた事でしょう。そして彼の人物像をしっかり読んでみて下さい
【マクラウド氏とはどんな人?】
マクラウド自身の素性についてはニシン商人とも宣教師とも言われるが、生没年含め詳細は不明で、現存する著書(第2版)の献辞がスコットランドのフリーチャーチ(スコットランド自由教会)の聖職者になされていることから宗教的には同派に関係すると推測されている。
~以上~
この素性のはっきりしない書き方分かりますか?つまり得体のしれない実績のない人がいきなり本を出して市場にあたかも大ヒットの様に出るあたり・・・今のスピ本と性質がそっくりですよね。まぁ同じようなもんだと言う事は、私の今後の記述によって明らかになってくると思いますけど。どのみちこんな大学の歴史専門家とかでもないような人の言う事をどうしてここまで尊重しなければいけないんですか?信頼に値しますか?それと、宗教家である事は自分の宗教に都合よい記述をする可能性が有るとどうして精査されなかったのでしょうか?
ここまでは内容が良かったからじゃないの?と庇う人も居るかもしれませんし、言い逃れ出来るかもしれません、しかしその後の日本にとある事が展開をした事により絶対言い訳出来ない事柄が有ります。それは、キリスト教禁止令が出るまで天皇家及び日本政府、日本国民が信じていた物。拠り所にしていた物って一体何だったのでしょうか?
答え:神仏です
つまり、イエス様でも何でもない訳です。
【事実初期の頃の明治政府のキリスト教への態度は】
1867年に成立した明治新政府も慶応4年3月15日(1868年4月7日)に五榜の掲示という高札を掲示してキリスト教禁教を継続したため、信徒への拷問や流刑などが行われた。明治政府が刑事罰を与えたキリスト教徒はカトリックに留まらず、他の地方でも東北で正教会への日本人改宗者が投獄されるなど、キリスト教弾圧が全国的に行われました。人の信教を弾圧するのは人道的な面からはいかがなものかと思う方も有るだろうけど、そうせざるを得なかった理由は
【国を守る為】でした
徳川の時代から明治に渡り日本の為政者が何故キリスト教を弾圧し追い出そうとしたか?
①神仏への宣誓で成り立っている秩序の崩壊
②キリシタンを基盤とした地域支配
【実際にそうなっているかどうか考えてみてください】
①神仏への宣誓で成り立っている秩序の崩壊
※この時の実権者誰でしょうか?
徳川家からの大政奉還により、天皇みずから政治を行うことを宣言しました。 これにより、幕府も摂政も関白もいない、明治天皇のもとの政治がはじまります。 明治時代が始まった頃は上記に書いた事をもう一度認識する為に書きましたが
~初期の明治政府とキリスト教~
1867年に成立した明治新政府も慶応4年3月15日(1868年4月7日)に五榜の掲示という高札を掲示してキリスト教禁教を継続したため、信徒への拷問や流刑などが行われた。明治政府が刑事罰を与えたキリスト教徒はカトリックに留まらず、他の地方でも東北で正教会への日本人改宗者が投獄されるなど、キリスト教弾圧が全国的に行われました。
~以上~
つまり神仏信仰とキリシタンとの対立してきたという事で、全くの別物と考えてたからこそだと分かります。それなのに得体のしれない人が書いたニチユ同祖論を元に同じようなもんだよ~としちゃうのは何故ですか?そしてこの流れって明治だけではなく戦後にももう一つの波が有り、現代ではスピ本による洗脳として脈々と続いている訳です。
今までは拒んでいましたが、不平等条約の訂正の引き換えとして入って来たキリスト教は学校などを色々作って教義を刷り込んできたのでしょう。その成果は以下にも表れていますね。
●明治後期に英語教師の佐伯好郎や牧師の川守田英二らが同調し、1930年代には対日禁輸政策を取る米国への対応策及びの一環として立案された河豚計画(ユダヤ人難民の満州入植計画)などに利用されたほか
●日本ホーリネス教会の中田重治も超国家主義な観点からこれを唱えホーリネス分裂事件を起こした。
●第二次大戦後に新宗教団体の「キリストの幕屋」(1948年設立)がニチユ同祖説を支持してイスラエルに接近し、1970年代には英文冊子を作成して同国大統領に進呈するなどして同説を広め、これを基に在米ユダヤ人ラビのマーヴィン・トケイヤーが大々的に宣伝した。
宗教学者の大田俊寛は、同祖論普及の背景には、聖書に出てこない日本が神の救済対象に含まれているのかという不安があったと論じている。
~以上~
つまり学術的な専門家というより宗教家によりこの説は支持され一生懸命広めただけだと思います。まぁ効果は今の状態を見ると思いきり出てますけどw
しかし、鏡の話をすり替えてまで、この説を押したいという事は利害関係や裏の狙いが絶対有ったはずです。それらを考察しながら次回に話を進めて行きたいなと思います。
続きは→その③
- 驚異の防臭袋 BOS (ボス) Mサイズ 90枚入り おむつ ・ うんち ・ 生ゴミ などの 処理 に最適 【袋カラー:ホワイト】Amazon(アマゾン)防災には絶対これ。犬の糞でさえ匂いません。生活機能停止の事を考えると私はいつもこれ。おむつにも最強のビニールです。