esugよ、私は帰ってきた!
高校の世界史教師が「お前の授業は自虐史観だとよく言われますが、他虐史観に比べれば自虐史観の方が余程ましです」と言っていたのを8月になるたびに思い出す
人類の文明が文章メディアの技術の発展にしたがって繁栄してきたのは確かなんだろうけど、それにしても今の人類は文章に頼りすぎている気がしなくもない。
生成AI時代におけるWikipediaの価値(Wikipedia's value in the age of generative AI 日本語訳)
https://www.yamdas.org/column/technique/wikipedias-value-in-the-age-of-generative-aij.html
そういうわけで訳したんで読んでくれや!
ソフトウェア開発界隈で言われる言葉に「属人性」がある。でも、個別のコードが(著作権など法的な問題を横に置いて)人に属することがあり得るのか、ちゃんと考えてみよう。単に技量不足な人には扱えないことを「属人性」と呼ぶのはおかしい。単に特定のコードについての作業歴が長い人がいるのを「属人性」と呼ぶのもおかしい。で、具体的に、どんな状態になるこことを「属人性」と呼ぶんだろう?オレにはわからない。せいぜい、「あるソフトウェアの開発チームにおいて、特定の個人がチームを代表してデザイン上の意思決定を下す」ぐらいの話じゃないだろうか。で、それのどこが問題?
と、ふわふわ考えているうちに、もしかしたらcomputer scienceはhuman-computer interactionに偏りすぎていて、world-computer interactionについてもっと考えたほうが良いのかもしれないと思った。具体的には何をするのかさっぱりわからんけど。
自分が使う技術を選択するのは自分ではなくて自分をとりまく世界だというのは、まあそうなんだろうと思う。インフラなのかどうかはわからないけど、自分とパソコンの間の関係より、パソコンと世界の関係のほうが、本質的に力が強いと思う。パソコンという一般名詞だけでなく、自分の目の前にある個体のパソコンについても、自分との関係より世界との関係のほうが強いと思う。
かといって、では紙メディアやテレビやラジオがネット系メディアより信頼に値するかというと、そうでもないという。
I feel like my generation experienced Peak Internet and we’re now on a downward trend.
Google Search sucks. You can’t trust Amazon ratings. Twitter & Reddit are at war with their users. Every useful news site is paywalled and every garbage one is free.
Turns out 2010s were the good old days.